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なぜ、そんなに病院へ行きたがるの

 

 Uターン移住後、毎週土曜日の朝八時半になると同時に、九時にはじまるI整形外科まで老父母を送っていくのが任務のひとつとなる。

 しかも、大雨が降ろうが、突風が吹こうが、「今日は、天気が悪いからやめておこうか」とならないどころか、

「あー、腰が痛い。膝が痛い」

 母の猛アピールがはじまるのだから、なぜ、そこまでして病院へ行きたいのかが、私にはまったく以て理解できない。

 ある月曜日の昼下がり、二階の自室で仕事をしていると、

「腰が痛いっておとうさんが言ってるから、すぐ病院へ連れてって」

 母がいつも通りの命令口調で指令を出してくる。

「でも、一昨日おとといの土曜日に行ったばかりだよね」

 大袈裟なのは、いつものこと。お出掛け大好きな母は絶好の外出の機会を逃したくないのだろう。

「おとうさんが痛がってるんだから放っておけないでしょ」

 仁王立ちして、その場を動こうとしない。

 毎週土曜日の朝イチで整形外科に向かうのは、予約診療をしていないからで。せっかちで気が短い父は、たかが三十分待たされるだけで機嫌が悪くなるのだ。

「休み明けの月曜日は、一時間、二時間待ちが当たり前なんだよ。それでも行くの?」

 念のために確認すると、母にそそのかされて行く気になっていたからだろう。

「それでも行く」

 父は、そう断言する。

「だったら、早く支度して。明日までにやらなきゃいけない仕事があるんだから」

 そう父に告げると、ポシェットを斜めがけにした母が父より先に靴を履きはじめる。しかも、喜び勇んで。

 何で、あなたが張り切ってるのよ! そもそも、あなたは一緒に行く必要ないでしょ。

 声を出さずに、母の背中に向かって毒を吐く。

「ただいまの待ち時間は、九十分です」

 カウンターには、そう表示されたボードが掲げられている。

「あら、久しぶり。最近会わないと思ったら、月曜日に来てるんだ」

 顔見知りのおばあさんでも見つけたのだろう。母ときたら、父そっちのけでおしゃべりをはじめている。

 十五分ほど経っただろうか……。

「もう治った。来ねばよかった」

 私の隣に座っていた父が宣った。

 はて……? いま、何とおっしゃいました?

 私は首を捻り、父を見る。

「もう帰るから、車を玄関まで回してくれ」

 再び父が宣った。

「月曜日は相当待たされるって言ったよね。それでも行くって言うから来たんでしょ。いまさら治ったって、どういうこと!」

 父の耳元で、語気鋭く問い詰めるが、人の話など聞いてやしない。

「いいから早くしろ!」

 人を振り回しておいて、威張りくさっている。

 言いだしたら聞かないのはいつものこと。

「土曜日以外は、どんなに痛がっても二度と来ないからね」

 引導を渡すが、せっかちな父はすでに椅子から立ち上がっている。

 受付で事情を説明し、診察券を返却してもらうと、おしゃべりに興じていた母に「治ったから、もう帰るそうです」とだけ言い、私は駐車場に向かう。

 帰りの車の中では、

「おとうさんったら、本当に我が儘なんだから」

「大したこともないのに、お前が行ったほうがいいってうるさく言ったからだろ」

 いつもの夫婦喧嘩がはじまっている。

 自宅に戻ってからも、腹立たしさはそう簡単に収まらない。

 仕事のスイッチが入るまでしばらく時間を要するのだから、まさに踏んだり蹴ったり。

 これでも高齢者は弱者なのだろうか……?

 大いなる疑問が私の頭の中で消えたり現れたりを繰り返している。

 

 また別の日の午後一時過ぎ、昼食用のパスタを茹でていると、

「目薬が切れちゃったから、急いでW眼科まで連れてって」

 連れていくのが当然とばかりの口調で、母が指令を出してくる。

「私、パスタ茹でてるから、後でいい?」

 見ればわかるだろ!

「今日は、診療が午後の二時までの日だから、すぐ行かないと間に合わないんだよ」

 相変わらずの身勝手振り。しかも、「切れちゃった」ってどういうこと?

「少なくなってきたから、都合のいいときに連れてって」ならまだわかるけど、何で、今日の今日なの? 第一、「私はお前になんか乗せてもらわなくても、K子ちゃんに頼むからいい」って、啖呵切ったのはそっちだよね。

 そう言い返したいのは山々だが、自分勝手大魔王に何を言っても時間とお金の無駄。私に断られると、タクシーを呼んででも、自分の行きたいところには行きたいときに行く。それがウチの母だからだ。

 ざるに上げたパスタにオリーブオイルをまぶし、保存容器に入れて冷凍庫に放り込む。

 W眼科の入り口で、

「終わったら、受付で電話を借りて掛けてくるんだよ」

 携帯電話を持っていない母にそう伝える。

 自宅に戻り、電子レンジでチンしたパスタにレトルトのトマトソースを掛け、飲み込むように昼食を済ませる。

 待つこと一時間。その日の診療が終了する時刻の二時を過ぎても、母からの電話は一向に掛かってこない。

「三十分ほど前にお帰りになりましたよ」

 W眼科に電話で確認すると、そんな答えが返ってくる。

 一体、どこで何をやっているのやら。

 

 

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