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第二部

 

 

一八時二二分(爆破まであと三八分)

 

 高岡はジープを学校の駐車場に停めると、すぐさま車外に出た。

 ――もうあまり時間が残っていない。

 陽はまだ高く、首筋と背中を容赦なく焼いた。熱気が肌に纏わりつく。

 校舎に向かって早足で歩きはじめたところで、うしろから声をかけられた。

 振り返ると、骸骨を思わせる顔の男――刑事の長谷川がいた。

 ――また、こいつか……。

「高岡さん!」

 とってつけたような笑みを浮かべ、小走りで近づいてくる。

 ガタイのいい刑事――篠崎と一緒だ。

 高岡は苛立ちを覚えながらも立ち止まり、笑顔で応えた。

「ああ、刑事さん、まだいらしたんですね」

 袖で額の汗を拭う。

 ――くそっ、いまは一秒でも時間が惜しいのに……。

 近くまで来ると、幾分背の低い長谷川は、覗きこむように高岡の目を見た。青白い顔に汗は見えない。

「いやあ、高岡さん、ちょうど、あなたを探してたところなんですよ」

「何かご用ですか?」

「じつはですねえ、霞絵美さんの妹さんから連絡がありましてね。あなた、わざわざお見舞いに行ったそうじゃありませんか」

 ――情報が早いな。

「ええ、霞さんの家に行きましたよ。同じ事件に関わった者として、容態が気になりましてね。こういうことは、さっさと済ませたいほうなんです」

「ほう、なかなか殊勝な心がけで。……しかし、会えませんでしたよね」

「そうですね。お休みになられているということで……。いったいどういう用件なんですか? いま少し忙しいんですが」

 長谷川は駐車場を見まわした。

「しかし、そろそろ、帰宅の時間じゃないんですか? ほかの先生方は帰られた人も多いようですが」

「きょうは模試があったので、いろいろ集計しないといけないんですよ」

「採点ですか?」

「採点は業者にしてもらうので、学校ではしていません。それで、ご用件は?」

 ――相変わらず、いらいらさせる男だ。

 長谷川が感情のない顔つきのまま頷いた。

「まあ、学校の先生も大変ですよね。わたしには息子がいるんですがね。息子の先生も、教師というのは何かと忙しい仕事だとぼやいて――」

「ちょっと、すいません」高岡は長谷川の話を遮った。「本当に急いでいるんです。用があるなら、さっさと済ませてもらえませんか?」

 長谷川は、じっと高岡を見つめた。まるで昆虫を観察するかのような冷めた目つきになる。

「……そうそう、用件ですね。先生にお聞きしたかったのは、例の電話番号の件ですよ。あの霞さんを装った人の。これが、いわゆる〝飛ばし携帯〟というものでしてね。〝振りこめ詐欺〟なんかで使われるものです。ああいうのは偽名で登録してあるんですがね」

 長谷川は薄い眉をあげて続けた。

「つまり、霞さんを監禁した犯人は、そんな携帯を用意するほど念入りに準備していたわけです。それなのに……目的がさっぱりわからないんですよ。なんのためにそんな手間暇かけて、F高校の爆破を阻止したのか? ずいぶん不思議なことじゃありませんか?」

「それを調べるのが、あなたたちの仕事でしょう。わたしにはわかりませんよ」

「まあ、そうなんですけどね。あなたは犯人と長いあいだ電話でお話ししたようですから、いろいろとお気づきの点があるんじゃないかと思うんです。それでひとつ、あなたのご意見を伺いたいと思いましてね」

「ですから、そのことはもう話したでしょう。わたしは巻きこまれただけなんです」

「とはいっても、犯人と直接話したことには違いないんですから。……でね、思うんですが、犯人はずいぶん遠まわりなことをしていますよね? わざわざ霞さんを装って学校に電話しなくても、爆破を防ぐだけなら、直接、警察に通報すればいいだけですし、そのほうが確実でしょう」

「それは……前にも話したと思いますが、少年が警戒しているから、警察に近づかれるのは危険だと判断したんでしょう」

「しかし、電話してきた人物は、実際には精神科医ではありませんでしたよね。ま、本当に精神科医の資格を持っている可能性もなくはないでしょうが、その可能性はかなり低い。ということは、犯人は少年の心理をでっちあげたわけです。わたしは実際に雑賀君に会いましたが、じつにおどおどした子で、本当に爆破スイッチを押す勇気があったかどうかもわからないように見えましたよ。むしろ、警察が調べていることを知れば、すぐにでも諦めてしまうような感じでしたね」

