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一三時:四四分(爆破まであと一時間四六分)

 

 

「四人ですか……」

 松平が高岡の渡した調査票を見つめた。

 成瀬慎平、呉林昇、葛西哲史、日下部蓮の四人だ。

「家庭環境調査票で絞れるのは、それが限界ですね」高岡はいった。

 高岡と松平、そして重松の三人は情報科室にいた。

 重松は大役を果たしたとでもいうように、デスクの前でぐったりと疲れたような顔をしていた。

「わたしのクラスの生徒はいませんね」松平が紙をデスクの上に戻した。

「わたしのクラスの生徒はひとりいます」

「誰ですか?」

「成瀬慎平です」

「成瀬……」松平が眉根を寄せた。それから「真面目そうな子ですよね」と高岡を見た。

「ええ、成績もいいほうです」

「成瀬はこんなことをしそうな生徒ですか?」

「わかりません。ジャーナリスト志望で、芯のある子に見えましたが」

「呉林は、確か犬を使った生成動画をつくっていました。見たことがあります」重松が思いだしたように口を挟んだ。

 情報科の授業で生成AIを扱ったときに見たのだろう。

「自分の飼っている犬なのか?」高岡が訊いた。

「それはわかりませんけど、犬は好きなんだと思います」

 好きなだけでは意味はない。実際に犬を飼っているかどうか、だ。

 松平が口を開いた。

「この四人を同時に拘束することはできませんかね。この四人の誰かということは間違いないんですから」

 高岡は頭のなかで使える人間を数えた。

 自分と松平、重松、それに体育教諭の道上……。四人いれば不可能ではない。だが――。

「いや、少なくとも二人まで絞りたいですね。四人同時は難しいでしょう。タイミングを間違えれば、爆破スイッチを押されてしまいます」

 自分と道上なら確実に高校生を制圧できると思った。道上はいまだに現役といってもいいほどに身体を鍛えていて、高岡は学生時代から続けているボクシングを、いまもジムに通って鈍らせていない。体力にも自信があるし、相手との間合いを詰め、動きを封じることにも慣れている。

 だが、松平と重松ではどうか。高校三年の男子生徒を不意打ちでとり押さえるのは厳しいだろう。ほかの男性教諭も大差はない。危険すぎる。

 もう一度、四人の調査票に目を落とす。

 彼らのうちの誰か……。

 調査票に書かれているのは、生年月日、親の職業、兄弟関係、住所……。

 ――住所か。

「家を見てきましょう」高岡はいった。

「家?」と松平。

「ええ。まだ時間はあります。四人ともそう遠くありません。実際に彼らの家へ行って、犬を飼っているかどうか確かめるんです。それなら確実です。一時間もかかりません」

「家のなかで飼ってると、確認するのは難しいかもしれませんよ」

「近所の人に訊けばわかるはずです。飼っているかどうかだけを確認すればいいんですから」

「もし近所の人が見つからなかったら、その家の人に直接尋ねてもいいんですか?」重松が聞いた。

「その場合は……市から委託されて、このあたりの環境調査をしてるとでもいって訊け。あくまでも生徒には何も関係ないといった体で尋ねるんだ。あとで保護者から生徒に連絡がいくとまずい」

 四人の調査票を撮影した写真をスマートフォンで見ながら、高岡はふたりに行ってほしい住所を伝えた。

 松平には成瀬、重松には葛西。自分は二軒受け持つことにした。一軒はマンションに住んでいると思われる呉林で、もう一軒は四人のなかで一番遠い場所にある日下部の家だ。

「自分の車は使わないでください」高岡はいった。

「どうしてですか?」松平が顔を向けた。

「駐車場を見下ろせる教室があります。犯人が、車が出ていくところを見るかもしれません。こちらの動きを悟らせるようなことは、少しでも避けるべきです。教室から見られないように徒歩で校外へ出て、タクシーを利用してください」

 そのぶん時間が失われるが、慎重にならなければならない。数百人の生徒の命がかかっている。

 

一三時:五三分(爆破まであと一時間三七分)

 

