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第二部

 

 

一七時五二分(爆破まであと一時間八分)

 

 

 アイドリングした白いジープのなかで高岡は考えていた。

 苅田芳美ではなかった。

 ――くそっ、貴重な時間を無駄にしてしまった!

 だとしたら、犯人は誰なんだ?

 ほかに誰かあてはまる女がいないか考えてみたが思いつかなかった。

 高岡を恨んでる女は大勢いるだろうが、宮坂希子のことを知っているとなると、かなりかぎられる。それに犯罪をも辞さない覚悟を持つ人間……。それだけ追い詰められているということか?

 学校関係者であることは間違いないように思う。学校のシステムのことをよく知っていたし、F高校の件では生徒を守ろうとしていた。今度の爆弾にしても、生徒が完全に下校する時刻を選んでいる。

 ここまで条件が揃っていながら、頭のなかでその正体が像を結ばなかった。

 あの精神科医――本物の霞は何か知っているだろうか?

 最初に電話があったとき、電話の主は、犯人の顔は見なかったと話したが、あいつは本物の霞ではない。本物の霞は実際に犯人と接触している。

 ――いま霞はどこにいるだろうか?

 病院か家のどちらかだろう。刑事の長谷川が話を聞きに行くといっていたから鉢合わせするとまずいが、出会ったとしても霞の安否を心配して話を聞きたかったという理由なら、筋は通るかもしれない。

 電話のなかで霞のふりをしていた犯人は、クリニックの裏に家があるといっていた。それが真実なのかわからないが、実際に霞が拘束された事実から考えると、信憑性はある。ともかく彼女のクリニックに行こう。

 ナビに「霞メンタル・クリニック」を入力し、目的地にセットした。

 

 駅前で見舞い用のフルーツバスケットを買い、目的地から徒歩五分のところのタイムズにジープを停めた。クリニックまで歩いていく。

 クリニックの裏手にまわると、青い屋根の一軒家があり、表札に「霞」とあった。ここが家だろう。

 黒いアルミ製の門扉を押し開け、短いアプローチの踏み石を歩いて玄関に向かった。インターフォンの呼び鈴を押す。応答があり、高岡は、聖マリアーノ学院の教諭の高岡だと名乗った。

『……どういったご用件でしょうか?』女性の声が聞こえた。

「こちらは霞絵美さんのご自宅でよろしかったでしょうか? わたしは今朝、霞絵美さんを名乗る人物から電話を受けた者です。……F高校に爆弾が仕掛けられていた恐ろしい事件でした。事件は無事に解決しましたが、警察の方から、霞さんが犯人に監禁されていたと知り、わたし自身事件に関わった者として、お見舞いしなければと思って勝手ながら来させていただきました」

『はあ……』

 どう対処すればいいか、判断しかねるといった声音だった。

 ややあって、インターフォンから声が聞こえた。

『ありがたいのですが、わたしは霞絵美の妹で、姉はいま病院から戻ってきたところで休んでいるんです』

「そうですか……。お見舞いの品だけでも、お渡しできないでしょうか?」

 すぐに返事は来なかった。

『……わかりました。少しお待ちください』

 玄関ドアが開き、ストレートの髪の長い女が顔を出した。

「わたしは妹の霞理沙です」

 霞クリニックのホームページで見た写真の霞絵美によく似ていた。歳は、二五、六といったところか。

 フルーツバスケットを差しだすと、

「ご丁寧に、どうも」と理沙は頭をさげた。

「それで、霞……絵美さんのご容態は?」

 理沙が顔をあげ、高岡に戸惑いがちの目を向けた。

「命に別状はないのですが、脱水症状になっていたそうで、病院で点滴を打ってもらいました」

「いまは寝られているんですか?」

「ええ。さっきまでは起きていたのですが……」

「少しお話しすることはできませんか? 同じ事件に関わった者として、一度きちんとご挨拶しないといけないと思いまして」

「それはちょっと……また日をあらためてもらってもいいですか。病院からもしっかり寝ることが必要だといわれているので」

 ――きょうでなければ意味がないんだ!

 頭のなかで強引に話を聞く方法をいくつかシミュレーションしたが、すべて却下した。どれも乱暴な方法になる。ここは苅田のときのようにはいかない。警察を呼ばれれば、身動きがとれなくなる。

「……わかりました。また後日、ご挨拶させていただきます」

 頭をさげ、その場を辞した。

 

一八時〇一分(爆破まであと五九分)

 

 敵の存在をはっきりと感じるのに、その正体に手が届かない苛立ちが抑えきれないほど強くなっていた。

 ――こうしているあいだにも時間は容赦なく過ぎていく……。

 駐車場へ向かう途中、スマートフォンに電話の着信があった。登録していない番号からだった。

 ――誰だ? こんなときに。

『シャイロックよ』

 あの女だった。

『残り時間はあと一時間。どうするか決めた?』

 前にかけてきた番号とは違う。この女は、複数の番号を使いわけているらしい。

 高岡は足を止め、周囲に目を走らせた。それから一度だけ深く息を吸った。

「……もうこんなこと、やめませんか? わたしが宮坂希子さんの居場所を知ってるなんて思い違いですよ」

『でも、まだ警察に知らせてないのよね。それは、うしろめたいことがあるからでしょう』

「そんなものはありませんけど……。どうでしょう。これは、まだわたしたちだけで解決できる問題ですよね。あなたが手を引けば、わたしは警察には通報しません。きょうはすでにいろいろありましたし……。わたしは教育者です。これ以上犯罪者を出したくないんです」

 電話の向こうで女が鼻で笑うのが聞こえた。

『犯罪者を出したくないって? 冗談でしょ。あなた自身が犯罪者のくせに。前にもいったでしょ。警察に知らせたいなら知らせて構わないって。わたしはあなたが宮坂希子を誘拐したのを知ってるのよ。居場所を教えれば、わたしのほうもあなたを警察に突き出さないようにしてもいい。もちろん学校も爆破しない』

 その声には一片の躊躇いもなかった。

 ――この自信は、どこから来る?

