第一章 死者は二度死ぬ
一
とても不謹慎ながら、彼等はその場を楽しんでいた。
そして不謹慎であればあるほど、彼等の収入になった。多様化するメディアのなかで、容易に耳目を引く方法は、人のどこかに眠っている後ろめたい欲求を叶えることにあるのだと十分に理解していた。
そして今夜も、視聴者の仄暗い欲望に応えるべく、三人の男たちは朽ちたホテルにカメラを入れていた。
「いま、音せんかった?」
というのは犬塚賢治である。
驚きの表情を浮かべるが、その手は恐怖に強張ることなくポマードで固めた頭髪の乱れを直している。
「したよな、音」
「え、マジ!?」
隣にいた小柄な男性も恐ろしげな顔をする。だが、内心、まったく信じていないのがあからさまで、どこか猿芝居気味だった。
名前は申本透。もともとは彼ひとりで撮影、配信していたアウトドアチャンネルだったが、大学生が淡々とアウトドア用品を紹介する凡庸な動画に興味をもつ人などおらず、なかば自棄になって、キャンプ地の近くにある廃墟を巡ったことで、人目につくようになった。
それをサークルの先輩であった犬塚が面白がり、半ば強引に参加、過激化するにつれて人気が急上昇。ふたりが看板をかかげるオカルト・チャンネル『めちゃこわビビり』は、十万人の登録者をあつめる中堅アカウントになっていた。
「カメラ止めて、確認しますか?」
と、カメラマンがきく。
この三人のなかで、もっとも童顔な男が雉丘光一。映像関係の短大を卒業し、自主短篇映画をいくつか残している。映画監督を夢見る彼は、バイト先で犬塚と知り合って、『めちゃこわビビり』に参画することになった。
彼等が今夜向かった先は、森鳴ホテル。福岡市内の小高い山の頂上にあり、森に囲まれた緑豊かな外資系ホテルとして喧伝されていたが、平成初期のバブル崩壊によって経営が悪化、その後、サブプライムローン問題の余波によって経営破綻。蜘蛛の子を散らすように権利者が逃げたことにより、ホテルはただ雨止みを待つひとに軒を貸す、大きな廃墟と成り果てた。
しかしながら、森鳴ホテルが転落の一途を辿る原因は、なにも金融危機だけではない。
このホテルには、ひとつ、曰くがある。
彼等の目的地は、細くのびた廊下の先にあった。
廊下は、天井が崩れて、壁紙はささくれのように剥がれている。窓を塞ぐベニヤ板も無個性なスプレーアートで汚されて、また所々で徒に砕かれ、そこから樹木が侵入し、立ちのぼる炎のように、梢をのばしていた。
「犬塚さんが聞いたの、これじゃないですか」
砕かれたベニヤ板の隙間にカメラを向けながら、雉丘がいう。
木々のあいだから、ひゅうひゅうと喘鳴のような音がしていた。
「いや、もっと金属ぽかった」
「金属っぽい……」
申本はほくそ笑む。「それってもしや」
すると、何を思ったか、犬塚は大きな声をはりあげた。
「光輝くーん。あそびましょー」
「やっば」
「犬塚さん、エグすぎでしょ」
犬塚をたしなめることもなく、二人はケラケラとわらう。
増長するように、また犬塚が吼える。
「お兄さんとかけっこしよう。それとも玉入れかな」
「犬塚さん、エグすぎですって。光輝くん怒りますって」
「不謹慎やなー。マジで不謹慎」
申本は狒々とわらう。「光輝くん、このホテルで死んだってのに」
「莫迦、幽霊は挑発してナンボやろ。──光輝くーん。お兄さん達と運動会しよ。一等賞になったら、この小さいおじさんに取り憑いてええよ」
「いや、自分はお兄さんで、おれはおじさんかよ」
「てか、夜に運動会って、妖怪っすか」
「雉ちゃん、よお知ってるやん。幽霊も妖怪の親戚みたいなもんやしな。それに俺の家の近くの学校、夜に運動会しとってん。なあ、サル」
「まじで、そのサルって呼び名やめてくださいよ」
「お前はいつも細かいねん。ほら、あそこ、あのブランコやろ」
申本の文句など意に介さず、犬塚が通路のさきを指さした。
