【長瀬暁良『人間ピラミッド』(探梅社)より抜粋】
人間は平等なのだ、と拡声器を片手に叫ぶ者がいる。私はそれが当たり前である社会を作りたいのだ、と。
ならば、どうしておまえは俺よりも一段高い場所に立っているのか。
同じ目線からでは視界に入りきらない、社会の末端にいる人々のところまで、正義の主張を届けるためだと言うのなら、一度、冷静になって周囲を見回してみるがいい。
誰も、おまえのことなど見ていない。声など聞こうとしていない。目の前にいる、手を伸ばせば届きそうなところにいる者ですら。
そして、さらに気づくことがあるだろう。
台に乗っているはずなのに、目に映る相手と目線がほとんど変わらない。なぜなのか。特別に背が低いわけではない。ましてや、巨人の国に紛れ込んだわけでもない。
おまえが視界に捉えているのは、同じような台に乗っている者たちのみだからだ。そいつらよりもさらに高い場所に立つことこそが、おまえの望み。そのために拡声器を握りしめ、声を張り上げていることにすら、おまえは気づいていないのだろうが。
台の上にそれぞれが立ち、己が信奉する正義という名目の平等を訴える。闇雲に。下を向くべきであるのに、はるか高い天空をのぞみ、どこかで見聞きした覚えのある英雄のフリをして。
おまえだってかつては本心から平等を願い、崇高な志のもと、決意をもって台に乗ったのかもしれない。だが、我が発する言葉に、頬を紅潮させて熱心に頷くフリをしている者たちに取り囲まれ、かつぎ上げられるうち、己が特別な存在になったと錯覚を起こす恍惚の麻薬にじわりじわりと侵され、目的はすり替わってしまう。
より恍惚感を得られる高みに昇ることへと。
そのために、正義を信念以上に誇張するか、心地の好い言葉をばら撒くか。
苦しみのない楽園が存在し、我についてきた者のみがそこへ行くことができる、と信じ込ませる魔術を使うか。
狡猾な偽善者を支える台とはすなわち、騙された人間たちによるピラミッド。快楽の蜜に吸い寄せられただけの愚か者と呼んではならない。もがいても、もがいても抜け出すことのできない地獄にたらされた一筋の蜘蛛の糸に、すがりつくしかすべのなかった社会の犠牲者たち。
俺はある時、大きく拍手をしながらあいつのもとへと歩み寄った。
あいつはミカン箱ほどの台から下り、歯をむき出しにした笑顔で俺の右手を取ると、両手で強く握りしめてきた。
「質問してもいいですか?」
上目遣いに訊ねると、テノール歌手のような声で「いいとも」と返ってきたから、俺は言ったんだ。
「なあ、おっさん。あんたのピラミッドに、たいした金も持っていない真面目なだけが取り柄の俺のおやじは必要だったのか? おやじが死んだ後枠を、病弱なおふくろが命がけで支えなきゃならなかった理由はなんなんだ? 教えてくれよ」
答えはなかった。嘘笑いのままの顔で握りしめた手を外し、やれやれこまったものだ、と言わんばかりに、アメリカのコメディアンのように大袈裟に広げてみせただけ。ただ、口を閉じていたのはため息をこらえるためか。怒りの言葉を飲み込むためか。
俺は警備員に羽交い絞めにされ、立ち去るよう命じられた。
「俺は大切な支援者様の息子だぜ」
精一杯の声で叫んだが、あいつはもう俺のことなど見もしなかった。再び台に上がり、まるで臭いものを声でかき消すかのように、拡声器を握りしめ、たとえどんな妨害を受けても己が信念を貫き通す、と声を張り上げた。
妨害だって? 俺は言葉を欲しただけだ。おまえが得意とするものじゃないか。さんざん利用してきたものじゃないか。
それが、社会で不平等な扱いを受けていることが一目でわかる青年の前で出せなかったってことは、あんたの発する甘い言葉は、あんたの心から生まれたものじゃなく、誰かが用意した嘘八百という証だ。
俺はもうあんたに問いかけない。それが無駄だとわかったからには、俺にできる手段はただ一つ。腹に巻いた手製のダイナマイトに火をつけて、あんたに飛びかかるしかない。
人間ピラミッドを粉砕し、踏み台にされた善良な弱者たちを救済するために──。
【オンラインニュースより抜粋】
202×年(令和×年)11月3日14時20分頃、N県立北城高等学校の体育館にある舞台上で、文部科学大臣の清水義之さん(68)が、舞台上手から飛び出してきた男に刃物で襲われました。
清水大臣はN県内にある天馬会総合病院に運ばれましたが、5時間後に死亡が確認されました。
死因は首元を刺されたことによる失血死。
清水大臣は全国高校生総合文化祭の主賓として来校。14時から行われた「高校生文芸作品コンテスト」他、各文化芸術活動の表彰式で、全国から代表に選ばれた高校生やその保護者、引率の教員、会場となった北城高校の在校生、職員、事前予約にて出席した同窓生を含む約一〇〇〇人の来場者を前に、祝辞を述べ、賞状を授与するため、舞台に登壇したところでした。
なお、舞台の下手袖には表彰式のアシスタントゲストとして、N県出身で桜柳賞の候補にもなった作家、金谷灯里さんが待機していましたが、金谷さんにけがはありませんでした。
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白凰市に住む職業不詳・永瀬暁容疑者(37)が、清水義之文部科学大臣が襲われた現場で取り押さえられ、14時23分に殺人未遂の疑いで現行犯逮捕された。
永瀬容疑者は北城高校の同窓生であり、文化祭出席の事前申し込みを確認できたことから、警察は計画的犯行の疑いがあるとして調べをすすめている。
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永瀬暁容疑者は殺害の意志があったことを認め、動機について、母親が多額の献金をしていた「世界博愛和光連合(通称・愛光教会)」に恨みがあり、独自の調査で清水義之大臣と教団とのあいだに深い関係があることを突き止め、襲撃を決めたと話していることがわかった。
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永瀬暁容疑者は今年9月末まで市内の自動車整備工場に勤務していた。勤務時間後、隠れるように板金加工の機械を操作していたのを見たことがあるという同僚の証言から、永瀬容疑者は犯行に用いた小型の刃物に殺傷能力を高める加工を施していたのではないかとみられている。
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永瀬暁被告の精神鑑定が終わる。責任能力ありと診断される。
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永瀬暁被告の父親は、198×年に探梅文藝新人賞を『暁闇』で受賞し、デビュー作から6年連続、日本最高峰と呼ばれる文学賞、桜柳賞にノミネートされた実力派作家、長瀬暁良(本名・永瀬明)さんであることがわかった。長瀬さんは暁容疑者が6歳の時に自宅で死亡。作風は常に社会的弱者に寄り添うもので、最後の作品となった『人間ピラミッド』には、今回の事件を彷彿させる描写も見られる。
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長瀬暁良さんの全作の版元である探梅社が刊行する「週刊梅花」では、来月より隔週で永瀬暁被告による特別手記を緊急連載することが決定した。
「暁星」は全3回で連日公開予定