「動画内を詳しく見ると、撮影時期を特定できるものが三つありました。ひとつは二階書斎のカレンダー。日付は二〇〇四年十二月でとまっていた」
「十二月。じゃあ大晦日の参拝か?」
「最初はそう思いました。ですがリビングに置かれていた食べ残しをみて、考えを改めた」
「食べ残し?」
「リビングのお粥です。中身は白粥でしたが、なにか小さくて輪切りにされたカブが入っていた。そしてこの時期に食する小さなカブといえば思い当たる具材はひとつしかありません」
──菘ですよ、と彼はいう。
「あのお粥に入っていたのは春の七草のひとつ、菘だった。すなわちあの粥は新年の胃を休めるため一月七日にたべる風物、七草粥なのです。これが二つ目の理由です。お餅が入っていたのは鏡餅を割って粥に入れたからでしょう。書斎にあったカレンダーは前年度のものを放置していただけ。おそらく新しい卓上カレンダーは別の場所にあったか、或いはまだ買い求めてなかったのでしょう。最後にもうひとつ、となりの彼女が発見したことがあります」
諸星はわたしに視線を向けた。わたしは御冷を一口のむと、話を継ぐ。
「最後の三つめは玄関に置かれていた縁起物でした。よくよくみると、撮影者の少年は動画内でそれをポケットの中に収めているんです」
「ああ、あの鳥みたいな人形」
「あれは木鷽といって、菅原道真公を祀る神社の縁起物として、各地の神社で売られているものです。そして当時、一月七日、貴土神社ではその木鷽をつかってうそ替えという神事が行われていました。だから彼女はうそ替えの神事に参加したくて、神社のほうを指していたのではないでしょうか?」
わたしもこの動画を調べるまで、うそ替えという神事が、どういうものかは知らなかったが、うそ替えは存外、人の興味をひく要素がある。
うそ替えという神事は、境内で配られた木鷽の入った包みを、「かえましょ、かえましょ」という掛け声とともに、境内にいる参拝者で交換し合う、レクリエーションめいたものなのだ。これは前年についた嘘を天神様の誠の心と交換して厄除けをはたすものが、ときにその木鷽の底に「金」や「銀」という印がついており、それを社務所にもっていくと純金や純銀の木鷽と交換できるという当たり籤要素も具えていた。
果たして寒村の神社に籤要素があるか、定かではないが、あるいは金や銀を渡されるのではなく、縁起物やお菓子などを配っていたのかもしれない。
諸星はさらに雉丘にたずねる。
「ところで今更、このようなことを聞くのもなんですが、この動画を撮影した剛志さんや恵子さんは、今、どうしていらっしゃるのですか。彼らに問い合わせれば、すぐに確証が得られると思うのですが」
諸星がそういうまで、わたしはすっかり失念していた。状況証拠から推理するまでもなく、そもそも撮影者を知っているのなら、彼らに当時のことを聞けば良いのである。
「ああ、そうか。言ってなかったか。いま、二人とも行方知れずなんですよ」
「それは連絡先が分からないという意味で?」
「いやいや。マジで姉弟ともども行方不明。だからこの動画を観たとき、すぐに二人だって分からなかったぐらいで」
「事件に巻き込まれた可能性は?」
「どうでしょうねえ。弟のほうは知らないですけど、姉のほうは存外、すぐおっ死んだかもしれない」
「それは、どうして?」
「昔っから何を考えているかわからない人でしてね。どうやらかなりの虚言癖だったらしくて、町でも有名な子供だったらしいんですよ。母親の気を引きたかったんですかね。叔母は息子のほうにかかりっきりで、叔父も子育てには協力的じゃなかったそうなので。今でいう愛着障害っていうやつですか。それにあんな事があったら──」
彼は何か言いかけて口を噤んだ。明かすつもりのない情報を出してしまった。そのように見えた。いや、そう振るまった。スキャンダルを聞き好む人間は、それを話したがるものだ。彼もその一人だった。
