沙奈江と話をして、ここに泥棒などいるはずないと納得したつもりだったが、一人になってみると、再び怖くなってきた。炬燵のあの温かさがどうにも引っかかるのだ。
もしも不審者がいたらと想像すると、心臓の鼓動が聞こえてきそうだった。
息を殺し、思いきって洋服ダンスの扉を左右同時に開けた。洋服がぎっしり掛かっているが、その奥に誰かが隠れているような気がしてならない。ふと隣を見ると、こんな所になぜか傘が何本も束ねて置いてあった。傘立てに入りきらない傘なのだろう。
お義母さん、一人暮らしなのに、どうしてこんなに傘がたくさんあるんです?
要らない物は普段から捨てておいてくださいよ。全く、もうっ。
その中の一本を抜き取って、タンスの中をあちこち突いてみた。
何の引っかかりもない。手応えもない。
ホッとした。ここも大丈夫らしい。
四畳半に入ってみた。たぶん寝室にしていたのだろう。さっきの部屋とは打って変わって家具が少なく、なんともすっきりしている。窓を大きく開けてから、押入れの襖を一気に開けた。
お義母さん、何なんですか、これは。いったい何人家族なんですか? そう言いたくなるほど、蒲団が何組も詰め込まれていた。
古い団地だからだろう、どの部屋にも昔ながらの大きな押入れがあり、ご丁寧に天袋までついている。たかが3Kだと油断していたが、収納スペースは想像以上に広かった。
そういえば、居間の押入れをまだ見ていなかった。
居間に戻って押入れを開けてみると、上段の片側には座蒲団が十枚ほど入っていた。その隣にはプラスチックの衣装ケースが何段も重ねられていて、その横には饅頭などの空き箱が積み重なっている。下段には扇風機や薬箱や電気カーペットなどが乱雑に収められていた。
隣家から話し声が聞こえてきた。鉄の厚いドアを通してもなおフミの声は聞こえてくる。だが沙奈江の声がしないところをみると、フミが一方的にしゃべっているのだろう。気の弱い沙奈江がやり込められているのではないかと心配になったが、それでも今はフミの声が安心感をもたらしてくれた。不審者がいるのではないかという疑いはほぼ消えたが、それでも近くに見知った人間がいると思うと心強かった。
押入れの中の積み重なった空き箱をいくつか開けてみると、街頭でもらったポケットティッシュが整然と並べられていたり、病院でもらった漢方薬が詰め込まれていたり、加山雄三のコンサートの古いパンフレットがいくつもあったりと色々だった。どちらにせよ、迷いなく捨てられそうな物ばかりだ。
天袋には何が入っているのだろう。
キッチンの椅子を持ってきて、その上によじ登り、天井近くの小さな襖戸を開けてみた。茶色に変色した大小それぞれの箱が詰まっている。天袋の襖戸が小さいので、中もたいしたことはないと思っていたが大間違いだった。押入れなら上半分に空間がある部屋もあるのに、天袋は天井まで隙間なく物が収められている。
箱をひとつ取り出して、床の上に下ろしてみた。積もった埃が年数を経て固くなっている。長年眠りについている埃を目覚めさせないよう、十文字に結わえられた紐をそっと解いて蓋を取ると、立派な文箱が出てきた。螺鈿細工が施された漆塗りで、薄紙に包まれたままで職人の写真入りパンフレットが入っていることからして未使用らしい。
そのほかの箱もいくつか下ろしてみると、有田焼や九谷焼や萩焼などの茶器セットが次々に現れた。奥の方を見ると、茶色く変色した大きな桐箱が三つある。手前に引きずり寄せ、ひとつずつ胸にかかえて、椅子から転げ落ちないよう慎重に下りる。
床に置いて開けてみると、青磁の壺が現れた。もうひとつは藍色の壺だ。最も大きい箱からは、雲が流れる様子を描いた立派な壺が出てきた。豪邸の玄関にしか似合わないような代物だ。
以前住んでいた戸建てにも飾っていなかったようだし、メーカーのシールが貼られたままだからこれらも未使用品だろう。使わないのなら、どうしてこんな物を買ったのだろう。姑は庶民的な人だったから、こんな高価そうな物を衝動買いするようには思えないのだが。
