芸人という病

 ただいま――。
 玄関の扉を開けて、小さくそうつぶやいた。時刻は午前4時を回っている。足音を立てないように寝室に行くと、カミさんが小さな寝息を立てていた。
 プシュッ……冷蔵庫に冷やしておいた缶ビールを開け、テレビのスイッチをつける。カミさんを起こすといけないので、音量は小さめにした。朝の情報番組が始まる前のテレビには、通販番組が流れていた。
 夜が明けかけているのが厚手のカーテン越しからも分かった。ビールを口に入れる。さっきまで芸人仲間と打ち上げ会場の焼肉屋で飲んでいた酒とは違った味がした。
 缶ビールを片手にソファにもたれかかり、ゆっくり目を閉じると初めて、長い一日の喧騒が現実のことだったのだと実感できた。
『THE SECOND~漫才トーナメント』――。フジテレビで放送された結成16年目以上のコンビを対象とした漫才の賞レース。その第1回大会で、俺は準優勝という大金星を手にすることができた。
これで何かが変わるのかな……淡い期待が込み上げてくる一方で、いや、変わることはないかもしれないという恐怖も同時に感じていた。どちらにせよ、やれることをやるだけだと思った。

 2008年からレギュラー放送された『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)や、その少し前から放送が開始されていた『エンタの神様』(日本テレビ系)に出演させてもらい、芸人として鳴かず飛ばずの状態からお笑いファンに名前を知ってもらうことができた俺だったが、その後は長らく暗闇の中にいた。
 収入は激減し、生活苦から定期的に土木作業のアルバイトをこなす毎日。たまに芸人の仕事があっても、それで生活していくのはギリギリだった。
 相方の滝沢は安定した収入を得るために、ゴミ清掃員の仕事を始めていた。さらに、筆まめなので、小説を書いたりゴミ収集の時に気がついたことをエッセイにまとめたりして、新たな仕事につながっていた。俺も何かしなくちゃな……そんな焦りを抱えながらも、俺はそれに気がつかないフリをしていた。
「もう、芸人辞めて働こうかな……」
 ある日、カミさんにそう言ってみた。すると、朝の身支度をしながらカミさんはこう言った。
「あんた、他にすることないでしょ」
 正直に言うと、なんだかホッとした。
ただ、カミさんが出勤した後、リビングでボーッと朝の情報番組を眺めていたら涙が出そうになった。ベランダに飛び出して、大声で何か叫びたい衝動に駆られた。
「俺は何をやっているんだろう――」
 
 それから、今の自分に何ができるかを考えてみた。世間は当時コロナ禍だったので、ライブは難しい。そもそも、何年も新ネタなんて作っていないし。
「YouTubeでもやってみるか」
 これが俺の出した結論だった。チャンネル名は「西堀ウォーカーチャンネル」。散歩が好きだったので、スマホを片手に都内を散策し、その映像をそのまま流せばいいという安易な発想だった。
 俺が何か始めたのを喜んでくれたのか、有吉さんも動画に出演してくれた。同じ事務所の後輩芸人も、何だか分からずに参加してくれた。
 うれしかった。何かをやって世に発信しているという充実感があった。編集は素人がちょちょっとやっただけなので、ほぼ映像は垂れ流しだが、「それがいい」という視聴者の声もあり、かすかな手ごたえを感じることもできた。
 よし、このまま続けていこう。でも、早速ネタに詰まってきた。散歩だけでは、すぐに限界がくることが分かった。何かいいコンテンツはないかな? いっぱしのYouTuber気取りで、あれこれと考えながら、土木作業のアルバイトもこなしていた。そんなある日、先輩作業員からこう言われた。
「そういえば和賀くん、この間、昼飯にローストビーフ買って食べていたよ。あれ、1300円するんだよ。彼、日当が1万円でしょ。豪気だよね(笑)」
 芸人としての収入がほとんどない後輩芸人の和賀も、俺と同じ会社で土木作業のバイトをしている。彼は現場ではアイドル的な存在で、作業員の方たちにかわいがられていた。
 そういや、和賀って一緒にいると楽しいし、面白いやつだよな。灯台下暗し――俺はすぐそばに格好の動画ネタがいることに気がついた。
「和賀、今度、お前の一日に密着したいんだけど……」
「はあ? 何が面白いんですか?」
「面白いんだよ、お前は。今度一緒に土木やる時に動画回すからね」
 こうして俺のチャンネルのドル箱企画となった「和賀密着」シリーズが誕生した。
 和賀だけではなく、同じ事務所の松崎やねろめ、芸歴では先輩のブラックパイナーSOSの2人、新宿カウボーイの石沢など、徐々に「タレント」がそろっていった。有吉さんが面白がって、『サンドリ』(『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』JFN系列)で取り上げてくれたことも手伝い、再生回数も伸びて視聴者のコメントも増えていった。
 ただ、正直言うと、売れっ子YouTuberみたいに、動画の再生回数に応じた収入で食べていけるなんてことはなかった。飲み食いした経費が出るくらいの収入しかないので、赤字になる回もあった。でも、俺は楽しかった。動画を回して芸人仲間と酒を飲んでいると、嫌なことを忘れられた。
 それと同時に、「なんでこいつらはどん底にいるのにこんなに楽しそうなんだろう」という素朴な疑問も湧いてきた。

 そんな折だった。旧知の編集者から、「西堀ウォーカーチャンネルを書籍化したい」という話が事務所に来た。『THE SECOND』でマシンガンズが再び世間の注目を集めるよりも前の話だ。出版社は純粋に俺のYouTubeチャンネルを見ておもしろいと思い、オファーをくれたわけだ。
 初回の打ち合わせの席上、編集担当が言った。
「和賀さんとか松崎さんとか……みなさん、なんであんなに楽しそうに生きているんでしょうか。芸人としては鳴かず飛ばずで、いい年してバイトして糊口をしのいでいるわけでしょ。なんで芸人を辞めないんでしょうか?」
 俺はこの質問に答えることができなかった。分からないというのが理由だ。彼らに対する質問は、そのまま俺にも当てはまるものだった。

「なぜ芸人を辞めないのか?」
――これは永遠のテーマかもしれない。
「う~ん、分からないですね。なんででしょう……。ま、ひとつ言えるのは、芸人でいたいんですよ」
「でも、生活はつらそうですよ」
「それをつらいって思わないんじゃないですかね。ある意味、病気ですよ」
 そう、病気――。俺やこの本に登場する面々だけじゃない。芸人という人種は少なからず「病気」にかかっているのだと思う。
「芸人という病」――。
 本書のタイトルは、こうして決定した。
 多様な生き方が肯定される時代だ。芸人という生き方も捨てたもんじゃないのかもしれない(?)。
 今、楽しく生きている人もそうでない人も、この本を読んでみてほしい。何かの発見や癒しが見つかったら、こんなにうれしいことはない。

 

2023年9月吉日 マシンガンズ・西堀亮