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 夜、父が僕に電話をかけてきた。用件自体は大したものではない。こうだ。

「家にあるお前のTシャツを着てもいいか?」

 高校生のころに着ていて、そのあとはずっとタンスに入れっぱなしにしていたそれ。色はカーキやチャコールグレー。柄物ではなく無地なので、父が着てもおかしくない。

「自分がいいならいいよ」と僕は言った。

 自分、と言ってしまった。

 普段、父のことは、お父さん、と言う。言うことは言うが、そんなには言わない。たいていは、ねぇ、や、あのさ、ですませてしまう。

 親父、とはとても呼べない。ドラマなどでよく息子が父親をそう呼んだりするが、それができるのはかなり親しい場合だけだと思う。僕は父をそう呼べない。友人などに父のことを話すときは便宜的に親父と言うが、父に直接親父と呼びかけることはない。

 自分がいいならいいよ、に対して、父はこう言った。

「じゃあ、着させてもらうよ。もう、ある物でいい。今さら服を買ったりするのはどうにもめんどくさくてな」

 というその気持ちは少しわかった。僕は今四十歳だが、すでにそうなりかけているから。

 もう、必要に迫られない限り、服を買う気にはならない。なったとしても、前とまったく同じ物を買ったりする。それこそ無地のTシャツとかチノパンとか。

 十代二十代のころとちがい、服を買うことに喜びを見出せなくなっているのだ。それを単なる出費と考えてしまう。そして、先々のために無駄な出費は控えようとも考えてしまう。先々。四十歳にもなるとそれは、もうそこまで遠い未来でもないのだ。

 と、そんなことはいい。問題はここから。

 二時間も経たないうちに、父はまったく同じ件でまた僕に電話をかけてきたのだ。

「なあ、お前の部屋のタンスにTシャツが入ってるよな」

「うん」

「あれ、着ていいか?」

「えっ?」と僕は声を上げてしまった。「いいって言ったよね」

「ん?」

「いや、さっき」

「さっき?」

「うん。ほら、さっきの電話で。かけてきたよね。二時間ぐらい前」

「あぁ、そうだったか。で、着ていいか?」

「いいよ。さっきも言ったけど、自分がいいなら」

「じゃあ、着させてもらうよ。今さら服を買ったりするのはめんどくさくてな。もう、選ぶのがめんどくさいよ」

 まあ、そこまで。それで終わり。

 三度めの電話はなかった。気になって、その後の二時間は待ちかまえたりもしたのだが、さすがにかかってくることはなかった。

 とはいえ、それで気にならなくなることもなかった。二度でもう充分気がかりではあった。不安にはなった。

 だから実家に帰ってきたのだ。仕事が休みの土曜日に。特に用はなかったが、まさに父の顔を見ようということで。

 今年は正月に帰らなかった。五月に母の七回忌があるので、そのときに帰ればいい。そう思っていたのだ。だが結局はこうして帰ることになった。一月の第二土曜日。まだ正月と言えば正月だ。

 会うのはほぼ一年ぶり。父に変わった様子はなかった。

 そもそもが細身。一年前に見たときとそう変わった感じはなかった。肉が付いた感じはなかったし、さらに細くなった感じもなかった。

 白髪が八割の頭も同様。八割が九割になった感じはなかったし、毛髪そのものが少なくなった感じもなかった。

 しわが増えたりそのしわが深くなったりと、きっちり一年分老けてはいるはずだが、それがはっきりわかる感じではない。

 血圧の薬だけは飲んでいる。いつだかの検査で医師に言われたので、あくまでも予防的に。過去、大病をしたことはない。

 僕が知っている父。母を亡くして元気がなくなりはしたもののそれなりに元気ではいる父。本当に僕のカーキ色のTシャツを着ていたのでちょっと笑い、安心した。

 のだが。

 この車の凹みを見て、また不安になった。外見はともかく、内面は少し変わってしまったのかと。

 父は那須野敏男で、僕は那須野富生。

 父と僕、どちらも名前にオが付く。

 敏男と富生、漢字はちがう。

 亡くなった母は、千鶴代。

 お母さんはお父さんと結婚して名前が長くなっちゃったから大変よ、と言っていた。旧姓は、漢字一文字の、宮。もとは宮千鶴代だったが、父と結婚したことで那須野千鶴代になったのだ。