箱を次々に開けてみたが、家に持ち帰りたいと思うような物はひとつもなかった。自宅マンションは、老後の生活に備えて思いきって去年の暮れに断捨離したばかりで、不要な物を家に持ち込みたくない。食器も十分足りているし、茶器セットも持っているし、そもそも茶器セットなどひと揃いあれば十分だ。それどころか夫婦二人暮らしとなってからは、緑茶だろうがコーヒーだろうが紅茶だろうが、マグカップで飲むようになった。冬美の家に遊びに行くと、いつも美味しいコーヒーを淹れてくれるが、そこでもいつもマグカップで出てくる。
最近は食器が売れなくなったとテレビでも言っていた。今どきの若い人は車だけでなく食器も買わなくなったらしい。共働きが普通になり、皿洗いにかける手間を省くためにワンプレートで済ませたいという。
とはいうものの、センスがキラリと光る物であれば、自宅に持ち帰るつもりだった。その代わり、自宅にある似たような物を処分すればいいと考えていた。だがそういった逸品も見当たらない。すべて日本製だから質は良さそうだが、古い感じが拭えない。古いといっても大正浪漫を感じさせる骨董品ならいいが、単に時代遅れの昭和の匂いがする物ばかりだ。
子供が幼かったときなら、きっとありがたく持ち帰っただろう。以前はよく皿を割った。幼い子を育てる毎日では、食器を洗うのも全速力だったから、グラスを割ったり、茶碗の縁が欠けたりはしょっちゅうだった。だが、子供が一人二人と大学生になる頃から、食器を割ることは滅多になくなった。
だから、どう考えても今の我が家に新たな食器は必要ない。だが、やっぱりもったいない。箱が茶色く変色していたり、箱の隅に虫食い跡があったりするとはいうものの、中身は新品なのだから。
でも……必要ない。
だから、思いきって捨てようと思う。しかし、ひと抱えもある陶器の壺をどうやって捨てるのか。不燃物用の有料ゴミ袋の口を大きく広げてから、よいしょと持ち上げて中に入れなければならない。そして、ゴミ袋ごと胸に抱くようにしながら階段をそろりそろりと下り、ゴミ置き場まで運べというのか。大きな壺で前が見えないから、階段で足を踏み外さないよう気をつけなくちゃ。壺もろとも転げ落ちたりしたら、運動不足で柔軟性を失っている身体では大怪我をしそうだ。
だったら、いっそのこと引越し便で自宅に運んだらどうだろう。そしたら引越し屋のお兄さんが運んでくれるから、ゴミ置き場まで持っていかなくて済む。
だけど、どうせ使わないのに自宅に運んでどうするつもり?
断捨離してすっきりしたばかりなのに……。
ああ、嫌になる。
知らない間に、目の前にある立派な壺を憎々しげに睨んでいた。
お義母さん、こちらの身にもなってくださいよ。
心の中でそうつぶやきながら、天井の隅を見上げた。
捨てるのが大変というだけじゃないんですよ。もったいないという気持ちまで、否応無く引き継がなきゃならないんですよ。その辺のこと、わかってますか?
お義母さん、さすがに我慢強いだけが取り柄の私でも、もう嫌になっちゃいましたよ。
気づけば、これ見よがしに大きな溜め息をついていた。まるですぐそこに姑がいるかのように。
小説
姑の遺品整理は、迷惑です
あらすじ
郊外の団地で一人暮らしをしていた姑が、突然亡くなった。嫁の望登子は業者に頼むと高くつくからと自力で遺品整理を始める。だが、「安物買いの銭失い」の姑を甘く見ていた。至る所にぎっしり詰め込まれた物、物、物。あまりの多さに愕然とし、夫を駆り出すもまるで役に立たない。無駄を溜め込む癖を恨めしく思う望登子だが、徐々に姑の知らなかった顔が見えてきて……。誰もが直面する”人生の後始末”をユーモラスに描く長編小説。
姑の遺品整理は、迷惑です(4/6)
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