そうこうするうちに日はだいぶ傾き、腹の虫も騒ぐ頃合いになった。コテージでの夕飯は当番制だけれど、今日は引き続きここでバーベキューだ。すでに器具や材料などの用意も万端だった。
準備ばかりさせてしまって、スタッフの皆さんには申し訳ない。まあ、彼らには後日高級な焼肉でも食べてもらうとして……午後六時、僕らは早速夕飯の支度に取りかかった。
手間取りながらもなんとか火を起こし、網の上に肉と野菜を思い思いに載せていく。やがて、じゅうじゅうという音と香ばしさが辺りに満ちた。否応なしに食欲が刺激される。
「そろそろいい? いいっしょ? んじゃ、いただきまーす……うわ、うっま!」
我妻君の舌鼓を号砲に、それぞれがお目当ての食材に箸を伸ばす。僕も手元で育てていたカルビをいそいそと自分の皿に移して、おもむろにぱくり。──うん、文句なし! 自然の中で食べるご飯ってやっぱり格別だ。
しばしの間、撮影も忘れてがっついていると、不意に離れたところで笑い声が上がり、周囲の盛り上がりにすっかり置いていかれていることに気づいた。いかんいかん、さすがに黙々と飯をかっ込んでいるだけではお話にならない。僕はとりあえず会話の流れをつかもうと、皿を置き、飲み物を口に含んで──そこでもう一つ、あることに気づいた。
僕の手の中にあるのは烏龍茶の缶。対して、花火さんや桂君が握り持つのは明らかにアルコール飲料だ。話している内容もどうやらお酒にちなんだものらしい。なんだか急にテンションに格差ができたと思ったら、これが原因だったか。
僕は現在、満十九歳の身。誕生日は翌月だった。惜しい。別に普段から二十歳になったらめちゃくちゃ酒を飲んでやろうとか思っているわけではないけれど、楽しそうに飲み語らう姿を見ていると素直にうらやましさが込み上げた。そのうち桂君はたばこまでふかしだす。マルボロのメンソールが悔しいほど似合っていて、いかにも大人の男って感じだった。
うなだれてほろよい集団から視線を外すと、輪から外れたところでネイルとにらめっこしているサリーの姿があった。貴重な未成年の仲間だ。僕はキャンプ用の折りたたみ椅子を小脇に抱えると、そばまで歩いていき、
「隣、いいかい」と話しかけた。
彼女はのろのろと振り返り、いぶかしげな様子でこちらを観察していたけれど、その目が手元の烏龍茶をとらえると、
「あ、先生もぎりぎり未成年だっけ。子どもじゃん」と言って笑った。
「子どもはどっちだ、高校生」
許可が出たことにして、椅子を広げる。
腰を下ろしたはいいものの、サリーはまたぞろ爪をいじり始め、会話が続かない。
せっかくなので僕はずっと疑問に思っていたことを彼女にぶつけることにした。
「サリーはさ、なんでこの番組に出ようと思ったの?」
彼女は指先を見つめたまま、声だけ返す。
「やる気なさそうって?」
「えーと……」取りつくろっても仕方ないか。「まあ、端的に言えば」
サリーは組んだ足に肘を立てると、頬杖を突いてこちらを見た。だいぶ行儀が悪いが、それでも様になっているのが癪だ。水着の上に羽織ったレースガウンが翻る。
「私は先生が出演した動機の方がよっぽど気になるけど。オファーが来たって全力で断るタイプでしょ。相当ギャラがよかったの? それともまじで芸能人とのワンチャン狙ってるとか。意外と肉食なんだ」
「話をそらすなって。僕は自著の宣伝のため。それ以上でも以下でもない。だから本気の恋愛をする気がなくても、なんとか求められてる役割をこなして、番組で使ってもらおうと思って行動してる。でも君はそんな素振りも見せないから、気になったんだ」
カメラは盛り上がっている輪の方に向いているのがわかっていた。たとえ使われたとしても、このくらいのぶっちゃけなら平気だろう。
サリーはにらむように青い瞳で僕の視線を受け止めていた。けれど、やがて姿勢を正し、正面の海に向かって語りかけるように言った。
「──本当はマリーが出る予定だったんだ」
「マリー?」
「先生は知らないか。私たち、双子ハーフモデルで売り出してんの。マリーは私の妹」
「そうなんだ……ごめん、不勉強で」
「双子でも性格は違うから、マリーはキャラ的にこういうの向いてるんだよ。急に体調崩して出られなくなっちゃったんだけどさ。でも、事務所はチャンスを棒に振れなかった。『代わりにお前が出ろ』だとさ。『顔が同じなんだから変わんねえよ』って言われた」
「ひどいな」