そこは店舗が軒を連ねる広いフロアだった。格子窓の和食店や、スパゲッティの食品サンプルが飾られた洋食店。他にも当時の賑わいをうかがわせる店舗が、在りし日の面影として、いまも侘しくその形を残している。
犬塚が指さしたのは、そのレストランフロアの隅にあった、一基のブランコだった。
対面して乗る籠型のブランコで、退屈した子どもを宥めるべく、ホテル側が設置したのだろう。錆びたチェーンにぶら下がっている籠には、不届き者が散らかした空き缶や御菓子のゴミなどが積み重なっていた。
「行儀のわるい奴もおるもんやな」
不法侵入した自分を棚上げして、犬塚がいう。
「ここで死んだんやろ。池田光輝くん」
「ここだけど、これじゃない」
勿体ぶりながら、申本がいう。「もともと、ここには雲梯や滑り台がついたアスレチックがあったらしい。でもって、宿泊客だった光輝くんもそれで遊んでいたんだけど、親が目を離した隙にアスレチックの柵に首が挟まって、そのまま意識をうしなって重体。病院に運び込まれて、そのあと死んだらしい」
「ほな、これちゃうやん」
犬塚がブランコの籠を蹴る。
ぎいっ、ぎいっと錆びついた鎖が鳴る。
「問題はそのあとでさ。問題の遊具を取り払って、かわりにブランコを置いたら、どこからともなく、ぎい、ぎいって、ブランコがうごく音がする。そして、その霊障は廃墟になった今もつづいているとか」
カメラマンの雉丘が、ブランコの隅にピントを合わせる。整然とならんでいるそれは、子ども用のビスケットやジュースだった。梱包や缶のデザインは新しく、最近置かれたものだろう。煙草やコンドームもある。遺族の供物というより、不法侵入者の嘲笑の産物だった。
「なんか……、変な気配しない?」
と、申本がいう。犬塚は注目を引こうとする彼に少しだけムッとしたが、すぐに被せるように頷いてみせた。
「オレもそんな気するわ、なんか、視られてるような」
「光輝くん、っすかね」
雉丘が供物からカメラをあげて、ふたりを画角にとらえる。
するとずいっと犬塚が前に出て、視聴者に呼びかけるように言った。
「やったら光輝くん、今日出てきとんとちゃう? 捜そうや!」
もとより廃墟探索で注目を得たチャンネルだけあって、彼等は幽霊譚にかこつけて、廃墟を廻るのがお決まりのルーティーンだった。
だからこそ、三人はその場を離れて──。
わたしだけが、その場に残った。
明かりがうせて、闇黒に沈んだブランコ。その前で亡霊のように佇む。傍からみれば、わたしこそが森鳴ホテルの亡霊だろう。
だらりと手を伸ばして、それからひとつずつ、指折り数えていく。
──十、九。
親指から小指に順序よく折っていく。
そのとき、どこからか、かそけき気配が近づいてくる。あの三人が感じていたものは決して嘘ではなかったのだ。
三、二、そして一──。
きいっ。
ブランコが鳴った。
鉄板を引っ掻くような異音だった。
奥で無法者達が恐怖に叫び、こちらに駆けこんでくる。
そして、もう一度、きいっと鳴る。わたしはくらやみのなかで、その正体を、この目で確かめようと──。
──阿網さん、阿網華さん。
その声を聞いた途端、ひいっと悲鳴をあげて、立ち上がった。
目の前は、さっきまでのくらやみから一転、燦々と日差しが照らす大学の大教室。波紋のように並ぶ階段型教室の片隅で、わたしは跳ね起きていた。
まわりの人影がまばらで、講義はすでに終わっていた。
『──やばない? したよな、音! サル、今、ブランコで音したよな!』
端子がすっぽ抜けたスマホから、先程まで視聴していたYouTube動画の音声がもれている。わたしは慌てて、スマホの再生機能をとめた。
「阿網さん、もう講義おわったよ」
声のほうを見やれば、ひとりの女子生徒が心配そうに見ていた。
同じ講義に出ていた学生だろう。彼女のうしろには、遠く離れて友人たちが暇そうに待っており、ヘッドホンを被ったままのわたしに胡乱な視線を投げかけている。唇がうごく。微かな吐息のような声が聞こえる。
──あれって、いつもヘッドホンを被っている挙動不審の変人?
