現在 一月 四十歳

 

「あれっ。車、凹んでるじゃん。どうしたの?」と実家の車庫で僕が言い、

「あぁ。ぶつけたんだな。確か」と父が言う。

「確かって」

「いや。ぶつけたよ。まちがいない」

「いつ?」

「結構前だな」

「結構前って、どのぐらい前よ」

「うーん。忘れた」

「それは忘れないでしょ」

「まあ、後ろのバンパーだから目立たない。直さなくていいだろ。ちゃんと走れもするし」

「ほんと? だいじょうぶ? おかしなことない? 走るときに変な音とか、してない?」

「してないよ。乗ってみればわかる」

「後ろってことはさ、追突されたとかではない? それだと、ほら、すぐは何ともなくても、あとで首なんかに痛みが出たりすることもあるっていうから」

「追突ではないよ。今も何ともない。首もどこも痛くない。たぶん、あれだ。車庫入れのときに失敗したんだ。だから、自損は自損だな」

 だとしても。このリアバンパー。擦った感じではない。明らかに凹んでいる。ぶつかりはしたのだと思う。しかもそこそこの速さでバックして。車自体がそれで停まるぐらいの感じで。

 よく高齢者がやってしまうパターンだ。ギアをバックに入れたままアクセルを踏み、後ろの壁にぶつかってしまうとか、コンビニに突っこんでしまうとか。

 とはいえ、とりあえず、ほっとする。体が何ともないなら、よかった。リアバンパーが凹んだだけ。ウインカーやテールランプが破損していないのもよかった。

 が。

 五十数年の運転歴がありながら、今さら車庫入れに失敗。それはそれで引っかかる。何よりもまず、いつそうなったか覚えていないのが引っかかる。

 それぞれにドアを開け、父が助手席に乗り、僕が運転席に乗る。

 こうなると父の日ごろの運転も心配だが、僕も決して運転に自信があるわけではない。何せ、こうして実家に帰ってきたときぐらいしか、運転する機会はないのだ。

 東京にいるあいだはまったく運転しない。仕事ですることもないし、個人的にすることもない。車を持ってもいない。

 運転免許自体は大学時代にとったが、そのころはすでに東京にいたので、こちらで乗ったりもしていない。だから、ほぼペーパードライバー。いや、ほぼでもない。完全にペーパー。

 ただ、この辺りは東京とちがって交通量が多いわけではないし、道がそこまで入り組んでいるわけでもないから、僕でもどうにかなる。土地鑑もあるので、そんなにこわくはない。

 それに、海岸沿いの鏡ヶ浦通りに出てしまえば、あとはもうまっすぐなのだ。五分も走れば、イオンタウン館山に着く。そしてそこの駐車場は、確か屋外。一台分のスペースが限りなく狭かったりする屋内駐車場ではない。

 実家からJR館山駅までが、歩いて十五分。その向こうにあるイオンタウン館山までは、駅から歩いて二十分。だからさすがに車でないときつい。

 東京なら地下鉄なり何なりでササッと行けてしまうが、ここではそうはいかない。あるのは路線バスぐらい。地下鉄はないし、流しのタクシーはほとんど走っていない。東京での生活に慣れた身からすれば、どうしても不便さは感じる。

 館山は十八年。東京は二十二年。もう館山より東京に住んだ期間のほうが長いのだから無理もない。僕は完全に東京の感覚でものを見るようになっている。

 今乗っている車はコンパクトカー。父が言ったように、ちゃんと走る。変な音もしない。

 これならだいじょうぶ。二万円も三万円もかけて直す必要はないだろう。この車はそこそこ長く乗っているから、次の車検前までとするべきかもしれないし。だがすでに高齢の父が新たに車を買うのも微妙だ。

 すぐ隣、助手席にいるその父と何を話そうかと考え、何も思いつけないまま、言う。

「何か、変わったことない?」

「何だ、変わったことって」

「それはわかんないけど、何か」

「ないよ」と父はあっさり言う。「富生はどうだ?」

「うーん。僕もないよ」

「仕事は順調か?」

「順調というか、まあ、普通だね」

「そうか。普通か。普通なら、いいか」

 何なんだ、この会話。と思うが、しかたない。

 そもそもあまりしゃべってこなかった相手と久しぶりに会うと、こんな感じになる。特にこうした狭い空間では、無理にしゃべろうとしてしまう。そして結局、意味のないことを言ってしまう。

 だがそこで、あ、これを言えばいいのか、と思いつき、僕は言う。

「車検、次が三回めだよね?」

「車検。どうだったかな」

「確かそうでしょ。お母さんが亡くなったあとに買い替えて、この車だから」

「じゃあ、そうなんだな」

 それまではずっとセダンだったが、そこでコンパクトカーに替えたのだ。母が亡くなってからは父が一人で乗ることになるし、遠出をすることもないだろうから。

 もう軽自動車にしてもいいのではないかとそのとき僕は言ったのだが、父がそれを嫌った。思いのほか強く反応した。狭苦しいのはいやだ、軽なんかにはしない、と。まあ、父が自分のお金で買うのだから、僕も強くは薦めなかったが。

「車はまだ結構乗ってるの?」と尋ねてみる。

「買物に行くときぐらいだな」と父は答える。

「店には歩いてもいけるでしょ」

「でも乗っちゃうな。せっかく駐車場もあるし」

 スーパーは実家から近いのだ。歩いて十分もかからない。ウチの場合は、コンビニよりスーパーのほうが近い。

「散歩とか、したほうがいいんじゃない?」

「散歩は散歩でしてるよ。買った物を持って歩くのはしんどいから、買う物が多いときは車で行く」

「そういうことならいいけど」

 いいが、その駐車場で車をほかの車にぶつけてしまったら、と考えると少しこわい。それもあり得ないことではないのだ。自宅の車庫でもぶつけてしまうのなら。自宅だから油断してそうなったのだとは思いたいが。

 父は今、七十八歳。

 かつては土木の建設資材、コンクリートなどを扱う会社に勤めていた。定年退職したあとも何年かはそこで働かせてもらった。

 完全にやめてからは、同い歳の母と二人、ここ館山の家で穏やかに暮らしていた。そう、たぶん穏やかに。

 家はごく普通の一戸建て。二階に二部屋の3LDK。狭いながら庭もある。いくつかの木々が植えられてもいる。

 六年前に、母が亡くなった。七十二歳。早すぎはしないのかもしれないが、女性の平均寿命からすれば早かった。

 それでがっくりきたのか、父は一気に老けこんだ。元気がなくなり、外にもあまり出なくなったらしい。それこそ庭の木々の手入れや軽めの散歩をする程度で。

 やがては同じことを何度も言うようになった。

 母が亡くなってから、僕も一ヵ月に一度は父に電話をかけることにしていた。僕自身が忘れないよう、かけるのは毎月一日、と決めてもいた。父が同じことを何度も言うようになってからは、月二度に増やした。毎月一日と十五日、だ。

 電話をかけたときは、こちらからそれとなくいろいろ尋ねてみた。例えば近所の人のことや、近所のスーパーのことなどを。

 父がたいていはすんなり答えられたので、どうにか安心していた。といっても、これに関しては、僕自身が安心したいがために質問の難易度を下げていたような部分も少しある。

 四十代五十代でも、同じことを何度も言う人はいる。四十歳の僕だって、時には重要なことを忘れたりもする。七十代後半でそれなら別におかしくない。日常生活は問題なく送れているのだからだいじょうぶ。

 そう考えていたのだが。今回はちょっとちがった。

 

「あなたが僕の父」は全3回で連日公開予定