「さすがにやる気もしおれるよ。ま、番組で何もしないままでいたら、そっちの方がどやされるんだけどさ。そんなこと、わかってる。わかってるんだけど……」
最後のリフレインは、小生意気なサリーの声とは思えないほど細く、途切れがちに聞こえた。
しばし沈黙の時間が流れる。
「我妻君は」と僕。「サリーのこと、気に入ってるみたいだ」
「だから何? その気もないのに、彼の心を利用して、目立つためだけにくっつけって?」
「いや、そんなことは言わないけど……」
「言ってるようなもんじゃん。……ん、でもそっか。あの人だって、そういうポーズかもしれないしね。自分の本心がどうとか、相手の本心がどうとか、ぐだぐだ考えるだけ無駄なのかも」
サリーはそう言うと、すっくと立ち上がる。
「とにかく、これは私の問題だから。私の方でなんとかするよ。心配やら同情やら、うっとうしいからやめてね。先生は先生で自分の心配した方がいいよ。先生の周り、意外とにぎやかだし。うまく立ち回らないとこっから大変そう」
それから彼女はスタッフたちにそれとなく「お手洗いに立つ」サインを送り、セブン・シーズ・ハウスの方へと歩きだす。言いすがる間もなく、その姿はすぐに木立の合間に紛れて見えなくなった。
「…………」
僕は浮かしかけた腰を再び簡素な椅子に沈めた。先ほどの会話がまだ頭の中をぐるぐると回っている。
──心配やら同情やら、うっとうしいからやめてね。
そうは言うものの、もう少し彼女の気持ちに寄り添うことだってできたんじゃないか。踏み込んだ質問をするだけしておいて、結局気の利いた言葉一つかけてやれなかった。不甲斐ない思いが胸に澱となって残った。
いよいよにぎやかな輪に合流するテンションではなくなってしまった。踏ん切りがつかないまま、所在なく缶の底に残った烏龍茶をちびちびやっていると、ふと誰かが砂地を踏んでこちらにやって来る足音に気づく。
サリーが戻ってきたわけではあるまい。誰だろう? 少しそのままの姿勢で待っていると、
「しーおーりんっ」
甘ったるい呼びかけに先制パンチを見舞われて。
え、今、しおりんって呼ばれたか……?
戸惑いつつ振り返ってみると、そこにはうるるさんが立っていた。今は、水着に合わせたピンクのキャミワンピ姿だ。つば広の帽子を押さえながら流し目っぽい目つき。
「しおりん探したよー。うるるね、しおりんとちょっとお話ししたいなーって思ったの。今、いいかな?」
僕の呼び方はしおりんで確定なのか。
というか、何もかも突然で驚く。そもそも彼女からまともに話しかけられること自体、おそらくこれが初めてだった。彼女のターゲットは圭たんただ一人、わかりやすく照準が絞られている。故にそれ以外の共演者は、存在は認識しているけれどあえて関わり合う必要のないモブ──そんな風に割り切っている印象だった。そんな彼女がこのタイミングで僕に接触を図ってきたのだ。……なぜ?
ただそんなことを真正面から尋ねられるわけもなく。
「う、うん。もちろん」
そう答えるのが精いっぱいだった。
「よかったあ。じゃあこっち、ついてきて」
彼女はにこやかに僕の前を横切り、海を背にして、手近の林の方へと進んでいく。慌てて後ろを追いかけた。
うるるさんは林に足を踏み入れてからもしばらく歩みを止めなかった。しかもずんずんと茂みの濃い方へと向かっているようなのだ。
「あの、うるるさん……?」
僕が肩越しに呼びかけた時、ようやく彼女は前進をやめ、くるりと振り向いた。すでに日は沈みきり、空には星が輝きだす時間帯だ。木々の陰影もあって、その表情はうまく読み取れない。
うるるさんはそこでおもむろに帽子を脱ぎ、小脇に抱えるようにして腕を組んだ。同時に今までかわいらしく内股ぎみだった足を仁王立ちのように広げ、厳然と言い放った。
「──あんた、何さっきからぼーっと一人でたそがれてんの? さっさとあの『ヒロイン気取り』のこと、なんとかしなさいよ」
「……は?」
一瞬、何が起こったかわからなかった。大袈裟でなく、世界がバグったかと思った。そうでなければ、世界を認識する僕の脳みその方に不具合が起きたのだ。
目の前にいるのは、恋塚うるるさん、その人のはずだ。
しかしその声には、先ほどまでの糖度高めの響きはみじんもなかった。確実に一オクターブは音域が下がり、しかもどすが利いている。口調もすっかり変わっていた。特徴的だった舌足らずで間延びした調子が一切ない。というか、所作や立ち居振る舞いからしてまるで別人だ。え、どういうこと?
