四
「警察はどう見ているんでしょうか?」
人垣から生じる音に耐えきれず、一度車内にもどった。張り込み用に用意したあんぱんはもう意味を為さず、諸星は早々に紙袋に手をいれていた。取り出したのは表面に胡麻がまぶされ、表面に焼き目がついているあんぱんである。
「自殺だろうねえ」
跨線橋の高さは、一度、ダイブしたから分かる。ホームから見上げれば、跨線橋の歩道部は二階建ての屋根ほどの高さがある。だが、落下したのは線路だ。ホームより落差があり、線路には鋼鉄と大きな砂利が敷かれている。頭から落ちたのなら、致死率は格段にあがる。
世をはかなんだ末の飛び降り。
表面的に見たのなら、誰しもそう思う。
「む。これ粒あんだ」
諸星は眉を顰めた。彼が口をつけたのは粒あんのほうだった。
「たしか胡麻がついているのが粒あんで、ケシの実がこしあん。あと白ごまのやつが白あんです」
「良く知っているねえ」
「お店によって違いはあるとは思いますが、上面の粒で区別できるんです。あんぱんの老舗、木村屋總本店が中身のあんを区別するために始めたのが最初だと聞いています」
「ほー」
諸星は「粒あんも悪くないね」と言いながらかぶりつく。彼の一口は随分と大きく、すぐに平らげてしまった。
「知らなきゃ分からないですよね」
「まったくもってそうだ」
諸星はコンビニの袋から調製豆乳を取り出すとストローでずずずと吸い込む。
「知らなきゃ分からない。彼が深夜、紅葉山駅で自殺の予行演習をしていたのはホームからの飛び込みであって跨線橋じゃなく、彼が決行しようとしていたXデーが明日なんてことは」
被害者が同一人物であるか、分からないけれど──と、諸星はいう。
「ダイブで確認しますか?」
駅を数分撮影したあと、わたしが動画にダイブすれば、誰からの妨害もなく、駅内の捜査現場を覗き見られる。そこで人定ができれば、死者が動画の人物か否かは分かるだろう。
だが、諸星は良い顔はしなかった。
「阿網チャンに死体を見せるのは好ましくないなあ。それに現場をみるかぎり、事件はすでに初動捜査を行った機捜から所轄に引き継がれている。おそらく死体は既に司法解剖のほうに廻されている筈だよ」
「詳しいですね」
「まあね」
何となく煙に巻かれた気がした。爪先でさっと線を引かれたようだ。これより先は立ち入るべからず。そう唱えた彼の眼差しは、すでに別の関心に移っており、真っ直ぐ、路地を行き来する一人の見物人をとらえていた。
そして彼はふわりと運転席をでた。あまりにも唐突だった。慌てて一緒に飛び出すと、今し方コインパーキングに入ってきた男性の前に立った。
相手は六十代ほどの男性で、サマーカーディガンを着た朴訥そうな人物だった。首から提げた双眼鏡は、野次馬の証のように映る。そんな彼のもとに、ぬるりと白いハットを被った大男が立ち塞がってきたのだから、男性は「あ」と言うなり、魂消たように立ち尽くしてしまった。
「どうしたんですか、所長」
と、駆けつけたわたしなど気にも止めず、諸星は男性に向かってにこりと笑って、
「そちらの双眼鏡、素敵ですね」
どんと響く低音を放つ。普段使わない声域の、やや低めのものだ。
「ピントリングがついて対物レンズは明るいところを想定していた三十ミリほど。側面にハンドグリップもついているから日中の野外を想定して、対象を長く注視する用途に長けている。たとえばそう、市街地の電柱に営巣する鳥などを覗くのにぴったりだ」
「アンタ、何の──」
──用だ? という老人の台詞は、さらなる言葉に巻き取られる。
「最近、福岡の繁華街で烏を見かけることが少なくなりましてね。何故だろうと疑問に思っていたんですよ。昔は朝の中洲や春吉を歩くと、カアカアと烏が生ゴミを突いていた。だが、最近は見かけない。よくよくみると、どうも別の鳥と縄張り争いをしている。その鳥、何だかお分かりですか?」
「そんなもの、知らん!」
男は無下に突っぱねる。
だが、その返答は失敗だ。わたしは心の中で十字を切る。
諸星を撥ねつけたいのなら、彼の不審さを努めて糾弾すべきなのだ。彼の質問を撥ね除けようとするのは、半ば会話の土俵にあがっているに等しい。それでは駄目だ。土俵でがっぷり四つを組むなら、彼のほうが何枚も上手なのだ。
そのうえ彼の得意技は、卑怯卑劣な猫騙しである。
「ヒントは、貴方の車に隠されています」
両手で打つのではなく、言葉で眩ませる。男は目を瞬かせた。
だが、わたしは見逃さなかった。彼の困惑や不安の暗闇に、キラリと興味の流星が飛んだのを。
