一五時〇八分(爆破まであと二二分)
最後の試験は英語のリスニングだった。学校のなかを走っても、生徒たちは放送を聴いていて注意を集めないだろう。それでも高岡は三年生のいる三階の廊下だけは走らず、早足で進んだ。四階へ行き、教頭室まで来る。
ノックもせず、勢いよくドアを開けると、執務机の向こうにいる教頭とソファに座っていた吉住が弾かれたように顔を向けた。
荒い息を吐きながら、教頭の前まで歩み寄る。教頭も吉住も口を半開きにしたまま、呆然と高岡を見ていた。
が、すぐに教頭が居住まいを正し、動揺を隠すように声を張った。
「高岡先生! 吉住先生をロープで縛って、倉庫に閉じこめていたそうじゃありませんか。どうしてそんなことをしたんですか。これは看過できませんよ」
教頭の言葉を無視して、机の上にあった固定電話を掴むと、壁から電話線を引き抜いた。それから教頭の前に手のひらを差し出した。
「スマホを出してください」
教頭は、電話線が切られたことに驚愕の顔をして固まっていた。
「いいから、早くスマホを出せ!」高岡は怒号した。
教頭は怯えたような顔をして、状況が呑みこめないのか、なおも身動きがとれないようだった。
高岡は吉住に顔を向けて、
「お前もだ。早く出せ!」と怒鳴った。
吉住もソファで凍りついたような顔をしていたが、高岡が近づくと、さっとスマートフォンを出した。
吉住のスマートフォンを受けとるとポケットにしまう。
ふたたび教頭へ向き直り、
「ほら、教頭も早く!」
「た、高岡先生、あなた、いったいどうしたんですか?」緊張で声が上ずっている。
「あとで説明しますから、さっさとスマホを出してください。でないと力づくでとりあげますよ」
「……これは、れっきとした犯罪ですよ」
「なんでもいいから、早く出せといってるんだ!」
教頭の襟を掴みかけたところで、教頭は震える手でスマートフォンをとりだした。それもポケットに入れた。
「ふたりとも情報科室へ来てください」
「な、なんで、そんなところへ行かないといけないんですか?」
「吉住から聞いたでしょう。この学校に爆弾があるんです」
「それじゃあ、警察に――」
高岡は激しく机を叩いた。
「あと二〇分しかないんだ! 警察が動けば即座に爆破される。あんたに通報されると困るからスマホをとりあげたんだ」
教頭が椅子に座ったまま、うしろにさがっていく。
「しかし……これは、重大な事案ですよ。高岡先生はいったい、何をするおつもりなんですか?」
「わたしがどうこうという問題じゃないんだ」
なおも下がりながら、教頭は震える声でいった。
「このことは教育委員会にきっちり報告しますからね。同僚に対する威嚇や暴力的な振る舞いは立派なハラスメントに該当します」
――くそっ、めんどくさい奴め。
高岡は机を飛び越えると一気に教頭との距離を詰め、両手で教頭の顔を掴んだ。
「ひっ……」
教頭が短い悲鳴を漏らした。
高岡は、教頭の顔を壁に押しつけ、至近距離からその目を見つめた。
「いいですか、教頭。爆弾は三階――この下にあるんです」
教頭の目が激しく揺れる。
「爆発したら、ここも一瞬で吹き飛ぶんです。そしたら、あなたもわたしもみんな死ぬんです。わかりますか? 教育委員会もくそもないんだよ! そいつは爆破スイッチを持ってじりじりと待ち構えてるんだ。少しでも誰かが自分を疑ってると感づいたとたん――」
一瞬、間をつくり、
「ドカン!」
高岡は教頭の顔に向かって、声を叩きつけた。
教頭の目がはちきれんばかりに見開かれた。充血した目が高岡の顔に釘付けになる。
高岡はゆっくりと手を離した。穏やかな声に切り替える。
「だから、隠密に行動しないといけないんです。わかりましたか?」
教頭がガタガタと震えながら何度も首を縦に振った。
「そうならないためにも、ふたりの力が必要なんです。さあ、いますぐに情報科室へ行ってください。教頭はキャビネットを開けて、三年生全員の資料を持って」
そこで手を叩いた。
「ほら、ふたりとも早く動いて!」
教頭はなおも怯えの残る顔でキャビネットを開けて資料をとりだした。
高岡は、ふたりを押しだすようにして教頭室を出た。
できるかぎり多くの頭で生徒の見直しをするつもりだった。
――まだチャンスはある!
