序幕 ある歴史家の部屋

 

 

 大陸の歴史上もっとも忌み嫌われた、四人の悪女の話をしよう。

 

「どうして今になって、お話をしてくださる気になったのですか? あなたは戦乱が終わってから二十年以上ものあいだ、表舞台から姿を消し、口を閉ざしてきた」

 若い女性の歴史家が、熱心な瞳で前かがみになって聞いてくる。若いとはいっても、二十代半ばくらいだろう。あの頃の僕たちにくらべればずいぶん大人だ。

「どうしてだろう。歳を取ったから、かな」

 彼女の研究室を囲むように積み上げられているのは、三十年前に起こった戦乱に関する資料だった。彼女が研究熱心なのはひと目でわかる。

 ただ、ここにある本はどれも嘘ばかりだ。

「年齢を重ねたことによって、使命感に目覚められたということですか?」

「そんな大層なものじゃないよ。あの頃について書かれた歴史書が嘘ばかりだから、我慢できなくなっただけ。いや、もしかしたら──」

 言いかけて、止めた。胸の中だけで続ける。

 もしかしたら、こうして話していることも、僕がかつて仕えた女性の思惑通りなのかもしれない。

 ふと、顔を横に向ける。研究室の壁には、世界地図が貼られていた。現在の世界地図。そこには国境線はなく、すべて一つの国に統一されている。

 

 三十年前、地図に描かれる世界は、三つの帝国が覇権を競っていた。

 真ん中の小さな島を中心に、三つの大きな大陸が風車の羽根のように広がっており、それぞれの大陸を三つの異なる帝国が治めていた。

 そして、風車の大陸の中央に位置する小さな島にも、一つの国があった。

 広大な羽根を繋ぐように位置する小国は、波多留と呼ばれていた。

 それが、僕が生まれ育った国の名前だった。

 

「さて、なにから話そうか」

「星羅さん。まずそれを、こちらからお聞きしたいです。もし、四姉妹のことを歴史書に残すとして、あなたはどこから始めますか?」

 目を瞑る。頭に浮かんだのは、風に揺れる芍薬の花畑だった。

「……第二十三代波多留国王の葬儀、かな」

 彼女も同じように考えていたのか、大きく頷く。

「先王・海燕の葬儀──ですね。そこで四姉妹は、自分たちの欲望を持ち寄り、協力して世界を思いのままにするための密談を行った。すべての凶事の始まり、世界に広がる烽火の火種となった」

「今の歴史書には、そう書かれているね。でも、違う。彼女たちは、四姉妹での再会を楽しみにしていた。それから、それぞれ大切なものを守ろうとしていた。それだけだ」

「……彼女たちが後に引き起こした災厄は、そんな生易しいものではありません」

「それも、この部屋に並んでいる歴史書の知識だね。だから、僕がここにいる。いいかい、これから僕は、あなたに真実を話す。でも、一つだけ約束して欲しい。彼女たちをどう評しても構わない。ただ、僕がこれから話すことを、ありのままに書に残して欲しい。それが──彼女たちが生きた証だから」

 穏やかに話したつもりだけど、彼女は気圧されたように身を引く。けれど、熱意と野心が、彼女の体をすぐに前のめりにする。

「約束します」

「それでは、三十年前のあの葬儀の日について話そう。僕が仕えていた波多留国の女王・白漣は、葬儀に姉たちを招待した。他国に嫁いだ、三人の姉たちを──」

 

 先王の葬儀から七年後。

 世界は一つの国によって統一される。

 たくさんの歴史家たちが、この激動の七年について調べている。

 どうして世界を巻き込む戦乱が起きてしまったのか。どうしてこれほどの短期間で世界地図が塗り替わるほどの変化が生まれたのか。

 歴史家たちは、この乱世の時代は、波多留という小国に生まれた四姉妹によって引き起こされたと記す。

 

 

第一話 剣姫の帰還

 

 

 丘の向こうに見えた景色に、紅波は長い息を吐いた。

 白馬に跨り、前後を十五人の護衛の兵士に囲まれて旅をしてきた。五日目にして、ようやく目的地が見えてくる。

 街道の先には、二年ぶりに見る懐かしい故郷が広がっていた。

 緑の海のように広がる丘陵地帯と、その中に島のように浮かぶ王都・波里。

 丘陵地帯は本物の海岸まで続いていて、草原を駆ける風は潮の匂いを孕んでいた。

 吸い込んだ空気が体の中を巡り、世間知らずで怖いもの知らずだった、王女と呼ばれていた幼いころに戻っていく気がする。

 もちろん、そんなものは幻想だ。

 知ってしまった現実は忘れられないし、体に刻まれた痛みは消えない。

 そして──この国が、父が憂えていたよりも遥かに、危機的な状況にあることも揺らぐことはない。

 

 風車の羽根のような三つの大陸。その中央に位置する小国・波多留。

 建国より五百年を数え、現存する国の中ではもっとも長い歴史を持つ。

 かつて、天災により大陸が三つに割れた時、海から現れた巨大な鯨が、大陸のあいだに挟まり、両の鰭と尾で三つの大陸を繋ぎ留めたまま島になった。それが、波多留の創生神話であり、この国で鯨が聖なる生き物として崇められている理由だった。

