1.修一
「無人島に三つ持っていくとしたら、なにを持っていく?」
これはおそらく、ほとんどの人がされたことのある、またはしたことのある他愛ない質問ではないだろうか。
ある者は「レイ・ブラッドベリの小説と、ジャズのレコードと、ロッキングチェア」と答えることで大人の教養と余裕を見せ、またある者は「食料と、水と、薬」と現実味のあることを言う。良質のウイスキーだったり、愛犬だったり、高級葉巻だったり、答えには個性も出るだろう。そしてそれらのアイテムを選んだ理由を聞くのも面白い。
そう。
つまりあの質問は、回答者の人となりや性格、傾向、嗜好などを如実に露呈させるのだ。
だけど考えに考えて、三つの回答をひねり出したところで、どうということはない。なぜならそのアイテムを持って無人島に行くことなど現実にはありえないからだ。それなのに、どうしてこの質問をすると、みんな大盛り上がりするのだろう。実際に、僕はしらけ切った合コンの席でこの質問を投げかけ、場を救って感謝されたことは数知れない。
また、この質問は就職試験の面接でもよくされると聞く。その人物がどれだけ思慮深くものごとを考え、判断するかを知る、リトマス試験紙のようなものだろう。つまりお気楽にネタとして盛り上がれる一方、深く人間を洞見できるという、きわめてすぐれた質問なのだ。
そして初夏の夜、僕たちは、ごくお気楽に、定番の質問で盛り上がっていた。この、都心から外れた町の地下にある、薄暗くてこぢんまりして、だけど居心地の良いバー・アイランドで。
「わたしは、そうですねえ、望遠鏡と、ウイスキーと、クラシック音楽ですかねえ」
カウンターの端で水割りを傾けている天野まもる医師が品よく言った。まだ四十を過ぎたばかりなのに総シルバーとなった頭髪を後ろになでつけ、銀縁メガネをかけた医師然とした男だ。
「ふーん、望遠鏡ってあんまり挙がらないアイテムかもな。でもウイスキーと音楽はワンパターンじゃない? お医者さんは、もっとこう、ユニークなこと考えてないわけ」
隣に座る公務員の五木大介がからかう。小太りでいつもにこにこし、いかにも人畜無害だ。天野医師とは同年代だそうだが、ずっと若く見える。
「だけどクラシック音楽を大音量でかけながら星を眺めて、ちびちびとウイスキーをやる……って単純に憧れませんか?」
「まあ確かに、壮大っスよね」
大学生の末広圭吾がうなずきつつ、続ける。茶髪にピアスという、いかにも今どきの若者という外見だが、難関私大の経済学部生というからわからない。
「ただ、三つしか持っていけないってことは、〝ウイスキー〟ってひとくくりじゃだめなんスよね。銘柄と瓶のサイズも決めないと。あ、あとクラシック音楽ってのも幅広すぎませんか」
「音楽は、プレイリストにたくさん入れていけばいいんだよ。ってことは、音楽を持っていくというより、今の時代はスマホを持っていけばいいんじゃない? そしたら動画も見れる」
自称ユーチューバーの由宇公一が言った。ユーチューバーで名字が〝ゆう〟という恵まれた男で、『由宇チューブ』というチャンネルを主宰している。登録者数は少ないが、本人曰く「これから」らしい。青赤紫に染められたユニコーンカラーの髪がトレードマークのアラサーで、僕とは同年代だ。
「そうやん、スマホ持って行ったら最強やん! いくら好きでも、レコード一枚やったら飽きてまうもん」
サラリーマンの川上五郎がビールを豪快に飲む。大阪出身だが、半年前から関東に出向しているらしい。こちらに知り合いもおらず、一人で気楽に飲めるバーを探していたらたまたまアイランドに辿りつき、それ以来常連になった。元ラガーマンでがっちりしており、声もでかくて陽気だ。一緒に飲んでいると楽しい。もうすぐ不惑だそうだが、色白でやせっぽちの僕よりもよほどパワフルで若々しい。
「でも無人島で、たった一枚のレコードを聴きこむってのも、ちょっと憧れるかな。レコードに針を落とす時の、あの緊張感もいいしさ。それこそ大音量で、アナログの音をぞんぶんに楽しむのって、よくない?」
僕が言うと、「確かに!」「究極のぜいたく!」と全員が大きく頷いた。