諸星が問うと、特に悩む訳でもなく語った。
「叔母はあの家で死んだそうです。しかも、何者かに殺されて」
六
「それじゃ阿網チャン、お疲れさん」
天神での報告会が終わった後、諸星とは地下鉄天神駅の改札前でわかれた。事務所にもどるだろう諸星の顔はいまだ煮え切らなさが残る。依頼料は支払われた。だがお互い仕事を終えた手応えに欠けていた。
わたしは地下鉄に乗らず、あてどなく繁華街を歩いた。すると知らず知らずのうちに足は事務所のある冷泉にむかって、気づけば川端商店街にいた。それからあてもなくアーケード街を歩いて、櫛田神社の裏門ちかくにある脇道に入ったところで、細い路地の喫茶店に入った。
南欧風の店内で、落ち着いた雰囲気が、思索にちょうどいいと思えた。事前に支払いをすませると店主は、カウンター奥に三段状に並んでいるカップから青っぽい縁の薄いものを選んで、すました顔で丁寧に珈琲をドリップする。
席に着いてからしばらくして運ばれてきた店のオリジナルブレンドを一口飲んだ後、わたしはスマホを手に取った。
繋がらなければそれでいい。見切り発車で行った発信は、ワンコールが鳴り終える前につながった。
「──近衛だ」
と、低い声がもれる。
廃駅自殺の動画で知り合った、福岡県警の近衛一馬警部は、登録されていない電話番号の呼び出しだったのにも拘わらず、まるでそこに居るかのように、更に声を落として尋ねた。
「諸星に動きがあったか?」
「そのことですが……、取引しません?」
*
時間は一か月前にさかのぼる。
紅葉山駅事件の途中、近衛一馬警部は、諸星が席を立った隙をみて、すっと一枚の名刺を寄越した。金の箔押しの旭日章が左上にかがやく支給名刺は、それが滅多に見られないものだけに、警察手帳より生々しい凄味があった。
「いいか、お嬢ちゃん。もしも彼奴と関わるってなら頼みがある。あの男が不審な行動や、なにか怪しげな物証を所持していたら、この電話番号にかけろ」
彼は名刺をくるりと裏返す。
数字でも分かる達筆な筆致で、電話番号が書かれていた。黒革の財布から取り出したところを見るに、一般の名刺とは別に、個人携帯を書いた情報提供者用の名刺を使い分けていた。それを寄越されたのである。受け取ろうとする指先にも震えが走る。
「な、なんで所長を?」
「何もなければ構わない」
彼は非常に不誠実な返答と作り物めいた笑顔をよこし、声を和やかにして言い含めに取り掛かる。
「神経質になるな。それに今の世の中、何かと物騒だからな。刑事の名刺もお守り代わりになる」
有無を言わせず、ずいっと名刺をよこす。
受け取った名刺に輝く旭日章が、権威の象徴のように浮かんでみえた。
時間は戻って、川端の喫茶店。コーヒーのおかわりを飲み、平べったい黒プリンにかかったキャラメルを卑しくスプーンで掬って舐めていると、ふたたび電話が鳴った。先ほど登録した名前が表示される。『暗躍鬼瓦』。我ながら冴えたネーミングセンスだ。うっとりしながら画面を見下ろした後、通話に出た。
「はい、待ってました」
「それにしては電話に出るのが遅かったな」
ちくりと嫌味を述べる。多分、気にしたら負けだ。
彼も言葉以上の意味はなく、すぐ本題に入った。
「たしかに二〇〇四年、十二月二十九日。日下和江という女性が、自宅の浴槽で頭から血を流した状態で発見されている。第一発見者は娘の恵子。中学校二年生で陸上部だった。彼女が部活から帰ってきたあと、家が荒らされていることに気づいた。実際、当時の写真が残っているが、リビングなんかは、すさまじい縦揺れの地震が起きたかのような荒らされ方だ。そして彼女は浴槽と風呂場を分けるすりガラスのサッシに血痕が付いていることを発見。警察に通報した」
ぺらりと紙面がめくられる音がする。
