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 新感覚恋愛リアリティーショー『クローズド・カップル』。
 それが今、僕の出演しているインターネット番組の名だった。
 ミステリの用語に「クローズド・サークル」というものがある。なんらかの事情で外界との往来が断たれた舞台設定、あるいはそこで起こる事件を描くジャンルの総称だ。いわゆる嵐の孤島、吹雪の山荘をイメージするとわかりやすい。
 そう、『クローズド・カップル』はこれを地でいく企画だった。出演者、ディレクター、カメラマンは総出で孤島に渡り、泊まり込みで撮影を行う。そこで起こる筋書きのない恋愛模様を、最低限の編集で構成し順次配信するというのだ。
 それだけではない。
 この番組につけられたコピーは、「孤島で起こる、恋愛と××」。つまり『クローズド・カップル』には、恋愛以外にももう一つ、重要な見どころが用意されていた。「××」の文字はいかにもおどろおどろしいフォントに加工されていて、何やら不穏な出来事をこれでもかというほど匂わせている。島で何が起こるのか。協力して解決する系の課題? それともだまし合いのゲーム? その詳細は今のところ、視聴者にはもちろん、出演者たちにも完全に伏せられている……。
 恋愛リアリティーショーが飽和状態になる中で、あるネットテレビ局が打ち出した前代未聞の挑戦企画──という触れ込みだったけれど、改めて思い返すと、すごいなこれ。出演者にすら何も知らせないなんて、挑戦とかそういうレベルじゃなくない? 個人的にははっきり狂気の沙汰だと思う。
 でもどうやらこうしたわかりやすいインパクトが、この手の番組には求められるらしい。なんたって仕かけ人は、あの大物プロデューサー、木野天秤きのてんびんだ。彼のヒットづくりのノウハウが今回も的確にはまった。巧みなプロモーションも手伝って、ネットやSNSでは放送前から話題沸騰。テレビや雑誌でも頻繁に取り上げられ、普段恋愛リアリティーショーに興味のない層にも話題は伝播していった。
 そんな注目番組の出演者として、僕、小口栞にお呼びがかかったのは、まさに神様のいたずらとしか言いようがなかった。
 今や群雄割拠ぐんゆうかつきよの恋愛リアリティーショーに、ずぶの素人が出ることはほとんどない。こういう番組に出演するのは、知名度の差こそあれ、普段からメディアや興行といった表舞台に立ち、華やかに活動している人たちばかりだ。具体的には俳優やモデル、タレントなど。たまに畑違いの人が出ることがあっても、大抵人前に出ることに慣れていて、キャラクターとして振る舞う資質が備わっている人たちに限られる。だって、そうでないと番組にならないから。
 そこへ持ってきて、僕の肩書きは何かといえば、しがない小説家だ。
 デビューを果たしたのは高校在学中で、その瞬間はちょっとばかしちやほやされたけれど、肝心の本は大して売れなかった。ここまでなんとか三冊の出版に漕ぎつけたけれど、一向に芽が出る気配がない。今はもっぱら大学の講義とバイトに追われ、その隙間時間に執筆をこなす日々にすっかり疲弊していた。
 そんな折、編集部から連絡が入った。〆切りの催促かと思いきや、いつも感情を表に出さない氷の女王のような担当編集の声がかすかに震えている。
「落ち着いて聞いてください」
 そこで僕は、木野プロデューサーが直々に出演交渉を持ちかけてきたことを知らされたのだった。
 最初は担がれているのかと思った。けれど、指定された日時に編集部に赴くと、そこには確かに木野プロデューサーがいた。
「小説家って言ってもね、今の時代、ただ単に小説だけ書いててもだめだと思うわけ。出版は斜陽産業だから。重要なのはセルフプロデュースなんだよね」
