第一部

 

 

九時七分(爆破まであと六時間二三分)

 

 

 ――爆弾?

 電話の向こうから聞こえた言葉は、この場所にはあまりにも不釣り合いだった。この時間にかかってくる電話は、どうせ遅刻の連絡ぐらいに考えていたが、まったく違う用件のようだった。

 高岡陸は姿勢を正してデスクに向き合った。

「すいません。もう一度いっていただけますか? よく聞こえなかったもので」

 時刻は、夏休み明けの模擬試験の開始直後の午前九時七分。

 職員室には、ほかに誰もいなかった。皆、試験監督に出払っていた。高岡自身も午後から担任を務める三年五組の試験監督をする予定になっている。

 国語教諭になって一八年。今年で四一歳になる高岡は、誰もいない職員室でコーヒーでも飲みながら、束の間の静けさを味わおうとしていた。そんな矢先にこの電話が鳴ったのだった。

 デスクの上には、まだ口をつけていないコーヒーから立ち上る甘苦い香りが鼻をくすぐっている。

 女性が話を続ける。

『そちらは〈聖マリアーノ学院高校〉ですよね。学校に爆弾が仕掛けられているんです』

 やはり電話の相手――彼女は「爆弾」という言葉を使っていた。

 ――まったく……。

 朝っぱらから、何をいってるんだ、と高岡は思った。爆弾? こんなくだらないことをいう奴はいったい誰なんだ。夏休み明けの憂鬱な模試を妨害したい生徒だろうか?

「失礼ですが、お名前をもう一度うかがえますか?」

 女性は最初に名乗っていたが、早口でよく聞きとれなかった。悪戯だとは思いつつも丁重な言葉遣いを心掛けた。これが録音されていて、切りとられて流出などされてはたまらない。

『わたしは、B町で霞メンタルケア・クリニックの院長をしている、霞絵美と申します。驚くのも無理はないと思いますが、これは事実なんです』

 声の感じからすると三〇代くらいの女性に聞こえる。とすると、この悪戯の主は生徒ではないのか。

「それは……つまり、爆破予告のようなものがあったということですか?」

 受話器を肩と耳のあいだに挟みこみ、デスクの上のパソコンで〈霞メンタルケア・クリニック〉をネット検索した。

 検索結果の一番上にその名前が出た。住所は横浜市内B町、マクドナルドの斜向かいの雑居ビルにあるようだった。通りかかったときに見た覚えがある。ここから車で一五分ぐらいの距離だろうか。ホームページのメニューから「院長のプロフィール」をクリックする。

 

 霞絵美

 医学博士/精神保健指定医

 聖エリザベト医科大学 医学部医学科 卒業

 港南大学附属病院 精神科 入局

 日本精神神経学会 専門医

 日本臨床心理学会 会員

 

 プロフィールの上に優し気に微笑みを浮かべる白衣の女性の上半身の写真があった。年齢は声の印象と同じく三〇代半ばくらいか。茶色がかったボブカットに切れ長の目、薄く形のよい唇。

 ――実在するのか。

 どうやら電話の主は、悪戯の信憑性を高めるためにこの人物を騙っているらしかった。なかなか手がこんでいる。

「霞さんとおっしゃいましたかね。いいですか、これは非常に深刻な内容ですよ。脅迫罪ってご存じですか?」

『もちろん、知っています。わたしは脅迫しているわけではありません。事実を伝えようとしているだけです』女性はムッとした口調でいった。

「疑ってるわけじゃありませんが、一度、この電話を切って、霞メンタルケア・クリニックに直接電話しても構いませんか?」

 これは学校に悪戯電話がかかってきたときにおこなう対処方法だった。だいたいはこれで片が付く。

『ええ、構いません。それじゃあ、お待ちしています』といって電話が切れた。

 高岡は、おや、と思った。

 声の調子が、バレたからこれで終わりにするといった様子ではなく、本気で折り返しを待っているような雰囲気に感じられたからだ。

 まさか本当に霞メンタルケア・クリニックの院長なる人物がかけてきたのだろうか?