 迷いなら、あった。

 しかし、それは数週間前までの話だ。いまの少年に迷いはなかった。

 爆弾を爆発させ、学校を破壊する――その決意は揺るぎないものになっていた。

 ただ、そこに至るまでに長い葛藤があったのだった。

 学校のことを気にしていたのではない。爆発のあとに残される世界のことを心配していたわけでもない。

 正直なところ、世界がどうなろうと、どうでもよかった。この事件を教訓にして、よりよい世界になってくれたらと願うが、世界は馬鹿ばかりだから、きっと何も変わらないだろうと思う。

 きっと、この爆破事件も、荒海に小石を投げこんだくらいの波紋しか起こさないに違いない。いや、波紋さえ起こらないかもしれない。ほんの少しの水飛沫をあげるだけで、一瞬にして波に飲みこまれてしまうだろう。まるで何事もなかったかのように。

 残された世界のことではなく、少年が案じたのは、自分のことだった。

 ――死んだら、どこへ行くのだろう?

 そのことについて本気で悩んでいたのだった。

 

 図書館へ行き、司書にそういった類の本があるか尋ねた。少年は本を読むのが好きだった。教室でもいつも本を読んでいる。本の世界に入っていれば誰にも邪魔されることはない。

 カウンターの奥にいたのは、三〇代くらいの、眼鏡をかけた撫で肩の女性だった。

「死後の世界について書かれた本を探しています」と口にした瞬間、自殺願望でも疑われるのではないかと身構えた。理由を聞かれたり、妙に気を遣われたりするかもしれない――そんな不安が頭をよぎった。

 が、司書は表情ひとつ変えなかった。

「少々お待ちください」

 そういってパソコンで蔵書を検索し、手際よく三冊の本を選び出してくれた。

 

『チベットの死者の書』川崎信定 訳

『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』中村圭志

『死ぬ瞬間』エリザベス・キューブラー・ロス

 

 図書館に座ってこれらの本を読みながら、あの司書は、図書館で話した少年があとで爆弾事件を起こしたと知ったら、もっと違った本を紹介すればよかったと悔やむだろうか、と思った。別の本を薦めておけば少年が思いとどまったかもしれない、と。

 ――いや、気づきもしないかもしれない。

 世界は情報で溢れている。毎日のようにどこかで事件が起き、そのたびに新しい話題が古い話題を押し流していく。あの女性も、そんな膨大な情報の流れに埋もれ、少年のことなど思いだすことなく過ごしていくのだろう。

 

 その後も少年はインターネットで検索を続けた。今度は死後の世界ではなく、もっと現実的な問題についてだった。

 父が遺したC-4は大量にあった。到底ひとりでは使い切れない。かといって、そのまま残しておくのも惜しい。誰かと共有できないだろうかと考えたのだった。一緒に行動してくれる相手がいれば、それだけで心強い。

 しかし、そんな相手を公然と探せるはずもなかった。

『大量殺人を計画しているんですが、ご一緒しませんか』

 そんな書きこみをすれば、通報されて終わりだ。

 ある掲示板で、ダークウェブを使えば、誰にも通報されることなく発言できることを知った。そこでは危ないものも売り買いできるらしい。

 ちょうどいい。

 ふたつの目的が果たせる。C-4の後始末と、心の共有の。

 複雑な知識が要求されるのかと思ったが、ダークウェブに入るブラウザをダウンロードするだけで呆気なく、その世界と繋がることができた。

 しばらく漂ってみて、少年は思った。

 ――やはり、この世界は馬鹿ばかりだ。

 そこに広がっていたのは、犯罪の情報そのものよりも、罵倒や虚勢、根拠のない誹謗中傷で埋め尽くされた空間だった。

 

 少年は教室の時計を見つめて、残り時間を計算した。

 ――あと一時間三七分……。

 こんな世界、早くなくなってしまえばいい。

 

一四時:二五分(爆破まであと一時間五分)

 

 管理会社に問い合わせると、そのマンションでのペットの飼育は禁止されているという。それでも、高岡は念のため呉林昇の住むマンションまで足を運んだ。管理会社に無断で犬を飼っている可能性を捨てきれなかったからだ。

 オートロックの操作盤で呉林の部屋を呼びだしたが、応答はなく不在だった。

 どうするべきかと考えながらタクシーを十分ほど待たせていると、リュックを背負ったボブヘアの大学生風の女性がマンションから出てきた。高岡は、このマンションへの入居を考えていると偽り、「犬アレルギーなので、規約を破って犬を飼っている人はいませんか」と尋ねてみた。