「死因は脳挫傷。側頭部と後頭部を十数か所、何度も殴られている。凶器は本石製の硯で、書斎で息子の冬休みの宿題である習字を教えていたのが目撃されていることから、おそらくそのときに戻し忘れたものだとみられる。当時、家には被害者本人しかおらず、書斎に血痕が飛び散っていたところから、二階の書斎で殴られたあと、満身創痍のまま一階におりて風呂場に逃げ込んだとみられている」
「ですが、あの家は階段を下りると正面に玄関があったはず。どうして彼女は玄関から外に出て、周囲に助けを呼ばなかったのでしょうか」
「よく知っているな。いや、そうか。あの奇術か」
近衛が電話口で悩ましく腕を組むのが分かった。がさりと紙束が擦れる音がする。捜査資料が手元にあるのだろう。電話口で、ページをめくる音がした。
「たしかに捜査時、そこが争点になった。だが突如として現れた強盗に殴られて、最善を導き出せるというのは第三者の驕りだ。人間はそこまで合理的じゃねえ。それに発見当時、服装がかなり乱れて半裸に近かった。おそらく暴行されていた可能性が高い」
暴行。この言葉が一般的な殴る蹴るなどの狭義でないことは分かっている。しかし暴力行為には相違ない。性という点から見逃されがちではあるが、屈辱や恥辱だけではない、恐怖の爪痕を脳髄に刻み込まれる魂の殺人がそこにはある。だが、だからこそ、その魔手から逃れる経路として浴槽をえらんだのは納得しがたく、しこりのように疑念が残る。
「何人か容疑者はいたものの、これといった決め手はなく、結局迷宮入りしている。二十年も前の事件だ。それでどうだ、刑事を顎で使う気分は?」
「悪くないですね」
「これは貸しだ。いつかきっちり払うときがくるぞ」
空恐ろしい忠告だ。支払いとは諸星の素性を調査させることを指すのだろう。そう思っていると、彼から質問を寄越した。
「彼奴は、その動画について、どんな推理をしていた」
近衛には調査するまでの顛末とその内容について話していたが、調査したあと、どのように依頼人に説明したかまでは伝えていなかった。
わたしは動画が解体清祓前に撮った、取り壊し前の旧家の記録だろうという見解を伝えた。話しながら、電話口の近衛が全く納得いっていないのが手に取るように分かった。直ぐに口を挟むであろう人物が、糾問すべき点を数えているかのようだ。
「それが彼奴の推理か?」
「はい」
「父親が宮司であると知ったあとでもか?」
近衛の声は、馴染みの店の料理が急にその味わいを失ったかのような落胆が見て取れた。おおむね、わたしも異論はなかった。彼の言うとおりだと思った。
「可怪しいですよね」
「可怪しいなんてもんじゃない。異常だ」
と、近衛は当惑をかくさない。
「神職が家に来た理由は、到底、解体清祓だとは思えない」
「同感です。取り壊しの祭祀が執り行われるのであれば、工事着工の前日や、その数日前である筈。それなのに家は片付けられている様子もなければ、食器すら放置されている。どう考えても取り壊しを目前に控えた家の様子じゃない」
「それにだ」と、近衛は気炎をはく。「父親の日下光良は近くの神社の神職だったんだろう。だとすれば解体清祓は、日下光良自身がするんじゃないのか?」
「ああ、なるほど」
それは当然の帰結だった。無論、医師が自分の家族の手術をせず、教師が我が子を受け持たず、刑事が自らの親族の捜査に関与しないようにする職業もある。けれどそれは親族故に冷静で公平に対応できないと判断されるからで、宮司が自らの家に祭祀を施すのは、その感情的な欠点に触れることはない。どちらかといえば、工務店の店主が自らの家のドアノブを直すのに等しい。むしろ自ら率先して行うのが常だろう。
「だとすればお嬢ちゃん。彼奴の推理は紛れもない空論だ。なんせ日下光良が自宅の解体清祓を自ら行うなら、その日、日下光良は自宅の解体清祓を行うはずがないからな」
まるで禅問答のようだ。
しかし彼の問答は一言一句、正しい。