 一音につき一文字で、六つ。確かに長い。鶴なんて、それ一つでも書くのは面倒なのに、さらにあと五文字。時間がかかる。

 例えば、中一という氏名の人と、母。氏名を書くのに費やす時間は、一生で考えれば、かなり変わってくるはずだ。時間の無駄づかい。母、損をしている。

 まさに中一、中学一年生のころに僕がそんなことを言うと、母は笑ってこう言った。

「お母さんが損してるというよりは、中一さんが得してると思うようにするわよ。実際、損してるとまでは思わない。那須野っていう名字は、結構好きだし」

 昔からよく、僕はこの母似だと言われていた。両隣の二家族、安井さんからも前川さんからも言われた。富生くんはお母さんに似てるね、と。それは父も言っていた。

 だから僕自身、母似だと思っていた。母似でよかった。そうも思っていた。中学生のときからはもうずっと。それは、まあ、今も思っている。

 で、父だ。

 せっかく実家に帰るからには、何かしら用をつくりたかった。ただ父の顔を見るため、にはしたくなかった。

 何かないかと考え、これを思いついた。マイナンバーカードだ。政府が国民に早くつくれつくれ言っているあれ。まちがいなく、父はまだつくっていないはずだ。

 そう言う僕自身が、つくったばかり。マイナンバーカードの健康保険証利用や運転免許証利用がどうのとも言っているので、さすがにそろそろつくっておかないと面倒かな、と思い、しかたなくつくった。しかたなくと言いつつ、マイナポイントという餌に見事に釣られもして。

 カードの新規取得で五千円分。健康保険証としての利用申し込みで七千五百円分。公金受取口座の登録で七千五百円分。計二万円分のマイナポイントがもらえる。二万円はさすがに大きいな、と思い、動いた。

 申請自体は簡単だが、カードを手にするまでに一ヵ月ほどかかり、ポイントをつかえるようにするのにちょこちょこ手間もかかった。父が自分でこれをやったとはとても思えない。

 そこで、今週末実家に帰るとの電話をかけたときに、マイナンバーカードをつくったか尋ねてみた。

「つくってない」と父は言った。「別につくらなくてもいいんだろ? なきゃないでどうにかなるんだろ?」

 つくらなくてもいいことはいいようだが、この先面倒なことにならないとも限らない。いざというときにそれがないと、手続きがいろいろ大変になったりはするかもしれない。二月までに申請すれば、二万円のポイントがもらえもする。

 そう説明すると、これまた予想どおり、父は言った。

「ポイントとかよくわからんから、おれはいいよ」

「申請とかは全部僕がやるから」と言って、説得した。

「なら、まあ」と父も折れた。

 ということで、イオンタウン館山に向かっているのだ。そこにある証明写真機で父のマイナンバーカードの申請をするつもりで。

 証明写真を撮ると、機械から直接申請できる。どこぞの窓口に出向いたり書類を郵送したりする必要はない。自分でやってみて、これは便利だなと思った。だが父には難しいかもしれない。だから代わりに僕がやる。

 イオンタウン館山の敷地に入る。広い屋外駐車場に車を駐める。父を長く歩かせないよう、なるべく店の建物に近いところにする。

 かつては、もうとにかく店の出入口の近くに駐めようと躍起になっている車を見て、みっともないと思っていた。今はその気持ちがわかる。自分一人ならいいが、高齢の親が一緒だと、やはりそうなるのだ。何というか、親を歩かせる子になりたくない。

 と言ったそばから自分一人で歩いてしまう。歩く速度を父に合わさず、一人で先に行ってしまう。

 戻るのも何なので、立ち止まり、父を待つ。

 気にした様子もなく、父はゆっくり歩いてくる。ん、何で立ち止まってるんだ? という顔をしている。

 これが今の父の速度なのだな、と思う。

 

「あなたが僕の父」は全3回で連日公開予定