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第二部

 

 

一六時二三分(爆破まであと二時間三七分)

 

 

 高岡は頭の整理がつかないまま、職員室に戻り、デスクの上のメモに目を通した。副担任の戸部が三年五組の試験監督の報告を簡潔に記したものだった。

〈欠席・遅刻・早退なし。何も問題ありません〉

 問題があるのは、いま高岡に降りかかっている、この状況だけだった。

 ――なんなんだ、あの電話は?

 職員室では、すでに教頭の話は終わっていた。教頭はどこかへ行き、それぞれの教員たちは自分の仕事に戻っていた。帰宅の準備をはじめている者もいる。

 これからどうするべきか考えたが、頭のなかでうまく整理がつかない。

 顔をあげると、教頭が近づいてくるところだった。

「高岡先生、きょうは、本当にお疲れ様でした」

「ええ、そうですね……。さきほどは、お話の途中に離席してすいませんでした。それと……教頭室の電話の件も」

「いえ、それはいいんです。あのときは高岡先生も必死だったでしょうから」

 それから教頭は声を落とした。

「じつは、いま刑事さんたちがお見えになっていましてね。高岡先生からもお話を聞きたいそうでして」

 ――刑事が……。

 警察はF高校の宇佐美から話を聞いたのだろう。しかし、なかなか素早い対応だ。まだ事件が解決してから一時間も経っていない。警察は、新たな爆破予告に関して何か情報を掴んでいるのだろうか?

「もちろんです」

 高岡は立ちあがった。

 

 高岡と教頭が応接室に入っていくと、ふたりの男が並んでソファに座っていた。

 知っている顔の男がいる。半年前、宮坂希子が行方不明になったとき、執拗に学校に来ていた刑事だ。頬骨だけが不自然に前へ張りだし、顔全体が乾いた骨格に皮膚を貼りつけたような印象の男。名前は確か、長谷川だったか。

 もうひとり、窓際に座っているのは、柔道家のような体格のいい中年の男だった。

 ふたりの男が高岡に自己紹介した。やはり、ひとりは長谷川だった。もうひとりは県警の警備部に所属する篠崎と名乗った。

 高岡が長谷川の向かいのソファに座り、教頭は篠崎の前に腰をおろした。

 長谷川が高岡を見ながら口を開いた。

「いやあ、まあ、本当に恐ろしいことが起こるところでしたね。この日本で、爆弾事件ですよ。しかも、高校生だなんて。まったく恐ろしい世の中になったと思いましたね。わたしたちが住んでいるのは、まさにこういう世界なんですね。世も末ですよ」

 長谷川の話しぶりを聞きながら、半年前のことを鮮明に思いだしていた。長谷川は、饒舌にだらだらと話しながら、ときおり核心を突くような質問を織り交ぜてくるのだ。

「わたしは県警の捜査一課に所属していましてね。通常、爆弾事件なんかは扱わないんですよ。こういうのは警備部の仕事でしてね。ところが、この事件に高岡先生が関係しているというじゃありませんか。それで、面識のあるわたしが借りだされて来たというわけなんです」

「……わたしが直接、関係したわけじゃありませんよ」

 長谷川が身体を前のめりにした。

「そうなんですか? あなたがF高校の宇佐美先生に連絡して、爆破を防いだんですよね。聞くところによると、高岡先生は今朝この情報を知ったそうですね。もっと早くに連絡することはできなかったんですか?」

 高岡は身じろぎひとつせず、長谷川を見つめた。

「宇佐美教諭から、どこまで話を聞かれたのかわかりませんが、わたしもある人から連絡を受け、できるかぎり早く犯人を捜そうとしていたんです。それで遅くなりました」

「ああ、そうそう。霞メンタルケア・クリニックの院長さんですね。霞絵美さん。いやあ、彼女も可哀そうな目に遭いましたよ。わたしではなく、ほかの者が彼女のところに行ったんですがね。手足を縛られて、猿轡までされていたそうです。命に別状はないようですけど、間違いなくトラウマになるでしょうね。ああいう人は、自分で自分を治療できるんですかね」

 長谷川は薄い眉をあげて高岡を見た。

 間があいた。

 どうやら、本気でその質問に答えてほしいようだった。この男は前のときもそうだったが、本当に訊きたいことなのか、ただ話のついでに意味のない質問を口にしているだけなのかわかりにくい。

「わたしにはわかりませんよ。専門家じゃありませんから。本人に直接聞いてみたらいいじゃないですか」

 長谷川は大げさに何度か大きく頷いた。

「そうですね。それがいいでしょうね。霞さんからは、また詳しくお話を聞く予定にしていますから。ところで、本物の霞さんは今朝からずっと話ができない状態にあったのですが……あなたはいったい誰から爆弾の話を聞いたんですか?」