──そう、法律学科の阿網華。病気らしいよ、耳の。
──へえ。本当なのかな。詐病じゃない?
「もしかして、気分がわるい?」
わたしは目の前の学生に意識をもどすと、ヘッドホンをかぶり直した。そしてすぐに荷物を持ち出すと、礼をいって、その場から駆け出す。
顔が火照っている。
待っていた二人の横を通り過ぎるときは更に熱くなった。マッチの燐が一気に燃えあがる様に似ている。教室からでるとヘッドホンからのびた端子をスマホに繋ぎ直して、救急に架電するかのように、必死に画面から音楽のプレイリストを呼び出すと、『精神安定剤』と登録した音楽を流した。
さあああ──。
と、ホワイトノイズが流れる。
わたしはそれに耳を澄ませながら歩いた。音の砂塵が尖った感情を摩耗させてくれるまで、歩いて、歩いて、歩いて、ようやくまわりの騒がしさが昼食時の賑やかさだと気づけるまで歩いて──、人心地つくと、くるりと踵をかえして、いつもの静かな建物にむかった。
南武学院大学は東西にひろくのびたキャンパスで、南北に断崖のように学舎が建っている。わたしが向かうのは東の端、道路をまたいで併設された法科大学院のキャンパス内にある、古めかしい赤煉瓦の建物だった。
周囲は花壇で囲まれ、聖書に登場した物珍しい西洋の植物が植えられている。異国館のような印象をとどめているその建物は、大学の前身であったキリスト教系私立高校の古い学舎だという。今は当時の歴史と、キリスト教の関連資料を収めた資料館となっており、中に入れば、黒い防腐剤で塗り込まれた木造の室内が、当時の面影をのぞかせる。
学生は出入りが自由で、いつものように資料館の東側にある階段をのぼる。二階と、それから吹き抜けの回廊となっている三階は、基督者の学び舎だけあって、チャペルとなっていた。
「……ふう」
一息つくと、二階の黒い会衆席に腰を下ろす。
無論、ほかに人はいない。
波状にひろがる長椅子と奥の壇上にそびえるパイプオルガン。そして沈思と祈りに沈むための、水を打ったような静寂。
わたしは『精神安定剤』をオフにして、厚いヘッドホンを外した。蒸れた耳に爽やかな空気があたり、頭のしめつけが解かれる。静音性とノイズ除去性能を過剰なほど搭載したそれを椅子のうえに置くと、自らの性能を誇るように、ゴトリと重々しい音を立てた。
すると、あれほど静かにだった世界は、ふたたび騒がしいものになる。
──はぁ、どうした──くしゅん、ああー──ぎいい、つつつつ──ここにかなぁ──こうして隠れ切支丹は鏡の裏に──ほおぁ、ああ、はい、パンフレットは──ぎぃぎぃ、ごと──ぶーん、ぶーん、じじじ──あの二階って──
静寂としか言いようのない世界で、小さな環境音がとどく。そればかりか、細かな痛みとなって鼓膜に刺さる。
(たしかに詐病かもな)
大教室で囁かれた揶揄を思い出した。
この耳に病名はない。ただ聴力が優れているだけだ。
しかし、過剰なまでに秀でた聴力は、生活を極めて困難にした。こうして人気のない場所で昼食を摂らざるを得ないのも、重いヘッドホンを常に装着して過ごさねばならないのも、この貪欲な聴力のせいだ。
過ぎたるは及ばざるが如し。中学二年の春先から突如として発現した異常は、わたしから多くのものを奪った。そして唯一残ったのは、あまりにくだらない、ちょっとした特技だけで──。
「あっ」
いつものようにグチグチと考えていると、昼食がないことに気づいた。大教室に忘れたのだ。いつもならリュックにいれるものを市販の巻き寿司を買ったからと、別途、雑誌の付録で付いてきた安物の保冷バッグに詰め替えていたのが徒となった。
「どうしよう」
空きっ腹をなでる。
身体は食べ物を欲している。
その一方で、音の濁流に再び漕ぎ出していくとおもうと憂鬱だった。
