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 俺たちはまず、木陰のベンチに座って、CDウォークマンのイヤホンを片方ずつ耳に挿し、嘉門達夫の『替え唄メドレー』を聴いてゲラゲラ笑った。
 その後、タケシはイエモンのアルバムを聴き始めた。でも、ロックの心得のない俺はすでに興味を失っていたので、さっきの嘉門達夫の替え歌を、イヤホンを挿したタケシの耳元で繰り返し歌ってやった。
「うるせえ、やめろよ~」
 結局、CDウォークマンの時間はほどなく終了となった。二人で遊ぶ時は、基本的にどっちかが飽きたらその遊びは終了だ。
「あ、そうだヨッシー、今度サザンのCD貸してくれよ」
「ああ、いいよ」
「母ちゃんのやつだっけ?」
「うん、そう」
 この少し前に、母がサザンのファンでCDを何枚か持っているという話をしたら、タケシが興味を示したのだった。
「そういえばヨッシーの母ちゃん、昨日また梅酒買ってたぞ。好きだな、梅酒」
「いいよ、そんな報告しなくて」
 俺は苦笑した。母が好物の梅酒を買い込む酒屋は、タケシの家の近所だったのだ。
「じゃあ、今度サザンのCD頼むぞ。約束な」
「おう、分かった、約束な」
 俺たちはアイコンタクトを交わすと、脚をがに股に広げ、股の間でガッツポーズをするように握り拳をぐいっと上げて、声を合わせた。
「男同士のお約束!」
 これは、俺たちの間で流行っていた、クレヨンしんちゃんからの引用のポーズだ。
 クレヨンしんちゃんが社会現象といえる人気になったのは、俺たちが小学校低学年の頃だ。まさに俺たちが、最も影響を受けた世代といえるだろう。低学年の頃に一人称が「オラ」になったり、密かにチンチンの上にマジックで「ぞうさん」を描いてみた男子は、俺を含めて日本中に何万人もいただろう。もっとも「男同士のお約束」は、「ぞうさん」や「ケツだけ星人」といったギャグのように、作中に多く出てくるわけではなかったけど、なぜか俺たちの間では、約束を交わす際のポーズとして定着していた。
「さて、じゃあ何やろっか」
「二人で水風船やっても面白くねえしな」
「じゃあ、森ごっこにするか」
「そうだな、誰もいないから危なくないし」
 俺たちは話し合ってから、「森ごっこ」のスタート地点の滑り台まで自転車を漕ぐ。
「じゃあ、三周な」
「OK」
「行くぞ。レディ、ゴー!」
 タケシの合図で、俺たちは全速力で自転車を漕ぎ出し、広場を三周する。「森ごっこ」とは、要するに自転車レースだった。この遊びは、元々「競輪」というそのままの名前で呼ばれていたけど、この数ヶ月前にSMAPの森君が芸能界を引退してオートレーサーになったのを機に「森ごっこ」という呼び方に変わった。といっても「競輪」の時から変わったことといえば、自転車を漕ぎながら「ブーン」とか「ギュイ~ン」と、オートバイのエンジンっぽい音を口で出すようになったことだけだ。
「イエーイ、勝ち~!」
 最初のレースは、俺が僅差で勝った。タケシはデブだけど、運動能力高めの動けるデブだったので、勝ち負けは半々ぐらいだった。
「くそ、もう一回だ」タケシが言った。
「いいよ」
 俺たちはまたスタートラインに戻ろうとした。
 その時、公園の前の通りを、クラスメイトのマルコが通りかかった。彼女は下の名前が桃子で、ちびまる子ちゃんの本名と一緒だからそう呼ばれていた。
「おう」
「マルコ、何してんの?」
 俺とタケシが声をかけると、マルコが答えた。
「手紙出しに行くの」
 マルコの家から商店街のポストに行くには、公園の前が通り道だった。――あの頃は、携帯電話もパソコンも一般家庭にそこまで普及していなかったし、たぶん携帯電話にメール機能も付いていなかったから、郵便を使う機会は今より格段に多かった。
「タケシとヨッシーは何してんの?」マルコが聞き返してきた。
「森ごっこ」
 俺が答えると、マルコは顔をしかめた。
「マジやめてくんない? 私のSMAPをそうやって侮辱すんの」
「お前のSMAPのわけねえだろ」タケシが鼻で笑う。「しかも森は辞めてるからいいだろ」
「私もお姉ちゃんも、最近やっと森君が抜けたショックから立ち直ったんだから」
 マルコは三歳上に姉がいた。俺たちはSMAP世代のど真ん中よりはちょっと下ぐらいだと思うけど、マルコは姉の影響でSMAPの熱狂的ファンだったのだ。
「マジで私、一生SMAPのファンなんだから」マルコは言った。
「一生って、あと何十年あると思ってんだよ」今度は俺が鼻で笑った。
