自分はそんなには払えない。マンションのローンだってまだ残っているし、子供を二人とも高校から私立に行かせたから預金は少ない。息子は数年前に所帯を持ち独立したが、娘は大学院まで進み、去年やっと就職し家を出たばかりだ。
同い年の夫は四年後には定年を迎える。夫は会社勤めから解放されるのを心待ちにしているようだが、六十歳以降も働いてもらわなければ、とてもじゃないが暮らしていけそうにない。
自分ももっと節約しなければと思う。だがその一方で、最近テレビや雑誌などでよく見聞きする「元気年齢」なるものが、五十代半ばの自分にはあと何年くらい残っているのだろうと考えると、明日からでもあちこち旅行してみたくてたまらなくなる。それは衝動的といってもいいほどの、身体の奥底から突き上げてくるような思いだった。
冬美も自分と同じ気持ちらしく、お茶するたびに旅行の話で盛り上がる。だが、互いに実行に移せないでいた。子育てが終わって自分の時間を取り戻せると思っていたのに、親の介護や孫の世話を頼まれるなど、次々に用事が舞い込む。そのうえ夫が定年した後の暮らしを考えると、パートの時間を増やさざるを得ない経済状態だ。
冬美とは、息子を通じて知り合った、いわゆるママ友だ。さっぱりした嫌味のない性格だからか、付かず離れずのつき合いが三十年も続いている。彼女とは共通点がたくさんある。同い年だし、大学進学のために地方から上京し、卒業後も東京で就職して結婚した。自分は北陸で生まれ育ち、冬美は山陰だから、日本海側特有の湿度の高さや雪深さに郷愁を覚えるのも同じだし、食べて育った魚の種類も似ているから味覚も合う。二人とも大学の同級生と結婚し、中堅企業に勤める夫の、決して多くはない給料でやりくりし、末子が小学校に上がると同時にパートに出たのも同じだ。そして実家がともに地方の名家であり、裕福な家で育った点まで似ている。
気づけば、腰に手を当てて背中を伸ばしていた。
まだ何もしていないうちから疲れを感じているようでは先が思いやられる。きっと朝から緊張していたせいだ。通勤時間帯の混み合った電車に乗るのも久しぶりだったし、亡き人の家に勝手に入ることに、畏れみたいなものを感じていたからだろうか。
自分たち夫婦の住むマンションから、この郊外の団地までは片道一時間半もかかる。両方とも都内とはいうものの、千葉県に近い東側に住む自分からすると、都心を横断しなければならない西側の郊外団地は遠かった。
だが不平不満を並べていても仕方がない。なんとかして片づけなければならないのだ。
気を取り直し、持参したペットボトルの水をゴクリと飲んだ。
冬美の言った通り、最初に全部の部屋をざっと見た方がいいだろう。
3Kの間取りは三室とも和室で、六畳が二間と四畳半が一間だ。三畳のキッチンの床は懐かしのリノリウムである。
キッチンと居間を隔てる襖をそっと開けてみた。雑然としているが、散らかってはいなかった。姑の年齢や体力を考えたら立派な方だろう。
あれ?
空気が温まっているように感じるのは気のせいだろうか。
さっきまでエアコンが入っていたみたいに感じる。
ベランダに目をやると、物干し竿にかけられた雑巾が風に揺れていた。姑が倒れてから三週間、分厚いカーテンは開けっ放しだったらしい。レースのカーテン越しに、眩しいほどの光が差し込んでいる。ベランダが南に面していると、冬でもこれほど暖かいものなのか。
壁際にはオーディオラックがあり、その横にテレビと仏壇、大きな本棚、部屋の真ん中には炬燵が置かれていて、座椅子や座蒲団の横には雑誌や新聞が山と積まれ、処方薬の袋などもたくさんある。
本棚には本がぎっしり詰まっていた。最下段には角が丸くなった函入りの広辞苑や二十巻もある百科事典、植物図鑑など古色蒼然とした本が並んでいる。こういうのは、きっと古書店でも引き取ってはくれないだろう。見るからに重そうだが、これらもゴミ置き場まで運ばなければならないのか。本格的な腰痛になる前に腰痛ベルトをつけておいた方がいいかもしれない。何年か前、ぎっくり腰になったときに整形外科でもらったのが家のタンスにしまってあるはずだ。
壁際にあるオーディオラックを見ようと、部屋を横切ろうとしたときだった。
炬燵蒲団に足を引っかけて転びそうになり、咄嗟に炬燵板の上に手をついた。
えっ、温かい?
