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「よし、全員そろい踏み、と。それじゃぼちぼち始めましょうかねー」
 朝の散歩から数時間後、出演者六人にスタッフ三人の総勢九人が砂浜に会していた。
 久々に一同の前に姿を現した木野さんは、アロハシャツにサングラスを合わせ、くせ者感を増していた。肩口まで伸ばした長髪を揺らしながら、例のごとく飄々ひようひようとのたまう。
「野外でのまとまった撮影はこれが初めてになるね。ま、別に難しいことはないよ。ここまでで番組のリズムとか、お互いの呼吸とか、だんだんわかってきてると思うから、あとは自分の気持ちをうまく沿わせながら動きを見せてちょうだい。あ、これは繰り返しの注意になるけど、カメラが寄った時だけ、できればその時の会話を軽くまとめて再現するのだけ意識してください。今まではピンマイクつけてもらってたけど、海じゃ使えないからね。あと昨日からスポットで手鏡にもサブカメラを回してもらってるから、それも頭の片隅に置いといて」
「よろしくです」
「ま、使えるになるかは怪しいけど」
「ちょっと! 木野さん!」
「それじゃ、僕は本土と編集会議があるからこれで。予定通り、今日の夜が『クローズド・カップル』の初回放送になるからね。伝説作ろうと思ってるんで! 気張っていこうぜ!」
 決めぜりふとともに、木野さんはさっときびすを返し、去っていった。
 なんとなく出演者の視線がADに集まる。
「えーと……はい、そしたらカメラ回していこうと思います。改めてよろしくお願いします」
 砂浜での全員参加の撮影はそんな風に始まった。
 とはいえ、舞台が変わっただけで、台本や段取りが新たに用意されるわけでもない。僕らは好き勝手に砂浜で過ごすことになる。
 出演者は全員水着で集まっていた。男子勢は脱ぐとますます男前が上がり、末席に名を連ねる僕の自尊心がいよいよ砕け散りそうになる。テレビで、舞台で、頻繁にアクションをこなす桂君はさすが体が締まっている。胸板も意外と厚い。我妻君も線が細いけれど、全身にしっかりと筋肉がついているのがわかった。どうしたって自分が一番見劣りしている。ああ、肩身が狭い……って、慣用句すら僕の貧弱な肩幅を煽ってくるじゃないか。事実だからどうしようもないけれど。
 女性陣の方はといえば……ちょっとこれ、見ていいの? 異性と海やプールに出かけたことがないから、目の前の光景がまだ現実のものとはにわかに信じられない。
 花火さんはシンプルな花柄のビキニがすこぶる似合っていた。夏の太陽が、南の島が、総出で祝福しているような神々しささえある。うるるさんはふりふりピンクのオフショルダーで、グラビアアイドルの肉感的な魅力よりも、むしろ彼女のガーリーな個性が際立っている印象。サリーはさすが本職のモデルだけあって、レトロなハイウエストを見事に着こなしていた。
 一人どぎまぎしている間に、周りは如才なくそれぞれの出で立ちを褒め合っている。陽キャは軽々とこういうムーブをこなす。陰キャの僕はついていくのがやっとだった。
 それからまた唐突に、その場のノリでビーチバレーをすることが決まった。集合場所の傍らには、海水浴や砂浜でのレジャーを楽しむ道具が一式用意されていた。その中から我妻君が簡易ネットとボールを見つけ出し、みんなに提案したのだ。
 チーム分けは、こういう場なら当然男女ペアになる。厳正なるじゃんけんの結果、僕は花火さんと一緒のチームになった。
「やった、栞君とだ。優勝するっきゃないね」
「お手柔らかにお願いします……」
 ふと、少し離れたところから、桂君がすがめるようにしてこちらに視線を飛ばしていることに気づく。花火さんを取られて面白くないんだろう。むすっとした表情。対照的に、彼の腕にうれしそうに絡んでいるのはうるるさんだ。もう一チーム、我妻君とサリーのペアは男女のテンションが逆で、我妻君が積極的に話しかけるのだけれど、サリーはどこ吹く風といった様子。現状の相関図がぎゅっと凝縮された風景だった。
