二十一時過ぎには関東吉竹組の押収物の分類を終え、誓は藪と二人で常連のホストクラブ、『雨音』に向かった。新宿区歌舞伎町のど真ん中、風林会館に入っている。藪がかわいがっているホストのそらをはじめ、店長も口が堅く、内密の話をしたいときは特別料金を払わずとも個室を使わせてくれた。女性相手の商売だけに、男性が多い警察とホストクラブは繋がりを持ちにくい。ホストクラブに来る女刑事はVIPなのだ。
誓のお気に入りはマサヤというベテランホストだった。年齢は長らく教えてもらえなかったが、藪が「誓はファザコンだから枯れ専だ」と言うと、四十五歳だと教えてくれた。若々しくて腹も出ていないし、目尻の皺とほうれい線が最高にセクシーなホストだ。
聞き込みで歩き回った日などは足がむくんでしまうが、マサヤがいつもマッサージしてくれる。絶妙な足つぼマッサージに悶絶しながら、誓はビールを飲み、今仲について愚痴をこぼす。
「今仲は信頼できるエスがいるようですし、私がコントロールできる相手ではなさそう」
かかと近くのツボを押されて、誓は思わず腰を浮かせた。マサヤは誓の反応がおもしろいようで、やたら攻めてくる。
「ここ生殖器のツボですよ。今日は足首のむくみもひどい。真冬なんだから足首を隠す格好をした方がいい。モコモコしたブーツをはくとか」
「女マル暴がUGGのブーツ履いて歌舞伎町を闊歩してたらダサいでしょ」
「ジミーチュウかせいぜいダイアナあたりじゃないと格好がつかない」
藪は更年期真っただ中だろうに、全く冷えないらしい。体つきも筋肉質で乳房も控えめな藪は、男性ホルモンが多い体質なのだと笑っていた。
誓は肉付きがよい方で、胸はBカップと小ぶりだが尻が大きく、後ろ姿がスケベだとよく言われる。かつての夫もすぐに落ちたし、マサヤも誓の足をマッサージしながらしょっちゅう勃起している。
藪の言う通り誓は尻軽なところがあるが、だからといって相手が誰でもいいわけではない。プロとはしないし、後腐れありそうな相手も遠慮する。
仕事柄、血なまぐさい現場をよく見る。なにかあれば生きるか死ぬかの連中を相手にしていると、反動か性欲が湧く。専業主婦だったころは却って淡泊に過ごしていた。
マサヤのマッサージを受けながら誓の脳裏に浮かんだのは今仲だった。分厚い胸板に抱かれ陽気な関西弁でしゃべり倒されながらするセックスは楽しそうだ。あのカリフラワー耳を舐めて反応を見てみたい。だが今仲に手を出している暇はなかった。
「マサヤさん、ありがと。今日はもういいよ。ちょっと外してくれる」
マサヤが出て行くのを待ち、誓は切り出す。向島が海竜将を殺害してしまい、本家と盃を交わしたかもしれない、という話だ。藪は頷いた。
「あり得る。誓ちゃんを襲った恨みを晴らすべく、海竜の顔面を剥いでそうな気はする」
北新地のホテルで泥酔した誓をベッドに寝かし、片腕だけでブランケットをかけてくれた向島を思い出す。寄り添い、ぼそり、ぼそりと質問に答えてくれた。髪が口に入っていれば、指先でそっと取ってくれる。喉が渇いたと言えば、片腕だけでグラスを取り、水を注いでくれる。この世で誓を最も大事にしてくれる男だった。おそらくは誓のためなら命をも差し出すだろう。彼は誓にとってそういう『立場』にある人だった。
「向島が本家吉竹組についてしまったのならば、確かに姿を消す理由にはなりますかね」
「関東吉竹組を潰す準備に入っているのか」
藪が不安げに口にした。
「そういうことだと思います。泉を討つ機会を虎視眈々と狙っているのかも」
「曳舟の子分たちを放っておいて?」
向島一家には、向島を親と慕い盃を交わした子分が八十人もいる。向島が姿を消して以降、向島一家内では大きな動きはなく、人の出入りも変化がない。
何度も事務所を訪ね、若頭の千住雅夫に探りは入れている。彼は五十四歳、向島より年上だが、初代が亡くなったあと、二代目の座を年下の向島に譲って盃を交わしている。曳舟生まれの曳舟育ち、若いころは愚連隊を率いて暴れ回っていた。千住はあばた面で顔が大きく、マオカラースーツを愛用しているので、チャイニーズマフィアのような凄みがある。実際は気の利く小間使いだ。向島の居場所を尋ねられてものらりくらりとかわしているが、困惑している表情が見えなくもない。懐刀の千住も向島の居場所を知らないのだろうか。
