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 スーさんは、さっきとは別のクリアファイルを、座卓の上から引っ張り出した。そこには、宝くじと新聞の切り抜きが挟まっていた。
「ジャ~ン。なんと、これが当たったんだよ」
「えっ、マジで!?」俺は思わず身を乗り出した。
「三等の百万円だ。もう換金したけど、記念にコピーしたんだ。169057番」
 宝くじのコピーと新聞の切り抜きを見比べると、たしかに三等の当選番号が一致していた。
「すげえ! 絶対当たんないと思ってたけど、ついに当たったんだ」
 スーさんは、昔からずっと宝くじを買っていた。俺は「どうせ当たらないんだし、金がもったいないだけだろ」と言ってたけど、スーさんは「馬鹿、当てたら一発で回収できるんだよ」と言って聞かなかったのだ。宣言通りの結果を出したスーさんは、満面の笑みで語った。
「この金で、明日からスナックのおねえちゃんと地中海クルーズに行くんだよ。で、昨日まで交通警備のバイトを入れてたんだけど、その現場の近くで、この優良物件を見つけちまってな。普段だったら絶対俺が入ってたけど、隣のビルに足場が組んであるのはあさってまでだ。せっかくの旅行の前にうっかりミスって、サツにパクられたりしたら一生後悔するだろ」
「なるほど、そういうことだったのか」
 俺は納得した。さっきスーさんがちらっと「明日から出かける」と言っていたのは、ホステスとの旅行だったのだ。スナック通いも、お気に入りのホステスに本気で熱を上げてしまうのも、スーさんの昔からの習性だ。そんなホステスと地中海クルーズに行けるのなら、やたらと上機嫌なのも合点がいった。
「てなわけで、俺は明日から留守にするからな。間違ってもサツにばれてここに踏み込まれたりするんじゃねえぞ」
「うん、分かった」俺はうなずいた。
「じゃ、明日の仕事の、俺とお前の取り分は、出所祝いも兼ねて四・六にしといてやる」スーさんが笑顔で言った。
「えっ……」
 俺は絶句した。宝くじで百万円も当たったのに分け前取るんだ……と思ったけど、スーさんは笑顔を消して、ぎろりと俺を睨みつけた。
「おい、不満だってのか? 俺がしっかり下見して、お前は実行するだけだ。しかも、これから居候させてやろうっていうんだから、本当だったら家賃として半分以上もらってもいいぐらいだ。そこを出所祝いで、お前に六割くれてやろうって言ってんだよ」
 スーさんは、世話好きで優しい人だけど、金に関しては結構シビアな部分もあるのだ。もちろん、当面の寝床と携帯電話まで貸してくれる相手に対して、今の俺が逆らえるはずがない。
「……はい、了解です」
 俺は苦笑いしながら、ぺこりと頭を下げるしかなかった。

2019年7月4日

 翌日は予報通り、朝から断続的な雨だった。スーさんが意気揚々と地中海へ旅立った数時間後、俺はスーさんから借りた作業服を着て、ビニール傘を持ち、その他もろもろの仕事道具を装備してアパートを出発した。
 電車を乗り継ぎ、ターゲットの家の最寄りの綾瀬あやせ駅で降りる。そういえば神奈川県にも綾瀬市という所があるが、この東京都足立区の綾瀬駅は、都内でも神奈川県とは反対側の北寄りに位置しているし、たぶん関係はないのだろう。この辺の人が都内の南の方でタクシーを拾って「綾瀬まで」とだけ言って眠っちゃうと、「着きましたよ」と神奈川で起こされちゃうかもしれないな……なんてどうでもいいことを考えながら、ターゲットの家を目指して歩く。
 平日の昼間に、空き巣狙いの泥棒が怪しまれないように住宅街を歩き回るには、外回りの営業マン風のスーツや、ガテン系の作業服が適している。とはいえ、作業服を着たからといって油断してはいけない。本物の作業員でないことが誰にも見抜かれないように、挙動不審に見えないように気を付けなくてはいけない。
