「そちらの方は、お姉さまのお目付役ですか?」
シャミは、急に声をかけられて驚いた顔をしたが、すぐに畏まって答える。
「とんでもございません、女王陛下。私は紅波さまにお仕えする従者です」
「なら、少し席を外してください。ここは王族のみが入ることを許された部屋。お姉さまの従者のあなたには、特別に入室を許したけれど、ここまでです」
シャミはちらりと紅波を見る。だが、紅波が反応するより先に、白漣がふわりと微笑みながら続ける。
「冷たい言い方に聞こえましたか。お姉さまと久しぶりに、二人だけでゆっくりと話がしたい、と言っているのです」
「シャミ、外で待っていろ」
紅波にも命じられ、シャミは不満そうな表情のまま一礼して退出する。白漣の連れていた従者と衛士もそれに続く。扉の閉まる音が響き、王の間には、紅波と白漣の二人だけになった。
「今の従者の方、女性なのにとてもお強いですよね」
「……わかるのか。あの女は、オルハン軍の中でも精鋭の一人だ」
「やはり、そうでしたか。立ち振る舞いを見ているだけで、伝わりました」
白漣は予想が的中したとばかりに嬉しそうな声で続ける。
「戦うために作り上げられたしなやかな体つき、帯剣の重さをまるで感じさせない動きは剣と体が一つになっている証です。会話をしているあいだも、あの方はいつでも戦えるように、油断なく周囲を警戒していました。剣姫と呼ばれたお姉さまよりも、ずっとお強いでしょう」
「……確かに、あいつは私より強い。何度も手合わせをしたが一度も勝ったことはない」
「お姉さまの才はその程度のもの。紫洋姉さまや桃汐姉さまとは、やはり違うのです」
「やけに、嫌な言い方をするな」
白漣を睨むが、女王はまったく動じない。
「先ほど、なぜ紅波姉さまだけを先に呼んだのか聞かれましたね。それは、紅波姉さまが、一番かわいそうだからです。だから、最初にお話をしたかったのです」
「私が、かわいそうだと」
「ええ、とても」
紅波は、気がつくと拳を握り込んでいた。
幼い頃、白漣のことは、守らなければいけない存在だと思っていた。国を離れる時、病気がちの母よりも、白漣のことを案じたほどだ。三人の姉がいなくなり、誰があの子を守ってやれるのかと。
その妹に──かわいそうだと言われた。
受け入れられるはずが、なかった。
「二年会わないうちに、ずいぶんと煽るようになったじゃないか。さっきの剣の才のことといい、狙いはなんだ。私を怒らせたいのか」
「狙いだなんて。私はただ、思ったままを口にしただけです。ああ、そういえば」
白漣は、胸の前で両手の指を合わせながら、思い出したように続ける。
「紫洋姉さまと桃汐姉さまが、今日は来られないと聞いて安心されましたか?」
「なにを言っている。そんなわけがあるか」
「だって、あのお二人は、お姉さまよりもずっと幸せになっているのですから。この二年間を、比べられたくないでしょう」
否定しようとした言葉が喉に引っかかる。それは紛れもなく、はっきりと意識していなかっただけで、紅波の心の中にあった思いだった。雲間から差した月の光がぼんやりとしていた影を照らし出すように、心が浮き彫りにされた気がした。
紫洋が嫁いだのは、美しい容姿と優れた武勇で知られる袁璃帝国の皇太子だった。
桃汐が嫁いだのは、パシルレーンの皇帝その人だった。
紅波の夫のオルハンは、波多留との国境警備を任されている将軍に過ぎない。二人の姉と比べると、あまりにも格差のある結婚相手だった。
さらにオルハンは、紅波の思い描いた男とは遠く離れており、結婚してからの二年は屈辱の日々だった。二人の姉と会えば、違いをまざまざと見せつけられるだろう。
白漣は、紅波が黙っているあいだに笑顔で続ける。
「けれど、それは今に始まったことではないでしょう? 紅波姉さまはずっと、お姉さまたちに嫉妬していた。お二人は幼い頃から、美麗さと可憐さで周りから褒めたたえられてきた。比べられたくなくて、紅波姉さまは剣を手に取ったのですよね。剣姫などと呼ばれて、誇りを保っていたのです」
「剣は私の気性にあっていただけだ。くだらない妄言で私の剣を汚すな」
「けれど、その剣技も、ウルグの女戦士の足元にも及ばなかった」
「……もうやめろ、白漣。久しぶりに会ったんだ、喧嘩はしたくない」
「いいえ、やめません。ちゃんと、お姉さまにはご自身のことをわかってほしいのです。私のことが不気味だったのではないですか? それは、心のどこかで見下していたはずの妹が女王になり、私にすら優越感を覚えられなくなったからですよね? わかっていただけましたか? なぜ私が、かわいそうだと言ったのか。私たち四姉妹の中で、紅波姉さまだけが、この二年の間に、なにも手にしていないからです」
「もういいっ!」
思わず声を荒らげる。白漣に向けて、怒声を向けたのは初めてのことだった。
「お前、本当に白漣か?」
「妹の顔をお忘れですか?」
「いったい、なにがあった」