 ――いや、そんなことはないだろう。彼女は「爆弾がある」などと不穏なことをいっていたのだから。

 すぐにホームページに記載されている電話番号にかけてみた。悪戯だった場合、電話に出た人になんと説明しようかと考えながら。

 しかし、その予想は裏切られた。

『はい、霞メンタルケア・クリニックです。聖マリアーノ学院さんですよね。これで納得されましたか?』

 間違いなく、さきほどと同じ声だった。

「あ、えっと、すいません。わたしは聖マリアーノ学院の高岡と申します」高岡はしどろもどろになって答えた。まさか本当に同じ女性が出るとは思っていなかった。

『わたしは当クリニック院長の霞絵美です』

「そ、そうですね。失礼しました。なにぶん悪戯電話が多いもので……」

 これは事実でもある。

「しかし……さきほどの話ですが、どういう意味でしょうか?」

 相手の身元がわかったからといって、まだ状況が掴めたわけではなかった。確かに、この女性は「爆弾」という単語を使っていたが、何かの喩えなのだろうか?

『よく聞いてください』

 霞は息を整えるような間をおいたあと、幾分落ち着いた口調になって話しはじめた。

 彼女は神奈川県内の複数の精神科医や臨床心理士が有志で運営する、匿名の電話相談サービス「こどもこころホットライン」に参加しているのだという。毎月、第二・第四日曜日にその活動をおこなっているらしかった。

 その電話相談サービスの名前に聞き覚えがあった。確か、この学校にもポスターが貼ってあったはずだ。

 昨夜、三人目の相談者が、高校三年生の男子で、あした――つまりきょうの模試の終わりに、爆弾を使って学校を爆破するつもりだと彼女に打ち明けたという。

 ――本当の意味で、〝爆弾〟のことだったのか……。

 まだ現実の出来事として受け止めきれなかった。だが、もしこれが事実ならとんでもない事態だ。

「その人物が、この学校の生徒だと名乗ったんですか?」高岡は訊いた。

『いえ、彼は匿名で学校名もいっていません。今朝わかったんです』

「わかった、というのは?」

『わたしは一晩中、彼と話をしました。考え直してもらおうと努めたのですが、朝方になっても彼の意思は変わりませんでした。通常であれば相談者さんをこちらから呼びだすようなことはしません。しかし今回は事態が深刻でした。それで電話では限界があると判断し、直接会って話すためにクリニックの住所を伝えたのです』

 高岡は沈黙して、話の続きを促した。

 霞が続けた。

『彼は了承し、三十分後――午前四時二〇分に会うことになりました。黒いキャップを目深に被り、大ぶりの黒いゴーグルをかけ、口元を赤いスカーフで覆って現れました。青いレインコートのようなものを羽織って全身を隠していたため、最初は制服を着ていることにも気づかなかったのですが、彼が椅子に腰を下ろした際、レインコートがわずかに開き、制服の校章が見えたのです。紫の百合をあしらったデザインでした。以前、〈こどもこころホットライン〉のポスター掲示をお願いするため、そちらの学校を訪ねたことがあり、その校章を覚えていました』

「で、結局、説得はできなかったんですか?」

『できませんでした。彼は、きょうの模試が終わるまでじっとしておいてもらいたいだけだ、といい、わたしをナイフで脅し、きょうの予約していた患者にキャンセルのメールを送らせました。それから、休診の札を出したあと、わたしの口をガムテープで塞ぎ、両手と両足を電気コードで縛って……』