 そんな中、スーさんにもらった地図のコピーはちょうどいいアイテムだった。これを持って作業服姿で歩けば、測量などの作業員っぽく見える。俺は、これから空き巣に入る家に印を付けた地図を堂々と見ながら、空き巣じゃないふりをして歩き、十分ほどで目的地に到着した。
 周囲の街並みは高級住宅街というほどでもないが、その家は真新しく、造りも頑丈そうで、見るからに金持ちの住まいだった。そしてスーさんの下見通り、隣の四階建てのビルには外壁塗装の足場が組まれていた。もちろん今日の工事は雨で休みだ。家の二階のベランダまで、ビルの足場から跳び移れる距離であること、その面の足場は外側のメッシュシートが外してあることも、表の道路から一目見て分かった。
 俺はいったん、近くのコンビニで時間をつぶして、午後三時四十五分に現場の家の前に戻った。そこで、道路の人通りが途絶えたのを見計らって、隣のビルのメッシュシートをめくり、塗装用の足場に侵入した。
 だがその時、アクシデントが発生した。思いのほか低い位置に鉄パイプが渡されているのに気付かず、ゴツンとひたいをぶつけてしまったのだ。
「いっ……!」
 ってえっ! と普段だったら思わず叫びたくなるほどの激痛だったが、どうにか声を殺して額を触った。少し腫れていた。たんこぶができてしまったようだ。
 俺は額をさすりつつ、ビニール傘をいったん足下に置き、足場の二階へと階段を上った。道路側にはメッシュシートがかかっているので、外から俺の姿は見えづらいはずだ。しゃがんで身を潜めていると、スーさんが下見した通りの午後四時過ぎに、ターゲットの家から住人の女が出てきて、俺が潜むビルとは反対方向へと出かけて行くのが見えた。後ろ姿しか見えなかったが、スレンダーな若い女のようだった。
 さて、いよいよ作戦決行だ。俺は静かに足場を歩く。足場の二階は目当てのベランダより少し高い位置に組んである。俺はベランダの正面に立つと、まず持参したタオルで濡れた足下を拭き、それを作業服のポケットに入れてから、表の道路に人の気配がないのを確認した。そして、今度は頭をぶつけないように、頭上の鉄パイプの位置もちゃんと確認した上で、二メートル弱離れたベランダをしっかり見据え、思い切ってぴょんとジャンプした。
 よし、成功。見事にベランダに着地した。周りから見えないよう、すぐ腰壁の陰にしゃがむ。多少物音はしたが、家の住人が不在なら誰にも気付かれなかったはずだ。また、雨だから少し不安だったけど、ベランダの窓は数センチ開けられて網戸になっていた。
 そのままじっと耳をすませる。物音はない。やはりこの家は今、無人のようだ。
 窓から侵入する前に、靴カバーを作業服のポケットから取り出し、靴にかぶせる。靴のまま入れば足跡がつく。でも靴を脱げば、住人が帰ってきてしまった時に逃げるのに時間がかかる。双方の欠点を補うのが、百円ショップで売られているこの靴カバーだ。本来は、靴を雨や泥から守るための便利グッズなのだが、今では泥の側にとっても便利グッズとして重宝されているのだ。――うん、これはうまいこと言ったな。なかなかの泥棒小咄こばなしだ。
 そんな余談を脳内で挟みつつ、俺は靴カバーを装着し、ポケットから手袋を取り出して両手にはめた。そして、しゃがんだままそっと網戸を開け、いよいよ家に侵入した。
 ベランダに面した部屋は、金持ちの割には殺風景な、ベッドとパソコンと椅子と机という、女子学生の勉強部屋のようなレイアウトだった。だが、その机の引き出しを開けると、さっそくお目当てのものが見つかった。
 赤い長財布。中を見ると、なんと一万円札が二十二枚も入っていた。実に幸先のいいスタートだ。とりあえず十枚いただくことにした。
 ここで欲をかいて全額盗ったりしてはいけない。さすがに通報される恐れがある。しかし、財布に二十二万円も入っているような経済力の持ち主なら、それが十二万円になっていたからって、ただちに「盗まれた、通報しよう」とは思わないのではないか。「ん、この前ATMでもうちょっと下ろした気がするけど……まあいいや」ぐらいにしか思わないはずだ。