 女性は「よくわかりませんけど……」と前置きしたあとで、「壁が薄いので、隠れて飼うのは無理だと思います」と答えた。

 もちろん、それだけで犬を飼っていないと断定はできない。しかし、その可能性は低いと判断し、高岡は次の訪問先である日下部の家へ向かった。

 

 日下部の家も留守だった。

 一軒家で、駐車場だけが不釣り合いなほど広い。

 まず庭を見渡したが、犬小屋は見当たらなかった。家じゅうのカーテンは閉められ、室内の様子も窺えなかった。

 窓際に犬が姿を見せるかとしばらく待ったが、物音ひとつしない。

 家全体が、ひっそりと静まり返っていた。

 この時間に犬がいないだけで、犬を飼っていないとは断言できない。たまたま犬とどこかへ出かけている可能性もある。

 付近の家で聞きこみをすることにした。隣家は留守だったが、二軒隣に庭いじりをしている女性がいた。恰幅のいい中年の女性だった。

 庭から、確かめるように高岡を見ている。

 最初、高岡は市の調査員を装うつもりだったが、女性が口にしたひと言でその設定は使えなくなってしまった。

「高岡先生ですよね?」垣根越しに女性はいった。

「え……はい、そうです」

「やっぱり。わたしの娘が、もう五年以上前なんですけど、聖マリアーノでお世話になったんです。いまは大学生で、東京に行っています」

 ――卒業生の保護者だったのか。

 危うく、市の調査員を名乗るところだった。

 表札を見ると、「山根」とある。苗字と母親の顔を手がかりに、頭のなかで娘を検索したが、まったく引っかからなかった。担任した生徒かどうかもわからない。

「いまは大学生ですか。ずいぶん変わったでしょうね」あたり障りなく言葉を返す。

「それは、もうほんとに。お化粧に興味を持ちはじめたりなんかして……それで、きょうはどうされたんですか。うちに用があったんですか?」

 女性は、マスカラに縁どられた小さな目で怪訝そうに高岡を見た。

 この女性は、高岡が国語科の教諭だったことも覚えているだろう。

 瞬時に新しい設定を組み立てる。

「じつは……ご近所の日下部蓮君が応募した作文が、ある青少年向けの全国コンテストで最終選考に残っていましてね。その内容について、主催団体のほうから学校に照会が来ているんです」

「はあ……」

 女性の反応を窺いながら嘘を固めていく。

「テーマが〝人と動物との共生〟で、日下部君は『自宅で飼っている老犬の介護体験』を書いているのですが……どうも、近隣の事情を知っている匿名の方から『日下部宅では犬は飼われていないはずだ』という指摘があったらしく、こういったケースでは、学校側が最低限の事実確認をおこない、報告する必要があると……まあ、そういうわけなんです」

 少し間を置いてから、声を落とした。

「直接生徒に尋ねると、生徒が学校から信用されていないと傷つく場合がありますので……。ご存じだと思いますが、昨今、心の問題は非常にデリケートになっているんです」

「なるほど……先生も大変ですね。日下部さんとは昔からの知り合いなんですけど……えっと、そういったことは、わたしはよく知らないんです」

 女性は急におどおどと答えた。

 どうやら気負わせすぎたかもしれない。自分の一言が日下部蓮を不利な立場に追いこむ可能性に思い至ったようだ。

 高岡は相手を安心させるように微笑み、付け加えた。

「どちらにしても、日下部君の受賞がとり消されるということはありませんから、ご安心ください。むしろ、犬を飼っていないことがわかったほうがいいともいえます。その主催団体はフィクション部門にも力を入れていまして、もし、飼っていないのだとしたら、リアルな老犬とのやりとりを想像で書いたことが高く評価されることになりますから」

 かなり強引な理屈ではある。それでも高岡は、疑う余地などないという口調でいい切った。

 女性はようやく表情を和らげた。

「そうなんですか……。それでしたら、日下部さんのお宅では犬は飼っていないと思います」

「本当ですか?」

「ええ、何度か家にお邪魔したこともありますから、間違いありません」

 ――日下部蓮は犬を飼っていない。

 ほかのふたりはどうだったのか? まだ連絡はなかった。礼を告げ、踵を返した直後、女性が声を出した。

「先生……」

「なんでしょう?」高岡は振り返った。

「蓮君は受賞しますか?」

 高岡は一瞬、なんのことかわからなかったが、すぐに笑顔で頷いた。

「わたしはそう確信しています。素晴らしい作文だったので」

 女性ははじめて、ほっとするような表情を見せた。

 