「乗用車、佐賀ナンバーですね。佐賀といえば県鳥は鵲。この鵲は一説によると、豊臣秀吉が朝鮮の役で名護屋城下に連れ帰ったことから繁殖したとされる鳥で、天然記念物に指定されている。今では温暖化の影響で、九州北部でも広く見られる鵲ですが烏と生息域が近く、電柱の変圧器や碍子の上に営巣することもあり、市街地でもよく視ることができる。カチカチと嘴を叩く仕草からこの辺りでは鵲を、カチガラス、と呼んでいます。無論、貴方ならご存じでしょうね」
諸星は握手を求めて手を伸ばした。
「お目にかかれて光栄です。Katigarasuさん」
あ、という驚きの咆吼は、わたしと男性から同時に発せられた。
Katigarasuと呼ばれた男性は、目の前の不審な二人組を見比べたあと、至極当然の疑問を口にした。
「あ、アンタ等、一体何もんだ?」
「これは申し遅れました。私はYouTubeで『オカルト・ファクトチェッカー』というアカウントを運営している諸星大輔というものです」
懐からシルバーの名刺ケースを取り出すと、名刺を抜き出す。
漉いた和紙で作られた名刺は全面墨色で、オカルトチックな白い手形と白文字で『オカルト・ファクトチェッカー 所長 諸星大輔』と書かれている。最近、新調した名刺は、実のところ、わたしの分も製作されていた。
肩書きは『秘密兵器』である。
「オカルト・ファクトチェッカー?」
「端的に言えば、心霊映像の真偽を精査するチャンネルでして」
「オカルト探偵みたいなもんか」
「その認識で宜しいかと」
「で、その探偵さんが何の用で?」
「無論、先程の推理の回答と、もし正答なら、四日前にあげた例の動画の撮影時のお話など、聞かせていただけると幸いです」
還暦を過ぎているだろう男性の混乱は察して余りある。車に乗ろうとしたら、急に胡乱な二人組がやってきて、出会い頭にネットのアカウントネームを呼びつけて、投稿した動画について教えろ、と言うのだ。
わたしなら一度通報を考える。けれど男性は年の功というべきものか、次第に落ち着きを取り戻すと、腕を組んだ。
「村部だ」
と、いう。
「村部武人。この先、線路沿いを西に少しばかり行ったところにある戸建に住んでいる。そしてアンタがいうようにバードウォッチングが趣味で好きな鳥は鵲──つまりはカチガラスだ。その名前でときどき、撮影した動画をサイトにアップロードしている」
「Excellent」
諸星は指を鳴らす。彼の見立ては欠けるところなく正しかった。
「本日は何を」
「警察じみた問答だな」
村部は嘆息をついた。「今日はデイサービスの打ち合わせで福岡市の施設に行って、ようやく帰ってきたところだ。そうするとあの廃駅に人集りだろう。同乗者にはちと待って貰って、少々、見に行った次第だ」
彼の乗用車の後部座席にひとり、女性が寂然と座っていた。決して寒くない梅雨の時期に、赤い毛糸の帽子を目深に被って、後部座席の窓から不審そうにこちらを覗いていた。
彼女と目があった。慌てて会釈すると、こちらが害意のない相手だろうと察してか、やさしく微笑んで、ぺこりと頭をさげた。
「昔から頑固な性格でね」
そんな彼女に視線を送る村部の微笑みも屈託のない慈愛がある。
「今日も付いてこなくて良いといったんだ。だが『お世話になるところだから』って聞かなくてね。病身だから安静にしろと怒鳴ったら『残り少ない親子の時間を奪うのか?』と、逆に腹を立ててね」
全く困っているんだと、はにかんだ顔が眩かった。
彼はそのあと、動画の撮影時についても教えてくれた。
「俺の勤め先が福岡市のほうにあるんだが、そこから帰る途中だった。ふと駅を懐かしんで車を停めたんだ」
「懐かしむ?」
「元々、俺はこの辺りの保線業務に携わっていた。保線業務ってのはつまり列車の運行上、線路が正常にあるかどうかを確認する業務だな。すぐに管理部にあがっちまったが、若い頃、普段人が入れない線路の上を歩くのは、さながら広い道路の真ん中を、大手を振って歩くような開放感があった。
そうすると、なんだか、全ての景観は、線路上から見渡される為に作られたんじゃないかと思うほど綺麗で、車窓ってのは、この絶景を小窓で覗き見るために開けられていると思ったほどだ。こいつは歩いたことのない人間には分かりっこない感覚だがね。お前さんも線路を歩く機会があればやるといい。そんな中でも、特に、家から近いこの福肥線の景色には愛着があってね。それがもうすぐ失われると思うと、ちっとばかし感傷が込みあげてきたんだよ。だからこそ、まあ、許せなかったんだろうな」