「犯人が、どうしてそんなふうに話したかなんて、わたしにわかるはずがないでしょう。犯人には犯人なりの事情があったんじゃないんですか。雑賀少年の話によると、その犯人も爆弾を持っていると聞きましたし」

「つまり……あなたは、霞さんを監禁した者が、雑賀少年から爆弾を買った者と同一人物だと考えているということですか?」

「そんなこと、わたしにわかりませんよ! ただ、雑賀が爆弾を持っていることを知っているのは彼から爆弾を買ったからなんでしょう。さっきもいいましたが、こういうことを考えるのが、あなたたちの仕事じゃないんですか」

 長谷川がお道化るように首をすくめて、隣の篠崎に顔を向けた。篠崎はむっつりした顔のまま、高岡を見ている。

「なんだか、ずいぶんいらいらされているようですが、何かありましたか?」

「ありましたよ。今朝からずっと爆弾騒ぎで大変だったんです。それで、本来するべき仕事が溜まってるんですよ。もういいですか?」

 長谷川が、中途半端に手を挙げ、人差し指を伸ばした。

「あとひとつだけ、よろしいですか? 犯人が雑賀少年の爆破を止めたかったとして、そして警察には頼りたくなかったとしましょう。だとしても、犯人はどうしてそんな専門的な医者のふりをしたんでしょうかね。装うにしても、もっと普通の職業の人にすれば、楽そうに思えるんですがね」

 ――くそっ、めんどくさい男だ。ああいえばこういう。いったい何が聞きたいんだ!

「だから、わたしにはわかりませんよ。医者だといえば信頼されると思ったんじゃないですか」

 高岡は腕時計に目をやり、時間がないことを示したが、長谷川はまるで気にしない。

 残り時間はあと三〇分になっている。

 これから校内を人払いし、爆弾を捜さなければならないというのに……。

 長谷川は頷きながら、いった。

「わたしもそう思うんです。何しろ、医者といえば、信頼されますからねえ。……しかし、それでも納得がいかないんですよね。犯人はF高校の爆破はどうしても防ぎたかった。その一方で、彼は爆弾を所持してもいる。行動に一貫性がありませんよね」

 ――彼?

 いま、この刑事は、〝彼〟という言葉を使ったか?

「……犯人は複数ですか?」

 長谷川が目を細めた。

「どうして、そう思われるんです?」

「刑事さんが、『彼』といったからですよ。霞さんを装った電話の主は女性でした」

 長谷川は口をすぼめ、何か考えるような素振りを見せた。

「まあ……そうですね。霞さんを監禁したのは男のようですから、そういう可能性もありますかね。まだ捜査段階ですから詳しいことは話せませんが」

 ――霞を監禁したのは男なのか?

 いままでずっと単独犯だと考えていた。高岡に恨みを持つ女の犯行だと。しかし、犯人はもうひとりいるのか? しかも男……。

「というわけで――」長谷川が話している。「こんなところで立ち話もなんですから、署までご同行いただいてよろしいですか?」

 ――何?

「……どうして、そんなことになるんですか?」

 長谷川が肉の薄い顔にぎこちない笑みを浮かべた。

「どうもですね、霞さんを監禁した人物の背格好が高岡さんに似ているらしいんですよ。高岡さんが、わざわざ霞さんのお見舞いに行ったというのも解せませんし、いまお話ししてみて、何かを隠しているんじゃないかという疑惑も出てきましたしね」

「疑惑ってなんですか?」

「犯人の心理について、いろいろとお詳しいようですから」

「それは、あんたが聞いたから答えただけですよ」

 長谷川の隣にいた篠崎が、威圧するようにさっと半歩前へ踏みだした。

「令状はあるんですか」高岡はいった。

 長谷川が目を見開き、瞬きを繰り返した。

「いいえ、とっていませんが、必要ですか?」

「いったでしょう。わたしにはすることが山ほどあるんです」

 長谷川が手で校舎のほうを示した。

「それでは、どうぞ、どうぞ、お仕事をなさってください。我々はここで待ちますから。お仕事のあとだったら構いませんよね」

 ――くそっ、厄介なことになった。

 高岡は返事をせず、学校に向かって歩きはじめた。うしろからふたりの刑事の視線を感じる。

 背筋に冷たい汗が一筋流れた。

 長谷川が自分を揺さぶっているのだということは頭ではわかっていたが、その揺さぶりを躱すことができない自分がいた。

 ――だが、なんとかしなくてはならない!