「もしも日下光良が自ら解体清祓を行ったとするなら、絶対にあの日に祭祀を執り行うはずがない。何たってあの日、あの時間、自らが宮司を勤める貴土神社で祭祀を執り行わなければならなかった筈だ」
一月七日。
動画が撮影されたと思わしき時間帯。
貴土神社でうそ替えの祭祀が執り行われる直前である。たとえ、祭祀の間に家に戻ることがあったとしても、重要な祭祀が執り行われる日に、自分の家のささやかな祭祀をバッティングさせる必要はない。
つまるところ、あの日、解体清祓は執り行われておらず、あの動画は取り壊される前に撮影した記録動画であるという結論は吹き飛んでしまうのである。
「実はわたしも、ひとつだけ、引っかかっている点があるんです」
「ほう何だ、言ってみろ」
もうこの段になると、近衛の棘が気にならなくなった。或いは彼自身もわたしに対して気が置けなくなっているのかもしれない。
「多分ですが、あの家にはもうひとつビデオカメラがあります。そしておそらくそのビデオカメラの記憶媒体はDVDです」
わたしは側頭部を指先で小突きながら、記憶にある雑誌の特集ページを思い出していた。
「ちょうど二〇〇四年にソニーがDVDを記憶媒体にしたビデオカメラを発売しています。二階の書斎に書き込み用のDVD-Rが放置されていました」
「新しいビデオカメラねえ」
近衛は発言の意図を図りかねていた。「話の腰を折るようで悪いがな、DVDってのは、二〇〇四年じゃ結構普及していたんだよ。レンタルショプにはVHSがDVDにとって代わられつつあった。パソコンのソフトもフロッピーからDVDに代わっていたぜ? DVD-Rがあったからって、DVD記録のビデオカメラがあるってのは突拍子もない推論だ」
「デッキがなくても、ですか?」
「なんだって?」
「あの家、VHSデッキはありましたが、DVD再生用のデッキは見当たらなかった。ついでにPCもない。まあDVDを再生できるPS2を持っている可能性もありますが、子供部屋にゲーム機は見当たらなかった。それにも拘わらず、書き込み用のDVDがあり、レーベル面には日付が書いてあった。撮り終えたテープに名前を記す、まさにビデオカメラの使い方と一致します。そしてそのカメラの存在をおそらく家族は知っていたはずです。だとするとなぜ剛志少年はお母さんの形見であろう最新機種のビデオカメラを使わず、画質のわるい、十年以上前の古いビデオカメラで家を撮影したんでしょうか?」
「なるほど奇妙だな」
「でしょう?」
「あまりにも奇妙だ、お前たちが」
近衛から返ってきた台詞は想定したものではなかった。
彼は手元でカチン、と小気味好い金音を鳴らす。手慰みとしてジッポライターの蓋を開け閉めしているようだ。
「まず、彼奴のことだが、今の箇所を取りこぼすとは思えない」
「わたしも同意見です」
「だとすると、別の筋読みをした上で、依頼人を泳がせて、新たな情報を得ようと立ち回ったってのが妥当なところだろうぜ」
わたしは頷くにとどめた。
次はわたしの番だからである。
「そしてお嬢ちゃんも大方理解した上で、それでも尚、依頼が終わったあともタダ働きをしている。おそらくお嬢ちゃんがこれを調べることは彼奴にも言っていない。そうだろう?」
「はい」
「その上で俺を使うという暴挙に出た。率直にいえば、お嬢ちゃん。アンタは今、随分と感情的に動いている。そして俺が抱いている女への偏見のひとつとして、よこしまな感情で動いているときの女は、ヒステリックなときよりさらに質が悪い。違うか?」
「違いますよ。偏見です。女性蔑視です」
わたしはいう。「でもわたしはそうです」
「正直だな。美徳とは言えないが」
電話口で近衛がため息をつく。
「それで。何が動機だ」
「まるで取り調べですね」
「お望みなら半地下に招待してやる」
「遠慮します。それに取り立てて聞いてもらうような話じゃない。それにただの共感みたいなものなので」
「共感?」
「あの家、十中八九、死んでいます」
「死んでいる、とは?」