一四時:五八分(爆破まであと三二分)

 

 聖マリアーノ学院の裏手にある公園で、高岡は重松と松平のふたりと待ち合わせていた。

 タクシーのなかで、すでにふたりから結果は聞いている。

 ふたりが行ったどちらの家にも犬はいなかった。

 葛西の家では、重松が在宅中の祖母から聞きだし、成瀬の家については、松平が隣人への聞きこみで「犬は飼っていない」という事実を突き止めていた。

 ということは……。

 ――リストに残った四人は犯人ではない。

 公園は小さかった。生徒たちからは〝タイヤ公園〟と呼ばれている。地面には半分埋められた古タイヤが等間隔に並び、黒かったはずのゴムは日に焼け、あちこち毛羽立ち灰色にくすんでいた。

「どういうことなんですかね」重松がいった。

 高岡は唇を噛んだ。

 ――何かを見落としているんだ……。

「もう一度、最初から洗い直そう」高岡はふたりを見た。

 重松がスマートフォンに目をやった。

「間に合いますか……」

「絶対に間に合わせる!」高岡は重松を睨みつけた。

「でも、もう時間がありませんよ。やっぱり生徒たちを避難させたほうが――」松平がいいかけた。

「そんなことをしたら、すぐに爆破されてしまいますよ。霞さんもいってたでしょう」

「しかし……」

「まだ間に合います! 試験が終わる前までに見つけだせばいいんです。犯人はかならず学校にいるんだ」

 高岡は聖マリアーノ学院を見あげた。ここから学院の上に聳える時計台が見えた。学校までは林のあいだの裏道を通れば五分もかからない。しかし、いまはその五分さえも貴重に感じられた。

 ――あと三〇分……。

 そのとき、ポケットのなかに入れていたスマートフォンがバイブレーションした。表示を見ると、教頭からだった。

 ――なんで、こんなときに……。

 応答した。

「はい、高岡です……」

『吉住先生から話を聞きましたよ!』

 いきなり怒声が飛んできた。

『いますぐ教頭室へ来て、この学校で何が起こっているのか説明してください』

 教頭の話によると、体育館の倉庫に拘束して閉じこめていた吉住が、練習試合の手伝いに来たOBによって助けだされたらしかった。

 吉住は教頭に、高岡と松平が話していた内容を伝えたに違いない。

 ――くそっ、面倒なことになった……。

「誰からですか?」

 電話を切ると、松平が訊いた。高岡の表情から何かあったことを察したのだろう。

「教頭でした……」

「教頭?」松平が緊張した顔でいう。

「いますぐに教頭室に来いといっています。吉住がすべて話したようです」

「え、吉住先生? 説得して家に帰らせたんじゃなかったんですか?」

「体育館の倉庫に縛って閉じこめてたんです」

 高岡は淡々といった。

「説得は無理だと思ったので」話しながら学校のほうを向き、次に打つ手を考えていた。

 松平はさらに何かいいかけたが、高岡はそれを制するようにいった。

「わたしは教頭室へ行きます。ふたりは三橋先生を連れて、四階の情報科室に行ってください」

 まだ時間はある。

 ――強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。慄いてはならない……。

 旧約聖書の言葉が頭に響く。

「教頭はなんといってたんですか?」松平が尋ねた。

「そんなことはどうでもいい!」

 高岡は声を荒らげた。

 自分でも驚くほど強い口調になった。だが、いまは迷っている暇はない。

「ふたりはすぐに三橋を連れて情報科室に行ってください。三橋に保健情報のデータの入ったパソコンを持ってこさせることを忘れないで。ほかにも職員室に誰かいれば、全員、情報科室に集めて」

「もう間に合いませんよ――」重松が声を出した。

 残り時間は三〇分を切っていた。

「まだ間に合う! 間に合うように動け!」

 高岡は学校に向かって駆けだした。階段を登っていく。立ち止まって振り返ると、松平も重松も戸惑ったようにそこに立ち尽くしていた。

「かならず間に合います。さあ、ふたりとも走って!」高岡は命じた。

 

(つづく)