第1章 侵入と再会

2019年7月3日

 俺の名前はヨシト。「善人」と書いてヨシトと読む。
 そんな名前の俺だけど、ほんの数時間前に刑務所を出たところだ。
 これで前科二犯。「名は体を表す」ということわざを真っ向から否定する人生だ。
 それにしても、前科二犯というのも不思議な呼び方だ。字面じづらをぱっと見ただけなら、二回しか罪を犯していないのだと思う人も多いだろう。でも「前科何犯」というのは、犯した罪の件数ではなく、刑罰を科された回数を表すので、俺は前科二犯だけど、実際に罪を犯した回数は百回を超えている。だって空き巣なんて一回やれば確実に稼げるような仕事じゃないもん。忍び込んだのにめぼしい物がなくて、何もらずに帰ることだってざらにある。そんな空振りの住居侵入も含めれば、百回なんて軽く超えてしまうのだ。百回以上も罪を犯したのに前科二犯なんて、百人以上メンバーがいるのにAKB48と名乗ったり、何時間もテスト勉強をしたのに「全然勉強してないよ~」と友達に嘘をついたりするのをしのぐレベルの過少申告だ。
 そんな前科二犯の俺は、前回の刑期が懲役一年三ヶ月で、今回はしっかり二年食らった。合計三年以上の刑務所暮らしのせいで、体もずいぶん痩せた。まあ服役前から痩せてはいたけど、たぶん今が成人して以来最軽量の体重だろう。
 それでも、太っているよりはずっと健康的だし、以前は好きだった酒や煙草も、今では体が全然欲していない。あんなものは一度強制的に絶たれてしまえば金がかかるだけだと気付く。俺は長生きしてしまうのかもしれない。ちっともしたくないのに。
 で、出所したからといって、身元引受人がいるわけではない。いれば仮釈放も通ったかもしれないけど、俺にはいないから仮釈放の申請もしなかった。満期で出て、何のあてもなく娑婆しやばに放り出されるだけ。
 となると結局、頼れるのは昔の仲間だけだ。
 電車を何本も乗り継ぎ、最後はJR中央ちゆうおう総武そうぶ線の各駅停車に乗って、ひがし中野なかのにやってきた。捕まってはいないだろうと思っていたけど、もしかすると引っ越してはいるかもしれない。今も住んでてくれよ、と願いながらなじみのアパートまで歩いた。二年間のお勤めを挟んでも、道順は忘れていなかった。
足音がガンガンと響く外階段を上り、二〇一号室の前に来たところでホッとした。ドアに貼られた招き猫のシールと、中から聞こえるテレビの音が、スーさんの健在ぶりを物語っている。「ピンポーン」の「ポーン」の音だけ鳴るドアチャイムを押すと、1DKで家賃がたしか六万円の部屋の中から、ゴソゴソと物音がした。そして、白髪交じりの短髪の無精髭が顔を出した。
「おおっ、久しぶりじゃねえか」
 スーさんは、一本欠けた前歯を見せて笑った。二年前と少しも変わらない顔だ。
「本日、こっちの世界に戻ってきました」俺はおどけて敬礼した。
「ああ、今日だったのか。……痩せたな」
「元々痩せてるけどね」
「そうだな。まあ入れ」
 そんなやりとりだけで、俺を招き入れてくれた。このおおらかさも二年前と同じだ。
「しばらくはここにいるんだろ?」スーさんが尋ねてきた。
「ああ、悪い、また世話になっていいかな」
「おお、好きにしろ。まあ、ちょっとぐらい家賃は入れてもらいたいけどな」
 当面の寝床も確保できた。俺は「ありがとう、マジで助かる」と心から感謝した。
「いや~、しかし今日が出所だったか。もし明日だったら俺はいなかったから、危ないところだったな」スーさんが言った。
「え、明日何かあるの?」
「ああ、実はちょっと、明日から出かけるんだ」
 スーさんは、どこか浮かれた様子で答えた後、ふと思い付いたように提案してきた。
「そうだ、まだ昼間だけど、出所祝いの酒盛りでもするか?」
「う~ん、いいや」俺は断った。
「そうか、残念だな。お前の昔話が聞きたかったのに」