 今回の番組ではディレクターも兼務するという木野さんは、『クローズド・カップル』の大まかな内容を説明した後、そんな風に切り出した。僕は編集さんと横並びになって彼と向かい合い、「はあ」とか「ええ」とか、曖昧な相づちを打つ機械になっていた。企画書も渡されたけれど、眺めていても一向に内容が頭に入ってこない。
 木野さんは、今回の出演者はハイティーンから二十代前半までと年齢だけを定め、あとはあらゆるジャンルからザッピングして決めたと語った。彼はスマホである動画を流して見せてくる。それはデビュー当時に嫌々撮らされた、僕が新刊を紹介しているショートムービーだった。視線が定まらないまま、訥々とつとつと話す陰キャがそこにいて、頬が熱くなる。しかし木野さんはここから何かを感じ取ったらしい。僕を出演枠に入れるため、シークレットキャラ的な追加投入も検討した挙句、結局出演者リストを一から構成し直したという。
「書いてるジャンルはミステリなんだよね。ごめん、まだちょっと読めてはいないんだけど、推理作家って響きがまたいいじゃない。つくづく最初の売り出し方がもったいなかったよね。君にはコンテンツ力があるのに。僕はそう直感してる」
 隣でぴくりと編集さんの眉が動く。
 気にせず木野さんはまくし立てた。
「高校生でデビューを果たした、現役の大学生作家。これはバリューだよ。ビジュアルも悪くない。パーツが整ってて、でもがっつり濃いイケメンって感じじゃないのが今風なんだよね。線の細さも雰囲気出てる。眼鏡だけコンタクトに変えてさ。あと、長い前髪はこだわり? いやいいよ、そのままで。僕の知ってるサロンでパーマあてれば、だいぶ垢抜けると思う。で、ファッションの方向性だけど──」

 あれよあれよという間に話が進み、僕は今、こうしてここにいるというわけだった。
 いや、この期に及んでもちょっと信じられない。まだ半分夢の中にいる気分だった。こんなきらきらした番組のオファーを、この僕が受けただなんて。
 断ろうと思えば断れたんだろうか。うーん、でもやっぱり無理だったろうな。木野さんの話運びは海千山千で、出来の良い手品みたいに巧妙だった。編集部も最終的には著者の名が売れ、本の宣伝になるとなれば、プッシュしない手はない。個人的にはギャランティーのだめ押しも大きかった。相場はよくわからないけれど、学費の足しになるならなんでもありがたかった。
 ──というのが、ここまでのいきさつ。
 ただ。
 今になって胸を占めるのは、多分の後悔だった。これ、やっぱり割に合わないよ。
 実際に出演してみて驚いたのだけれど、リアリティーショーには本当に台本がなかった。決められているのは、立ち居振る舞いに関するいくつかのルールと、全員参加のイベントのスケジュールくらい。ただしショーである以上、演出はある。出演者それぞれが自分のナチュラルな個性をベースにしつつ、大なり小なり番組の趣旨や視聴者の期待をくみ取って撮影に臨むというのが基本の進行だった。
 これが想像以上にきつかった。ただでさえ空気の読み合いは苦手なのに、その上で即興のストーリーをなるべく嘘にならないように展開しなくてはいけないのだ。指定された行動やせりふを演じさせられた方がまだましだった。ここではまず自分自身で立ち位置を築き、その上で関係性を発展させ、あわよくば見せ場を作らないといけない。
 現実に虚構が、虚構に現実が混じり合い、境界がないどころか、濃淡も一律ではない。そのあわいこそがリアリティーショ──―それは理解しているけれど、そもそもカメラの前で自然に振る舞えない素人には要求されるレベルが高すぎるのだ。ましてや色恋沙汰なんて、ただでさえこっ恥ずかしいことを衆目の面前で赤裸々に行うなんて……。