 霞は荒い息を整えるように、小さく息を吐いた。

『彼が出ていったあと、なんとかコードを外して……いま、ようやく電話できる状態になったところです』

「え……縛られていたんですか!? 大丈夫ですか? いますぐ警察に――」

『警察には通報しないでください!』

「どうしてです?」

『彼の精神状態を、わたしは誰より理解しています。電話でも繰り返しいっていました。少しでも邪魔をする者が現れたら、その瞬間に爆破すると』

「彼が爆弾を持っていることは、本当に間違いないんですか? いったい、どうやってそんなものを手に入れたんですか?」

 これが一番肝心な点だ。

『彼がそれを入手した経路はあとでお話ししますが、間違いありません。わたしはこの目で見ました。濃い緑色の防水紙に包まれた板状のものでした。長さは手のひらよりも少し長い程度でしょうか。その棒状のものを数十本持っていました。表面は掠れていてすべては読めませんでしたが、C-4という文字が見えました。彼は軍事用のプラスティック爆弾だと説明していました。いくつかのコードが繋がった基盤のようなものがついていて、それらは、けっしておもちゃの類には見えませんでした。彼はそれをバッグに入れて教室に持ちこむと話していました』

 ――C-4……。

 素早くパソコンに打ちこみ、ネット検索した。何かの映画で聞いたことがあったような気がするが、それがどんなものかよくわかっていなかった。

〈爆薬とは、アメリカ軍などで採用されている、非常に強力な可塑性のある高性能プラスティック爆弾の一種〉とある。

 最近の高校生が使うバッグは容量が大きい。教科書やノートの代わりに爆弾を詰めれば、相当な量を持ちこむことができる。

 霞は少年が、数十本、棒状のものを持っていると話したが、その威力はどのくらいになるのだろうか? GoogleのAIであるGeminiに尋ねてみた。

〈軍事用のC-4の塊が数十本、学校の教室で爆発した場合、被害はどのくらいになる?〉と打ちこむ。

 Geminiの回答は、〈その部屋と、上下の床・天井は跡形もなく消滅し、衝撃波と数千度の熱風によって周囲数十メートルが「地続きのひとつの広い空間」になり、その空間にいた人間は即死する〉というものだった。

 この学校は四階建てで、三年生は三階を使っている。もしこの話が事実なら、三年生のいる三階のどこかの教室と、その上下の教室、隣接する教室が一瞬で吹き飛ぶことになる……。

 背筋が冷たくなるのを感じた。

 きょうは全校生徒が出席している。一瞬にして百人超が亡くなる計算だ。しかし、被害はそれにとどまらないだろう。この校舎はかなり古い。それだけの衝撃があれば、校舎全体が崩壊する可能性も大いにあり得る。

 ――なんてことだ……。

 霞が何か話していた。意識が完全に被害状況に向いていてよく聞こえなかった。

「すいません。もう一度いってもらえますか?」

『わたしがいったのは、彼が実際に爆弾を試しているということです。一週間ほど前、廃校になった小学校が爆破された事件を覚えていますか?』

「え、あの、秋山小学校の事件ですか……」

 もちろん覚えている。

 ここから数キロ離れた廃校で、校舎が爆発によって跡形もなく吹き飛んだ事件だ。警察は詳しいことを明らかにしていなかったが、テロリストによる犯行ではなく、事故による爆発の可能性が高いという情報だった。しかし、事故にしては被害があまりにも大きく――廃校となった小学校に、それほどの爆発を引き起こすものが存在するとは考えにくい――テレビでは評論家や元捜査関係者がさまざまな見解を述べていたが、警察が口を閉ざしている以上、どれも憶測の域を出なかったが……。

 ――まさか、あの爆発も、その少年の仕業だったというのか。

『彼は電話の最中、秋山小学校で爆弾を仕掛けている写真を送ってきました。まだ爆発する前の現場でした。その瞬間、この少年は単なる虚言癖ではないと確信しました。それで、直接会って説得するしかないと判断したのです』