 まずは爆破を止める。

 そのあとに、長谷川にどう対処するか決める。

 ここへ来る前は、校舎から生徒と教職員を出すのに非常ベルを鳴らそうと考えていた。契約している警備会社にすぐに連絡すれば消防に通報されることはない。校内で活動している文化部の連中も点検という名目なら校内から締めだすことができる。

 が、刑事たちが来たことによって、その選択肢はなくなった。非常ベルが鳴れば、刑事たちが駆けつけるだろう。そうなると、電波探知機を使って爆弾を捜索することはできない。

 ――何かほかの方法はないか……。

 それにしても、複数犯だったのか。

 あのシャイロックと名乗った女が主犯で男が共犯? あるいは、その逆?

 そこで足を止めた。

 ――待てよ。

〝どうして犯人は、そんな専門的な医者のふりをしたんでしょうかね〟

 長谷川の言葉が引っかかった。

 そうか……〝ふり〟か。

 

 高岡は踵を返して、駐車場に戻った。刑事たちはまだ駐車場の真ん中に立っていた。急に戻ってきた高岡を驚きの目で見つめている。

 刑事たちに笑みを返した。

「ちょっと、車に忘れ物をしましてね」

 高岡は自分のジープまで行く途中、一台の車のボンネットに触った。

 ――やはりな。

 そういうことだったのか。

 

一八時四一分(爆破まであと一九分)

 

 重松は、スマートフォンを握りしめて話した。

「見つけました! おそらくここに爆弾があります」

『どこだ?』

 切迫した高岡の声がスマートフォンから聞こえた。かなり焦っているようだ。

「屋上です。屋上の時計台から反応がありました! このなかには電子機器はないはずです。鍵がかかっていて、なかには入れませんが、犯人は爆弾を時計台に仕掛けたんだと思います」

『……そうか。よくやった。俺はいま校舎の前にいる。時計台の鍵を持ってすぐに行くから、屋上で待っていてくれ』

 スマートフォンをポケットに入れると、重松は屋上の真ん中に聳える時計台を見あげた。

 時計台は、この学校が建てられたときからあるものだ。

 もう動いていない。時刻は三時を差したままになっていた。伝統的にイエス・キリストが息を引きとった時刻だとされている。

 高岡が愛する時計台。

 考えれば、ここほど、あいつを脅すのに相応しい場所はなかった。

 はじめはチャペルで高岡を脅す計画だった。しかし、予定を変更せざるを得なかった。

 あの高校生のせいだ。

 だが、おかげで高岡に恐怖心を植え付けることができた。いま高岡は、完全に爆弾の恐ろしさを理解している。

 このチャンスを逃すことはできない。

 そのとき、ポケットのなかでスマートフォンが振動していることに気づいた。

 ――また、高岡か?

 画面を見ると、学校からだった。

 ――こんなときに、なんだ?

「……はい、重松です」

『あー、わたしは神奈川県警警備部に所属する篠崎と申します』男の低い声が聞こえた。

 警察?

『職員室にいるのですが、学校の電話をお借りしましてね。重松先生は、いまどちらにおられますか?』

「ええっと……」

 どうして刑事が学校にいるのだろうか? この学校は関係ないとわかったはずなのに……。

 動揺して、心臓が高鳴る。

「わたしは……演劇部を指導中で……その……」

 篠崎が遮るようにいった。

『学校におられるんでしたら、至急、駐車場から車を移動させていただけませんか? ほかの教員の方にもご協力してもらったのですが、グラウンドのほうに移動してくれると助かるのですが』

「えっと……それはどういった理由で?」

『じつは、いま鑑識の者と来ているんですがね。駐車場で少し調査したいんです。先日、この学校の駐車場から爆発音が聞こえたという情報が入りましてね。今回のF高校の事件との関連を調べているんです』

 一週間ほど前、化学部の連中が駐車場でペットボトルに液体窒素を入れて爆発させたことがあった。かなりの爆音で大騒ぎになったが、そのことをいっているのだろう。今回の件とはまったく関係のないことだ。

