最初から読む

 

 五分後、僕が浜に一人戻ると、カメラを携えた渚子さんに声をかけられた。
「あ、探してたんですよ。複数人でアクションを起こす時はもちろんですが、一人で行動する時も一応なんらかのサインをくださいね。状況が把握できなくなっちゃいます」
 普通に叱られてしまった。
「ご、ごめん」
 彼女は聞き分けの良い弟にするように、ん、とうなずいてから、
「そろそろ本格的に暗いので、屋外での撮影は一旦区切りにしようと思います」
 腕時計を確認すると、すでに午後八時を回っていた。
「片づけ、何かやることあるかな」
「だから心配には及びませんって。今夜は急ぎやることだけやって、あとは明日に回しますし。出演者の皆さんは忘れ物にだけ気をつけて、セブン・シーズ・ハウスの方にお戻りください」
 その時、波打ち際の方から声が上がった。花火さんだった。
「ねー、みんなで写真撮ろうよ! 公式のSNSに上げるやつ」
 やはりこの場をまとめ上げ、リードするのは彼女なのだと思わされる。引き上げようとした面々も再び引かれるようにして集まり、花火さんを中心に六人の出演者が会した。
「ポーズは? 何かやるの?」
 モデルらしくサリーが尋ねると、
「せっかくだから、こう、みんなでミサンガを掲げるとか」と桂君が提案した。
 僕は自分の右手首に目を落とす。いまいち似合っていない、明るい黄色のミサンガがそこにあった。その他の各人も、赤(花火さん)、緑(桂君)、オレンジ(我妻君)、青(サリー)、紫(うるるさん)と色とりどりのミサンガを身に着けている。番組の一日目、出演者全員に配られた、いわばリアリティーショー参加者の印だった。ここ漆島で、お互いに正々堂々恋し合うことをこれに誓ったのだ。
 我妻君が「いいじゃん、そうしようぜ」とミサンガを振って応える。「これ、花火が率先してみんなの手首に結んでくれたんだよな。でもこの結び目、何度見ても独特で笑う」
 改めて見ると、彼の言う通りだった。通称「花火結び」で、彼女曰く「絶対にほどけない」という結び方だ。彼女は自身の靴ひもなども自然とこのように結んでしまうという。
 花火さんは、あはは、と他人事のように笑いながら、
「めちゃくちゃ頑張れば、結んだ本人はほどけるかも。でも多分、他の人には無理だね。『花火結び』は私以外には絶対に結べないし、ほどけない。そういうことになってるから。じゃ撮るよー」
 花火さんは自分のミサンガを足首に結んでいたので、女性陣は足を伸ばして前の方に座り、その後ろに男性陣が立った。いく人かのスマホで代わる代わる、ぱしゃり。
「えー、全然アップできないー。なんでなんでー」
 しばらくして、そんな声を上げたのはうるるさんだ。相変わらずカメラの前では完璧なぶりっ子を演じている。スマホを一生懸命タップしているが、この辺りが圏外だってことは彼女もわかりきっているはずだった。単に圭たんの気を引きたいだけだろう。
 もちろん、本土とやりとりができなければ島で撮影した映像を共有したり逐次放送していくことも不可能なので、セブン・シーズ・ハウス内には無線通信で電波が飛んでいる。確か館の中心部に当たる、二階の花台にルーターが設置されていたはずだ。しかし建物全体をカバーするのが精いっぱいで、屋外に出るとこうして通信は途絶えてしまうのだった。ネットが恋しいこともあってか、出演者たちはぞろぞろとコテージへ続く小道に列をなした。
 道中、前を行く花火さんが思い出したようにサリーに話しかける声が風に乗って届いた。
「そうだ、初回放送に合わせて、感想を投稿してもらう用のハッシュタグも作っておこうよ。通りのいいやつ。サリーなんかない?」
「え? 急に言われても……」
「あー、確かに統一されてないとエゴサの時困るな」と横合いから我妻君も首をひねり出す。
 うるるさんを挟み、桂君と僕はやや前方集団と距離があった。
「……クローズド・カップル──『#クロカプ』」 
 だから、桂君のつぶやきは僕にしか聞こえなかったかもしれない。この件にタッチする気のない僕はそれきり意識をそらし、本土では味わえない星空を堪能しながら歩いた。
 
