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薬房から雑貨屋へ戻り、再び店をあけた。勘定台の裏へ引っ込み、ときどき訪れる客の求めに応じた。衣類や日用品などを売りながら、次郎は自分の将来を想像し、胸を躍らせた。
中国では清の時代から阿片は禁制品である。が、いまの時代の労働者、特に、底辺できつい仕事をこなす者にとっては、阿片は酒や煙草と同じく嗜好品、苦渋に満ちた人生を慰めてくれる一服の楽しみだ。
「なぜ、害毒である阿片など吸うのか?」という問いは、社会の上層で裕福に暮らしている人間だけが口にできる愚問だ。
下層の人間は、阿片でも吸わなければやっていられない。それぐらい生活が厳しく、働いても働いても報われず、重労働で体を壊していくだけの現実がある。
そして、富裕層の一部にも阿片を求めてやまぬ人々がいた。
港の苦力から見れば天国に住んでいるように見える人々が、真面目に生きるだけの毎日に虚無を感じ、そんな人生は死んでいるのと同じことだと嘆くのだ。大陸の金持ちは嘯く。より深く、より過激に、どこまでも快楽を追い求め、思う存分それを味わい尽くすことこそが、人生における最大の幸福なのだと。この望みをかなえてくれるのが阿片だと、彼らは言い切る。
それが真理なのか金持ちの戯れ言なのか、次郎にはわからない。わかっているのは、そこにつけ込めば、金持ちから大金をせしめられるということだ。買いたい奴がいて、売りたい奴がいる。雑貨屋の仕事と同じだ。おれにだってうまくやれるはずだ。
阿片の原料となる芥子を栽培し、精製して阿片煙膏をつくり、それを商品化して都会で売りさばく流れには、夥しい数の工程と人手が必要だ。個人ではできない。必ず、青幇を通さねばならない。
青幇とは、中国社会を裏から支えている秘密結社である。その歴史も清の時代まで遡れる。河川で暴れる水賊から積み荷を守るため、水運業者が結束したのが始まりだ。当時、清政府は結社を禁じていた。加えて、水運業者はその頃から禁制品を運んでおり、秘密組織として成長せざるを得なかったのだ。
青幇に入るには厳しい審査があり、一度入ると抜けられないらしい。中での掟は絶対だ。義と侠で結ばれた、巨大な家族にも似た組織なのである。
中国人にとって、世が移ろっても変わらぬのは「家」つまり「血族」だけだという。古代から戦乱が絶えなかった大陸では、国を治める権力者は時代によって民族が違う。支配される側も多民族だ。その中で、絶対不変なものは血のつながりであり、それが目に見える形として存在するのが「家」なのだ。
だから大陸では、社会における人間関係までもが、必ず「家」やそれを模した形で広がっていく。欧米における「社会」の概念はなく、「家」の概念がその代わりを務める。裏社会でもそれは同じだ。「家」としての背景を持たぬ強盗団や殺人集団は、青幇から見れば、ただの「鼠族」にすぎない(「鼠族」とは、古い時代の中国で使われていた表現。現代の若者が使う同語とは意味が違う)。
夜、次郎が店の扉に鍵をかけた直後に、桃樹薬房の譚中方から電話がかかってきた。フランス租界の近く、愛多亜路と敏体尼蔭路が交わる近くに、嘉瑞という名の菜館があると教えられた。譚中方は言った。「先方が個室を予約した。店員におまえの名を告げれば、部屋まで案内してもらえる」
待ち合わせの時刻は正午。取り引き相手の名前は、楊直。上海の一地区を取り仕切る組織の長・郭景文の下で働いている男だという。
嘉瑞は、大世界のすぐ近くだと言われた。大世界の建物は目立つので、道に迷う心配はない。
次郎は了解して、受話器を置いた。
翌日、次郎は知り合いの車に便乗させてもらい、待ち合わせの店の近くで降りた。
愛多亜路に沿って歩くと、すぐに特徴的な形の塔が見えてきた。漢字と英字のネオンサインを支える骨組みが、屋上で姿を晒している。