「あれは、液体窒素の実験だったと思いますが……」

『こちらも通報があると、一応調べないわけにはいきませんのでね。どうですか? ご協力願えませんか?』

 もうすぐ高岡がここにやってくる。いまはここを動きたくなかった。

「ああ、ええっと、いま少し手が離せないもので、刑事さんが動かしていただけませんか?」

『しかし、キーはどこにあるんです?』

「車はコネクトに対応しているので、遠隔操作ができるんです。エンジンもかけておきます」

『はあ、いまはそんなことができるんですね。わかりました。じゃあ、グラウンドに移動させていただきますよ』

 電話を切ると、重松はコネクテッドカーの専用アプリを立ちあげた。車を解錠して、エンジンが始動するように操作する。

 息を整えて、動揺を抑えた。

 警察が学校に来ているのは予想外だったが、構うものか。後戻りできないのは承知の上だ。

 スマートフォンを仕舞うと、スタンガンを握りしめる。目の前のドアに視線を据えた。校舎から屋上へ通じるドアだ。

 また、心臓が激しい鼓動をはじめるのがわかった。

 ――落ち着け……。

 これからする自分の行動を思い描いた。高岡がドアを開けて屋上に現れたら、時計台の前まで案内する。そして、背後から高岡の頸筋にスタンガンをあてて行動不能にする。それから時計台に閉じこめて尋問する――。

 あの精神科医を監禁したようにはうまくいかないだろう。高岡は運動能力が高く、格闘技の心得もある。

 ――だが、ここまで来たらやるしかない!

 もう高岡への服従に耐えられなくなっていた。だが、それだけなら重松は動かなかった。そこに、正義という名の使命感が加わったことでようやく決心がついたのだ。

 きっかけは、数ヶ月前のある夜だった。

 

 いつものように高岡を後部座席に乗せて、高岡のジープを走らせていた。その日も高岡は泥酔し、とりとめのない話をしていた。

 高岡は外国文学が好きで、酒が入ると、かつて読んだ本の話をした。その夜の話題は、イギリスの作家、ジョン・ファウルズの『コレクター』だった。まったく興味はないが、好きに話させておけば機嫌がいいことを知っていた。そのときも興味のあるふりをして適当に相槌を打ちながら聞いていた。

『コレクター』は、ひとりの男が少女を監禁する物語だった。高岡は、ひとしきりその作品の意義を述べたあと、ただ、あの主人公の行動はいただけない、自分のほうがずっとうまくやっている、といったのだった。

 ――うまくやっている?

 宮坂希子が行方不明になり、一週間が経ったころのことだ。

 そのときは確信まで持てなかったものの、高岡が宮坂希子の失踪に何か関係しているのではないか、という微かな疑いを持った。宮坂は目立つ生徒で、高岡がいつか、あれはいい女だな、といったのを覚えていた。

 そして決定的なことが起こった。

 その日からさらに数日後のことだ。

 夕方、高岡の家まで車で迎えに行ったとき――高岡がホテルで愛人に会うためだ――玄関から出てきた高岡は、一瞬怪訝な顔をしたあと、ジャケットのポケットをまさぐった。

 ポケットから出てきたのは、黄緑色の小さな縫いぐるみだった。

 高岡自身、それが自分のポケットに入っていることを知らなかった様子で、眉を顰めてそれを数秒見つめた。そのあと、何事もなかったかのようにポケットに押しこんだ。

 車の運転席から、ほんの一瞬しか見えなかったが、その縫いぐるみに見覚えがあった。

 運転しながら、思いだした。

 ――あれは、宮坂希子がバッグにつけていたものだ。

 昨年、生徒会長だった宮坂は、校則に関してオンラインアンケートをつくりたいと何度か放課後に情報科室を訪れていた。そのとき、宮坂のバッグについていたその縫いぐるみを見たのだ。ほかでは見たことのない毛の長い奇妙な生き物の縫いぐるみだった。宮坂が帰るとき、それが跳ねるように揺れていたのを覚えている。

 これは、サインだと思った。

 高岡がふと漏らした、誘拐をほのめかすような言葉、そして、あの縫いぐるみ。それに、何より高岡の特異な人格――これらすべてが、高岡こそ宮坂を誘拐した人間だと示唆しているように思えた。