「……でも、結局説得は失敗したんですよね。そうなると、やはり警察に頼るしかないんじゃないですか?」

『駄目です! それはあまりにも危険です』

「どうして、そこまでいい切れるんですか」

『警察は組織です。一度通報すれば、個人の判断だけでは動きを止められません。捜査態勢が敷かれ、車両も人員も動くでしょう』

「それの何が問題なんです?」

『彼は極度に警戒しています。少しでも自分が疑われていると感じれば、計画を実行しかねません。たとえ偶然でも、パトカーのサイレンを耳にしただけで起爆スイッチを押す可能性があるのです。警察が介入すること自体が、引き金になります』

「しかし……これは爆弾事件なんですよ。わたしたちだけでは対処しきれませんよ」

『そんなことはありません。模試は一五時半に終わる予定ですね?』

「ええ……」

『矛盾しているようですが、彼は模試を最後まで受けたいと考えています。夏休みのあいだかなりの時間を勉強に費やしたらしく、その努力を無駄にはしたくないと思っているようです。採点結果を見ることはできませんが、死ぬ前に、自分がどこまでできる人間だったのか、それだけは確かめたいのでしょう』

 精神科医は一拍置いて続けた。

『だからこそ、そこに唯一のチャンスがあるのです。自分の計画がわたし以外、誰にも知られていないと信じているかぎり、彼は試験が終わるまでは爆破しません。つまり、それまでは学校は安全なのです。その時間内に彼を見つけ、起爆スイッチを押される前に身柄を確保できれば爆発は防げます』

 頭が真っ白になって、自分の呼吸が浅くなっていることに気づいた。

 そんな不安定な精神状態の少年が、いまこの学校で強力な爆弾を持っているなんて……。

 まだ信じたくない自分がいた。

「少年があなたに送ってきた秋山小学校の写真を、わたしも見ることはできますか?」

『メールアドレスを教えていただければ、すぐにでも送ることができます』

 高岡はメールアドレスを伝えた。

 スマートフォンに送られてきたのは五枚の写真だった。

 一枚目は、雑草が生い茂り、傾いたサッカーゴールが放置された校庭と校舎。校門脇の校名板には掠れて見えにくくなっているが「秋山小学校」と記されていた。二枚目はスチール製の下駄箱が並ぶ昇降口。三枚目は職員室。四枚目は校長室らしき部屋。そして五枚目は教室。二枚目から五枚目までの写真すべてに、濃い緑色をしたC-4らしき直方体が、無造作に数本ずつ置かれていた。

 量だけ見れば、それほど多くはない。

 だが、この程度で校舎一棟が跡形もなく吹き飛んだのは事実だった。

 ――合成写真の可能性はあるだろうか?

 いまや画像生成や加工の技術は驚くほど進歩している。少し知識のある高校生なら、それらしい画像を作ることも不可能ではない。

 が、すぐにその考えを打ち消した。

 確かに、霞を騙すためだけに写真を偽造した可能性はあるが、そのあと彼女を監禁し、実際に爆弾らしきものまで準備していたことを考えれば、少年が嘘をついている可能性はかぎりなく低い。

 ――くそっ、こいつは本気だ。

「心理の専門家であるあなたは、警察の力を借りないほうがいいと本気で考えているんですね?」高岡はもう一度確認した。

『ええ。警察には爆発物の専門家がいるでしょう。しかし、いまの彼の精神状態を、わたし以上に理解している人間はいません。彼はすでに死を受け入れています。少しでも追い詰められたと感じれば、躊躇うことなく起爆するでしょう。彼とは一切の取引ができないのです。どんな交渉術も意味を成しません。そのような相手に、警察が介入して、最善の結果を得られると、本気でお考えですか?』

 高岡は霞の言葉を頭のなかで反芻した。

 死ぬ覚悟のできた人間。少しでも刺激を受ければ爆破を躊躇わない人間。そして、予測できない警察組織……。

 確かに、組織力を使った人海戦術において警察は力を発揮するだろうが、このようなデリケートなケースにおいて最善の対応ができるかと問われると疑問符が付く。

 半年ほど前、この学校の生徒が失踪した事件があった。その事件では、行方不明の少女が最後に目撃されたのが校内だったことで、多くの教員や生徒が警察に尋問を受けた。そのあとも数ヶ月、断続的に警察官らが高校にやってきて捜査を続けていた。高岡自身も何度も事情聴取を受けた。学校側は、生徒への影響から、警察が学校へ訪れる場合は事前に通告して、授業時間以外に来てほしいと何度も伝えていたが、通達が末端まで行き届いていないのか、彼らは突然授業中にやってきて閉口したものだ。依然、その少女は発見されていない――。

