はじめに

 心の傷も、少しずつ癒えてきました。あの男に襲われた時の光景がフラッシュバックすることも、いくぶん減ってきました。
 つらい過去を振り返り、パソコンに向かってこのような手記を書くこともできるようになりました。また、一時期は家の前に何十人も集まっていた報道陣も、今はほとんど見なくなりました。
 それでも、心の傷が完全に消え、私たちの生活がまったく元通りになることは、永遠にないでしょう。私たちは心身に深い傷を負ったまま、今後の人生を生きていかなくてはならないのです。私もつらいですが、子供たちが本当に不憫でなりません。
 この本を読んでくださっているみなさんは、すでに報道を通じて、我が家の事情をご存じだと思います。報道を見た上で、この本を手にとってくださったのでしょう。
『教え子の母を狙ったわいせつ教師逃走 美人シングルマザーを狙った凶行』
『被害者の美人母子 美しすぎるのは不幸か』
 自分で書くのも恥ずかしいのですが、このような見出しが、週刊誌やスポーツ新聞をいっとき賑わせていました。先の二つに関しても、両方とも実際に載った見出しを紹介させていただきました。ちなみに一つ目が東都スポーツ、二つ目が週刊実態です。
 東都スポーツの見出しの「美人シングルマザー」、週刊実態の見出しの「被害者の美人母子」の母の方が、この私です。一応、手記の中では香織という仮名を名乗らせていただきます。なお、先にお断りしておきますが、この手記に出てくる人名は、私以外もすべて仮名です。
 そして、謙遜していては今後の説明に支障が出るので、率直に表明いたします。
 私は、数々の記事で報道されている通り、世間一般で言うところの、美人に該当する人間です。
 肌にシミや皺ができづらく、小さめの顔の中に、二重まぶたの大きな目と、やや高めの鼻と、厚くも薄くもない唇が、ごく平均的な位置に配置されている。体型は中肉中背より少し痩せている程度。――ただそれだけのことです。この形質を元々持っている私にとっては、ただの自分の顔と体です。でもそれが、私の人生に重くのしかかり、不幸を招き続けているのです。
 さて、本書では、これから二百ページ以上にわたって、私が美人であるせいでいかに苦労してきたか、つらい人生を送ってきたかというテーマで語らせていただきますが、その時点で「そんな自慢話、聞いてられるか!」と怒ってしまわれるような方は、どうかここで本を閉じてくださいますよう、お願いいたします。
 実際、私はこれまでの人生で幾度となく、美人であるがゆえの悩みを告白するたびに、「何それ、自慢?」などと、冷たい言葉や視線を浴びせられるという経験をしています。自慢でも何でもないのに、本当に経験したことをありのまま語っただけなのに、切実な悩みを明かすだけで、聞き手の怒りを買ってしまうのです。
 まずこの時点で、美人であることは大きなハンディキャップなのだと、ご理解いただけないでしょうか。たとえば、生まれつきとても背が高い人が「部屋に入る時によく頭ぶつけちゃうんだよね~」と語ったり、生まれつきとても声が高い人が「電話に出ると子供だと思われちゃうんだよね~」と語ったり、自らの形質に起因する苦労話を人に聞かせたところで、「何それ、自慢?」と睨まれることはないでしょう。なのに、生まれつき美人と呼ばれる形質である私たちのような人間は、それに起因する苦労話を少しするだけで、途端に相手の怒りを買ってしまうリスクを抱えているのです。
 間違っても私は、美人であることを鼻にかけるような、周囲の人を見下すような思いを抱いたことは、人生で一度もないと断言できます。美人であることは私の人生において、圧倒的にマイナスでしかありませんでした。厳密には一時的にプラスに働いた時もあったのですが、今までの人生の総計でいえば、間違いなくマイナスです。
 世間では「美人は得だ」などと言われています。美人とそうでない人とを比べると、だいたい三千万円もの生涯賃金格差がある、なんて説もあるようです。たしかに、うまく稼げば、人より多くのお金を手にする美人もいるのでしょう。実際に飛び抜けた美人の中には、その容姿を武器に芸能界に入るような人もいます。正直な話、決してお芝居が上手でなくても、美人というだけでテレビドラマや映画の主役を射止めたり、CMに何本も出られるような女優さんが、今も昔も少なからずいるということは、みなさんの共通認識だと思います。
 でも、私に言わせれば、美人であることによって、それほどまでの利益を勝ち取れる人というのは、いくつかの条件を備えているのです。
 まず、生まれ育った土地が、気軽に芸能界のオーディションに参加できるぐらい東京から近いこと。または、実家が東京から遠くても、東京への交通費や滞在費が工面できるほどの経済力があることです。東京から離れたB県の貧困家庭で生まれ育った私には、それらの条件は当てはまりませんでした。
 もっとも、私に負けず劣らずの田舎で生まれ育ったにもかかわらず、はるばる東京からスカウトが来て芸能界入りしてスターになった女優さんも、何人かいると聞いています。ただ、その人たちは単に強運だったとしか言いようがありません。実際、私のところにはスカウトなんて来ませんでしたし、私と同様、東京から遠く離れた田舎町で「女優さんになれるんじゃない?」「芸能界に入れるんじゃない?」などと子供の頃から周囲の人に何百回も言われながら、スカウトを受ける機会など一度もなく、芸能界と無縁の人生を送ったという女性は、全国に累計何万人もいるでしょう。むしろそんな女性の方が、実際に芸能界に入った女性よりもはるかに多いことでしょう。
 それに、美人であることを金銭的利益につなげるには、最低限の自己アピール力や、社交性も必要だと思います。私には、これが致命的に不足しているのです。後で詳しく書きますが、数え切れないほどの人につらい目に遭わされ、裏切られてきた私は、学校にもあまり通えず、内向的で人嫌いな人間に成長してしまいました。そのような人間は、芸能界はおろか他の分野でも、美人であることを利用して成功をつかむなどということは不可能なのです。
 美人であることの利益を特に享受できなかった私の現状は、この通りです。
 決して豊かではない経済状況で、最愛の夫とも、父親とも死別し、元々住んでいた家も全焼してしまい、精神状態はもうボロボロです。その上、最愛の娘が昨年末から、車椅子生活となっています。私は四十歳手前の現時点ですでに、平均的な一般人の一生分をはるかに超える苦労と悲しみを味わってしまった自負があります。