「あなたは……どうして、わたしが宮坂希子さんを誘拐したと思いこんでいるんですか? 何か証明できるものでも持ってるんですか?」

『これは裁判じゃないのよ。証拠も証明も必要ない。ただ、わたしが知っていればいいだけ。あなたが知らないふりをし続けるなら、それも結構。そのときはあなたの学校を爆破するだけだから』

「……どうして、あなたがそんなことをするんです? あなたは宮坂希子さんの関係者なんですか?」

『関係者なんかじゃないわ。ただ、あなたを罰したい者よ。わたしは正義を果たしたいだけ』

 ――正義って……。

 このくそ女、人を爆弾で脅しておきながら、よくもそんな言葉が吐けたものだ。

「とにかく、わたしは宮坂希子さんの居場所なんか知らないんです。もう勘弁してください。あなたは、おそらくわたしに個人的な恨みがある方なんでしょうが、謝罪しますから」

『謝罪はいらない。わたしが欲しいのは答えだけ。……とはいっても、あなたの学校が破壊されるのは見ものだと思わない? いらないでしょ、あんなボロ校舎。粉々になったほうがいいんじゃないの?』

 高岡は耳にあてているスマートフォンを強く握りしめた。

 手の届かないところからこちらを弄び、嘲笑うような態度に、どうしようもない怒りがこみあげてくる――。

 頭の芯が焼き切れるような熱を帯びた。

「……てめぇ、殺すぞ……」

 抑えきれない殺意が、声になって漏れた。

 女が愉しげに笑った。

『やっと本性を現わしたわね。大切な学校を爆破されたくなかったら、宮坂希子の居場所をいえばいいだけよ。そのあと、あなたは逃げればいいじゃない。あなたなら世界のどこでだって生きていけるでしょ。あなたの学校は奇麗なままこれからも残り続けるわ』

 高岡は奥歯を噛みしめた。

 ――この女、どこにいやがるんだ。絶対に殺してやる……。

『残り時間は、あと五四分よ』

 涼しげな声を残し、通話は唐突に切れた。

 

 こめかみが脈打ち、全身が熱くなっていた。駐車場に停められている車をすべて破壊したいほどの衝動が、腹の底から突きあげてくる。

 ――俺の学校を壊すなど絶対に許されない……。

「どや、すごいやろ」

 ふいに脳裏に祖父の言葉が蘇った。

 はじめて聖マリアーノ学院を見たときのことだ。あれは、いまから三二年前――。

 その建物は眩しいほどに輝いていた。

 午後の陽が、赤煉瓦の外壁に斜めから射し、列柱は長い影を芝生へ落として、尖塔めいた時計台が青空にくっきりと延びていた。

 高岡少年は、ただ黙って見あげていた。

 それは学校というより、異国そのもののように思われた。山あいの町に、突然、遠い西洋の一部が運びこまれてきたかのようだった。

「チャペルもあるんや。飾りやないぞ、本物のチャペルや」

 祖父は陶酔の滲む声で話した。身体からはいつものように葉巻とウイスキーの匂いが漂っていた。

「チャペルのステンドグラスはな、わざわざ外国からとり寄せたんやぞ。天井もびっくりするぐらい高いで」

 祖父の指さす先に目を向けると、校舎から少し離れた場所に、急こう配の屋根を持つ小さな可愛らしい建物があった。

「いつか、これら全部、お前のもんになるんや」

 高岡少年は驚いたように祖父を見つめた。

「僕のもの?」

「そや。お前が引き継ぐんや。お前の父さんもおるけど、あいつは駄目な奴やからな。どうもならん。お前みたいな、気が強おて、賢い奴に継いでもらいたいんや」

「父さんは秀才だって、雑誌の人がいってたよ」その前の晩、雑誌社の取材が家に来て、編集者がそう話すのを聞いていた。

「まあ、多少勉強はできるかもしらんが、ただの腰抜けの阿呆や。虫のことしか考えよらん。儂はあいつより、お前を買っとるんや」

 

 その祖父も現在、認知症になり病院にいることが多くなった。父は、祖父の予言通り、校長の座に据えられたあとも昆虫の研究に没頭して、学校にはまったく関与しようとしなかった。

 ――俺が聖マリアーノ学院を守るしかない!

 高岡はスマートフォンをとり出すと、重松に電話をかけた。

「あれは見つけたか?」高岡は低い声でいった。

『……ええっと、一階と二階の目ぼしいところはすべて探しましたけど、まだ見つかっていません』

「死ぬ気でやれ!」

『はい……』

「お前、電波探知機を持ってないか?」

『え?……持ってませんけど』

「じゃあ、いますぐ電器屋に行って買ってこい。爆弾を遠隔で爆破させるからには受信装置がついているはずだ。電波探知機なら場所が特定できるかもしれない」

『普通の電器屋にそんなものがおいてあるんですか?』

「でかい店ならおいてあるだろ。なかったら、どこかで探してこい!」

『……わかりました』

 この発見方法は最初の爆弾事件のときに思いついていたが、スマートフォンを持つ生徒や教員がいる状況では使えなかった。が、放課後のいまなら全員を校舎から出せば可能だ。

 重松を電器屋に行かせ、高岡は学校に戻ることにした。高岡なら、生徒と教職員を外に出すことができる。何かそれなりの理由を見つける必要はあるが……。

 残り時間は、五一分――。

 絶対に防いでみせる!

 

(つづく)