わいのわいの盛り上がっていると、カウベルが鳴ってドアが開いた。「あー暑。まだ六月なのに」とぼやきながら入ってきたのは、塾講師をしている吉田昇だ。マッシュルームカットに黒縁メガネという特徴的な外見から、小学生の生徒たちからきのこマンと呼ばれ親しまれている。まだ三十五歳なのにすでに塾長のオファーが来ており、本人曰く「塾業界の若き雄」なのだそうだ。「いらっしゃい」とマスターが声をかけてから、早速乾きものを皿に盛り、あいている席に置く。
「みんな楽しそうじゃん。なんの話してるの?」
ネクタイを片手で緩めながら吉田がスツールに腰掛ける。これでL字型のカウンター八席が常連によってすべて埋まった。
「無人島に三つだけ持っていけるとしたら、何にするかって話っス」
末広が答えた。
「おおー、交ぜてよ交ぜてよ! そういう話、大好物! あ、マスター、ハイボールね。でも、なんでそんな話になったわけ」
「いや、修一くんがさ」
五木が僕と、紅一点である石原莉々子を示した。
「新婚旅行、どこにしようかなって話してるから、スマホで調べたんだ。そしたらボラボラ島が人気あるってわかって、島は憧れるね、無人島だともっとロマンチックだよねっていう流れから」
「お、修一さんと莉々子さん、ついに結婚するの」吉田が口笛を吹いた。「おめでとう」
「えへ、ありがとうございます」
莉々子が可愛らしく、ちょこんと頭を下げた。ゆるふわ巻髪に花柄ワンピース姿の莉々子はこの中で唯一の無職だが、おそらく一番の金持ちだ。ブラック企業に勤めていた僕は二年前、転職活動がうまくいかずに落ち込んでいた。その日も面接がうまくいかなくて居酒屋でやけ酒していたら、たまたま大学のゼミで一緒だった子に会った。その子の友達が莉々子だった。なぜだか莉々子は僕を気に入ってくれ、父親の経営する会社――誰もが知っている大手企業で、僕は新卒の時に二次試験でダメだった――の中途入社試験を受けたらすんなり採用が決まった。おまけに父親、つまり社長が交際も認めてくれたので驚いた。僕は家柄もよくないし金もないのに。
ただ、付き合っていくうちに、事情がだんだんわかってきた。莉々子は甘やかされて育ってきたからか、かなりの我がまま娘だ。何度も見合いしたが断られ続け、そのうちに三十を過ぎてしまったらしい。働かないのは良いとしても、趣味や習い事など建設的なことを一切しようとせず、実家でだらだらと過ごしている。両親もほとほと手を焼いていたらしく、僕は子守り役として歓迎されたのだ。
だから先週、正式に結婚のあいさつに行った時も、やっと実家から出る、と大喜びしてくれた。家も建てて車も買ってくれるという。もちろん僕に異存があるはずもなかった。誰もがうらやむ安定した大企業に勤め、いわゆる逆玉の輿に乗るのだ。
だけど――
僕はそっと莉々子の横顔を盗み見る。本当は、もともと惚れてはいない。一緒にいると疲れる。それでも莉々子という企業に就職したと思って、乗りきるつもりだった。
「うーん、無人島に持っていく三つのものか……何がいいんだろうなあ」
吉田がハイボールをすする。
「そういえばさ、中学受験の理科でこういう出題があったんだよ。宇宙で生き延びるためには何が必要か、三つ答えよっていう」
「うーん宇宙か……なんやろなあ」
「ちなみにうちの生徒の一人は、愛、勇気、希望って書いたらしい」
「めっちゃ可愛いやん! 確かにどれも大事やんな」
「まあ真剣に考えれば、まず水でしょうね。それから酸素で、あとはやっぱり食べ物ですね」
自信ありげに天野医師が言った。
「惜しい!」
「え、違うんですか?」
「正解は、食べ物、酸素、適温、だって」
あー温度かあ! 思いつかなかった、とみんなの声がそろう。
「でも水は必要ないの?」
由宇が聞く。
「食べ物からとれるってことらしい」
「なるほど。なかなか難問じゃん。正解できる子いるのかなあ」
「いるんだよ、それが。うちの塾、優秀な子ばっかだから」
「そういう知識があったら生きていくにも強いよね」
五木が柿の種をかじりながら言う。
「そうなんだよ。勉強って本当は生き抜く力に直結してるわけ。天体の動きだって、昆虫や植物の構成や季節だって、全部サバイバルに役に立つ知識なんだから」
吉田の熱弁は続く。
「数学も役に立たないなんて言われてるけど、それこそ無人島に小屋を建てる時に面積や重量、密度は重要でしょう。もちろんお金の計算だってそう。だから本当は勉強すればサバイバルスキルが上がるはずなんだ」
「さすがカリスマ塾講師」
五木がからかう。
「だけど実際は、勉強してなくても、ある程度は生きていけんだよね」