 一度、そう考えはじめると、思い当たる節はいくつもあった。一つひとつの出来事が、それまでとは違った意味を帯びてくる。いつしか重松は、高岡が宮坂を誘拐したことに確信を持ちはじめていた。

 ――宮坂は監禁されていて、それを示すために秘かに高岡のポケットにあの縫いぐるみを入れたのだ。誰かに気づいてもらう可能性を信じて……。

 しかし、疑問もあった。

 宮坂が失踪した時刻、高岡にアリバイがあることを重松は知っていた。高岡は職員室で会議に出ていた。重松もその会議に出席している。

 ただ、会議中、妙なことがあった。議長を務めていた高岡が会議の途中、珍しく一五分の休憩をとったのだ。高岡が司会をするときは休憩がないのが常だった。

 誘拐する時間としては短すぎるが、そこには何かトリックがあるのかもしれなかった。仲間がいた可能性もある。一五分でも仲間に指示を出すくらいならできるはずだ。

 ともかく、重松は匿名で警察に知らせることにした。警察なら、徹底的に調べあげるに違いなかった。

 警察には公衆電話から電話し、誰かからそういう話を聞いたと嘘をついた。実名で告発する勇気はなかった。もしも、告発者が自分だと知られたら、高岡に何をされるかわからない。職を失う恐れもある。

 その後、実際に刑事が高岡を調べていたようだったが、結局、高岡が逮捕されることはなかった。

 数週間、悶々と過ごした末、重松は、自分でやるしかないと心を決めた。

 宮坂を救うことができるのは、あのサインを見た、自分だけだ。

 それに、もし高岡が誘拐犯だとしたら、自分にも責任があると思った。誘拐の数日前、廊下で宮坂に訊かれたのだ。

『高岡先生って本当はどんな人なんですか? 重松先生は学生時代から知ってるんですよね』

 陸上部の指導で、何か理不尽なことでもいわれたのだろう――その程度のことだと思った。だから重松は、「昔から人に優しくて、何事にも熱心な人だよ」と嘘をついた。自分の発言が高岡の耳に入ることを恐れたからだ。

 その答えを聞いた宮坂は、どこか納得していない表情を浮かべていた。

 あのとき、宮坂はすでに高岡に対して何か異変を感じとっていたのではないだろうか?

 もしそうなら、自分の嘘が宮坂を油断させてしまった可能性がある。高岡について、本当のことを話していたら、結果は違っていたかもしれない。

 ――やはり、自分がなんとかしなくてはならない……。

 しかし、高岡に直接立ち向かうのは怖かった。言葉を交わすだけでも震える自分が、高岡を追い詰めることなどできるはずがないと思った。高岡と対峙するには、何か決定的な力が必要だった。

 重松は、銃が欲しいと思った。

 銃があれば、いざというとき、高岡を殺すと脅すことができる。それは、経済的に貧しい小国が核爆弾を手放さない心理と同じかもしれないと思った。強国と対峙するとき、それだけは使わせてはならないと思わせるほどの力を持っておきたいのだ。

 銃の所持が重罪になることは知っていたが、なりふり構ってはいられない。

 とはいえ、銃が簡単に手に入るわけではないこともわかっていた。

 思いついたのは、生徒向けのネットリテラシー講習用に、文部科学省から送られてきた注意喚起の資料だった。

 ダークウェブ。

 そこでは、違法薬物や偽造書類などの売買がおこなわれており、なかには銃器を扱う者もいる――そんな注意が記憶に残っていた。

 ネットで調べると、ウィキペディアに詳しい説明が書かれていた。そこに書いてあった通りにTorという名のブラウザをダウンロードすると、呆気なくその世界に入ることができた。

 通常のネット空間よりも、かなり反応の遅い世界だった。いくつものネットワークを介しているからだろう。

 そこは想像していたような混沌の世界ではなく、整然とスレッドが並び、怒鳴り合うような書きこみも少なかった。ただ、倫理だけが欠落した世界だった。

 偽物の身分証、流出した個人情報、盗まれた口座、得体の知れない依頼――そうしたものが、まるでリサイクルショップのように無造作に並べられていた。

 そんな有象無象の世界で重松はひとりの少年と知り会った。

 

 ★★★世界の中心に釘を打ちこむ★★★

 