 鯨の王国、多くの波の留まる大地、世界の真ん中。

 紅波は、幼い頃から耳にしていた、この国を称える言葉を頭の中で繰り返す。

 かつては、その言葉を耳にするたびに、王家に生まれたことへの誇りで胸がいっぱいになった。けれど、今は空々しく聞こえる。

「紅波さま、あれはなんでしょう。襲撃ですか? ここはあなたの故郷だったのでは?」

 隣から、淡々とした声が聞こえてくる。

 横に並ぶのは、五日間の旅の間、ずっと隣にいた従者だった。

 赤髪に冷たい眼光、体躯は細いが山鹿のようにしなやかな筋肉を秘めている。

 身に纏っているのは、ウルグの伝統服である騎馬袍だった。騎馬に乗ることを前提とした動きやすい襦袴の上から丈の長い服を着て、腰帯で縛っている。

 ただの従者ではない。紅波の夫であるオルハンは、独占欲と猜疑心が強く、男の従者がずっと紅波の傍らにいることを許さなかった。護衛も兼ねて、オルハンの精鋭部隊の中で、唯一女であるシャミが従者となったのだ。

 他の兵士たちの騎馬袍が灰色なのに対して、シャミが纏うのは精鋭の証である黒一色だった。

「襲撃ではない。私を歓迎してくれているんだ。笑って、手を振ってくれ」

 視線の先には、街道の脇に五人の人々が並んで、紅色の手巾を振っていた。

 街までは距離がある。郊外に住んでいる農民たちだろう。先王の葬儀に、かつて波多留国の王女だった姉妹たちが戻ってくることを知って、帰還を歓迎しているのだ。紅色の布は、紅波の名にちなんだものだった。

 紅波は、民たちの目に映る自分の姿を想像する。

 外見は、二年前と大きく変わってはいないだろう。

 背中まで自由に伸ばした癖のある赤髪、太い眉毛に吊り目がちな赤い瞳、雀斑の浮かぶ頬、広めの肩幅と鍛えられた体躯。違いがあるとすれば、身に纏うのが紅色の騎馬袍であることくらいだ。

 けれど、紅波は知っている。この二年で、自分がどれほど変わったかを。

「手を振るのは構いませんが、笑うのは苦手です」

「知ってるさ。ここにくる五日間でお前が笑ったのは、たった一度だけだからな。私が馬の上で居眠りして落ちそうになった時だ。私が失敗すると、笑うのだろう」

「まぁ、あなたが失敗するのは楽しいですから」

「悪趣味というんだ、そういうのは」

 不快そうな口調で言いながらも、笑顔で街道の人々に手を振り返す。

「紅波さまは、この国では人気があったのですね」

「私というより、私たちだな」

「あぁ、花の四姉妹というやつですか」

「知っていたのか」

「今回の命令を受けた時、オルハンさまに聞きました。波多留国には、かつて花の四姉妹と呼ばれた美しい姫たちがいたと。あなたは三女だったのですよね」

「それ以上は言わなくてもわかる。私には似合わない称号だというのだろう」

「なにも言ってませんよ。思ってはいましたが」

「まったく、ひどい従者だな。だが、その通りだ。花の四姉妹といっても、花のように美しかったのは上の二人の姉だけだ。私と、一つ下の妹はおまけのようなものだった」

 二年前まで、この国には、自分を含めて四人の姫がいた。

 美しい二人の姉と、変わり者の妹。

 紅波は三女であり、四人の中でもっとも武勇に秀でていた。幼い頃から剣術を学び、すぐに宮城を守る近衛兵よりも腕を上げた。そのため、民からはいつの間にか剣姫の愛称で呼ばれるようになった。

 さすがに兵隊長のような精兵には敵わなかったが、並みの兵士であれば負けることはなかった。もちろん、女に武術で後れを取るなどありえなかった──横に並んでいる従者に出会うまでは。

「シャミ、目の前の、波多留国の王都をどう思う?」

 紅波が問いかけると、間を置かずに返事がくる。

「平地に位置し、城壁もなく、攻めやすいことこの上ないですね。千の兵を与えられれば一日で落としてみせますよ」

「お前なら、そう言うと思った」

「ですが、落としても、占領状態を維持するのは難しいですね。今度は私たちが守る番になる。あの街を守り抜くには攻めるよりも遥かに多くの兵が必要になる。奪われては奪い返すのを繰り返し、この地は血塗られた戦場となるでしょう」

 紅波は目を閉じる。瞼の裏に、さっき街道で手を振ってくれていた人々が血まみれになって転がる景色が浮かぶ。

「よく、わかってるな」

「そもそも、波多留国が五百年も続いてきたのが信じられませんね。国交の要所に位置し、大地は肥沃で水も豊かだ。誰もが欲しがる。どうして今まで、戦場にならなかったのでしょう」

「簡単なことだ。海がこの国を守ってきた」

 有名な話だが、シャミは興味を引かれたように振り向く。武術と軍略ばかりを頭に詰め込み、歴史には関心がなかったのだろう。

「この島に来るとき、橋を渡ったのを覚えているか?」

「ええ、あのような大きな橋は初めて見ました。あなたが馬の上で居眠りして橋から落ちないかと、期待しました」

「そんなに私が気に入らないか」

「今さら確認しないでください。それで、橋がどうしたんですか?」

「……同じような橋が、他の二つの大陸との間に架かっている。この国は、他の大陸とは完全な陸続きになっていない。海峡に架けられた橋によって三つの大陸と繋がっている」

「それはまた、大層なことですね」

「この国の周囲に広がる海には強い流れがあって、外からの船を寄せ付けない。おまけに海岸線のほとんどが断崖絶壁だ。だから、橋が必要なんだ。そして、この国は、いずれかの大陸と関係が悪化すると、攻め込まれる前に橋を落としてきた。橋がなければ、海流と断崖絶壁に守られた島は、やすやすと攻め込まれない。そうやって歴代の王たちは国を守ってきた」

「なるほど。感心はしますが、賞賛はできませんね。弱者の戦い方です」

「そうだ。だから今、そのつけを払わされている」

 時代が進むにつれて、波多留を囲む大陸の状況は変わっていった。

 

 

「連天乱世の四姉妹 1」は全4回で連日公開予定