「私の中身はなにも変わりません。ただ、覚悟を決めただけです。この国を、亡きお父さまに代わって守ると」
白漣の表情は変わらない。けれど、強く押せばよろけて倒れそうな華奢な体から、怪物のような得体の知れなさを感じる。
紅波は細く息を吐いて、心を落ち着ける。
ここで苛立ち、冷静さを欠くようであれば、白漣の狙い通りだろう。
「さっき、お前が長々と話したことは、すべて妄言だ。私はお姉さまたちを妬んでなどいないし、お前を見下していたことなどない」
「そうですか、それは失礼しました。妄言であったなら笑い飛ばしてください。真実はお姉さまの心の内にしかないのですから。ただ、これから私がする同盟の話を聞いていただく前に、お姉さまの立っている場所を、もう一度、ちゃんと見つめ直してほしいと思ったのです。そうでなければ、正しい判断ができないでしょうから」
「……同盟、だと」
「この国を守るために、私と手を組んでいただきたいのです。この話がしたくて、紅波姉さまにだけ、先に来ていただいたのですよ。波多留国がどれほど危うい状況かは、外からこの国を見たお姉さまならよくわかっているでしょう」
紅波は、ちらりと父の遺灰が入る予定の壺を見てから答える。
「……あぁ、それは、わかっている」
「私は、この国を守るために成さなければならないことがある。そのためには、紅波姉さまの協力が必要です。お姉さまたちの力を借りて、波多留を囲む三帝国の政に介入し、この国に侵攻できないようにしたいのです」
「なにを言い出すかと思えば。さっき、お前が言った通りだ。私が嫁いだのは、辺境でくすぶっている将軍にすぎない男だ。そんな辺境の城の中ですら、私にはなんの力もない」
「そんなことは、ありませんよ。それに、もっとも動いていただきたいのは、紫洋姉さまです。紫洋姉さまは、すでに袁璃帝国の中枢で人望を集め、非常に大きな権力を持たれている」
長女の紫洋は、幼い頃から完璧だった。妹でも見惚れるほどに美しく、才智にあふれ、人をすべて意のままに従わせる術を当たり前のように心得ていた。紅波がどれほど努力してもできないことをあっさりと成し遂げてきた。
「けれど、紫洋姉さまは、紅波姉さま以上に、私のことを守ろうとされていた。私が同盟をお願いしたとしても受け入れてくださらない。だから、紅波姉さまに、紫洋姉さまを説得するのに力を貸してほしいのです。これは、紅波姉さまにとっても利のある話です」
「私に、どんな利があるというんだ」
「紅波姉さまを、今の境遇から解放して差し上げます」
白漣の濁った灰色の瞳が、真っすぐに見つめてくる。
「紅波姉さまがお父さまに送った手紙は、すべて読みました。もちろんわかっています。あの手紙は、ウルグから国外に出るさいに検閲を受けている。お姉さまの身の上に起きたことが正しく書かれているわけではない。なので、言葉遣いや筆跡の端々から、お姉さまがどのようにお過ごしになられていたかを想像しました」
紅波は、月に一度、父親に向けて手紙を送っていた。
日々の暮らしのこと、夫となったオルハンとの生活のこと。取り留めもない内容ばかりだが、毎月の手紙を欠かしたことはない。それが、国を出るさいに、父と交わした約束だからだ。
けれど──真実を書いたことは、ほとんどなかった。
白漣は、すべてを見通したような不気味な瞳を向ける。
「オルハンさまに、ずいぶんと酷い目にあわされているようですね。お城に軟禁されているのでしょう。城の兵士たちからもずいぶん嫌われている」
紅波は思わず目を見開く。それは、ウルグで紅波が置かれている状況そのものだった。
「……お前は、私の国に密偵でも潜り込ませているのか」
「まさか。波多留にそんな力はないですよ。先ほど申した通り、ただの想像です。ただ、当たるのですよ、私の想像は」
その時、紅波は気づく。白漣の灰色の瞳の奥には、夜空を覆う群雲の向こうに星々が透けて見えるかのように、無数の光が輝いていた。
「オルハンさまは独占欲と猜疑心が強いお方。さらに、紅波姉さまを深く愛している。自信がないからこそ、お姉さまを軟禁しているのです。お姉さまが自由になるには、オルハンさまに変わっていただくしかない。私に協力していただければ、お姉さまは自由になれる。誇りを取り戻すことができる。お姉さまを、かわいそうではなくして差し上げられます」
「……なにを、たくらんでいる」
「やっと、聞いてくださるお顔になられましたね。それでは、計画をお話ししましょう」
白漣はうっとりとした表情で笑うと、恐ろしい計略を口にした。
その話を聞きながら、紅波は思った。
初めて白漣と出会った時に感じた苛立ち──あれは、正しかったのかもしれない。あの日、自らの本能が、この妹を拒絶していたのだ。
紅波は、震えを止めるように拳を握りしめた。
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