 そうこうしているうちに試合が始まる。やっぱり最初のうちは我妻君が誰よりも張り切っていた。けれどそのうち、バレーの腕前を見せつけるだけなら意中の相手と同じチームでなくてもいい、ということに気づいた桂君もギアを上げた。経験者ではないようだけれど、たっぱがあるからプレーが様になる。彼らのチームの女の子はほとんど棒立ちだった。そもそも彼女らは最初からバレーの勝敗にはさして興味がなさそうだった。
 唯一、うちのチーム──花火さんだけが例外だった。これには僕の運動神経が人並み以下で役に立たないこともあったけれど、純粋に花火さんが達者だった。冷静に見て、男子も含めた六人の中で一番技術的にうまいと思った。明らかにハンデになっている僕のミスを軽々とカバーし、しかし決して独りよがりになることなく、毎ゲームそれなりにいい試合に持っていく。野球部やサッカー部がみんなこういう人ばかりなら、僕も体育の授業を嫌いにならずに済んだかもしれない。
 ただ、困るのは──。
 前傾姿勢でボールを待ち構える彼女。その蠱惑こわく的な後ろ姿をつい凝視していたことに気づき、僕は慌てて視線を引きはがす。水着姿で激しく動き回るもんだから、その……いろいろきわどいんだよな。本人は全然抵抗がないのか、平気で飛んだり、跳ねたり、屈んだりしていて、その度に見ているこっちがはらはらしてしまう。軽はずみに回転レシーブとかするの、本当よくないよ。あんな頼りない布地じゃ、それこそ何かのはずみで──。
「──栞君! そっちいった!」
「え?」
 ばあん!
 唐突な顔面への衝撃に、僕はなす術なく後ろざまに倒れ込む。熱い砂浜に大の字になると、ワンテンポ遅れて頭の辺りにてんてんとボールが跳ねた。
「悪い、手元が狂った。大丈夫か?」
 向こうのコートから飛んでくる桂君の声は、妙に明るいトーンだった。あいつ、狙ったな……いや、まあ、半分は自業自得か。
「栞君、大丈夫?」
 ぼやけた空が大写しになった視界に、逆光で入り込む心配そうな顔。花火さんだった。
「うん……なんとか」
 応えて、上半身をゆっくりと起こす。同時に体をあちこち探ってみた。よかった、幸い怪我はないようだ。
「大したことないっしょ、ボールもお遊び用だし」と外野から我妻君。「にしても今の、超笑った。栞ぐっじょぶ! ほらほら渚子ちゃん、カメラカメラ。めちゃくちゃおいしい画なんだから。番組で使ってあげなきゃ、体張った栞が報われないだろ」
 ぱたぱたとやって来た渚子さんは、
「は、はいっ。そうしたら……桂さん、スパイクもう一発お願いします!」
「いや、それは必要ないでしょ!」
 思わず突っ込むと、どっと砂浜に笑いがはじけた。
 結局、終わってみればバレーの総当たり戦は惜敗続きで最下位だったけれど、僕はその後も浜での時間をほとんど花火さんと一緒に過ごした。というか、彼女に延々と連れ回されたのだった。
「島に来たのに泳がないでどうするの!」
 バレーの後も体力があり余る花火さんは、渋る僕の腕を取り、海の中へと引き込んだ。彼女は泳ぎも上手だった。ただカメラがとらえやすいように、基本は腰より水位が低い浅瀬で波とたわむれていた。
 しばらくして陸に上がると、今度は砂浜でのシーグラス探しと相なった。
「元は捨てられた瓶やガラス製品だからね。暖色系、特に赤やオレンジが珍しいみたい。ごく稀に複数色が混ざったマルチカラーってのがあって、それを見つけた人には幸運が訪れるんだって」
 花火さんの講釈を聞きつけ、いつの間にかその場の全員がシーグラス探しに没頭していた。番組的には一見地味な絵面えづらだ。しかし単純作業だから合間に会話も生まれるし、レアもの発見に誰かが声を上げ、みんなで寄っていく時なんかは自然とテンションが上がり、見せ場にもなった。見つけた戦利品は意中の相手へのプレゼントにもなるから、一層雰囲気は盛り上がる。
 桂君はここでも僕へのライバル心を燃やし続けていた。バレーでの一件もあったし、何度も突っかかってこられると、だんだんこちらにも対抗する気持ちが湧いてくる。
 それで僕も張り合うように花火さんへの捧げものを探したのだけれど、結局両者とも成果は芳しくなかった。すわ幻のマルチカラー? と僕が大騒ぎした一片は、よくよく見るとただのプラスチックだった。
 そうそううまく事は運ばないものだ。