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「そんなはずないでしょう」

「向島とデキとった。アイツを追っかけて何度も大阪に来とるね。府警の監視カメラがあんたと向島のツーショットを捉えとる」

「どこの監視カメラですか」

「本家総本部の入口を捉えたカメラや」

「総本部に入ったことは浅はかでしたが、双子に招かれたのだから仕方ないです」

 去年の夏休み、両親の墓参りついでに天王寺に立ち寄ったとき、あちらの目に留まって中に招待されてしまった。

「中には向島の他、若い衆や幹部、双子の組長もいてにぎやかでした。それが私と向島がデキている証拠ですか」

「北新地のホテルで一晩過ごしとることも府警は把握しとる」

 誓はさすがに驚いた。府警にバレていたようだ。

「父の話を聞きたかっただけです」

「亡くなったお父さんのなにを聞くために、遠く離れた大阪のホテルでヤクザと一晩を過ごすことにしたんや」

 嘘をつくしかない。

「父の本当の姿を知りたかったんです。向島は生前の父と親しかった。その理由を知りたかったんです」

「わざわざホテルで密会するほどの内容とは思えん」

「夫が闇落ちしていたんですよ。もしかしたら父もそうだったのかと疑っていたんです」

「向島はなんて答えた」

「私の父は立派なマル暴刑事だったと」

「たったそれだけかいな。そこらの喫茶店か向島一家の事務所で話せばいいことや」

「闇落ちの事実が出てくるかもしれなかったんです。だからホテルを取った」

「東京のホテルではあかんかったんですか」

「闇落ちの事実がわかったら、八尾の墓をぶっ壊してしまおうと思っていたくらい、当時の私は夫の闇落ちで荒れていたんです」

 誓は嘘をぺらぺらとしゃべった。

「あんたの夫の闇落ちが判明したのは去年の九月や。あんたが北新地で向島と密会したのはそのしばらくあと。あんた、夫の闇落ちを黙っておったんか」

 誓は口を閉ざした。しゃべりすぎて墓穴を掘ってしまった。

「僕は信頼する相手としか仕事をしたくないんでね。腹を割ってくれない相手とは相棒になれへん」

「なら警視庁で勝手に孤立してください」

 誓は席を立った。今仲は容赦ない。

「もう一枚、カード切らしてもらいますよ。海竜将の消息に関してや」

 警視庁が最も欲しい情報のひとつだ。大阪府警のマル暴刑事なら、本家系列の暴力団員のひとりや二人、飼いならしているだろう。情報提供者、いわゆるエスが今仲にもいるはずだった。

「海竜将は本家筋の組員に拉致られて、総本部で拷問を受けたようや。畳八枚がダメになるほど出血し死んだ」

 誓はテーブルに戻った。

「手を下したのは向島春刀。お得意の顔面剥ぎを矢島の双子の前で披露した」

 さすがに動揺を隠せなくなってきた。

「さてここでひとつ疑問。分裂抗争を防ごうと和解に奔走していた向島が、本家総本部の双子組長の前で、関東吉竹組系の組員を拷問死させた」

 芝居がかった様子で今仲が肩をすくめる。

「本家の双子は大喜びしたやろな。向島はこの時点で関東に牙を剥いたことになる」

 向島は双子にひれ伏して血まみれの手で盃を交わしたという、信頼できる筋からの情報があったらしい。誓の額から汗が噴き出してきた。

「なんで向島は海竜将を残虐に殺す必要があったんや。和解に奔走しておったのなら、殺すのはおかしいやろ。個人的な憎しみがあったと見るのが自然や。さて海竜に対し向島はどないな憎悪があったか」

 女や、と今仲は嬉しそうに言う。

「海竜はあんたを辱めとる。その一か月前にあんたは向島とわざわざ大阪に出向いてホテルで密会しとったな」

 今仲が結論づける。

「あんたと向島はデキとる。向島は愛する女を凌辱されて激昂し、海竜を残虐な方法で殺害した。お膳立てしたのは矢島の双子やろか。策略家の勇が考えそうなことや。全ては、抗争に勝利するため。武闘派の向島一家を味方につけたかったんやろな」

 今仲はしゃべり倒し、どうやと胸を張った。

「あなたは傷口を抉る人」

 誓は流し目で言った。

「正直に言います。北新地での夜のこと」

 テーブルの下でスマホを操作し、藪にSOSのメールを送った。すでに関東吉竹組のガサ入れを終え、本部に戻ってきているはずだ。

 スマホをしまい、今仲の隣に移動した。ぴたりと太ももをつけてその耳元で囁いた。

「フラれたんです。私の片思いでした」

 今仲が身を引き、誓の横顔を見る。

「夫は闇落ち、そもそも銃撃されて車椅子生活だったんですよ。人肌恋しかったのは確かです」

 今仲の喉仏が上下した。

「向島は警察が把握するずっと前から、夫の闇落ちを知っていました。彼は私に同情的でしたから、私は余計に火がつきやすい状態だったんです。向島と寝たら抗争の情報を取れるかなという浅はかな計算もありました」

「で? 寝たんか」

「だからフラれたんです」

「嘘や。据え膳食わぬは男の恥、ヤクザなら余計やで。ましてや相手は警視庁の女刑事。食うた方が向島の有利になる。断るはずがない」

 誓はキスができそうな距離にある今仲の目をじっと覗き込んだ。目を逸らされる。

「今仲さん、独身やの」

「そこで関西弁使うな。卑怯やろ」

「かわいい」

 頬をちょんとつついて見せた。

「やめんかい」

「今仲さんの東京滞在中のホテル、私が選んだんですよ。タコ部屋みたいなシングルはかわいそうやから、ダブルにしときました」

 今仲の太ももを撫でた。拒否しない。思っていた以上にちょろそうだった。

 ようやく藪が入ってきた。誓は服や髪を整えながら向かいの席に戻った。藪は空気を読んでくれる。誓の後頭部をこづいた。

「こら。またやってる」

 藪は自己紹介もせずに誓を叱った。

「ごめんなさいね。うちの尻軽が。離婚したてで寂しいからって片っ端からマル暴刑事をたぶらかしてんのよ」

「そんなんじゃないですよ。府警さんとはこの先長い付き合いになりますから、仲良くやった方がいいじゃないですか」

「バカ。男は勘違いするだろ」

「僕は勘違いなどしませんよ」

 今仲が標準語になった。

 

「菊の慟哭」は全4回で連日公開予定