 コテージに戻ると、木野さんが昼間と変わらぬテンションで出迎えた。
「やあ、みんなお疲れ様! ……お、だいぶ焼けたんじゃない? 僕ももっと現場に下りていきたかったんだけどね、次の段取りやら仕込みやらで立て込んじゃって。砂浜でのドラマは今夜楽しみにチェックさせてもらうよ」
「この後って、俺たちどうしたらいいすか?」
 我妻君が尋ねる。
「みっちり撮られて疲れただろうから、今日はもう休んでもらって大丈夫だよ。ご承知の通り、一階の定点カメラは回ってるから、そこでもう少し動いてくれてもいいけど、無理は禁物ね。明日以降、そろそろひそかに仕込んでたネタの方もお披露目していこうと思ってるから」
 木野さんは最後の一言をもったいつけて強調すると、さっさとスタッフが陣を張る三階へと舞い戻っていった。
 顔を見合わせる一同。
 やがて、サリーが自室に戻ると言っていち早く去った。海水浴の後に一度シャワーを浴びたので、入浴も明日の朝にするそうだ。セブン・シーズ・ハウス内には、トイレは一階と二階に二カ所あるが、浴室は一階に一つあるだけだ。一応、中は男女で分かれているものの、同性の中でも順番が後ろになると相応の待ち時間がかかる。それが面倒とのこと。
 続いて、残る理由のなくなった我妻君も朝風呂を選択して引き上げた。
 桂君はしばらく花火さんの様子をうかがっていたけれど、「先に風呂もらっていいか」と僕に確認を取ってから、タオルや着替えを持ってきて浴室に向かっていった。思わぬ潔さだ。この場は一旦引いて、明日に向けて策を練ろうということかもしれない。それを見て取ったうるるさんもシャワーを使うと宣言。桂君とお互い湯上がりでの遭遇を狙ってか、自室から着替えやお泊まりセットを引っつかんで戻ってくると、ばたばたと浴室に向かった。
 リビングには花火さんと僕だけが残った。立っているのもなんなので、L字のソファーに少し距離を取って座る。
 と。
「──ねえ、栞君」
 心を落ち着ける間もなく、花火さんが話しかけてきた。こちらの顔をのぞき込むようにして、小首をかしげている。
 たたえられた柔らかな微笑は、その時、少しだけ悪魔のように見えた。
「はい、なんでしょう」
「そろそろ私のこと、好きになった?」
「な……!」
 僕がまんまと言葉につまると、花火さんはその様子を楽しむようにくつくつと笑った。
 彼女は先ほどから手すさびに自室の鍵をもてあそんでいる。そこにぶら下がるフリージアの根付は、八丈島の土産物屋で彼女が一目惚れした代物だ。根付の鈴が、花火さんの笑い声と重なり、心をくすぐるようにちりちりと鳴った。
 ──いいじゃない、顔の良い異性が近くにいるんだから、仲良くなっちゃえば。
 豪気なうるるさんがいたずらに背中を押してくる。……ああ、そうか。彼女がさっさと浴室に立ったのは、僕と花火さんを二人きりにするアシストの意図もあったのかもしれない。
 それでも僕は──。
「……今はまだ、よくわからないんだ」
 そう答えるのが精いっぱいで。
 番組的な駆け引きにもなっていない。中途半端に意識するようになってしまったせいで、立ち回りがまたぐだぐだになりかけていた。
 花火さんはそんな僕のことを、今度は笑わずに真っすぐ見据えた。
「ん、そっか。今は、ね。じゃ、また明日に期待しようかな」
 彼女はそう言うと、腰を落ち着けたばかりのソファーから立ち上がる。それからしばし言葉を探すような間の後、平素とは少し違うトーンでつけ足した。
「ごめんね、思わせぶりなことばっかり言って。栞君が困ってるのはわかってるんだ。だから、好きになるとか、ならないとか、そういうのとは別にね……私のこと、栞君にはしっかり見ていてほしい。そうしたら、君ならきっと気づいてくれる。そう思うから」
「……花火さん?」
 思わず今度は僕が彼女の顔をのぞき込む。
 気づく? 何に?
 しかし角度が悪く、その表情はうかがえないまま。
 そのうちにうーんと伸びをして振り返った花火さんは、もう普段の花火さんだった。くしゃくしゃと髪を持ち上げながら、
「あー、お風呂入りたかったけど、私も朝シャンにするね。部屋で化粧落としたらそのまま寝落ちしそう。栞君はどうする?」
「あ、えーと、僕は桂君と入れ替わりに入るつもり。上がるまで待ってるよ」
 彼女は応える代わりに、小さなあくびを一つ。それから顔の辺りでひらひらと手を振った。
「それじゃ、お先。おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
 花火さんはソファーを回り、リビングの隅にある吹き抜け階段へと向かった。
 彼女の後ろ姿がゆっくりと段を踏んでいき、ほどなく僕の視界から完全にフレームアウトした。
 その瞬間。
 なぜか、ふっと湧いてくる喪失感。
 まるで……まるで花火さんがその時、この世界から永遠に消えてなくなってしまったような。
 もう二度と彼女に会えなくなるような、そんな何かが、黒いさざ波のように胸を埋め尽くして──。
 僕は乱暴に頭を振り、おかしな感慨をしめ出したけれど。
 今思えば、あれは予兆めいたものだったのかもしれない。