「許せない?」
「あの不審者のことだ。ぼうっと車から眺めていると、奴をみつけた。廃駅とはいえ神聖な駅構内にずけずけと這入りこんでやがる。俺はちょうど鳥や猫なんかを撮るためのカメラを常に携帯していたから、警察に通報してやろうと、そう思って撮影したわけだ」
「ですが、動画は」
「結局、警察には通報せず、俺のアカウントにあげた。動画を持ち込んだところで警察が不審者を特定するのは難しい。だったらせめて、ネットに晒しあげれば抑止になるだろうと思ったんだよ」
「だが結局、自殺者の幽霊と受け取られた」
と、諸星がいう。「知りたいのですが、動画内では線路から飛び降りた所しか映っていませんでしたが、彼はあのあと何処に?」
「さてな。べったりと線路にへばりついていたようだった。こっちは何だか気味が悪くなって、その場からおさらばしたよ。……用件はもう済んだか?」
彼はちらちらと同乗者を見やる。
確かに彼女をずっと車内に閉じ込めておくのは酷だろう。
わたしたちは礼をのべると、自分たちの車のほうに戻ろうとした。
「あ、ちょっと」
すると村部が呼び止めた。
「さっきアンタが言っていた自殺者っていうのだが」
「ええ」
「そんなのは居ない」
「え?」
と、わたしと諸星の声が重なる。
「俺が言うんだから間違いない。あの駅で自殺者が出たことはない。たしかに十年程前、四十代のサラリーマンが飛び降りたことがあったが、未遂だった。それに男ではなく女だ。だからあれは幽霊でも、まして幽霊に取り憑かれて死んだ訳でもない。ただ、人生の終わりにあの駅を選んだだけだ」
実に傍迷惑な奴だ、そう村部は言い捨てて、車に戻っていった。
五
「正直なところ、今回の事件は、細かな違和感が多いですよね」
わたしたちは車を発進させ、佐賀県側に向っていた。
何も調査という訳じゃない。この事件が棘のような引っ掛かりを持ちながらも、自殺者の気まぐれ、という一言で片付きそうな事柄だった為に、どうも真っ直ぐ事件にアクセルを踏み込むべきか、否か、分からず仕舞になっていた。
そのため、一度、博多の事務所に戻ることにしたのだが、折角、糸島くんだりまで来たのなら、そのまま呼子までいって、烏賊シュウマイでも買うか、という流れになったのである。
「まず死体の発見現場だねえ」
ステアリングを切りながら、諸星が同意する。「彼は動画内でホームから線路に飛び込んでいた。だけれど、死体は跨線橋の下にあった」
パーキングから道路に出て、車は真っ直ぐ駅のほうに向かう。線路に沿って左右にのびる大通りは、以前駅があった面影を残している。諸星は右折のウインカーを出したが、未だ集まる人の群れと、地元のテレビ局と思わしき一群によって、歩道は人であふれて道路にまろび出る勢いで、彼は一旦左折して、迂回路をとった。
「二つ目として、彼のXデーは明日でした」
「このXデーだけど、まだ議論の余地はあるよね」
「といいますと?」
車は更に右折して、遮断機の名残をとどめた鉄柱と、完全に舗装されてしまった線路を通過して、さらに右折。紅葉山駅の北口側の細い道に進んでいく。
ちょうど村部が撮影していた道だった。
「Xデーというと、何やら作戦の決行のようなニュアンスを覚えるけれど、それが必ずしも彼のXデーではないかもしれない?」
「彼のではない?」
「例えば借金があって、その支払期限が明日だった。或いはノストラダムスの大予言のように世界滅亡のタイムリミットを教えられて、その日の前に慌てて命を絶ったとか」
実に突飛な考えだ。ただ言いたいことは分かる。必ずしもXデーが彼の設定した日付じゃなく、彼にとって差し迫った期限──ラスト・リミットだった可能性もあるのだ。
「結局のところ、僕らには余りにも情報が足りない」
そう言ったところで、車が急にスピードを落とした。
みれば、道の先で警察官が大きく両手で×印を作っている。
「しまった。一方通行か」
車を停止すると、警察官が駆け寄り、窓を開けるようにうながす。
「こんにちは、おにいさん。ここね、イッツウなんだわ。まず免許証をみせて」
警察官が疑わしそうに視線をこちらに向ける。三十を過ぎた男と、明らかに大学生風の女子。無用な勘ぐりは当然だろう。本来は家に縮こまっているだけの人間だから、警察に認知されるだけで滝のような冷や汗がでる。それが不審さに拍車をかけないだろうかと危惧していると、道の向こうから怒声が轟いた。
「おい! 誰かと思えばお前か。見ないあいだに随分と運転マナーが悪くなったな」