「えーと……双子のうららさん?」
「なんの話よ」
いかん、ハーフモデルは特殊な例だった。僕はなんとか混乱の中で言葉を探す。
「いや、あの、話してみるとイメージとギャップがあって……正直めちゃくちゃ驚いてます」
「はあ……勘弁してよね。あんなのキャラづけに決まってるでしょ。結局わかりやすいのが受けるのよ。戦略よ、戦略」
さ、さいですか。
最初は酔って暴走しているのかとも思ったけれど、うるるさんの顔色にはほとんど変化がない。この切り替えは完全に意識したもので、つまり普段のキャラも完璧に計算されたものというわけだ。
僕はようやく目の前の現実を受け入れ、話を先に進めることにした。
「話の腰を折ってすみませんでした。で、なんだっけ……一つ一つ確認していっていい? まず『ヒロイン気取り』ってなんのこと?」
「ヒロイン気取りって言ったらあいつ──松浦花火に決まってるでしょ! あの女、あちこちで思わせぶりな態度取って……私の圭太郎君にも! うっとうしいったらありゃしない!」
なるほど……うるるさんから見ると、花火さんの印象はそうなるのか。ヒロイン気取り、ね。
確かに女性陣の中でメインを張り、実際にゲームメイキングも務めているという意味では、花火さんは紛れもなく筆頭ヒロインだ。一方で、それ故の支配的な振る舞いや、どこか芝居がかった調子が鼻につくというのも正直わかる。やっかみも込めて「ヒロイン気取り」というのは、少々失礼ではあるが、なかなか納得の花火評かも、と思った。
「じゃあ、花火さんを『僕がなんとかする』というのは?」
続けて聞くと、うるるさんは表情に浮かぶ呆れの色を濃くして、
「あんた、あいつのこと狙ってるんでしょ?」
「狙ってる? いや、狙ってるとか、そういうわけじゃ……」
「は? だったらなんなの?」
うーん、どう説明しよう。まあ、変にぼかすこともないか。
「ちょっかいをかけてもらってるうちはそれに乗っかろう、って感じかな。いっちょかみして盛り上がれば、それは番組的にもプラスだし、僕のキャラで何かしら爪痕を残せる最良の手段だと思う。出しゃばるつもりはないんだ。ヘイトを買う手前でフェードアウトして、あとはうまくやり過ごせたらって」
「うわ、何その思考。言い訳っぽくて、回りくどくて、気持ち悪い」
「ええ!」なんてこと言うんだ!
「うじうじ考えてないで、アタックすればいいじゃない」
「僕からしたら、そっちの思考の方が極端で理解できないよ! 恋愛リアリティーショーって言ったって、結局はお仕事じゃないか。みんながみんな、その場で本当の恋愛なんてできないよ。虚構は虚構。現実は現実。だからできるだけ自分の気持ちに嘘をつかないように、立ち回りを一生懸命考えてるんじゃないか」
「野暮ね」うるるさんは僕の熱弁を一笑に付した。「いいじゃない、顔の良い異性が近くにいるんだから、仲良くなっちゃえば。いけすで管理された養殖の恋愛ごっこだってわかってるなら、好き勝手やればいい。せいぜいお茶の間や芸能ニュースがちょっと騒ぐくらいのもんでしょ。本能に従って自分が一番楽しんじゃえばいいのよ」
う……強い。まぶしすぎる陽キャの論理だった。ある意味究極の考え方ではある。でも、そこまで吹っ切れたら苦労しないって。
「そんな、ふしだらなことは……」
「何よ、ふしだらって。この業界にいたらまともな恋愛の機会なんてめったにないのよ? お手軽にどきどきを満喫して何が悪いの? ティーンの時分から人気商売やってるとね、好意って感情がひどく厄介な代物だってこと、身に染みて感じてるの。だんだん想いを寄せるのも、寄せられるのもおっくうになる。でも番組だってわかってたら、ね。そこにはセンセーショナルなスキャンダルも、危ないことも何もないんだから……でしょ?」
うるるさんはスカートの裾に止まった羽虫をうっとうしそうにのけながら、早くもまとめに入った。
「とにかく、できるだけあいつを圭太郎君に近づかせないでちょうだい。必要ならこっちもできる限り協力はするから。あんたとヒロイン気取りが二人きりになれるアシストとか」
いつの間にか、僕が花火さんを狙うこと、そしてそれぞれが意中の相手とくっつくために協力し合うことが既定路線となっていた。
「さて、と。じゃ私は行くから。一緒にいたと思われたくないから、少し時間空けて戻ってよ」
そうして、うるるさんは颯爽と回れ右。闇夜に溶け込む彼女の背中を、僕は呆然と見送るしかなかった。
「…………」
言いたいことは山ほどあった。とりあえず、胸の中でこれだけぼやくのを許してくれ。
無敵かよ、あのグラビアアイドル。