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 届いたばかりの野菜は、なるべく素材そのままを味わいたい。
「野菜焼き、食べる?」
 ノエチに訊くと、
「食べる」
 とうれしそうに答えたので、人参、玉ねぎ、メークイーン、紅はるか、大長なすを薄切りにして、塩こしょうと香草のシンプルな味つけで、野菜焼きにする。
 あとは、豆腐と特大なめこのお味噌汁をつくり、土鍋でご飯を炊いた。
 よそったばかりのご飯とお味噌汁から、白く湯気が立ち上っている。ノエチとふたり、お茶の間のちゃぶ台に向かい、いただきます、を明るく言う。きつく焦げ色のついた野菜も、中はほくほくで、ジューシー。甘く、自然な味がする。
 新型コロナ以降のルールをきちんと守りながら、おたがい今日最新の嫌なことを話していきどおったり、嘆いたり、茶化して笑ったりしながら気持ちをほぐす。

 昭和三十年代の半ばに建った団地は、築六十年になる。
 古いデザインなので棟と棟のあいだはゆったりと広く、花壇や住人用の菜園のスペースも多くとられている。小さいながらも集会所があり、公園が二つもあり、駐車場だって広い。団地脇の商店街を通り抜ければ、すぐに私鉄の駅もあった。
 ただ、住まいのある十何棟はどれも、エレベーターのない四階建てで、昇降には不便だった。幸い奈津子の家は一階だったけれど、三階以上の、とくに高齢の住人にはツラそうに見える。
 十数年前に建て替えの計画が持ち上がってからは、大規模な修繕工事は行われず、汚損した箇所をその都度補修するばかりだったから、実際のところ、さすがに年代物、ちた建物の印象はぬぐえないかもしれない。
 室内も当然、基本は昭和の団地仕様だった。板の間と畳の部屋が三つ。素っ気ない流しと洗面台。ガスコンロとシンプルな換気扇。一度交換したはずだけれど、昭和感のただよう白い湯沸かし器。
 物心ついてから、いっしょに年を取ったから、そんなに古いとも今さら思わなかったけれど、もし自分が今若ければ、ここに住むのは嫌かもしれない。
 一度、奈津子がしみじみそんなことを口にすると、
「前に住んでたお隣さん、おんぼろ団地に住んでるって子どもが学校でからかわれるから、って引っ越したよ。それが、もうだいぶ前だけど」
 ノエチが教えてくれた。そのお隣さんは、奈津子たちよりも下の世代だった。
 建て替えの計画は、なんだか予算のことと、立ち退く住民への補償のこともあって、開始がだいぶ遅れていたけれど、敷地内にあった保育園もすでに移転してしまったし、賃貸で新たに住人を入れることもやめて久しかったから、もうずいぶん前から空き室が多くなった。
 そもそもファミリー向けの団地だったのに、昭和の子どもが成人して出て行き、平成の子どもたちも出て行き、今は連れ合いに先立たれた高齢の単身世帯も少なくない。
 奈津子の家は、たまたま娘が出戻って同居しているけれど、親は完全にその第一世代だった。
 ノエチの家は、両親とも健在だけれど、年齢的には、ふたりとも奈津子の母親よりも上だった。ノエチによれば日々いろいろ口うるさくて、そのくせ隙あらば甘えようとする年頃に入ったそうで、それも彼女がしょっちゅう奈津子の家に入りびたる理由のひとつになっている。

 ドリップ式のコーヒーをいれ、買い置きのひとくちバウムをデザートに出すと、ノエチとふたり、録画してあったBSの「断捨離」番組を見た。
 断捨離のエキスパートの女性が、うまく片づけられない、モノだらけの家を訪ねて、あらあら、と驚き、うんうん、と話を聞き、でもさあ、と問題点を指摘し、そっか、わかった、とほんの少しだけ住人の気持ちをくみつつ、だったらこうしよう、と提案し、すっきりした未来の部屋を想像させ、さとし、励まし、よし、やってみようか、と住人自身にモノを減らさせる娯楽番組だった。
「いやいやいや、これくらいはたいしたことないよね」とか、「捨てない! そのお皿は捨てないって」とか、「この娘、感じ悪くない?」とか、「でも両親が亡くなって家の中を片づけるの、結局この娘だもんねえ」とか、「おじいさんって、なんでいきなり怒るんだろう」とか、我が身のだらしなさをちょっと脇に置いて、人の家の様子にあれこれ口をはさむのに、古くからの友人はうってつけの相手だった。
 今さら気取ったり、いい人ぶったり、好きなものを好きでないふりをしたりと、なにかを取り繕う必要もない。
 なにしろノエチとは、保育園のときからの友だちだった。今は移転してしまった、あの団地内の保育園に通っていた。
 小学校も中学校も地元の公立で、ずっと一番の友だちだったから、おたがいの小さな恥も誇りも、本気だった初恋のゆくえも、ほとんどその場で目にしている。
 その後はべつの高校へ進み、進学や就職、事実婚のパートナーとの同居や、つづかなかった結婚など、それぞれの道を歩んだけれど、まず友情が途切れたことはなかったし、さほど遠くに住んだこともなかった。
 そして今はまた同じ団地の実家にどちらも住んでいて、こうして始終顔を合わせている。
 おたがいもう五十になったから、つまりそれだけの付き合いになる。
「あ~、今回は先生じゃなくて、行くのは弟子のほうか。これは今いちだな」
 録画した断捨離番組では、いつものエキスパートの先生は家の様子をリモートで見ているだけで、直接現地を訪れてアドバイスするのは、門下生だという別の女性だった。
「受け売りっぽいもんね、先生の」
「でも、門下生もこうやって教える側に立てるのって、教室のいい売りになるよね」
いえもと制だね。断捨離道」
 もはやノエチが自分か、自分がノエチかというで、そんなことへの文句をぽんぽん言って笑える友は、やはり気楽でいい。
 門下生のアドバイスは、思った通り、どこか先生の借り物めいていて頼りなく、そのくせ自信を持って言い切るスタイルなのが、口の悪いふたりの視聴者には不評だった。
 もちろん、それをぶーぶー言って楽しむのだったが。
「あ。コーヒーもっと飲む?」
「飲む」
 カラのマグカップをノエチがすっと差し出し、それを手に取って奈津子は立ち上がった。
 奈津子はむかしから、コーヒーを飲むと心臓がばくばくするので、決して外では注文しないのだけれど、自宅で、ノエチといっしょならと、たまにドリップ式のをいれて楽しんでいる。
 粉はこの前、ノエチと行ったからすやまの商店街で、専門店の若い店員さんにあれこれ質問しながら、それぞれに好みの豆を選んで五〇グラムずつ挽いてもらった。代金は折半。そしてどちらもノエチが遊びに来たとき用にと奈津子が持ち帰った。
 さっきの一杯目はノエチの選んだ粉を使ったけれど、今度の二杯目は奈津子がセレクトしたのをいれて出す。
 学生時代、喫茶店で長くバイトをしていたから、自分はほぼ飲まないくせにコーヒーのいれ方には自信がある。テレビももう終わったので、二杯目は、テラス風にしつらえたベランダに出て飲むことにした。椅子とテーブルを置き、ランタンを下げてある。すぐ先にある団地の庭がしやつけいになって、とても贅沢な空間に見える。
「一杯目と、どっちがおいしい?」
 ノエチが三口ほど飲んだタイミングで聞くと、
「こっち」
 ノエチが答えたので、意味はないけれど奈津子はちょっと勝った気分になった。

 

「団地のふたり」は全3回で連日公開予定