一五時一三分(爆破まであと一七分)
高岡が情報科室に入ったとき、そこに六人の教諭がいた。松平、重松、三橋、佐久間、浦上京香、道上だ。そこに高岡と教頭と吉住が加わって九人になる。
高岡は重松に、情報科室の前方にある大型スクリーンに午後三時半までの残り時間が表示されるように設定を命じた。
スクリーンいっぱいに残り時間が表示される。
〈一七分四一秒〇八〉
百分の一秒まで表示されるようになっていて、数字は休むことなく、目まぐるしく入れ替わっていく。
教員たちを情報科室のふたり掛けの席に座らせ、高岡は教壇に立った。キャスター付きのホワイトボードを正面に移動させ、教員たちを見まわした。
「このなかには、すでに事情を知っている人もいれば知らない人もいるでしょう。だが、詳しく話している時間はない。とにかく、伝えるべきことは、模試の終わる三時半――あと一七分後に、生徒の誰かが爆弾を爆破させ、多くの死者が出るということだ。そうなれば、ここにいる全員も死ぬ」
空気が硬直するのがわかった。
血の気が引き、真っ青な顔になっている者もいる。
「この事態を防ぐためには、早急に犯人を特定する必要がある。協力してください」
佐久間がまるで生徒のように挙手したが、高岡は無視して、ホワイトボードに書きはじめた。佐久間は職員室の会議でもいつもどうでもいいことを確認するのだ。いまは相手にしている時間がもったいない。
一〇人の生徒の名前だ。
この一〇人は、最初に客観的な事実として身長と早生まれの線で選んだ一四名から、犬を飼っていなかったことが確かめられた四人を除いた者だった。主観の入る余地があるため、体格と成績で一度外した生徒も含めている。
家庭環境調査票によると、この一〇人に兄弟はいなかった。だが、両親に離婚歴があるなら、兄か弟の親権が犯人とは違っている可能性があると気づいたのだった。だとすれば、家庭環境調査票には現れない。
書き終わると、高岡はホワイトボードを勢いよく叩いた。
「このなかに犯人がいる。両親に離婚歴があって、兄か弟の親権が犯人とは別になっていて一緒に暮らしていない。犬を飼っていて、アムステルダムに渡航歴がある。誰か、心あたりがある人はいますか?」
浦上京香が発言した。
「浅見君は、きょうは風邪で欠席しています」
――よし、これで九人だ。
『浅見礼二』の上にバツ印をつけた。
「ほかに何か情報がある人は?」
佐久間が手を挙げた。
「なんだ?」高岡は口早にいった。
「本人に直接聞くことはできないんですか?」
高岡はいらいらしながら答えた。
「犯人に少しでも疑われたら、爆破スイッチを押されるんだ」
佐久間以外に目を向けながら、
「ほかに意見がある人は?」
佐久間がふたたび挙手した。
「今度はなんだ?」
「だったら、保護者に訊けばいいんじゃないですか。保護者も子どもが爆弾を持っていることを知ってるんですか?」
――保護者か……。
犯人を捜しはじめた当初、その案は真っ先に切り捨てていた。保護者が慌てて電話やメッセージで子どもに連絡すれば、休み時間にスマートフォンを確認されて犯人に警戒される危険があったからだ。
だが、いまは違う。
生徒たちは最後のテストの真っ最中だ。スマートフォンはテスト開始前に回収するので見ることはできない。
「よし、保護者に連絡しよう!」
全員を見渡し、すぐに指示を飛ばした。
「手分けして電話をかけるぞ。調査票はそこにある」
調査票には緊急連絡先も複数記されている。もしも繋がらなかった場合は、そこにかけることもできる。
松平が、いまだ呆然と立ち尽くしている教頭の持つ調査票をひったくるように掴んだ。リストの生徒を素早く選別して、調査票を教員たちに分配していった。
ここには九人の教員がいる。九人分の生徒の調査票だから、各自がひとりの生徒の保護者に電話をかければ時間はかからない。
大型スクリーンに目を向けると、残り時間は、残り一四分になっている。
――間に合う!
高岡は教頭と吉住のスマートフォンを自分が持っていたことを思いだし、ふたりに返した。教頭は、まだ怯えるような顔をして高岡を見ていた。
松平が近寄ってきて、高岡に望月拓海の調査票を渡した。
「望月は、先生のクラスですよね」
誰が電話しても関係ないと思ったが、話したことがある保護者なら前置きが少なくなる。いまは一秒でも惜しい。松平もそう考えたのだろう。
高岡はスマートフォンを手にとると、すぐに望月の母親に電話をかけた。何コールか、かけ続けたが出てくれない。仕事中なのだろうか? それとも、登録されていない電話番号には出ないようにしているのだろうか?
