折れていないというのに……
「こたつの角に膝をぶつけたから病院へ連れてってくれ」
茶の間に座り込んで膝を擦りながら父が訴えてくる。
「病院へ行くほど痛いの? 打撲くらいだったら湿布を貼っておけば済むんじゃない」
ちょっとぶつけたくらいで病院へ行っていたら切りがない。
「たぶん折れてると思う」
な、わけはないと思うけど。
「そんなに痛いの?」
「いてーよ」
大袈裟なのはいつものこと。
「もし折れてたら入院だよ。それでもいいの?」
「仕方ねーなあ」
「I整形外科には入院病棟がないから、T総合病院へ直接行くけど、それでもいいの?」
「いいよ」
「だったら、すぐ車に乗って」
「よっこらしょ」
と立ち上がると、脚を引きずりながらも自力で車まで歩いてくる。
病院に到着し、父を車椅子に乗せて受付を済ます。
待つこと三十分、思ったより早く順番が回ってくる。
「どうしました?」
「大したことないと思うんですけど……。こたつの角に膝をぶつけたとかで、かなり痛がってましたので念のために」
父に代わって答えるが、何ともバツが悪い。
「どちらの膝ですか?」
「どっちだったっけなあ……」
はて……?
どっちかわからないってどういうこと!
苦笑いをした医師に向かって、「すみません」。頭を下げる。
「ここは痛いですか? こっちはどうですか?」
診察台に寝かされた父の膝の周りを軽く押しながら、医師が質問を繰り返す。
「いててて……。先生、そこそこ。そこがいてーんだよ」
「打撲だとは思いますが、念のためレントゲンを撮りましょう。いま看護師がレントゲン室にご案内しますので」
看護師の誘導に従い、車椅子に乗った父をレントゲン室へ連れていく。
十数分後、撮影を終えレントゲン室から出てきた父は、いつも行く個人病院のレントゲン室より設備が整っていたからなのか、
「ここの機械はすげーぞ。あの機械で撮れば安心だ」
随分とご満悦だ。
診察結果は、骨折ではなく、ただの打撲。痛みも、二、三日で引くだろうとのこと。
「湿布と痛み止めを出しておきますので、二、三日様子を見てください。痛くないようでしたら、痛み止めは飲む必要ありませんので」
「わかりました。様子を見て、また連れてきたほうがよろしいでしょうか?」
「いえ、一週間分の湿布を出しておきますので、たぶん大丈夫だと思います」
まあ要するに、予想通り大したことないということだ。
「ただの打撲だから、二、三日湿布しておけば治るって」
そう伝えたにもかかわらず、
「今日は病院へ行かなくていいのか?」
朝一番で、毎日のように聞いてくる。
「だから! 折れてもいないし、ひびも入っていないから、湿布を貼っておけば、二、三日で治るって先生もおっしゃってたでしょ」
「でも、念のために行ったほうがいいんじゃねーか」
「だから! 行ってもやることはないの」
何度説明しても、また翌日には同じことを聞いてくる。
「T病院の整形外科の先生はすごいぞ! 若いのに腕がよくて、折れてた膝があっという間に治ったからよ」
だから、折れてませんって!
来る人来る人に、鼻を膨らませて力説する。
先生の腕がいいかどうかはさておき、設備の整ったレントゲン室が気に入ったのだろう。まるで、はじめての工場見学に行った幼児並みの思考回路だ。
高齢故に痛みが引くまでに数日掛かったが、一週間後には何事もなかったかのようにヒョコヒョコと歩いていたので、もう問題ないのだろう。
ちなみに、介護区分認定の際に参考とされる「長谷川式認知症スケール(アルツハイマー型認知症の判定に使われる)」の結果は三十点満点中二十点以下で認知症の疑いとなるのだが、老父母共に二十点を上回る。足し算や引き算などの計算も比較的得意なためか、アルツハイマー型認知症と判定されることはない。
ただ、些細なことで狂犬と化し、感情のコントロールが利かない二人の様子を観察していると、迷惑な行動を取る「前頭側頭型認知症」や幻覚や手の震えなどの症状が出やすい「レビー小体型認知症」の傾向が出はじめているのではないかと、素人ながらに思うのだが……。この辺りのことは専門家ではないので断言はできない。
この続きは、書籍にてお楽しみください