由宇が言うと、天野医師がうなずいた。
「それはもう今の世の中が便利すぎるからでしょうね。スマホに聞けばなんでも答えてくれるし。だけど文明の利器がなくなった時に、学んだ知識が役に立つんですよ」
「そうっスよねえ。それこそ無人島に行けばいいんスよ」
末広が頭の後ろで手を組んで、スツールの背にもたれかかった。
「あ~あ、無人島、いいよなあ」
「ええやんなあ。最近、仕事でイヤなことばっか続いてるから、逃避したいわあ」
「僕も。今日すっごいモンペにつかまってさ、成績が上がらないのは塾のせいだってぎゃんぎゃん怒鳴られた」
「ペアレントのモンペも大変でしょうけど、病院のモンスターペイシェントのモンペもひどいですよ。クレームの嵐です」
天野医師が疲れ切った横顔で言うと、五木もため息をついた。
「僕だって逃避したい。役所は思う存分文句を言っていい場所になってんだから。はけ口だよ、はけ口。公務員だって人間だぞ」
「マジで無人島があったら逃げたいっスよね」
「ほんとそれ」
僕だって、逃げられるものなら莉々子から逃げたい、なんて考えてしまう。それぞれがアルコールをすすりながらしみじみしていると、マスターがぽつりと言った。
「――俺、無人島、持ってるよ」
全員の視線が、一瞬で集まる。
「いやいや、大したことないよ。すっげー遠いし、二時間もあればぐるっと一周歩けるような、しょっぼい島だもん」
「それでもすごいじゃん! 買ったの?」
「まさか。そんな活用しようがないもん買わないよ」
「じゃあどうして」
「相続。ひいじいちゃんが死んで、うちのおやじが継いで、俺に回ってきたってだけ」
「あ、そうか、マスターのおやじさん……」
「そ。三年前に亡くなってるからさ」
「行ったことあるんスか?」
「おやじが亡くなった時、そこで散骨してくれってのが遺言だったから。その時に初めて」
「どんなところなの?」
莉々子も身を乗り出してくる。無人島のオーナー、という非現実的かつ夢いっぱいの設定に、みんな興味津々だ。
「そりゃまあ、めちゃくちゃ綺麗なところではあった。海の水が透き通ってて、気候は温暖でさ。だけど未開の土地なわけだから、海岸沿いしか歩けないよ。ちょっと砂浜があって、あとは森だもん。それに島一周ぐるっと海岸なわけじゃなくてほんの一部で、あとは崖だからね」
「めちゃめちゃぜいたくやん。完全なプライベートビーチってことやろ?」
「まあ、そりゃあ」
「泳ぎました?」
末広の能天気な質問に、「そんなわけないでしょう。おやじさんの散骨に行ってるのに」天野医師が呆れてたしなめた。が、「いや、実はね、泳いだ」 とマスターが答えたので、みんなが「おお!」とどよめく。
「そんなつもりなかったんだけどね。だって一応、礼服で行ったから。で、いざ散骨しようとしたら暑くてさ。ジャケット脱いでも汗だらだらで、ネクタイ外してシャツも脱いで、汗と砂で全身べとべとしてきたから、ズボンも脱いでさ。そんで目の前に透き通った水があったら、泳ぐよね」
「パンツいっちょで泳いだってことっスね」
「いや、トランクスのまま水に入ろうと思ったんだけどさ、ふと気がついたわけよ。着替えなんてないわけじゃん。そしたら、濡れたトランクスのまま帰らなくちゃいけないわけだよね。ってことは貴重な一枚は濡らせない。だから――」
「えー! マッパっすか!」
「そう、マッパ! だってどうせ、誰もいないんだし」
「ひゃあ! 超ぜいたく!」
「最高だったよ。あれはなかなかできない経験だったよね。そりゃあヌーディストビーチとかあるんだろうけど、必ず人の目があるわけじゃん。やっぱ恥ずかしいし、気まずいよ。それが一人きりでさ。まあ厳密に言えばクルーザーの操縦士はいたけど、クルーザーは離れた所にとまってたし、中で休んでもらってたから。しかも自分の所有地って思うと、まあ格別だったよね」
「いいなあ」
「いやいや。でもそれだけだから。他はなにもないし、不便だよ」
「じゃあ泳いだ後、散骨して帰って来たんですか?」
「泳いだあと散骨して、体を乾かしがてら探検してみたよ。ひいじいちゃんだっておやじだって、行ったことなかった島なんだ。俺は交通費も時間も使って行ったわけだし、すこしでも元を取りたいじゃん。森の中を覗いたり、オレンジの実がなってたからもいで食べた」
「うわー! 羨ましい!」
「そう? そう言ってくれると嬉しいよ。もう行くこともないだろうけどね」
