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「何年も前のことだし、もう沈静化してるかと思ったんですけどね」
 願望も込めて私は言った。
 もっとも、他の三人から返ってきたのは微妙な半笑いだ。
「沈静化しない方がいいっちゃいいんじゃないですか。録画してくれる人も増えるし」
 惠阪くんの身も蓋もない発言に、土師さんも頷く。
「それはあるな。あとは、本来のターゲット層にどう届けるかだ」
 そこで千賀さんは唸るように考え込み、私に目を向ける。
「浅生、文山さんの様子はどうだった?」
 収録後、出演者が帰りのタクシーに乗るまで見送るのも私の仕事の一つだ。文山さんも会議前に見送ってきたところだったけど、『収録順調に終わりましたね』『さすが、料理お上手ですね』といった世間話には乗ってもらえなかった。お疲れ様でした、とだけ言ってタクシーに乗り込んだ文山さんは、見送る私の顔を一瞥もせず帰宅の途に就いている。
「正直、スタッフともまだ打ち解けられている印象はないと言いますか……」
 誤魔化しても仕方がないので正直に答えれば、千賀さんはおっとりと笑った。
「すぐに打ち解けるのは無理だろうけど、なんとかしていきたいねえ。ぶっちゃけ、文山さんも深夜番組なんかって腐っていらっしゃるところもあるんだろうし」
 スキャンダルさえなければ映画やドラマで主演も張っていたであろう人だ。不貞腐れる気持ちがあっても当然だし、理解だってできる。
 でもこちらとしては、それでは困るのだ。
「文山さんも、やる気がないわけではないんだと思います」
 私は重い気分を吹き飛ばすように畳みかける。
「現に文山さんからは番組用にレシピの提案を、一クール十二回分既にいただいておりまして」
「十二回分? 全部?」
「はい。それ以外にも、食材やロケ地の都合がつかなかった場合の予備までです」
 テキストファイルにびっしりと書き連ねたレシピを送ってもらった時は、文山さんの静かなやる気を感じて嬉しくなった。
「レシピの書き方も丁寧なんですよ。どれもすぐ作れるように事細かく記してくださってて、監修のフードコーディネーターさんも『直す必要がほぼないですね』と仰ってました」
 私の言葉に、惠阪くんが笑顔で続いた。
「あのレシピ、段取りがわかるから撮影のポイントも押さえやすいんですよね! カメラの来島さんも『早稲田式のスコアブック並みにわかりやすくて助かる』って絶賛してましたよ」
「へえ、来島さんが……」
 千賀さんが目を見開く。職人気質の来島さんは軽々しくお世辞を言わない人で、なんでも野球に例える人でもあった。
「お蔭で撮影班も助かってます。今は浅生に、食材に合うロケ地の選定を進めてもらってるところです」
 話を継いだ土師さんが、真剣な眼差しを千賀さんに向ける。
「あとは俺たちの方でも文山さんのやる気に応え、番組を盛り立てていけたらと思います。俺はこの番組、まだ数字が取れると考えているんです」
 千賀さんは私たちの顔を見比べるように眺め、微笑んだ。
「そうか。まあ……数字に踊らされ過ぎないようにな。一・七はそこまで悪い数字じゃないんだから」
 どこか宥めるような言い方にも聞こえたからだろうか、土師さんの顔に一瞬歯がゆそうな表情が浮かぶ。
 千賀さんが初回の視聴率にそこそこ満足している様子なのは言動から見て取れた。それこそ失言などで炎上するよりはいい、という判断なのかもしれない。もっとも土師さんだけではなく、私だって今の数字に満足なのかと言えば決してそんなことはなく──。
「そうだ、浅生。例の写真の話をしよう」
 土師さんが持参したタブレットに私が撮ってきた写真を表示させ、千賀さんの方に傾けた。
「初回放送のレシピ、浅生が作ってみてくれたんです」
 今朝食べたケーク・サレを撮影した画像だ。『文山遼生のマヨナカキッチン』第一回のメニューである『秋野菜のごろごろケーク・サレ』を家に帰ってから作ってみた。結構美味しく出来たのでその話を土師さんにしたら、写真を番組ホームページに載せてはどうかと提案されたのだ。焼き上がり直後の丸いものと、きれいに切り分けてお皿に盛りつけたもの、ちゃんと二種類撮ってきた。
「文山さんと違って、素人クオリティーで恥ずかしいんですけど……」
 あくまで必要に駆られて作っているだけなので、普段も他人に料理を見せる機会はほぼなかった。番組の為でなければこんな写真も撮らなかっただろう。大写しにされた画像に私はそわそわしていたけど、千賀さんは感心したような声を上げた。
「へえ、これを浅生が! そういえば料理ができるんだったな」
「できるってほどではないんですけど、少しは作れます」
「いやいや、これだけ作れるなら胸を張っていい。きれいな焼き色じゃないか」
「そ、そうですかね。よかった……」
 千賀さんのお言葉につい顔がゆるむ私を、土師さんがさも当然と言いたげに見る。
「だから言っただろ、問題なく撮れてるって」
「土師さんは写真しか褒めてくれなかったでしょ。ちょっと心配だったんだよ」
「いい画だって褒めたことの何が悪いんだ」
 土師さんは不服そうにしていたけど、料理の写真を見て『問題ない』としか言わないのはやっぱりどうだろう。それでなくともこちらは素人料理を職場の人間に見せるのでびくびくしていたというのに。
 一方、食いしん坊の惠阪くんは目をきらきらさせて写真に食いつく。
「うわー美味そうっすね! これは一口食べたかったなあ! 次の物撮りには俺も呼んでくださいよ!」
 褒められるのはもちろん嬉しいけど、今朝のケーク・サレはこっそり食べておいてよかった。惠阪くんに見つかっていたら貴重なご飯を分けてあげざるを得なかっただろう。
「この写真を、番組ホームページにレシピと一緒に掲載しようと思うんです」
 私は千賀さんに、写真を撮った理由をそう説明した。
「文山さんだけではなく、スタッフにも簡単に作れたという点を視聴者にも知っていただくことで、番組への興味もより深まるのではないかと」
「番組への導線は多い方がいいです。この件に関しては浅生が全面協力してくれるというので、俺は任せたいと思います」
 土師さんが続けると、千賀さんは心配そうに眉を顰めた。
「やってくれるのはありがたいけど……浅生、大変じゃないか? こういうのは初回の一度きりというわけにはいかない。ホームページの更新でスタッフの番組に対する熱量を見る人もいるからね。一旦始めたらある程度は続けなければならないけど、できる?」
 正直、負担じゃないとは決して言えない。だけど、やりたい。そうすることで番組を盛り立てていけるのなら。
「できます」
 私はきっぱりと答えた。
 惠阪くんが音のない拍手をくれ、土師さんは審判を待つように千賀さんを見やる。
 千賀さんは、表情をふっと和らげて言った。
「わかった。じゃあ次の写真も楽しみにしてるよ、浅生」