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「先生、私のブルマがなくなりました。実は、前から何回もなくなってて……」
 当時の担任は、定年間際で戦争体験もあった、大ベテランの女の先生でした。先生は「あら、本当?」と驚いてすぐ教室に入ると、クラス全員に大声で言いました。
「ちょっとみんな、香織ちゃんのブルマがなくなりました! 探してあげて~」
 あちゃ~、と私は心の中で嘆きました。内密に解決してほしいと思ってこっそり相談した意味は、一瞬でなくなってしまいました。私が子供の頃はまだざらにいた、戦争体験のある大ベテランの先生というのは、大変な時代をくぐり抜けてきたためか、よくも悪くも細かいことは気にしないタイプの人が多かった気がします。
 それから数分間、クラスのみんなで私のブルマを探すという、私にとっては地獄のような時間になりました。半笑いのクラスメイトたちの好奇の目にさらされながら、ロッカーやベランダなどを探すうちに、「お前の机に入ってんじゃねえか?」「やめろ馬鹿」なんて男子の悪ふざけまで始まってしまって、「こら、ふざけるんじゃないよ!」と、戦中仕込みの先生の怒鳴り声が響き……結局、私のブルマは見つからず、ただ私に恥辱が与えられてクラスが嫌な空気になっただけで、その日の学校は終わりました。
「ブルマ盗ったの誰だろうね~。美人さんは大変だよね~」
「案外、ただお姉ちゃんとか妹が持って行っただけかもしれないけどね~」
「だったら超迷惑なんだけど~」
 おそらく当時からすでに私を快く思っていなかったであろう、あまり親しくないクラスメイトの女の子たちが、わざと私に聞こえるように話しながら帰っていきました。兄弟も姉妹もいない私が、使用後のブルマを持って行かれる訳もないのですが、反論したところで私が傷付くだけだということは分かっていたので、ただ我慢してやり過ごしました。
 一方、仲良しのAちゃん、Bちゃん、Cちゃんは、心配そうに私の周りに集まってくれました。
「香織ちゃん大変だったね~」
「ひどいよね、犯人」
「絶対捕まってほしいよね~」
 私は、三人に励ましの言葉をかけてもらいながら下校しました。
 帰る道すがら私たちは「あいつはスケベだから怪しい」「あいつも盗んでそう」などと、何人かの男子のクラスメイトを名指しするという、今思えばひどい会話を交わしていました。でも、仲間内の陰口だけでとどめれば実害は伴いません。ブルマを盗むなどという行動に移してしまう犯人よりは、よっぽどましだったと思います。
 もっとも、そんな私たちの犯人予想は、見事に裏切られたのですが――。
 その翌日、私が登校すると、教室の前の廊下に、担任の先生が立っていました。ただでさえ始業時間前に先生が教室の前にいるのは珍しいことなのに、その両脇には教頭と教務主任の先生までいました。いったい何事かと、クラスメイトたちも少しざわついているのが分かりました。
 と、その三人が私を見つけて、揃って近付いてきたのです。
「佐藤さん、ちょっといいかな」
 私は教室に入る前に、三人の先生に囲まれて職員室へと連れて行かれました。明らかに尋常ではない事態に、クラスメイトや通りすがりの児童たちもみな目を丸くしたり、友達同士でささやき合ったりしていました。正直私も、ブルマを盗まれた件の話だろうと察してはいたのですが、ここまでものものしく職員室まで護送されるとは思っておらず、何かよっぽどのことを言われるのかと緊張しました。
 そして職員室に入ると、担任の先生から、思っていた通り、いや思っていた以上の、よっぽどのことを言われたのでした。
「香織ちゃんのブルマを盗んだ犯人が分かったの――。二組の、D先生だったの」
「えっ!?」
 D先生というのは、私が通う四年一組の隣の、二組を担任する、三十歳ぐらいの若い男性教師でした。教え子たちからの人気もあっただけに、まさかそんな先生が犯人だなんて、予想をはるかに超えた衝撃でした。