これも太陽の恵みなの?
直射日光を浴びているわけでもないのに、炬燵の天板がここまで温まるものだろうか。
まさかと思いながらも、炬燵蒲団をかき上げて中に手を突っ込んでみた。
えっ?
はっきりと温かかった。
これは太陽の熱なんかじゃない。誰かがさっきまでここにいたのではないか。
いきなり背筋がゾッとした。怖くなってきた。
まさか、そんなこと……。
あ、なるほど。
きっと、この三週間というもの、ずっとスイッチを入れっぱなしだったに違いない。姑はスーパーの帰りに昏倒して救急車で運ばれ、そのまま入院した。それ以来ここには帰ってきていない。あの日、うっかり炬燵のスイッチを切らずにスーパーに行ったのだろう。その後も、姑が入院している間に夫が会社帰りに何度か立ち寄り、健康保険証やら年金手帳やら銀行のキャッシュカードなどを探して持ち出したことがあった。そのときの夫は、炬燵のことまで気が回らなかったのだろう。
スイッチを切ろうとして、床に重ねられた雑誌を片づけながら、赤白チェックのコードを目で辿ったときだった。
えっ?
両腕に鳥肌が立った。
コードのプラグはコンセントから抜かれ、畳の上に置かれていたのだ。
どういうこと?
やっぱり、さっきまでここに誰かいたの?
玄関ドアを開けたとき、奥の方から足音や窓を開け閉めするような音が聞こえたけど、あれは上下階や両隣の音ではなくて、この部屋の音だったの?
思わず息を殺した。
今まさに、泥棒が侵入しているとか?
次の瞬間、咄嗟にバッグを引っ掴むと、キッチンを突っ切って玄関まで走った。そして大きくドアを開けてストッパーで止めた。
そのときだった。
「あんた、変だよっ」
隣家から女性の大声が聞こえてきた。
その大声で気がついた。この団地の敷地内に足を踏み入れてからというもの、話し声ひとつ聞こえなかったことに。
ここに来るのに、駅からバスに五分ほど乗った。その間も、道路は貸し切りかと思うほど空いていたし、団地の入り口からこの棟まで辿り着くのに、集会所やいくつもの棟の脇を通ったが、誰ともすれ違わなかった。まるで誰も住んでいないのかと思うほど閑散としていた。
つまり、空き巣が狙うには格好の場所ではないか。
見ると、隣の玄関ドアが細く開いていた。沓脱ぎの所に、背が高くて痩せた女性の後ろ姿が見える。
隣家には生活保護を受けているシングルマザーが住んでいると姑から聞いたことがあった。無職で心療内科に通っていて、一人娘は去年の春に高校を卒業して親元を離れたらしい。
「あんたね、言うことだけは立派だけどさ、やることが伴ってないじゃないのよっ」
叱咤しているのは市の女性職員だろうか。生活保護費に甘えず、自立しろと指導しているのか。
それにしたって、あんな言葉遣いで大きな声を出されたら近所中に聞こえてしまう。シングルマザーは、いたたまれない気持ちになるのではないか。いくらなんでも近所への配慮があってしかるべきだ。
「とにかくさ、寒いから部屋に入れてよ。それとも男でもいるわけ?」
痩せた背中がそう言ったので驚いた。どうやら市の職員ではなさそうだ。
「今は……誰もいないけど」と、か細い声が聞こえてきた。
今はいないということは、男が来る日もあるということか。
生活に困窮していると聞いたのに、男を連れ込むような浮かれた気分なのか。さっきまでの同情が一瞬にして反感に変わった。
いや、そんなことはどうだっていい。部屋の中に不審者がいるかもしれないのだ。誰でもいいから顔見知りになっておきたかった。一人でいるのが怖い。
「あのう……すみません」
望登子は思いきって声をかけた。
小説
姑の遺品整理は、迷惑です
あらすじ
郊外の団地で一人暮らしをしていた姑が、突然亡くなった。嫁の望登子は業者に頼むと高くつくからと自力で遺品整理を始める。だが、「安物買いの銭失い」の姑を甘く見ていた。至る所にぎっしり詰め込まれた物、物、物。あまりの多さに愕然とし、夫を駆り出すもまるで役に立たない。無駄を溜め込む癖を恨めしく思う望登子だが、徐々に姑の知らなかった顔が見えてきて……。誰もが直面する”人生の後始末”をユーモラスに描く長編小説。
姑の遺品整理は、迷惑です(2/6)
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