「そうだよ。あと何十年も経ったら、SMAPだってみんなジジイになっちゃうんだぞ。それに、この先解散するかもしれないし」タケシが言った。
「はあ~? SMAPが解散するわけないじゃん。バ~カ」
 マルコは捨て台詞を残して立ち去った。――約二十年後、彼女はさぞや悲しんだことだろう。
「あいつ、北島三郎に似てるよな」マルコの背中を見送りながら、タケシが言った。
「ああ、鼻の穴な」俺も笑ってうなずく。
「次来たらサブちゃんって呼んでやろうぜ」
「やめとけ。絶対泣くから」
 そう忠告しながらも、タケシならたぶん言うだろうと思った。目先の面白さのために容赦なく人を傷つけるのがタケシだった。
 「よし、じゃ第二レース行くか」
「OK。レディ、ゴー!」
 今度は俺がスタートの号令をかけ、二人で全力で自転車を漕ぐ。「ブ~ン」「ブンブ~ン」と口でエンジン音を出しながら、先行したのはまたも俺だった。ところが、二周目を過ぎた時、後ろにタケシの気配を感じたところで、ドンと背中を押された。
「うわっ」俺は転倒した。
「おい、クラッシュかよ~」
 そう言いながら、タケシはちゃっかりゴールする。
「いててて……押すなよ~」
「ふん、本当のオートレースはもっと激しいぞ」
 タケシが言った。本当のオートレースなんて見たこともないくせに。
「ああ、膝すりむいた」
 俺の膝には血が滲んでいて、じんじんと痛んだ。でもタケシは悪びれもせず、「あれぐらいでこけるなよ~」と笑っていた。
「お前んちで治してくれよ」
「いいけど、金取るぞ」
 これが医者の息子のタケシとの、定番のやりとりだった。自分が転ばせた相手が怪我しても謝ろうとしないなんて、今考えればタケシはひどい子供だった。とはいえ、お互いにこんな調子だったけど。
 ――と、その時だった。
「大丈夫? 転んだの?」
 背後から声をかけられ、俺とタケシは同時に振り向いた。
 そこには、すらっと手足が長く、目が大きくて鼻筋の通った、初対面の女子がいた。
「誰?」
 俺が尋ねると、彼女は微笑んで答えた。
「私、マリアっていうの」
「マリアって、外国人みたいな名前だな」タケシが言った。
「お母さんが外国人なの。私ハーフなんだ」
「ハーフ?」俺は聞き返した。
「片方の親が外国人の子供を、ハーフっていうんだよ」
 タケシが解説した。タケシに意味を聞いて俺が覚えた言葉はいくつもあった。
 ふと、匂いがした。それはマリアの匂いだった。甘い匂いの中に、少しだけ汗の成分が入っている感じだった。でも、「お前、におうな」なんて言うべきじゃないことぐらい、小五にもなれば分かっていたし、そもそも不快な匂いではなかったし、かといって「お前、いい匂いだな」なんて言ったら変態っぽくなってしまうので、結局匂いについては何も言わなかった。
「ていうか、マリア、大野小か?」タケシが尋ねた。
「うん、二学期から転入するんだ」
「何年生?」
「五年」
「俺らと一緒じゃん」
 タケシが言った。少しうれしそうだった。
「俺も、三年の時に転校してきたんだ」俺が自分を指差した。
「へえ、そうなんだ。じゃあ転校生仲間だね」マリアは笑った。
「同じクラスかもな」
「うん、なれたらいいね」
 マリアが屈託のない笑顔で言った。俺はドキッとした。女子が男子に向かって、同じクラスになれたらいいね、なんて言うとは思っていなかった。俺が逆の立場なら、女子にそんなことは絶対に言えないと思った。
「二人の名前は、何ていうの?」マリアが尋ねてきた。
「えっと……こいつがヨッシー」
 タケシは、自分ではなく俺のことを紹介した。――その瞬間「えっ、普通こういう時は自己紹介するだろ」と心の中で驚いたけど、今なら分かる。あれはタケシなりの、照れと緊張を隠す手段だったのだ。
「モノマネ得意なんだよな、ヨッシー」
 タケシが、ネタを振ってきた。俺は思い切って、唯一の持ちネタを披露した。
「ヨッシー!」
 すると、マリアが感嘆した。
「あ、すごい、似てる!」
 俺は、自分のあだ名の元になった、スーパーマリオに出てくる緑色の恐竜『ヨッシー』の鳴き声を練習しているうちに、モノマネをかなり上達させていたのだ。ゲームを持っているわけではなかったのに、友達の家で遊ぶ『マリオワールド』や『マリオカート』だけを頼りに練習したモノマネは、その後も長らく俺の持ちネタだった。
「あ、こいつはタケシね」今度は俺が、タケシを紹介した。
「ダンカン、バカヤロー」