「ちなみに向島がかわいがっていたドーベルマンもまた、行方不明です」
「千住が住む浅草橋の分譲マンションに連れていかれたんじゃなかったか」
「あそこはペット禁止なんです」
殺処分された記録も譲渡の記録もない。どこかに雲隠れしている向島が連れまわしていると思われる。ドーベルマンを追跡していれば向島のアジトがわかったはずなのに、イヌを追尾するなんてばかばかしい、と上層部が取り合ってくれなかった。
「このまま親分の復帰を待つのか、千住が跡目を継ぐのか、向島一家の動向が気になるところですが、厄介なのは府警の今仲です」
「いい感じにたぶらかしてたじゃない」
「しょうがないじゃないですか。今仲は私と向島が男女の関係にあると信じ切っています。事実、私と向島は男女の関係以上に深い間柄です。言い逃れするのが大変だったから、ちょっとたぶらかしてみただけです」
「へえ。今仲と寝てみたいと思っているのかと思った」
誓は赤マルに火をつけた。
「そりゃ多少はありますけど」
女二人、げらげら笑う。藪は酒の追加を叫び、誓の生足をぱちんと叩く。
「府警を出し抜くには、向島の居場所を一刻も早く突き止めるしかない。心当たりはないのか」
誓は藪の手を振り払った。
「あったら言いますよ。ないから困っているんじゃないですか」
藪がなおも誓の太ももに手をやる。今度はスケベったらしく撫でまわし始めた。
「直感でわかんないの。あんたにはあいつの血が流れてんだよ。娘のあんたが突き止めないでどうする」
誓の実父は、向島春刀だ。
どういう事情があったのか知らないが、誓は赤ん坊のときに桜庭功夫妻のもとに養子に出された。戸籍上の両親とも鬼籍に入っている。誓の出生の秘密を知るのはいまのところ向島春刀ただひとりだが、彼は詳細を言いたがらない。北新地のホテルで密会したとき、向島は実父であることを認めたが、母親が誰なのかは教えてくれなかった。
警視庁でこの事実を知るのは藪だけだ。誓はひた隠しにしていたが、藪が見抜いた。誓と向島は切れ長の目尻がそっくりなのだそうだ。誓の煙草の吸殻まで押収してDNA鑑定していた。藪の周到さに圧倒されたが、それよりも恐ろしかったのは、藪がこの事実を上層部にも報告せず、捜査に利用していることだった。
その血で捜査しろという。向島の血が流れているのだから、抗争のキーパーソンである向島の動向を誰よりも誓が先読みできるはずだという。
誓が警察側にいれば、向島をコントロールしやすいとも思ったのだろう。刑事とはいえ公務員なのだから、ヤクザと血縁である上に捜査対象を庇った刑事は組織から追い出すべきなのに、藪は利用する。全ては抗争から東京都民を守るためだ。どんな火の粉も浴びる覚悟でいる。
誓は藪が怖い。だが心から好きだった。妙なところでムキになる子供っぽいところもあるし、たいして強くもないのに浴びるほど酒を飲んでしょっちゅうゲロを吐く。今日も酔いつぶれてへべれけになっている。誓は藪をタクシーに押し込み、帰路についた。
離婚してから、歌舞伎町の賃貸マンションに引っ越した。警視庁マル暴の一丁目一番地だ。歌舞伎町には大小合わせ様々な暴力団がひしめきあっている。
押し売りの黒人や呼び込みの黒服、外国人観光客にナンパされ心地よくなりながら、自宅マンションに到着する。一階ロビーの集合ポスト前で腰をかがめてなにかをチェックしている不審な男がいた。今仲だ。
「あんた、なにしとん」
酔っていたこともあり関西弁が出た。今仲は慌てていたが、観念して両手を上げる。
「これから相棒になる人の住んどるところを下見しただけや。僕は土地勘がないし、なんかあったときすぐ駆けつけられるようにしといた方がええやろ」
向島との仲を疑い、誓の周辺を探るつもりだったのだろう。予想以上にしつこいが、慌てているさまはかわいらしい。これはもう食ってしまうしかない。