「昔話?」
「酔っ払って親とかダチの悪口言ったり、昔の女を懐かしんでたの、覚えてねえか」
「えっ、俺そんなこと喋ってた?」
 本当はうっすら覚えているけど、全然覚えていないふりをして俺は首を傾げた。
「じゃあ、ますます飲まないよ」
「ハハハ、そりゃ残念だ」
 スーさんがまた欠けた前歯を見せた。二年のブランクを感じさせない、他愛もない会話だ。
 俺は、前回の出所後もスーさんを頼ったし、今回も頼れるのはスーさんしかいないと思っていた。でも、正式に身元引受人になってもらうわけにはいかなかった。
 なぜなら、スーさんも現役の空き巣だからだ。
 スーさんは表の仕事もしているけど、裏稼業の空き巣を人生の半分以上、俺の人生と同じぐらいの年数続けている。でも刑務所には、駆け出しだった約三十年前に一度入っただけ。それ以降は無敗記録を継続している。というのもスーさんは、被害に遭ったことを被害者に気付かせもしない、腕利きの泥棒なのだ。痕跡を残さず侵入し、住人が気付かない程度の金品を盗んで去って行く。表稼業のフリーターの収入と合わせれば、それで十分食っていけるらしい。俺もその境地に達したいけど、すでにスーさんより多い前科二犯になってしまったし、仕事の技術が足元にも及ばないから難しいだろう。
「じゃあ、酒は一人で飲むとするかな、でもさすがにまだ早いかなあ」
 スーさんは独り言の後、吉幾三の『酒よ』を口ずさみ始めた。機嫌がよさそうだったので、俺はさっそく尋ねてみた。
「ところでスーさん、仕事ある?」
「ん……仕事ってのは?」
「これだよ」
 俺は、人差し指をかぎ形に曲げてみせる。するとスーさんは、呆れたように笑った。
「ふん、やっぱり懲りてねえか」
「そりゃ、今さらまともに就職なんてあきらめてるよ。たしか窃盗犯は半分以上が再犯してるんだろ? 俺も多数決に従うよ」俺は冗談めかして言った。
 すると、スーさんは笑い返した後「そうだそうだ」と思い出したように言った。
「実は一件、期間限定のいい仕事があるんだ」
「期間限定?」
「ああ。表の仕事の出先で、たまたま見つけてな。仕事帰りにちょっと下見したら、ずいぶんよさそうな現場だったんだけど、俺はちょっと用事があったから、このまま捨てるしかないと思ってたんだ。ちょうどよかったよ」
 スーさんは俺の肩をぽんと叩くと、「まあ座れ」と座布団を出してくれた。そして、座卓を挟んで俺と向き合って座り、詳しく語り始めた。
「現場は、新築の一戸建てだ。住んでるのは若い女だが、同居人がいるかは分からない。で、実はこの家、隣のビルの塗装工事の間だけ、工事の足場から二階のベランダに移れそうなんだ。家の側はもう塗り終わったみたいで、メッシュシートが外してある。メッシュシートは隙間なく張ると、風を受けて足場を倒しちまうことがあるからな。最初に隣の家の側を塗って、風を逃がすためにシートを外したんだろう」
 スーさんは、表の職業も色々経験していて、建築現場などにも非常に詳しい。空き巣さえやっていなければ、誰からも尊敬されていいほど広範な知識の持ち主だ。
「それで、家の二階のベランダの窓が、今は網戸にしてあるみたいなんだ。住人の女が外出するところを見たら、一階はちゃんと施錠してたけど、二階は網戸のままだった。家のグレードからして、冷房代をケチる必要があるとは思えねえが、田舎者の成金ほど貧乏性だったりするからな。そのせいで空き巣に入られたんじゃ話にならねえけどな」
 スーさんは、ターゲットに対して毒づきながら話を続ける。
「隣のビルの塗装工事の工期を見てみたら、あさってまでだった。でも明日の天気予報は雨。外壁塗装は雨じゃできねえから、明日は工事中止だ。まさに恵みの雨だよ」スーさんはにやりと笑う。「やるなら明日しかないと踏んでる。何日か下見した感じだと、女は夕方の四時頃に家を出て、買い物に行くのが日課らしい。ガキの声も聞こえなかったし、その間は家の中は無人だろう。セコムなんかにも入ってないみたいだし、足場からベランダに跳び移って、盗るもん盗って出て行けば一丁あがりだよ」