連絡先があれば簡単に連絡がつくというわけではないのか……。学校の電話を使えば、応答されやすくなるだろうが、四階に固定電話があるのは教頭室だけで、高岡がコードを引きちぎっていた。
二階の職員室まで行けば複数の固定電話があったが、時間がかかり過ぎる。なにより三年生のいる三階を通過しなければならない。この部屋にこれだけの教員を集めることでも、すでにかなりの危険を冒しているのだ。これ以上の危険は避けたい。
高岡は母親に通話するのを諦めて、父親に電話をかけた。
父親は三コール目で出た。
「わたしは聖マリアーノ学院の高岡です。拓海くんのことで、至急、確認したいことがありまして――」
望月拓海には姉がいたが男の兄弟はいなかった。父親が嘘をつく理由はないだろう。念のためアムステルダムの渡航歴を尋ねたが、海外へは一度も行ったことがないという。父親に「どうしてそんなことを?」と訊かれ、高岡はただの確認です、とだけ告げ、強引に電話を切った。いまは不審に思われようがどうでもいい。
ほかの教員も、なかなか保護者に繋がらないようだった。重松を見ると、電話は繋がっているようだったが、しどろもどろになっていて、うまく答えを引きだせていない様子だった。
「駄目だ、繋がらねえ」そういったのは大学の先輩でもある体育教諭の道上だった。
「緊急連絡先にもかけましたか?」高岡は尋ねた。
「ああ、かけたよ。両親のほかに、祖父と祖母にも。でも、全然繋がらねえ」
「わたしがもう一度、かけてみましょう」
高岡は道上の持っている調査票を受けとった。六組の〝堤康介〟の調査票だった。まずは母親にかけた。一〇回コールを鳴らしたが出ない。
繋がらないスマートフォンを耳にあてたまま教室を見まわす。まだ誰も犯人を特定できた様子はなかった。
「わたしは父親のほうにかけます」自分の担当分をかけ終わったらしい三橋が近づいてきて、スマートフォンをタップした。道上ももう一度祖父母に電話をかけはじめる。
高岡が電話を切ると、佐久間が高岡に声をかけてきた。
「知らない番号だから出ないかもしれないので、携帯電話のショートメッセージを送ってから電話したらどうでしょう。僕はそれで繋がりました」
――その手があるか。
高岡は堤の母親に「聖マリアーノ学院から緊急のお知らせがあります」とメッセージを送った。それから、数秒待って、もう一度電話をかけた。
が、数十コール鳴らしても繋がらなかった。
――くそっ。
残り時間は八分になっていた。飛ぶように時間が過ぎていく。
浦上京香を呼んだ。
「はい?」浦上が返事をした。
浦上は六組――堤の担任だ。
「堤康介と仲がいい生徒はいますか?」
友人の保護者なら、堤の兄弟関係のことを知っているかもしれないと思った。
「友達はわかりませんが、二年生で付き合っている子がいます。〝女バス〟の目立っている子で、髪がすごく長くて……」
「名前は?」
「名前は……。このあいだ休み時間が終わっても、わたしの教室にいて注意しただけで……」
付き合っている女子の保護者が、彼氏のことをどこまで知っているだろうか? 付き合っていることさえ知らない可能性もある。保護者に電話しても意味はないか……。
吉住が口を挟んだ。
「黒川紗良じゃないですか」
「そう、そう。その子です」
高岡は教室を見まわした。
「ほかに繋がらなかった保護者はいましたか?」
「堤以外は、全員確認がとれた」松平が即座に口にした。「該当者はゼロ!」
「それじゃあ、消去法で堤が犯人じゃないですか」佐久間がいった。
――どうだろうか?
「黒川沙良は二年何組ですか?」高岡は全員に訊いた。
三橋がパソコンを叩きながら、
「四組です」と答えた。
高岡は吉住に鋭い視線を向けた。
「吉住!」
「はい」
「お前、黒川の顔がわかるな」
吉住は女子バスケットボール部の顧問だ。知らないはずがない。
「すぐに二年四組まで行って、黒川に直接尋ねてくれ。付き合ってるなら、堤が犬を飼ってるか、兄か弟がいることを知ってるはずだ」
吉住が即座に走りだし、高岡はその背に向かって怒鳴った。
「三年生の階だけは走るな。黒川を見つけたらテスト中でも構わないから訊け! わかったらすぐに俺に電話だ」
吉住はすでに廊下へ飛びだしていた。