神奈川県警本部長の曾根要介そねようすけがパーティー会場に入ると、すでに千五百人近いと思われる出席者によってホールは埋まっていた。
 地元神奈川2区選出代議士・徳永一雄とくながかずおの政治資金パーティーである。
 みなとみらいにある〔横浜ベイクラッシィ〕のバンケットホール。会場の内外では神奈川県警による警備態勢が敷かれているが、曾根はその視察でここを訪れたわけではない。警察庁の先輩から招待状が送られてきたためだ。
「おう、曾根くん」
 その先輩――警察庁官房長の福間唯司ふくまただしが曾根の姿を認めて、手を挙げた。
「ご無沙汰しています」
 曾根は彼に近づきながら、挨拶する。
 曾根にとって三期上の先輩に当たる福間は、将来の警察庁長官就任も噂されているエリート官僚である。官房長という役職は、長官、次長に次いで、警察庁の組織の中ではナンバー3に位置する。
「相変わらずの仏頂面だな」福間が曾根の顔を見て、小さく苦笑する。髪はほとんど白くなっているが、声には張りがあり、曾根を唐変木とうへんぼく扱いする鷹揚おうようさは昔と変わっていない。「パーティーなんだから、もうちょっと愛想のいい顔を見せないと、誰も寄ってこんぞ」
「うちの連中が警備を務めているもので、半分は仕事の頭ですよ」
 そんな言い訳を口にしながら、パーティーが始まるのを待つ。
「大臣と面識はあるのか?」福間が訊く。
 徳永一雄は現在、国土交通相を務め、次世代リーダーとして首相候補にも名前が挙げられるようになった大物政治家だ。
「あいにく」
「地元の大先生なんだから」機会がなくても、君のほうから会いに行くべきだと、福間は苦い顔をしてみせた。「俺は神奈川に来たとき、三日目には行ってたぞ」
 彼は六年前、曾根が刑事部長を退いたのと入れ替わるように神奈川県警の本部長に就き、二年間、平和裏にその任を務め上げている。
「就任するなり〔バッドマン〕の事件にかかり切りでしたし、その後も特殊詐欺の対応やこの前の誘拐事件みたいなことに時間を削られてなかなか……」
 暗に就任期間中、重大事件にぶつからなかった福間を当てこする言い方になったが、意識的にそうしたわけではないというように、曾根は平然とした表情を崩さずにおいた。
 福間は福間で、そういうところが可愛げがないのだと言わんばかりに、頬を軽くゆがめている。
「俺のときだって、いろいろあったぞ」福間は下唇を突き出して言う。「詐欺だって、大きな問題になってた。〔ワイズマン〕とかな」
「〔ワイズマン〕?」
「もう、今は聞かんか? 横浜界隈を根城にオレオレで荒稼ぎするグループがいてな。〔ワイズマン〕と呼ばれる金主きんしゆが率いていると噂になってたんだ」そう言ってから、福間は鼻から息を抜いた。「まあ、噂だけで、実体は煙のようなものだ。つかもうにもつかめん」
「今は聞きませんね」曾根は言う。
「あの世界は新陳代謝が激しいからな。稼ぐだけ稼いで、今は遊んで暮らしてるんだろう」
 福間は話が脱線したと思ったのか、軽く肩をすくめて、会場の光景に目を移した。
「それはともかくだ」彼は言う。「君は中央の政治なんかとは関係ないところを歩いてきた人間だから、こういうことを億劫おつくうに感じるかもしれんが、これからはそうも言ってられないと思ったほうがいい。そういう歳になってきたんだ」
 不意に自分の進路めいた話が福間の口から出てきて、曾根はすっと息を呑んだ。
 そういう歳になってきたというのはその通りで、曾根自身も、それほど遠くない時期に身の振り方を考えるときがやってくるという認識はあった。
〔ワシ〕の事件でつまずき、官僚としての自身の経歴に小さな瑕疵かしを残した曾根だったが、それがあろうとなかろうと、警察庁内での大きな出世は早くから期待していなかった。曾根の同期にも仲川なかがわという、福間のようなトップランナーがいるからだ。
 曾根をはじめとする仲川の同期組は、そろそろ肩をたたかれ始める頃合に来ている。
 神奈川県警本部長のあとは、大阪府警など大規模警察のトップや本庁の局長職などを一、二年務める道くらいは残されているかもしれないが、その上への道は選ばれた者にしか開かれていない。県警本部長や本庁の局長職も、上を目指してピラミッドを這い上がってきた後進が順番を待っているので、いつまでも居座り続けることはできない。
 しかし、この場でセカンドキャリアの話を匂わされたところで、具体的にどういう話なのかまで嗅ぎ取るのは難しい。福間ももったいをつけるように、その先までは話を進めようとしない。
「市長とは会ったことがあるよな?」
 会場の前方に集まっている一団の中に、横浜市長の門馬敦也もんまあつやがいるのが見えた。
「さすがに」曾根は短く答える。
 門馬市長は二期八年にわたって市政をつかさどっている、横浜の顔ともいうべき人物だ。曾根は刑事部長時代から何度か顔を合わせたことがある。
「あの市長はもともと民和みんわ党で徳永大臣と同じ釜の飯を食ってた仲だ。大臣の後押しがあって、市長も安定した地位を築くことができているし、選挙となればお互いがお互いを全力で支えに行く」
 福間は、そんな話の何が曾根に関係するのか、わざと考えさせるような間をはさみ、それからまた口を開いた。
「横浜はこの二人がそろうことが重要だ」