 スーさんはそこで、座卓の上に積み上がった書類やスポーツ新聞の間から、クリアファイルを引っ張り出した。そこに挟まれた地図のコピーに、赤ペンで印が付けてある。足立あだち区と葛飾かつしか区の境辺りだ。
「ここが現場だ。表札は出てない家だったけど、前の道路から写真を一枚撮っておいた。それが、えっと……ああ、これだ」
 スーさんは、今度は座卓の上のガラケーを手に取ると、画像を表示させた。そこには二階建ての、真新しいクリーム色の一軒家が写っていた。
「ああ、このガラケー、しばらくお前に貸そうか。俺は普段こっちを使ってるから」
 スーさんが、ポケットからスマホを取り出して見せた。
「ありがとう、助かるよ。ちょうど携帯なくて困ってたんだ」
 俺はまた感謝して頭を下げた。服役前に持っていたスマホは、料金を引き落としていた口座の残高が底をついて、とっくに契約が切れている。一応手荷物として刑務所に預けてはいたが、もう電源も入らない。
「それじゃ、明日の午後四時までに、作業服を着て隣のビルの足場に入っておいて、女が出かけたのを見計らってからベランダに跳び移ること。落ちるんじゃねえぞ」
 スーさんが仕事の手順を確認した。俺は「ありがとう、了解です」とうなずく。
「じゃ、明日使うのは、作業服と傘と、さっきの地図と、あと靴カバーだな……」
 スーさんは親切にも、明日の俺のために、押し入れや引き出しを開けて仕事道具を揃えてくれた。と、その作業の途中で、ふと手を止めて言った。
「あれ、こんなのがあった」
 スーさんが手にしていたのは、手のひらサイズの細長い物体だった。スーさんが親指で小さな突起を押すと、シャッと音を立てて刃が出てきた。――飛び出しナイフだ。
「まさか使わねえよな? こんなの使うのは素人しろうとだもんな」スーさんが俺に確認する。
「うん、いらない」
 俺はうなずいた。というか、スーさんにそんなことを言われて、使うなんて言えるはずがなかった。まあ、住人にナイフを向けた時点で、空き巣から強盗になって罪が重くなるだけだし、被害そのものに気付かれないことを目標とするスーさんや俺の流派では、ナイフなんて必要ないのだ。住人と鉢合わせしそうになったら一目散に逃げる。それが俺たちのやり方だ。
「ナイフなんて、俺も駆け出しの頃は使ってたけど、もう何十年も使ってねえもんな。でも、なんでここにあったんだ。……ああ、この前どうしてもカッターが見つからなくて引っ張り出したんだ。しかもその直後にカッターが見つかってよお。まったく年は取りたくねえよな」
 スーさんが、愚痴を言いつつも上機嫌な様子で、ナイフを引き出しの奥にしまった。
「ていうか、本当にありがとう。わざわざご親切に、道具まで用意してくれて」
 俺が礼を言うと、スーさんは笑顔で振り返った。
「そりゃ、俺の家なんだから、お前一人じゃ道具の置き場所も分からないだろうがよ」
「まあ、それはそうなんだけど……それにしても、すごい親切だなと思って」
 俺は、さっきから密かに抱いていた疑問を口にした。
「だって、こんなよさそうな仕事、本当に俺にくれちゃっていいの? スーさんが自分で入ることだってできるわけじゃん」
 俺への出所祝いだとしても、下見まで済ませてある仕事を丸ごとくれるなんて太っ腹すぎる。スーさんは還暦を過ぎているけど、まだまだ体は衰えていないはずだ。さっきからやけに上機嫌だし、今日のスーさんは、俺に対して過剰なほど優しいような気がしていたのだ。
 するとスーさんは、にやりと笑った。
「ふふふ……実は、これにはわけがあるんだよ」