わたしにとって外の世界は猛毒で、ヘッドホンはガスマスクだ。空腹は募るが、引き返す気力はない。人の居ない夕方に取りに戻ろう。はあと、溜息。ごろりと椅子に寝転がり、スマホをとりだしたとき、鋭敏すぎる聴覚が不穏な足音を拾った。それは迷いなく、チャペルに向かっていた。
わたしは慌ててヘッドホンをかけて、ノイズ除去モードに切り替える。
このチャペルは穴場ではあるが、決して安息地ではない。ときに建物の物珍しさに、SNSに画像をアップロードしようと訪れる輩もいる。今回もそうなのだろう。わたしは闖入者と鉢合わせしないように、早々と立ち去ろうとした。
おたがいが会釈もしない、見ず知らずの、胡乱な他人。
そう振る舞ったにも拘わらず、チャペルの扉をあけて入ってきた学生は、まっすぐわたしのほうにむかってきた。
「阿網さん」
声に聞き覚えがあった。視線をあげると、はたして先程教室で声をかけてきた女学生だった。その手には、わたしが置き忘れていた銀色の保冷バッグがぶら下がっていた。
「これ阿網さんのだよね?」
小首をかしげて微笑みかける。眩いほど愛嬌のある仕草だ。不躾ながらこの時になって、ようやく彼女の顔を認識した。丸っこい顔に、人懐っこい目元、髪はわずかに染色して栗毛色よりやや明るく、根暗なわたしとは、まさに対極と言っていい。
「あり、がとう」
かっと頬が火照る。自分の未熟さを指弾されたような恥ずかしさが絶えず波のように打ち寄せてくる。
それからしばらく、妙な沈黙がうまれた。わたしは彼女がすぐ立ち去るものだと思い込んでいたが、どうも一緒に座って歓談をするつもりでいるらしい。それくらいは社会性の欠片もないわたしにも判ぜられた。
「すわ、りますか?」
「うん!」
それから彼女は、手巻き寿司を恵方巻きのように頬張って食べているわたしの姿を、ずっと眺めていた。
(……どんな拷問?)
落ち着かない中、全て食べきると、ふっと横からペットボトルのお茶が出された。横目にうかがうと、満面の笑みで差しだしている。新手のイジメだろうか。それにしてはペットボトルはほのかに温かく、そして未開封である。
「あ、あの?」
「桂木由佳。よろしく」
「か、桂木さん、なにか、用?」
「用? 用事はないよ。ただ話したいな、って思っただけ」
恐ろしいものだ。この世には赤の他人と雑談したがる人間がいるのだ。実に驚愕に値する。日本は彼女を天然記念物に指定しないのだろうか?
「阿網さん。さっきさ、『めちゃこわビビり』見てたでしょ。あれ、サークルの先輩達なんだよね。それに講義中に見てたアーカイブ、一週間前にアップロードされたやつでしょ。わたし、あの動画好きで、友達にもお勧めしてるんだけど、『ホラー無理』とかいって、全然見てくれなくて」
「あ、そうなんだ」
わたしは話をあわせる。「彼等のファンなの?」
「ううん。全然。寧ろ不愉快」
「おうふ」
「でもさ、怖くなかった? 子どもの幽霊。ほんとう居るんだね」
「え」
「ああ、そうか。観たのは途中までだよね。あのあと三人で現場検証するんだ。でもさ、無理って判るんだよね」
「へええ」
何も知らないように話をあわせる。その実、あの動画は昨日、視聴を終えていた。あのあと三人は、検証と称して周囲を歩き回った。そこでわかったのは、あの場に外から風が吹き込む場所はなく、吹いたとしても重量のある籠型のブランコを軋ませるほどの強い突風なら、かならず録音機材が拾っているだろうということだった。
つまり廃ホテルのブランコは、ひとりでに異音が生じていたのである。
「やっぱりさ、あれって幽霊だよね」
由佳は無邪気にいう。わたしも、そうだね、と相槌打つ。──そうすればよいものを、余計な一言をもらしてしまった。
「違うかな」
「え」
「あ、その……、ほら、わたし、幽霊信じてないから」
「…………ふうん」