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 最近は、寝室が「夫のエリア」になっている。麻矢は自分の服を取り出す時以外には基本出入りしない。一方で「麻矢のエリア」はなかった。新居を探していくつか内見した中で、広くて明るいリビングを二人とも気に入って選んだ部屋だったが、「それぞれのエリア」を確保できる間取りの方が良かったと、今になって後悔していた。
 リビングのドアを開け、彼がいないのを確認して中に入る。壁際に置いたハンガーラックに着ていたものを吊るし、衣装ケースから下着と寝衣代わりのショートパンツとTシャツを出して着た。
 さっき夫が座っていたソファの背もたれを倒し、パイル生地のシーツを敷いて横になる。
 スイッチの消えたテレビの画面に、自分の姿が映っていた。それが嫌でリモコンを取ってテレビをつけた。観たい番組などあるわけもなく、ハードディスクの録画リストに切り替えてみる。
 さっき夫が観ていたのはこれだろうか。そのまま再生ボタンを押してみると、やはり古いモノクロの画面が映った。
 深い霧の中を、男がさまようように歩いている。道に迷いでもしたのか、呆然とした表情だ。
 しばらくぼんやり眺めていて、観たことのある映画だ、と気づいた。
 この男は元軍人で、戦争で受けた傷かなにかが原因で記憶を失っているのだ。確かこの後、一人の女性に出会い、恋に落ちる。しかし数年後に元の記憶を取り戻して──。
 通りすがりの男が何か呟く。字幕が出た。
 〈まるで豆スープのような霧だ〉
 ──豆スープのような霧って?
 この映画を光博のアパートの小さなテレビで一緒に観た時、意味不明な表現が気になって麻矢は隣にいた彼にそう尋ねた。彼は何でもないように答えた。
 ──豆のスープって、グリーンピースでも白インゲンのポタージュでもいいけど、とろりとして透明じゃないだろ? それほど濃くて視界がきかないほどの霧、ってことじゃないの?
 映画が最後どうなったのかも思い出せないのに、その時の会話だけは覚えている。
 へえ、そうなんだ。
 何となく訊いただけで向こうも大した知識を開陳したわけではないが、麻矢はその時、妙に嬉しかったのだ。彼が、自分の分からなかったことにすらっと答えてくれることが。
 光博と結婚したのは、それから一年にもならない頃だった。
 交際していた頃から、麻矢をよく知る友人たちはことごとく「今までにいないタイプね」と口を揃えた。確かにそれまで友人たちに紹介していた相手は、キャンプ好きの空間デザイナーやボルダリングが趣味の営業マンなど、陽気で活動的な男性ばかりだった。出身大学や勤め先こそ一流だが、「陰キャのオタクですから」と自虐的に名乗る男と結婚することになるなど、麻矢自身が思ってもいなかったのだ。
 いやそれは、相手も同じだっただろう。
 休日に仕事の視察を兼ねた商業施設巡りに付き合わせたり、趣味のサイクリングに誘ったり、知人が主催するバーベキューパーティに連れて行ったりするたびに、「こういうの初めてで」「勝手が分からなくて」と困った顔をしながらも「新鮮で楽しい」と口にしていた。麻矢も、光博の趣味である古い映画の鑑賞に付き合うのは多少退屈ではあったが、観終わってから彼の解説を聞くのは楽しかった。そういう感じ方があるのか、そんな理解をするのかと、新鮮な驚きがあった。
 同じような感性や価値観を持った人よりも、違う人の方が自分を成長させてくれるのかもしれない。分かりにくいところや理解できない振る舞いもあるが、最初から分かりやすいより長い時間をかけて少しずつ相手のことを知っていく方が──。
 そうか、と気づいた。
 さっき、「嫌がらせか」と考えたのは誤解かもしれない。
 向こうもまた、妻がいない一人の時間を楽しんでいただけなのかもしれない。彼の場合は外でお酒を飲むより映画鑑賞。寝室のパソコンよりも大きな画面と音響を満喫できるまたとない機会だったのだ。
「もうこんな時間」とわざとらしく時計を見たのも、本当に映画に没頭していて何時になったのか分かっていなかったのかもしれない。
 リモコンを再び手に取り、テレビを消した。ついでに明かりも。
 こういう誤解は、もしかしたら他にもあるのかもしれなかった。
 タオルケットを胸まで引き寄せ、それでも、と思う。
 間違いなく分かっていることはある。
 夫が自分の深夜の帰宅を責めないのは、鷹揚だからなのではなく、単に関心がないからだ。
 彼だけではない。自分も。
 結婚五年にして、互いへの関心が消え失せた。
 それを「恋愛感情がなくなった」と言い換えるのは簡単だろう。どこの夫婦もそんなものなのかもしれない。
 結婚して五年も経てば当たり前。レスになるのも。