『高岡さん、最終的には現場にいるあなたの判断に任せるしかありませんが、現在は非常に危険な事態であることだけは認識してください』

 ――どうするべきか……。

 この精神科医は自分が信じていることを高岡に伝えている。この情報をどうするかは高岡自身が決めなくてはならない。

 この学校は、高岡にとって、単なる職場というだけではなかった。祖父の高岡勲は聖マリアーノ学院の理事長であり、父の高岡槙生は校長を務めている。いずれは高岡が責任者になる予定だった。

 だからといって、この判断をくだす資格を自分が持っているとは思わなかった。この判断は、役職や立場に関係なく、現状を正しく理解している者がくだすべきだ。

 いま現状を一番正しく理解しているのは

 ――高岡と霞のふたりだ。

 娘の顔が頭に浮かんだ。

 そして、この学校には、娘の綾も通っている。妻は三年前に亡くなり、それからはふたりで暮らしてきた。

 三年生の綾はいま模試を受けている最中だった。爆弾犯がいるクラスで受けている可能性もある。綾の運命も高岡の判断次第なのだ。

 いや、いまこの学校にいるすべての人の運命が……。

 職員室は静まり返っていた。学校全体が静寂に包まれている。聞こえるのは、校庭の木々で鳴くツクツクボウシぐらいだった。それもきょうはずいぶん遠くから聞こえてくる。

 ――この学校の生徒たちは、何があっても絶対に守り抜く!

 そう決意した瞬間、唇が勝手に動いていた。

「……わたしは敵を追い、これに追いつき、滅ぼすまでは引き返さない」

『え? いま、何とおっしゃったんですか?』

 受話器の向こうで、霞が戸惑ったように聞き返した。

「あ、すみません。気にしないでください」

 無意識に口をついて出たのは、旧約聖書『詩篇』一八篇三七節の言葉だった。子供のころ、母に半ば強引に暗唱させられた言葉が、不意に蘇ることがある――高岡の癖だった。

 気持ちを切り替えるようにして、高岡は尋ねた。

「犯人は、顔を隠していたということですが、ほかに何か特徴はありませんか?」

 高岡は、ここではじめて「犯人」という言葉を使った。

『彼の身長は一七五センチから一八五センチのあいだ、だと思います。ドア口に立った彼のシルエットから目測しました。体型は痩せ型です。外見でわかることはそれぐらいですが、昨夜彼と数時間話し合ったことで、彼の情報はかなりわかっています』

「それはどういったものですか?」

 霞は昨夜の電話セッションで得た情報を伝えてきた。高岡は机の上にあったメモ用紙にその情報を書きつけていった。

 

 1・身長は一七五センチ~一八五センチ。

 2・高校三年生である。(受験が近いと話していた)

 3・早生まれ。(そのせいで小学生時代、背が低く、大柄の女子に虐められたらしい)

 4・犬を飼っている。(犬を残していくことだけが心残りだと話していた。少年に一番懐いているとのこと)

 5・両親に離婚歴がある。母親は再婚している。実父はすでに死亡していて、職業はわからないが、極左的な思想を持った人物。

 6・オランダのアムステルダムに渡航歴がある。(小学生時代に実父と行った旅行が一番の思い出になっている)

 7・兄か弟かはわからないが、兄弟がいる。姉妹がいるかは不明。

 8・成績はいいほうらしい。数学が得意。

 