「茶でも飲んでく」
今仲は戸惑った様子ながら、共にエレベーターに乗った。箱の中は緊迫していた。
「お邪魔します」
今仲は律儀に頭を下げる。足ぐらい洗うてくればよかった、とぶつくさ言っている。誓はキッチンから缶ビールを一つだした。
「つまみ、なんもないわ」
「ええで、すぐ帰るし。おかまいなく」
「ほな本当にかまわんからね」
誓は流し目でジャケットを脱ぎ、シャワーを浴びに脱衣所に入った。敢えてスマホのロックを解除した状態でダイニングテーブルの上に放置してきた。
シャワーを出しっぱなしにしながら、脱衣所の扉の隙間からダイニングを覗く。今仲は缶ビールを傾けながら、しっかり誓のスマホをチェックしていた。
誓は部屋着の間に隠し持ってきた二台目のスマホを取り出す。向島の番号はこちらに入っている。彼とやり取りするために購入した二台目だが、返信がきたことは一度もない。だが『既読』のマークはつく。読んでくれてはいるのだろう。
朝昼晩、誓はメッセージを入れ続けている。全く返事をくれないので『おはよう』『いまランチ』『おやすみ』くらいしか最近は入れていなかった。
『お父さん、ただいま。今日は酔ってる』
反応が欲しい。煽ってみる。
『お父さん、海竜を殺した?』
既読のマークが出た。ダイニングにいる今仲の存在がどうでもよくなっていく。
『悲しくて府警の刑事と寝ちゃうかも』
踏み込んだメッセージを入れたつもりだが、やはり返信はなかった。お父さんなのだから、自分の体を大切にしろとか、ふしだらな真似はするなとか、怒ってほしかった。
『お父さんなんか大嫌い』
誓はスマホの電源を切り、シャワーを浴びた。部屋着に着替えて勢いよくバスルームを出る。今仲が慌てて誓のスマホを置いた。
「なにチェックしてたん」
「なにも見てへんよ」
「許さへんで」
誓は今仲の傍らにピタリと立ち、彼を見下ろす。両頬をつねってねじりあげた。
「いたたたたッ」
今仲は誓の手を外そうとしたが、そのまま両手は誓の体の線をなぞった。誓が拒否しないとみるや尻に手を伸ばす。キスをした。お姫様抱っこされてベッドに寝かされる。いい雰囲気なのに、今仲は誓の部屋着を脱がしながら笑いをこらえていた。
「誓ちゃんはやっぱり関西の女やな」
ヒョウ柄のスウェットシャツを天に放りながら今仲はこらえきれず大笑いした。
「しかもピンクのスウェットパンツってなんやねん。東京の女はこんな格好せんやろ」
「部屋着くらい派手なの着たいわ。毎日つまらん地味なスーツやで」
誓は今仲のカリフラワー耳を甘噛みした。何がツボだったのか今仲は裏声で喘ぎひっくり返った。カリフラワー耳をしつこく舐め回し、そうっと彼のペニスに体を沈め、腰を上下に動かした。今仲は途端に体を硬直させて誓の腰の動きを止めようとした。
「あかん。ちょっと待って。ほんまちょっと待って」
今仲の手首をベッドに押さえつけて腰をくねらせたら、今仲は数秒で射精してしまった。
「情けない。警視庁に秒で食われた」
今仲は府警のプライドがどうのと言って、明け方に二度目を求めた。今度は一時間くらいかけてわりと真面目にセックスをした。今仲のまなざしは真剣だったし、丁寧にじっくりと体を揺すられると幸せな気持ちになった。彼はとてもいい男だが、正直、恋愛とか彼氏とか、どうでもいい。今仲も割り切っているのか、始発の時間を確認し「ほな」と誓の自宅を出た。その四時間後の午前八時には「おはようございます」と真面目な顔で暴力団対策課に入ってくる。誓と目を合わせても動揺する様子はない。手馴れていて可愛げがない。
誓と向島の仲を疑う刑事は警視庁内にも多いが、今仲と寝たことを疑う刑事は誰一人いなかった。藪だけが唯一、女子トイレで化粧直しをしているときに茶化す。
「で、いつ食うの。大阪府警」
「とっくですよ、あんなの。耳が性感帯」
藪は愉快そうに悲鳴を上げた。
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