 これは予想以上に羽振りがいい家のようだ。俺は十万円をポケットに入れ、掃除の行き届いた廊下を通り、隣の部屋に移動した。黒いシックな木製のドアを開けると、すぐ正面に、高そうなスーツやネクタイが掛かったハンガーラックがあった。
 そして壁際の棚に、さらなるお宝を発見した。腕時計のコレクションだ。
 男物の時計が十六個ある。俺は目利きは全然できないけど、どれも高級そうだということは分かる。また、並べ方はずいぶん雑然としている。いかにも成金タイプだ。有り余る金で高級腕時計を買い集めてはみたものの、もう飽きているとみた。
 俺はその中の三つをポケットに入れた。うち一つはロレックス。目利きのできない俺でもさすがに知っている、高値買取が確実なブランドだ。もっとも、ロレックスは二つしかなかったため、さすがに両方盗ったら通報される可能性が高いと思って、一つにしておいた。
 十六個が十三個に減る。これが持ち主に通報されない、うまくすれば気付かれもしないギリギリのラインだと踏んだ。こんな雑に並べているようなコレクターだ。気付いたとしても「あれ、どこか別の場所に置いたかな」程度で済むのではないか。
 それにしても、やはりここは相当いい物件だ。何ヶ月か経ったら、もう一回ぐらい狙えるかもしれない。そのためには今回は通報されたくない。とりあえず、現金十万円と腕時計三つ、しかもうち一つがロレックスだから、二十万円ほどの利益は確定と考えていいだろう。ここから先は、よほどの物がない限り、欲をかくべきではない。
 俺は階段を下りた。うるさい室内犬でもいれば面倒だったが、幸いそんなこともなかった。念のため持参した犬の餌は使わずに済みそうだ。あとは一階をざっと見て、よほどのお宝がなければ脱出だ。――と思いながらリビングに入ったところで、俺は妙な気分にとらわれた。
 なぜだろう。ふと、懐かしいような気分がよぎったのだ。
 まあ気のせいだろう。俺はすぐ気持ちを切り替えた。リビングには高そうな大型テレビやソファがあるが、当然盗むには大きすぎる。DVDプレーヤー、壁掛け時計、ダンベル……目に入った物はどれも盗むには値しない。というかダンベルなんて値段÷重さで最下位レベルなので盗むわけがない。リビングとつながる広いキッチンにも、見たところ金目の物はなかった。
 リビングの壁際のクローゼットを開けると、男物のスーツと女物のワンピースが掛かっていた。だが、いくら値打ちがあったとしても着て出て行くわけにはいかないし、そもそも腕時計の目利きもできない俺には服の価値なんて分からない。その後もしばらく一階を見て回ったが、現金十万円と高級腕時計に勝るほどの品は見当たらなかった。
 ――と、そのさなか、またも俺の心に、妙な懐かしさがき上がった。
 もしかして、前にも入ったことがある家なのか? いや、都内でもこの辺は初めてのはずだぞ……。俺はモヤモヤした気分のまま、リビングを見回した。
 そこで、本棚が目に留まった。見覚えのある文字列が、目に飛び込んできた。
「茨城県牛久うしく市立大野おおの中学校」と「茨城県立竜ケ崎りゆうがさき西高等学校」――二冊の卒業アルバムが、そこには並んでいた。
 思わず鳥肌が立った。両方とも俺の出身校なのだ。もっとも、高校の方は卒業できなかったのだが。
 さらに、その本棚の上に、写真立てが一つ飾ってあった。
 今度は、鳥肌どころでは済まなかった。公園らしき木立をバックに微笑む、その女の写真を見て、俺は思わず「えっ」と声を上げた。心臓が止まるかと思うぐらい驚いた。
 まさか、こんなことが起こるなんて……。
 たしかに俺は、今まで百軒以上の家に空き巣に入ってはいるけど、だからってこんな偶然を引き当ててしまうことがあるのか。
 木村マリア――忘れるはずもない。写真に写っているのは、俺の初恋相手だ。

 

「逆転泥棒」(3/6)は、10月24日に公開予定