「私もびっくりしたんだけどね、昨日の放課後、D先生が帰り際に鞄から何か落として、『落としましたよ』って私が拾ったら、それが香織ちゃんの名前入りのブルマだったの。私が『これどういうことですか』って問い詰めたら、D先生はぶるぶる震えて泣きながら、自分が盗んだって白状して……」
 担任の先生の説明に、教務主任の先生が付け足しました。
「先生がこんなことをしたっていうのは、許されないことだからね。ひとまず今日からはしばらく、僕がD先生の代わりをやって、二組には後日、別の先生が担任として来ることになる」
「それで、佐藤さんには悪いんだけど、D先生が来なくなった理由については、あんまりお友達とかに言わないでね。混乱するといけないから」
 教頭先生にそう言い含められて、私は職員室を後にしました。
 しかし先生たちは、子供の間の噂話の伝達速度を見くびっていました。私は誰にも言わなかったのに、D先生が私のブルマを盗んでクビになったという話は、ほんの数日で、四年生どころか他の学年の児童にまで知れ渡ってしまいました。
「あの子でしょ、D先生にブルマ盗まれたの」
「あんなに可愛いから狙われたんだろうねえ。名前何だっけ」
「四年一組の佐藤香織っていうらしいよ」
 登下校中や、廊下を歩いている時、上級生のそんな話し声が聞こえてきたこともありました。当時の子供社会には、プライバシーのプの字もありませんでした。
 やがて隣の四年二組には、非常勤の先生が赴任してきました。それで事態が収束に向かえばよかったのですが、残念ながらこれが、さらなる災難の入口だったのです。
 二組に赴任してきたのは、四十代ぐらいの女の先生だったのですが、ヒステリックに怒鳴ることが多く、その声が隣の私たちの一組にまで聞こえてくることもありました。しかもその頻度は、だんだん多くなっていきました。四年二組の新担任は、子供たちをうまくまとめられず、クラスの雰囲気は日に日に荒れていってしまいました。
 そうなると、さらに残酷な風潮が広がりました。
「D先生の方がよかったよね~」
「新しい先生ほんと最悪なんだけど~」
 そんな声が、休み時間に二組から遊びに来た子たちから、よく聞かれるようになりました。そして、その矛先がとうとう、私に向いてしまったのです。
「ねえ、佐藤さんだっけ。なんでD先生のことチクったの?」
「あんたが我慢すればよかったんだよ」
 ある時、会話したこともない二組の女子二人から、面と向かって言われてしまいました。私はショックで何も言い返せませんでした。
 それから何ヶ月か後、私たちは五年生に進級しました。私たちの学年は一クラス三十数人で三クラスあり、二年に一度のクラス替えがあったので、前年に二組だった子たちから十数人が、私と同じ五年三組になりました。この級友とあと二年過ごすという状況だったのですが、のっけから試練が待っていたのでした。
「あんたのせいで去年大変だったんだからね」
「マジで佐藤さんのせいだから。あの外れの先公当てられたの」
 私はそんな言葉をぶつけられ、去年二組だった子たちから嫌がらせをされるようになったのです。「外れの先公」呼ばわりされた臨時教員は、すでに任期を終えて学校を去っていて、残ったのは彼女のせいで性格が粗暴になった元四年二組の児童だけでした。特に女子たちが、私の席の横を通るたびに机を蹴ってきたり、ドッジボールで私を集中的に狙ってボールをぶつけてきたりと、あからさまに私を敵視してきました。
 それでも、さすがにこれは理不尽すぎると、立ち上がってくれた子もいました。以前から仲がよかったAちゃんでした。
「D先生が変態だったのに、被害者の香織ちゃんが責められるのはおかしいでしょ!」
 Aちゃんは、クラスの中でも特にハキハキ物を言う女の子になっていました。前年まで仲良しだったAちゃん、Bちゃん、Cちゃんのうち、五年生でも同じクラスになれたのは、残念ながらAちゃんだけだったのですが、彼女が私に意地悪する子たちにも躊躇なく立ち向かってくれたので、いじめの深刻化はどうにか防がれていました。
 ところが、そんな五年生の、初夏のある日。
 本当の地獄が、幕を開けたのでした――。

 

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