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第一章 手記

 私はチクワに殺されます。
 チクワとは、あのチクワです。決して、人の名前でも、殺しを生業とする組織の名でもありません。紛れもなく、万人が万人とも思い浮かべるであろう、魚肉のすり身を筒状にして焼き上げた、竹の輪と書いてチクワと読む、水産加工食品チクワです。
 とは言いましても、毒入りのチクワが口中へと飛び込んでくる訳ではありませんし、ましてや、チクワに手足が生えて襲い掛かってくる訳でもありません。
 むしろ、その程度のことで済んだのであれば、どれほど良かったであろうと、間もなく生命が尽きようとする私は思うのであります。
 このような言葉だけでは、私が何を伝えたいのか、まったくもって想像もつかないことでしょう。
 私がこの手記を残しますのは、未だ危機を察していない市井の皆々様に、警告をすることが目的であります。私の死を最後に、これ以上の犠牲を出してはならぬ、という魂の訴えであります。
 どうか、この手記を手にされたのであれば、お終いまでお読みください。
 そうすれば、何故、私は殺されるのか、また何故、警告が必要であるのかが、明白になることでしょう。
 その上で、願わくば私の遺志を継いで欲しいと思うのです。
 さて、仰々しく前振りを記してはみたものの、私の体験した諸々の出来事は、あまりにも常軌を逸しておりますため、何から書いて良いものかと迷ってしまいます。
 つきましては、回りくどいと思われるかも知れませんが、順を追って、ここに至る経緯を説明したいと思います。
 事の始まりは五ヶ月前、一月中旬のことです。
 都内で稀に見る大雪が降った日の翌々日のことですから、日付は一月十日だったと思います。
 当時、私は小さな運送会社においてトラックの運転手として働いておりました。いわゆるルート配送という業務を担当し、何年にも亘って、ほぼ同じ時刻に、ほぼ同じ道を走るという毎日を過ごしておりました。
 私の操るトラックは中型の冷蔵車で、運ぶものは食品でした。早朝に茨城の海沿いにある加工工場から荷を受け取り、その日のうちに、都内スーパーマーケットなど複数の商店に送り届ける、それが日々の職務でした。
 単調と言ってしまえばそれまでですが、私なりに責任感と誇りを持って勤勉に仕事に取り組んでいたと自負しております。そのような姿勢を評価されてか、はたまた毎日顔を合わせているからか、取引先の方々には非常に懇意にしていただきました。
 先に述べた一月十日も、もちろん、まずは加工工場へと向かいました。
 ただし、前日の配送が雪のために中止でしたので、荷物の量が多いであろうことは容易に想像が出来ましたし、何より、まだ雪がだいぶ残っていましたので、遅延してはならぬと考え、普段よりも早い時刻に現地に入りました。しかし、まだ日が昇るよりも前だったため、工場のプラットホーム(搬入口)のシャッターは、降ろされたままでした。
 駐車場にトラックを停め、さすがに来るのが早過ぎたか、などと思いながら、運転席で白い息を吐いて両手を擦り合わせておりますと、誰かが窓を叩きました。
 そこにいたのは、日頃お世話になっている工場の職員の方でした。私と同年代の女性です。窓を開けますと、彼女は、「すみませんね。お待たせして」と、その土地特有の抑揚のある言い方をして、誠に申し訳なさそうに頭を下げたのでした。
「いいえ。とんでもないです。勝手に早く来ただけですから」
 私が恐縮しながら、そのように返事をしますと、彼女は益々申し訳なさそうな顔をし、それから、「渡したいものがあるので、待っていてください」と言って、工場へと走っていきました。
 渡したいもの、と言われましても、運ぶべき荷物の他に心当たりがありません。訝しみながらも得意先の方に邪険な態度をとる訳にもいかず、私は、トラックを動かさず、窓も閉めず、言われた通りに彼女を待つことにしました。
 しばらくしますと、彼女は半透明のビニール袋を手に戻ってきました。
「これ、崩れてしまって売り物にならないのです。ご家族と一緒に、是非、召し上がってください」
 そう言って、彼女は私に手元の袋を差し出しました。
 袋の中身は、チクワでした。半透明のビニール生地の向こうに、焦げ目のある小さな円柱が十本ほど見えたのです。
 私が通っていた加工工場は、もう察しがついていることとは思いますが、水産物の加工工場でした。カマボコ、ハンペン、サツマアゲ、そして、チクワなどを製造している会社です。彼女を含む親しくしていただいた職員の方々に迷惑が掛かってはなりませんから、その社名こそ伏せますが、そこそこ名の知れた企業であるということだけは記しておきましょう。
 さて、差し出されたチクワについてですが、彼女曰く、たとえキズモノであろうと、社外の者に無償で与えてはならぬ、という規則があるそうです。しかしながら、私にはいつも世話になっているので受け取って欲しい、とのことでした。
 彼女としましても、差し出したものを引き下げる訳にはいかないでしょうから、私は深々と頭を下げ、快く、そのチクワを受け取りました。
 こわれ煎餅、というものは見たことがありますが、こわれチクワ、というものを見るのは初めてです。なかなか粋なものを頂いたと思いながら、中身の入った袋をポイと助手席の上に投げて、それから私は、いつも通りの積み込み作業に取り掛かりました。
 早くから作業を開始したものの、やはり雪の影響は大きく、午前中に終えるはずの配送が終了した時には、既に午後二時となっていました。
 休憩を取らずに配送を続けようかとも考えましたが、なにぶん、空腹感に苛まれていたものですから、結局は、日頃から昼食のために立ち寄っている街道沿いのコンビニエンスストアにトラックを停め、そして、申し訳程度にお茶だけを購入して、頂いたチクワを車内で食べることにしました。

 

「私はチクワに殺されます」は全5回で連日公開予定