次郎は満面の笑みを浮かべて、大世界の建物を見あげた。
中洋折衷の端正な建物は、夜になって灯りがともると、妖狐の住み処を思わせる艶やかな光を放ち始める。内部にはいくつもの劇場があり、毎日、芝居や曲芸を観られる。有名な店も入っており、豪華な食事を楽しみ、贅沢品を買うことができる。青幇の三大亨(三大ボス。「大亨」はボスの古めかしい呼び名)のひとり黄金栄が大世界の経営に乗り出してからは、阿片の取り引きや賭博までもが、内部で堂々と行われているらしい。
上海で身を持ち崩した者は、しばしば、この大世界の屋上から身を投げるという。夜の闇に身を躍らせるとき、彼らの目に映るのは街灯の輝きと、流れるように大通りを駆け抜ける車のライト、酔漢にしなだれかかって歩く厚化粧の女――。何を見つめ、どんな気持ちで落ちていくのか。この世のすべてを呪いながら、あるいは、すべてから解放された夢心地で死んでいくのだろうか。いずれにしても、次郎には、まだ足を踏み入れられない場所だ。いまは夢みて通り過ぎるだけである。
街路樹と電柱が並ぶ歩道を、次郎は視線を巡らせながら歩いた。虹口の外へ出ると、上海租界に特有の中洋入り乱れる町の姿が一気に広がる。頭にターバンを巻いたシーク教徒の巡査が交差点に立ち、その前を黒塗りのフォードやパッカードが駆け抜けていく。長袍を着た中国人の男の中には、伝統的な丸帽子ではなく、西洋の中折れ帽を頭に載せている者が目につく。中洋折衷のスタイルだ。全身を洋装でまとめた中国人や日本人も数多く行き交っていた。このあたりを日常的にぶらつくのは、租界で事業に成功した懐が豊かな人間たちだ。
大勢の中国人車夫が、黄包車と呼ばれる人力車を牽いている。小走りに道路を渡る男女は、質素な身なりから小売店や飲食店で働く者だとわかる。連れ立って歩く若い女たちが着ているのは、旗袍(チャイナドレス)と呼ばれる、この町で生まれた新しい時代の服だ。立ち襟でひとつながりのこの衣服は、数年前と違ってハイヒールを履く習慣が広がった影響で、いまでは裾の長さが足首まであるものが流行っている。腰から下には長いスリットが入り、袖は長いのも短いのもあるが、若い女はたいてい半袖姿だ。剥き出しになった両腕や、スリットからちらちらとのぞく脚が実に艶めかしい。昔ながらの伝統的な服しか知らない高齢の男女は、若い世代の大胆な華やかさを目にすると、ときおり呆れたように眉をひそめる。
大通りに沿って軒を連ねるのは、京劇の劇場、映画館、大小さまざまな飲食店だ。ここに近いのであれば、嘉瑞という店は、普段から青幇の幹部が通っている店だろう。内部で殺傷事件が起きても、店員は平然と処理するに違いない。自分が青幇の幹部から不興を買い、その場で撃ち殺される場面が、次郎の脳裏にふわりと浮かんだ。下半身がひゅっと縮こまり、春の暖かさが瞬時に遠のいた。店員たちは淡々と次郎の遺体を運び出し、床にこぼれたスープを拭き取るように手早く掃除を終えるだろう。驚く者も悲しむ者もおらず、自分の雑貨屋は閉じられたままとなる。
喉の奥から乾いた笑い声が洩れた。ひるむな。なるようにしかならないのだから。話をつけてくれと頼んだのは自分だ。抱いた欲望の始末は、自分自身でつけるしかない。
嘉瑞の前まで来た次郎は、足を止め、店の看板をふり仰いだ。扉と照明は洋風で、赤い看板は横長の中国風。力強い毛筆体で店名が書かれている。
家にあった一番いい服を着てきた。真新しいシャツを着てネクタイを締め、皺を伸ばしたズボンを穿き、とっておきの上衣に袖を通した。長めの頭髪には丁寧にブラシをかけたが、癖の強い毛がうねって先端があちこちに撥ねている。洒落た見映えからはほど遠いが、いまの自分はただの雑貨屋だ。妙に気取ってみせたところで襤褸が出るだけだから、これでいい。
深呼吸して気分を落ち着け、飾り模様が彫られた長把手を握りしめた。
力をこめて手前へ引く。