 タケシが首をかくんと傾けながら、ビートたけしのモノマネをした。――タケシも俺と同様、自分の名前にちなんだモノマネを習得していた。しかも俺が転校してくる前の、小学校一年生の頃からずっと、このモノマネをしているとのことだった。
 ただ、俺はそれを見て、マリアに言った。
「こっちはあんまり似てないだろ」
「うん、あんまり似てない」マリアも正直に答えた。
「なんだと? 似てねえとか言うんじゃねえバカヤロー。コマネチ、コマネチ!」
 タケシが俺に向かって繰り出してきたので、俺も応える。
「ヨッシー! ヨッシー!」
「何がヨッシーだバカヤロー。緑色のバケモンじゃねえか」
「ヨッシー! ヨッシー!」
「お前それしか言えねえじゃねえかバカヤロー」
「コマネチ! コマネチ!」俺はヨッシーの声真似でコマネチのポーズをした。
「おいっ、俺のコマネチをとるんじゃねえ、バカヤロー」
「アハハハ」
 マリアは声を上げて笑った。俺はうれしかった。たぶんタケシもうれしかったことだろう。ウケていたのだから、その辺で終わりにしておけばよかったのだ。
 ところが、そこでタケシは、調子に乗ってしまった。
「おいヨッシー、今から冒険だバカヤロー。フライデー襲撃に行くぞ」
 タケシはモノマネしながら言うと、俺の背中にぴょんと飛び乗ろうとした。ヨッシーといえば、当時のスーパーファミコンのソフト『マリオワールド』で、主役のマリオを背中に乗せて冒険するキャラクターだった。タケシはそれを再現したかったのだろう。
 でも、痩せっぽっちの俺と、肥満児のタケシには、歴然とした体重差があった。
「ヨッシ……ぐあっ、重っ!」
 俺は、モノマネをしながらおんぶしようとしたけど、重さに耐えきれず、前に倒れてしまった。しかも、おんぶしようとして両手を後ろに回していたから、地面に手を着くことができなかった。その結果、額を地面にゴツンとぶつけてしまった。
「いてえっ!」
「えっ、大丈夫?」
 マリアが驚いて声を上げたのが聞こえた。
「いたたた……」
 俺は額を押さえてうずくまった。すでにぷくっと腫れていた。これは大きなたんこぶになるな、というのは経験上すぐに分かった。
 ところがそこで、信じがたい言葉が聞こえた。
「いてえなあ、お前のせいだぞヨッシー」
「はあ?」
 あまりの理不尽さに、思わず顔を上げた。するとタケシは、俺の隣で、同じように額を押さえて痛がっていた。でも、加害者感を薄めるために自分も負傷したふりをしているようにしか見えなかった。サッカー選手がファウルを犯した後で、ファウルを受けた選手と同様に痛がってみせているような、あの感じだった。
「人のせいにすんなよ。タケシが乗ってきたのが悪いんだろ!」俺は言い返した。
「お前なあ、ヨッシーだったら人乗せて転ぶなよ。本物のヨッシーがマリオを乗せて転んだの見たことあるかよ。そんなんじゃヨッシー失格だぞ」
「はあ? 意味分かんねえよ。俺人間だぞ!」
 今思い返せば、まさに小学生というバカすぎる内容の口喧嘩だったけど、数分前に膝をすりむき、短時間で二度もタケシに傷を負わされていた俺は、本当に殴ってやろうかと思うぐらい腹が立っていた。ただ、頭の痛みで殴る元気も出なかった。
 タケシというのは、こういう奴だったのだ。絶対に自分が悪いのに、屁理屈をこねて謝らず、責任逃れをしようとする。この先もそんな場面が何度もあった。
「大丈夫? たんこぶできてるよ。誰か大人の人呼んでこようか?」
 マリアが、俺とタケシを交互に見ながら、心配そうに声をかけてきた。
「いやいや、大丈夫」
 俺とタケシは、同時に制止した。思わず声がぴったり揃ってしまった。こんな場面で大人を呼ばれてしまうのは、俺たち悪ガキにとって最も恥ずべきことだったのだ。
「冷やしてきた方がいいんじゃない?」
「いや、マジで大丈夫だよ」
 俺はたんこぶを押さえながらも、やせ我慢して立ち上がった。マリアを心配させてはいけないという一心で、なんとか痛みをこらえていた。
 あの後、マリアと公園で何かをして遊んだのか、それともすぐに帰ったのか、今となってはよく思い出せない。
 ただ、今になって、はっきり分かることがある。
 俺もタケシも、初対面の時からマリアに一目惚れして、舞い上がっていたのだ。
 でも、あれから二十年以上経って、こんな結果になってしまったのだ――。
 回想を終えた俺は、哀しい気分で、帰り道で買ってきた缶の梅酒をすすった。母の影響で、いつの間にか好物になっていた梅酒を――。

 

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