 やがてパーティーが始まり、徳永一雄が登壇して拍手が沸き起こった。門馬敦也も来賓格で壇上に立っている。
〈私が見るところ、総理はもう、時期を見極めている段階に入ったと思いますな。遅くとも、この夏には大きな決断があっておかしくない。その準備をしておかなきゃいけません。厳しい戦いになりますよ〉
 衆議院の解散が夏か秋にはあるだろうという見立てを徳永大臣は示してみせた。
〈ただ、その前にここ横浜で市長選がある。総選挙の前哨戦として、全国が注目する大変大事な一戦になります。おそらく過去二戦と比べても、一番厳しい戦いになるでしょう。しかし、門馬さんには何としても勝ってもらわなきゃならない。我々も全力で応援していこうじゃないですか〉
 門馬はもともと選挙に強いタイプではない。三期目も続投の意思を示しているものの、革新系から有力な候補者が出れば、結果はどう転ぶか分からないと見られている。
 そんな政局の話をしたあと、徳永は、現政権での自らの仕事の成果を話し始めた。
〈そして、もうすぐ目鼻がつきそうなのが、IR――いわゆるカジノ特区の件です。ここ横浜も手を挙げておられますから、IRがんばるぞという関係者がこの中にもおられるかもしれませんが、これは観光立国日本の起爆剤となる計画でありますし、地元経済への波及効果も大きいものが見込まれますから、ぜひとも形にしていかなくてはいけないものでございます。
 このカジノの問題を語ると、必ず、ギャンブル中毒者を増やす気かと言って足を引っ張る向きが出てくるんですが、そういう小さなことを言ってては、何も始まらないんですよ。
 今、そのへんのゲームセンターを覗くと、じいさんばあさんが暇を持て余して、小金を持って遊んでるわけです。彼らはいい時代に生きてきましたから、けっこう貯めこんでる人、多いですよ。老後が心配だと金を貯めてきたけど、胃が弱ってるからもうご馳走も食べられないし、病院代も今はまだ安いもんです。こういう小金持ちの財布を開けさせなきゃいけない。そうやって経済を回していく。じいさんばあさんも毎日の楽しみができて喜びますよ。
 もちろん、それだけじゃなく、世界各国からの観光客も重要なターゲットであるわけで、そういう人たちに気持ちよくお金を落としてもらうには、IRというのは大変効率的な装置なのであります〉
 本音の皮算用をあえて隠さず、ずけずけと口にするさまは、痛快に取る向きもあるようで、ところどころで和やかな笑いも起こっている。立ち居振る舞いは傲岸そのもので、立ち回りも決して器用とは言えない男だが、裏表がなさそうなところは買ってもいいかもしれない……曾根の感覚からしても、評価に値しない政治家ではない。

 

「犯人に告ぐ3 紅の影」(2/6)は、9月18日に公開予定