 ほとんど誰にも顧みられていない奇妙なスレッドだった。ひとりの人間が延々と人生の無意味さを吐露し続けていた。

 高岡に頼まれた小論文の添削を大量にしている重松にとって、この人物の年齢が高校生ぐらいだろうと推測することは難しくなかった。少年は、個人を特定できるような情報こそ書かないものの、日々感じている不満を赤裸々に語っていた。ときどき出てくる固有名詞から、住んでいる場所が横浜近郊で、自分と近い場所に住んでいるのだろうということもわかった。

 こんなところに、高校生ぐらいの少年がいるなんて危険だと思った。

 最初は、警告するつもりで書きこんだが、少年の話を聞くうち、いつしか重松はダークウェブに来た本来の目的を忘れ、本気で少年のことを心配するようになっていた。

 重松も学生時代、同じような孤独を抱えたことがあった。そのことを話すと、少年も少しずつ自分のことを語るようになった。学校でのこと、家族のこと、将来のこと……。やがてふたりは別のチャットアプリで親密にメッセージを交わすようになった。

 そのあいだも重松はダークウェブ内で拳銃を売ってくれそうな人間を探し続けていたが、信頼できそうな人を見つけられずにいた。

 そんなある日、少年から秘密を打ち明けられた。父親の遺品のなかに軍事用のプラスティック爆弾を見つけたという。その処理をどうしようか悩んでいるというのだった。

 最初は、少年の妄想だと思った。そんなものが遺品のなかにあるはずがない。しかし、話を聞くうち、どうやらそれが本物だということがわかってきた。少年は詳細に、その物体について語っていた。

 ――爆弾か……。

 拳銃ではないが、脅しに使えるかもしれないと思った。

 重松は、それを譲ってくれないかと少年に持ちかけた。これは少年の安全のためでもある。精神が不安定な高校生がそんなものを持っているのはあまりにも危険だ。自分のほうが有効に使える。

 少年は素直に応じた。自分でもどうしたらいいかわからず、早く処分したかったのだろう。金もいらないという。受け渡しには駅前のコインロッカーを指定してきた。その場所から考えても少年の住む場所は重松の生活圏とかなり近いようだった。

 取引当日、重松は約束の時間の一時間前からコインロッカーを見張った。かなり親密に話し合ってきたから、よもや騙されるとは思っていなかったが、どんな人物なのか気になっていた。

 取引場所に決めたM駅のコインロッカーに〝荷物〟を入れた少年は制服を着ていた。奇しくもそれは重松の勤める聖マリアーノ学院のものだった。

 キャップとマスクで誰かはわからなかったが、よりによって、自分が教えている学校の生徒なのかと重松は思った。が、自分の計画には関係ないことだ。爆弾さえ手に入ればよかった。

 しかし、問題が起こった。少年から連絡があり、自分も爆弾を使いたいといってきたのだ。重松に譲った以外にも少年は爆弾を持っているらしかった。

 正直、勝手にしろ、という気持ちだったが、少年が爆破したいのが重松の勤務している高校だったことから対処せざるを得なくなった。

 聖マリアーノ学院を爆破されれば、自分の計画をおこなうことはできなくなる。

 数日かけて説得したが、少年は聞く耳を持たなかった。夏休み明けの模試の日、テスト終了と同時に学校を爆破すると少年は宣言した。

 聖マリアーノ学院では夏休みの終わりに模試がある。

 重松は少年の説得を諦め、少年を特定して阻止することにした。しかし、警察には頼れなかった。自分の計画まで危険に晒しかねない。

 高岡を使おうと思った。高岡なら必死になって爆弾犯を探すはずだった。誰よりもこの学校を愛し、行動力も決断力もある。

 高岡に、少年の存在を信じこませ、同時に警察への通報を思いとどまらすため、精神科医になりすますことにした。学内にポスターが貼られていた精神科医で、以前から名前だけは知っていた。

 演技なら自信がある。ボイスチェンジャーを使えば、女性の精神科医を演じることもできる。

 数日、精神科医を観察し、行動パターンを把握した。そして、今朝、精神科医を監禁し、彼女を演じたのだった。

 少年が別の高校だとわかっていれば、こんな苦労をする必要はなかったのに、といまでは思うが、多くの生徒の命を救うことができたのもまた事実だった。

 ――今度は自分の計画を実行する番だ。

 

(つづく)