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老親との同居は下らなくもやっかいな出来事の連続である

 

 私がUターン移住した故郷の地は、東京からアクアラインを使ってマイカーで一時間半ほど。温暖な気候の上に、ドラッグストア、スーパーマーケット、コンビニエンスストア、銀行、クリニックなどが徒歩圏内にあるため、日常生活には支障がない。

 だが、九十歳を超えた老父母や叔母夫婦の通院には、やはり車での送り迎えが必須であり、その頻度はと言うと、整形外科に、眼科に、皮膚科に、歯科に、総合病院に……と、週に二日から三日は出動要請がある。

 特に、外出好きな母にとっては、病院さえも待ちに待ったお出掛け先のひとつ。

「山芋を食べたら口の周りが痒くなったから、すぐ皮膚科に連れてって」「草むしりをしたら腰が痛くなったから整形外科まで乗せてって」など、何かと理由を付けては病院へ行きたがるのだ。

 ただ、そのたびに駆り出されるこっちは堪ったものではない。

 病院へ行くほどでもないと判断し、「そんなに痒いなら、口の周りを洗って軟膏を塗っておいたら」「今忙しいから、午後からにしてくれる?」なんて言おうものなら、「お前は、いざというとき役に立たない」「気持ちよく連れていってくれた例ためしがない」と、鬼の形相で食って掛かってくる。

 Uターン移住し、老父母の病院への送り迎えをするようになると、まずは窓口で支払う医療費が想像していた以上に安いことに驚かされた。高齢者の医療費負担は基本一割(収入によってはそれ以上の人もいるが)。我が家の目の前は処方箋薬局が併設されたドラッグストアだが、そこで風邪薬や湿布を購入するより、病院で薬を出してもらったほうが安いのだから、大したことでもないのに病院へ行きたがる高齢者の気持ちもわからないではない。

 病院の待合室が高齢者の社交場と化している、とも言われているが、我が家近くのクリニックも総合病院も、いつ行っても大勢の高齢者で溢れかえっている。

 年に一度、役所から送られてくる医療費明細を見て、私は腰を抜かしそうになった。母が実際に支払っている年間の医療費(一割)は数万円程度だが、国から医療機関に支払われている総額は母の国民年金の年間の受給額を大きく超えていたからだ。

 ただ、その負担は現役世代に重くのし掛かっている。

 本当に病院へ行く必要がありますか。病院へ行くほどの症状ですか。

 母から、「病院へ連れてって」と命令口調で言われるたびに胸奥がざわざわするが、

「お前が乗せてってくれないなら、救急車を呼ぶ」

 なんて言いだすのだから、なぜこんなにも自分本位の態度が取れるのかと、怒りを通り越して呆気に取られる。

 いまを遡ること六年前、寄ると触ると下らないことで喧嘩をはじめるなど、八十代の後半になった老父母の言動が日に日に怪しくなり、自立した生活が困難になってきた彼らの介護要員として故郷にUターン移住するとすぐ、東京の山手線内の暮らしでは必要としていなかったマイカーを購入する。

 納車日に自動車販売店からレモンイエローの軽自動車を運転して実家へ戻ると、

「おー、この色は目立っていいや。どこにいてもすぐわかるかんなあ」

 運転免許証を返納して数年になる父は、待ってましたとばかりに茶の間の掃き出し窓を開けて顔を出し、「お前が運転してくれると助かるよ」と言いながら、心許ない足取りで庭に出てくると、やはり気になるのだろう。

「で、いくらだった? 軽だって、新車はそれなりにするんだろ」

 価格を聞いてくる。

 スーパーやホームセンター、総合病院などの巨大な駐車場でもすぐ見つけられるようにと選んだ色だったので、

「白やグレーだと、どこに停めたかわからなくなっちゃうと思って、ちょっと派手だけどこの色にしたんだよね」

 父とこんな話をしていると、

「私はお前になんか乗せてもらわなくても、K子ちゃんに頼むからいい」

 母が私に向かって言い放った。K子ちゃんとは、市内に住む父方の従姉妹のことだ。

 はて……?

 私は首を傾げる。

 なぜこの人は、相手の気持ちも考えずに、こういうことを平気で言うのだろうかと。

 

 まだ私が東京で暮らしていたときのことだ。

 クリスマスシーズンだったと思うのだが、ケーキやプリンなどの洋菓子が大好きな母のためにKIHACHIのホールケーキを買って帰省すると、「そんなもの持ってきても誰も喜ばない」と言われ、呆気に取られたことがあった。

 いついかなるときも食欲旺盛な母が胃腸炎で入院したとの電話を兄から受け、取るものも取りあえず、東京駅から高速バスに飛び乗って病院に駆けつけると、

「お前が帰ってきても、何の役にも立たない」

 ベッドに横たわり点滴をしていた母からこんなひと言を浴びせられる。

「いくら親子でも、その言い草はないでしょ!」

 腹立たしいなんてものではないが、そもそも人一倍我が強いというか、負けん気が強い母は、年齢と共にその性格が際立ってきている。可愛いおばあちゃんの対極を行く憎たらしさ。でもまあ、年寄り相手に憤ったところで空しいだけ。そのときはそう思って右から左へ聞き流した。

 がしかし、同居後はさらにその傾向が強くなっていく。

 自身の老いを受け入れたくないのか。家庭内での主導権を娘に奪われたくないという心理が働いているのか……。理由は定かではないが、事あるごとに憎まれ口全開でマウントを取りにくる。

 でもまあそれだけなら、「年寄りの冷や水」と受け流すこともできるのだが。

「私は、息子や娘に頼らなくても何でも一人でできる」「娘なんて帰ってきても何の役にも立ちやしない」と、ご近所の老人会仲間相手に庭先で、しかも耳が遠いがために大声でしゃべりまくっている。

 はて……?

 そのたびに、私は首を捻る。

「私はお前になんか乗せてもらわなくても、K子ちゃんに頼むからいい」

 そうのたまっていらしたのに、

「すぐ病院へ連れてって」

「スーパーまで乗せてって」

 そう命令口調で指令を出してくるのは、どこのどなた様でしたっけ? と。

 

 

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