 聞き終えると、高岡はメモ用紙の文字を追いながら思考を巡らせた。これだけの情報があれば確実に特定できるような気がするが、三年生全員の個人情報にアクセスして探す必要がある。

「それにしても、少年はあなたになんの相談をしてたんですか?」高岡は尋ねた。

『迷ってたんだと思います。実行するべきかどうか』

「でも、あなたはそれを止められなかった」

 非難するつもりはなかったが、自然と口から出ていた。その時点で霞が説得できていれば、こんなことにはならなかったはずだ。

『……ええ、少年は話しながら、さらに怒りが増していったようでした。わたしの立場を考えると恥ずかしい話ですが』

 しかし、いまさら誰かを責めても意味はない。この事実にどう対処するかが問題だ。

「少年がこんな大それたことを企んだのには、何か理由があるはずですよね」

 動機がわかれば、犯人の輪郭が見えてくるかもしれない。

『彼は社会にひどく疎外感を覚えています』

「疎外感? それだけですか?」

『もちろん、そのほかの感情も混ざっているでしょう。ナルシスティックな英雄願望もあるでしょうし、将来に絶望し、すべてのものを壊したいという破壊衝動も持っています。しかし、これは彼特有の感情ではなく、思春期の子どもにはありがちな感情でもあります。ただ彼は、それを実行する手段を持っていただけです』

「……彼はどうして爆弾なんか持ってたんでしょうか?」

『もともとは彼の父親の持っていたものだそうです。父親は革命思想を持っていて、外国から爆弾を国内に持ちこんでいたようです。そしてそれを使う前に死亡し、少年が遺品のなかから発見したのです』

「彼は、電話相談するときに何か名乗っていなかったんですか? それとも完全な匿名だったんですか?」

 一泊、置いたあとで霞はいった。

『ゴドー、と名乗っていました。意味はわかりませんが』

 ――ゴドー……。

「ゴドーはまわりから浮いている存在ですか?」

『いえ、電話からはそういった印象は受けませんでした。むしろ、まわりからは普通の明るい少年に見えていた可能性が高いです。内面に抱えていたものを外には出していなかったと思います』

 ――くそっ。

 高岡は三年生の男子生徒たちの顔を思い浮かべていた。クラスに馴染めず、孤立している生徒はいなかったか――。

 だが、その線では見つけられない。

 高岡は霞に告げた。

「ひとまず、わたしひとりでその生徒を捜してみます。あなたはどうしますか? こちらに来ることはできますか? 犯人の声を覚えてるんですよね」

 顔は見ていなくても犯人特定の役に立つかもしれなかった。

『いえ、それはやめたほうがいいと思います。学校は高台にあり、長い坂道が一本続くだけ。あの道を見下ろせる教室もあります。車内までは見えないでしょうが、危険は冒さないほうがいいと思います。彼はわたしの顔を知っています。どのみち、わたしが行っても力にはなれません。声を聞けるほど近くまで行けば、向こうもわたしの存在に気づくはずです。クリニックの患者はきょうはすべてキャンセルになっていますし、自宅はすぐ裏にありますから、家で休んでいようと思います。彼と揉み合ったとき、足を捻挫してしまったので』

「病院へ行かなくても大丈夫ですか?」

『そこまでひどくありませんから大丈夫です。連絡があればすぐに出ますから、遠慮なく電話してください』

 そういって霞は自分のスマートフォンの番号を伝えてきた。

「わかりました。また尋ねたいことが出てくるかもしれません。そのときは電話をかけさせてもらいます」

 電話を切ると、高岡は長く息を吐いた。受話器を持っていた手が汗でぐっしょり濡れていた。

 誰もいない職員室で、高岡は呟いた。

「彼が地獄に掘り進んでも、わたしの手がそこから引きだす。彼が天に昇っても、わたしはそこから引きずりおろす。彼がカルメル山の頂に隠れても、わたしは捜しだして彼を捕らえる……」

 口をついたのは、旧約聖書『アモス書』九章二節の言葉だった。

 

(つづく)