「行けばいいじゃないですか」
僕は前のめりで言った。
「え?」
「っていうか、逆になんで行かないんですか、そんないいところ」
「だって片道だけで八時間、しかも十万近くかかったんだよ。往復十六時間で二十万だったら海外旅行の方がいいじゃん」
「いやいやいやいや、マスター、違うでしょ」
「え」
「マスターは男のロマンを実現してるんスよ。活用しないでどうするんスか」
「そうかなあ。でも遠いし、ひとりで行ったって退屈――あっ」
そうだ、とマスターは手を打った。
「行く? みんなで」
みんな一瞬きょとんとしたあと、わあっと歓声がおこる。
「行く行く!」
「絶対行きます!」
「連れてってください!」
興奮気味の声が、カウンターのあちこちから飛ぶ。
「じゃあせっかくだからさ、無人島に三つのアイテムを持っていこうよ」
マスターのさらなる提案に、おお! とまたもや歓声が上がった。
「じゃあさらに真剣に吟味しないと。わたしは本当に望遠鏡でいいのかな」天野医師が顎に手を当てる。「マスター、何日くらい行きますか」
「確かに。期間によってアイテム変わりますよね」
末広が目をキラキラさせる。
「数時間なら食べ物はいらんもんな。まあ僕はいずれにしても釣って調達するから持っていけへんけど」
釣り好きの川上は余裕を見せる。
「うーん、日数かぁ」マスターは腕組みをする。「でもさ、もともとこの質問をする時って、そこまで厳密に設定してないわけでしょ。そのうえでの音楽だったり小説だったり酒だったりするわけじゃない。だから自分の感覚で決める方が、僕はいいと思うなあ。期間を設定しちゃうと興をそぐというか」
「マスターに賛成」由宇が手を上げる。「一週間とか一年とか、自分で設定してアイテムを決めたらいいんだよ」
「だよねえ。ただ、ここにいるみんな、学校なり仕事なりがあるわけでしょ? マスターもバーがあるしさ。となると、当然一年なんて行けないわけだし、一週間でもかなり難しいわけじゃない。無粋だけど現実的に考えたら、どんなに長くても二、三日じゃないかな」
五木が公務員らしく、もっともなことを言った。
「ま、だからそこはご自由にということで」
マスターはにこにこして各自に委ねた。
「うーん、やっぱりわたしは星座を見たいですね。今ならばちょうど夏の大三角形が見え始める頃ですし。望遠鏡を持っていくのが理想ですが、運搬を考えると双眼鏡が現実的ですかね。そして食べ物と酒。銘柄はあとで吟味します。お気に入りのグラスも持っていきたいところですが、ラッパ飲みするしかありませんね」
「俺は、ユーチューブの配信するからスマホとスタビライザーにしよっかな」
「スタビライザーってなんスか」
「手振れを抑えるアクセサリーだよ。あ、マスター、もしかして電波なかったりする?」
「ないね、電波は届かないよ」
「じゃあスマホを持ってっても無駄か。それならスタビライザー付きのビデオカメラの方がいいな。これならアイテム枠を一つしか消化しないですむし。充電しないといけないからソーラーバッテリーつきのバックパックも必須。これで二つ。あとは、やっぱ食料がないとやばいかな」
天野医師や由宇が話しているのを聞きながら、僕も想像を膨らませる。たくさん候補はあるけれど、無人島を最大限に楽しめる三つを厳選しよう。酒は外せない。銘柄はあとで決めるとして、ボトルサイズはもちろん最大。残りふたつは、ああ、何にしよう? 音楽は惹かれるものの、波の音や木々の音を楽しみたい気もする。だったら……そうだ、ハンモック! アメリカのホームドラマで、広い庭にあるのを見て以来ずっと憧れていた。日本ではなかなかお目にかからないし体験できない。夢をかなえられるチャンスだ。もう一生こんな機会は来ない。ゆらゆら揺れながら空を眺めて、うとうとして……ああ最高だ。よし、ハンモックは確定だ。三つ目は……うーん迷うな。本はどうかな。ハンモックに揺られ、酒を飲み、本を読む。それこそいろんな本が読みたいから電子書籍用のタブレットがいいだろう。バックライトがあるから夜の暗闇でも読める。でも腹が減るよなあ。オレンジはなってたらしいけどバナナとかパイナップルとか他の実もなってたら、一日くらいは我慢できるだろうか。本にするか食料か。ああ、こうして迷うことの、なんと楽しいことだろう。
『無人島ロワイヤル』は全3回で連日公開予定