 抜擢の理由からして、僕には器用な立ち回りが期待されているわけではないのだろうけれど、それでもこの二日間はひどかった。どうにもカメラが気になって、動きは固くなるわ、言葉は出てこないわ、他愛ない世間話を交わすのもやっとという有り様。これがまだ一週間も続くのだ──。
 つらつらとこれまでの経緯を思い返すうち、気づけば玄関にたどり着いていた。
 僕は銀のドアノブに手を伸ばす。と、思いのほかこれがひんやりとしていて、煮つまった頭が少し冷めるようだった。
 それをきっかけにして、つと思考を切り替えてみた。無理にかっこつけたり、そつなくこなそうとしているからよくないんじゃないか。出演しただけで元は取った──そう考えてみたら? どんなに失態を演じようと、お金は入ってくるし、知名度は上がる。うん、それで充分じゃないか! 大きな流れは、花火さんを中心にうまい人たちが作ってくれている。それに乗っかってさえいれば、最低限の仕事はこなせるだろう。あとは野となれ山となれ、だ。大丈夫、きっとうまくいくさ。
 玄関のドアを開けると、爽やかな朝の風が舞い込む。それは、僕の些細な決意を肯定するかのように柔らかく、清冽だった。
 戸口から改めて眼下を見やる。
『クローズド・カップル』の舞台となる、ここ漆島うるしじまは、正真正銘の無人島だった。八丈島はちじようじまから南西に三十キロ。地図上の名は売島うるしまというらしく、漆島はそれをもじって木野さんが番組用に命名したという。
 二時間もあれば歩いて回りきれる程度の、ごくごく小さな島だ。ビーチは目に麗しく、さすがにカメラ映えしそうだけれど、あとは見渡す限りまばらな林が広がるばかり。島の中央付近にコテージが建つ以外、めぼしいものは何もない場所だった。
 散歩に出るにしても進路を取りあぐねていると、てくてくとこちらに向かってやって来る女の子の姿が見えた。
 朝日を照り返すブロンドと、澄んだ青い瞳。この島でそんな特徴を持つのは一人しかいない。
 青垣外あおがいとサリー。北欧ハーフのファッションモデルだ。思わず尻込みしそうになる肩書きだけれど、実はまだ現役の高校生。今回の参加者では最年少だった。そう知ってから見ると、激烈に整った顔立ちの中にもやはり年相応の幼さがうかがえる。気分に左右されるたちなのか、表情が常にうっすら不機嫌そうなのも、そうした印象に拍車をかけていた。
「やあ、サリー」
 とりあえず、そう呼びかけてみる。
 向こうはこちらに気づくと、首だけでやる気のない会釈をした。
「ども、先生」
 顔つきほどには険のないトーン。けれど、いかにも女子高生といった、こまっしゃくれた態度だった。慇懃無礼いんぎんぶれいな呼び方には未だに慣れない。
「散歩帰り?」
「ま、そんなとこ」
「一人で?」
「……悪い?」
「い、いや、別に他意はないよ」やぶ蛇だった。慌てて話題を切り替える。「どの辺りを回ったの? 僕もこれから散策しようと思って。おすすめのルートとか、スポットとかある?」
 彼女は二秒だけ考える振りをした。
「んー、全部かな」
「どこも全部よかったってこと?」
「どこも全部つまんなかったよ」
 呆気に取られている間に、それじゃ、とサリーは僕の傍らを横切り、玄関をくぐっていった。
 ……マイペースなのか、なんなのか。
 彼女からは今のところ、恋愛に励もうという雰囲気はほとほと感じられない。撮れ高を気にしたり、何か爪痕を残そうという気概もなさそうだ。改めてこの番組に対する、各々のスタンスの違いを感じる僕だった。
 さて、気を取り直して。これからどこへ向かおうか。
 やっぱり素直に考えたらビーチかな。朝の光を浴びながら砂浜を散歩なんて、こんなロケーションじゃないとできないことだ。
 そう決めた僕はいざ、砂浜へ続く小道に沿って歩きだす。撮影に備えて多少整備がなされたのだろう。踏み固められた地面をゆるゆると下っていく。