 ようやく本題に入ったか。

 この男ははじめからそれが聞きたかったのだろう。

 高岡は慎重に言葉を継いだ。

「電話を受けたときは、本物の霞さんだと思っていました。電話の相手がそう名乗りましたし、あの時点では疑う理由がありませんでしたからね」

 長谷川はまた大げさに頷き、

「そのときのことを詳しく話していただけますか?」

 長谷川の隣に座る、ガタイのいい刑事――篠崎は、まるで格闘技の試合にでも臨むかのような鋭い視線を高岡に注いでいた。

 長谷川は、「記録のため、録音しますね」といいながら、テーブルにレコーダーを置いた。

「電話が鳴ったのは、午前九時過ぎでした」

 高岡は、霞と名乗る女性から電話を受けたときの話をはじめた。

 嘘をつくつもりなどなかった。これまで何人かに話した内容だから、齟齬が生じるのはまずい。

 かといって、すべてを正直に話すつもりもなかった。とくに最後にシャイロックと名乗る女性と交わした内容については。

 長谷川は口をすぼめ、ときおり「ほう」と相槌を打ちながら話を聞いていた。教頭は、まるで自分には関係ないといった顔で話を聞いている。

「それで、その女性は警察に通報することは危険だと判断したんです」高岡は霞と名乗る女性の電話を切ったところまでを話した。

 長谷川が上目遣いに高岡に目を向けた。

「それで、あなたも、そう考えたんですね」

「ええ。精神科医がそのように少年の心理を分析したのであれば、そうなんだろうと思いました」

「なるほど、なるほど……」

 わざとらしいほど大げさに頷く。それから長谷川は手帳に目を落とし、

「しかし……その霞さんを装った女性は、いったいなんのためにそんなことをしたんでしょうかね?」

「わかりませんよ。わたしは利用されただけなんですから」

「利用?」ぴくりと薄い眉が動く。「利用された、というのはどういう意味でしょうか?」

 ――しまった。余計なことをいってしまったか。

「それは……その女性が爆破を止めようとするのに、わたしが利用されたという意味ですよ。実際、その女性の情報のおかげで爆破が阻止されたのですから。……高校が違っていましたが」

「ふむ」長谷川が顔を顰めた。「その女性はなぜか爆発を止めたかった、と……。なるほど」

 言葉とは裏腹にまるで納得していない口ぶりだった。

「話は変わりますが、ほかの教員の方から、一〇分ほど前にあなたは職員室での会議中に、どなたかから電話がかかってきて、慌てたように出ていったとお聞きしましたが、それは誰からの電話だったんですか?」

 この情報は教頭から聞いたのだろう。あれは会議などではなかったが。

「その、霞と名乗る女性からでした」正直に答えるしかなかった。スマートフォンに通話履歴が残っているから嘘をつくことはできない。

「事件のあと、わたしのほうから何度か電話して繋がらずにいたのですが、向こうからかかってきたので、出ました」

「さきほどは、その話をなさりませんでしたね?」長谷川が射るような目つきになる。

「この電話は、単なる報告のような電話だったので、いう必要はないかと思ったんです」

「なるほど。……で、その女性はなんといってたんですか?」

「無事に爆破を止められたことを伝えると、『よかった』といっていました」

 電話の最後の内容を正直に警察に伝えるつもりはなかった。

「『よかった』ですか……」

 手帳を小さな鉛筆でとんとんと叩く。

「いったい、その女性は何者なんでしょうかね」

「わたしには見当もつきませんよ」これは高岡も知りたいことだ。

 長谷川は手帳を閉じると、こちらに目を据えた。

「あなたのスマホを見せていただくことはできますか?」

 高岡は長谷川の目を見つめた。その視線を数秒受け止めてから、ゆっくりと口を開いた。

「どうですかね……。個人情報もありますし、この学校の資料も入っていますから。正式な令状があるなら仕方ありませんが、この場で見せるというのは、ちょっと」

 教頭に目をやると、相変わらず、我関せずといった顔つきで刑事たちを見ている。

 長谷川がいった。

「ごもっともです」そこで高岡に感情のない目を向ける。「では、その精神科医を名乗った女性の電話番号だけ教えてください。それなら問題ないでしょう」

 この番号を教えても問題ないだろうかと一瞬考えたが、ここで拒むと余計に怪しく映る。

「ええ、それなら問題ありませんよ。わたしとしても、しっかり捜査してもらったほうがいいですから」

 ポケットからスマートフォンをとりだし、その番号を長谷川に伝えた。

 長谷川は、「また進展があり次第、お伝えします」といって立ちあがった。隣の篠崎ものっそりとした態度で腰をあげた。

「あの……刑事さん、ひとつお聞きしてもいいですか?」高岡も立ちあがって長谷川に声をかけた。

「なんでしょう?」

「F高校の宇佐美教諭から聞いたのですが、犯人の少年は、自分の持っている爆弾を誰かに売ったと話しているそうですが、それは事実でしょうか?」

 篠崎が鋭い視線を向けて、話しだした。

「そのように供述していますが、まだ確認はとれていません。……何か思いだすことでもありましたか?」

「いえ、そういうわけではないのですが……そんな話を聞いたので、また爆弾事件が起こらないか心配で」

 篠崎が数秒、高岡を見つめたあとで、

「……現在、そのことも含めて捜査中です。現段階ではなんともいえません。またご報告しましょう」

「そうですか。ありがとうございます」

 高岡は頭をさげた。

 ――チッ、相変わらず警察は使えねえな。

 

(つづく)