 翌朝、彼女は「死体」で見つかった。


〈三年×組にて 1〉

 ぴ、ぴ、ぴ、ぴ──。
 徐々に大きくなる電子音が、私の意識を揺り起こした。
 新しい朝が不快な周波数によって早々に傷物になる。頭は重く、まぶたは癒着したように開かない。希望の朝もへったくれもない。それがここ最近の私の目覚めだった。
 ベッドの中で体勢を変え、枕元を手探りする。けれど、いつもならそこにあるはずのスマホが、今日に限って一向につかめない。私は舌打ちを一つ、体にまとわりつくブランケットをはがし、上半身を起こした。
 スマホは充電器のケーブルが外れ、足元の方に転がっていた。アラームを止め、バッテリー残量を確認すると十五パーセントしかない。……まあ、いいか。行きの道中だけなら十パーセントもあればもつ。学校に着いたらそこで充電しよう。
 そう頭で考えて結論が出る前に、習慣のように私の指はSNSのアイコンをタップしている。
 トレンドワードを席巻しているのは「#クロカプ」だった。今までにないという触れ込みの恋愛リアリティーショー番組。昨晩が初回放送だったのだ。斬新な企画、出演陣で注目を集めていただけはある。今も現在進行形で感想の投稿が増えているようだ。
 私も昨晩リアルタイムで見ていた。個人の嗜好として、正直この手の番組への思い入れは薄いし、もっと言えばはっきり苦手なのだけれど、周りと話を合わせるためには見ておかなければならない。
 ──と、いけない。
 感想を追うのに熱中していた。女子高生の私に、与えられた朝の時間は短い。そろそろ出かける準備をしなければ。私はかけてあった制服に手を伸ばした。

「出席番号七番 坂東未来ばんどうみらい
「はい」
 私の発声は、可もなく不可もなく、まったく凡庸な調子で教室に響いた。
 朝の会とは名ばかりの、お決まりの出席確認。これが終わると、授業が始まるまでは自由時間だった。
 自然、女子たちは椅子を寄せ合い、おしゃべりの輪を形成する。その端っこに、私もいた。
「ねえねえ、昨日のクロカプの放送、見た?」
「もっちろん」
「想像してたより、一話で展開早くない?」
「そうそう、あんな風になるんだーって。私驚いちゃった」
「あとさ……女の子たち、みんなかわいかった!」
 あははは、と笑い声が起こる。
「でも、なんといっても女優・松浦花火! 自分の見せ方わかってるって感じ。未来もそう思わない?」
「う、うん」
「私も自分磨き頑張らなきゃなー」
 そこで黒髪のきれいな少女が、ふふ、と笑った。私はぎくりとして、気取られぬようにそちらをうかがう。透明感と存在感が同居した容貌。妙に人の目を惹きつける仕草。今まで一言も発していないけれど、彼女がこの輪の中心、厳然と君臨する女王だった。私の中途半端な相づちはこの人にどう受け取られただろう。そればかりが気になった。
「え、自分磨き? なになに、誰を狙ってるの?」
「教えなーい」
「ちょっと! じゃあさ、今からみんなで気になる人言い合おうよ」
 恋愛にのめり込む女子たちの楽しげな会話が続いていた。苦手なノリだ。依然、にこにこと黙っている女王の様子も気になった。
 なんとか話題に参加しよう。これ以上流れに乗れなくなるのはまずい。そう思って身を乗り出した、その時。
「坂東」
 教室の後方から不意に呼びかけられた。同じクラスの男子だった。背が高く、端正な顔立ちにナチュラルマッシュが似合っている。女子にも人気の子だ。しかし私の名を呼んだはずなのに、なぜか目線が合わない。彼は頭をかきながら、続けて言った。
「……漫画、持ってきたんだけど、今渡せる? ほら、この前言ってたやつ。俺たち、けっこう趣味近いし、多分気に入ると思うんだけど」
 漫画? ああ、そういえばだいぶ前に、そんな話もしたような……。正直あまり覚えていなかった。けれど、
「わかった」
 私は返事をして立ち上がった。その場で渡してくれるものかと思ったら、彼は「ロッカーにあるから」と言って、私を教室の外に連れ出そうとする。気乗りしなかったけれど、ここまで来たらついていくしかない。
 教室を出る間際、元いた輪の方をちらと見やると、そこにはあからさまにしらけた雰囲気が広がっていた。しかも、黒髪の女王に向かって、その隣に座る女子が何やら耳打ちしているようなのだ。
 陰口の想像が一瞬にして脳裏を巡り──私は気が遠くなった。

 私には「恋愛」というものがよくわからない。
 学校では、常に微妙な居心地の悪さを感じていた。けれど、それを周りに打ち明けることもできない。
 女子高生として生きる上で、恋愛にまったく関わらずに日々を送るなんて無理だった。あらゆるメディアやエンタメでそれは喧伝けんでんされ、無自覚でいようとしても、自分の周りの生活もそれに飲まれている。
 女子も、男子も、楽しそうに異性の好みを言い合い、人気の恋愛リアリティーショーをチェックして、自分もあんな恋がしたいと奮起する。
 そんな様子を横目に、私はいつも思っていた。
 はたして──恋愛とは、本当にそんなにいいものなのだろうか。

 

この続きは、書籍にてお楽しみください