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幼い記憶

 まずは、幼い頃のことから書かせていただきます。
 はっきり言って、私の家はずっと貧乏でした。二十代前半で夫と一緒に住むようになるまで、私は平屋建ての家にしか住んだことがありませんでした。
 私が生まれた佐藤家(もちろん仮名)は、父と母と私の三人家族でした。父も母も、愛情を持って私を育ててくれました。ただ残念ながら、二人とも正規雇用の安定した仕事に就いたことはなく、お金には縁がありませんでした。
 私が子供の頃の日本には、まだ専業主婦家庭が多かったと思いますが、母はずっと職を持っていました。逆に、父が仕事をせず家にいた期間もたびたびありました。母は、田舎のスナックでホステスをしていた時期もあったようでした。晩ご飯を早めに作って夕方から仕事に出かける母に向かって、父が冗談半分で「お前はキレイだから、金持ちに口説かれて俺のことを捨てないでくれよ」なんて言うのも聞いたことがありました。当時の幼い私は、母の仕事内容もよく分かっていませんでしたが、母が世間で言うところの美人に当たるということは、子供心にも分かっていました。
 父が合計で何回仕事を変えたのか、見当もつきません。古びた平屋建ての玄関周辺には、いつも作業服や安全靴が置いてあったので、父の仕事は肉体労働が多かったのだと思います。でも父は決して頑健な体ではなく、むしろ華奢なぐらいでした。
 また、父は何度も「うまい儲け話があるんだ」と母に言っては、「だめ、そんなのにお金出しちゃ」とどやされていました。「これで前の損が取り返せると思うんだ」などと父が言っていた記憶もあります。どうやら私が生まれる前か、まだ赤ちゃんだった頃に、父は一度儲け話に乗って失敗していたようでした。結局詳細を聞いたことはありませんでしたが、とにかく我が家はそういった事情で、ずっと貧しい暮らしでした。
 そんな中、私がどうやら他の子たちとは違うようだと自覚するきっかけになったのは、小学校低学年の期間に、合計三回も誘拐されそうになったことでした。
 一度目は、まだ小学校一年生になりたての私が、ランドセルを背負って下校していた時でした。
「お嬢ちゃん可愛いね。おじさんのおうちに来ない?」
 そんな、今にして思えば典型的にもほどがある言葉を、通りすがりの男にかけられ、私は「やだ、行かない」と拒んでいるうちに怖くなって泣いてしまい、それに気付いた通りすがりのお婆さんが「どうしたの、大丈夫?」と声をかけてくれて、男はそそくさとその場を立ち去りました。
 今だったら、スマホで警察を呼び、警察が周辺の防犯カメラの映像を確認して、男の行方を追い……と、すぐに捜査が始まったことでしょう。でも当時は、まだ元号が平成になったばかりの頃ですから、屋外の防犯カメラというのはほぼ皆無だったでしょうし、携帯電話を持っている人もきわめて少なく、各家庭の固定電話しかなかった時代です。その後お婆さんが「怖かったねえ」などと声をかけてくれたのは覚えていますが、たぶん警察までは呼んでくれなかったのだと思います。
 二度目は、それから一年も経たないうちに起きました。私が家の近所の公園で遊んだ帰り道、前方からやってきた車が目の前で停まり、運転席の窓が開いて、男が私に声をかけてきたのです。
「お嬢ちゃん、お父さんが会社で事故に遭っちゃったって。すぐこの車に乗って!」
 普通の家の子供だったら、男の魂胆にまんまと引っかかって車に乗せられて、地獄の門を叩くようなおぞましい目に遭わされてしまったかもしれませんが、我が家ではそのとき、ちょうど父が失業していたのが結果的に幸いしました。その日も家でごろごろしている父を公園へ出かける前に見たばかりでしたし、「会社で事故に遭う」なんてことは、会社に勤めていない以上はありえないと、さすがに幼い私でも分かりました。
 私はその男を無視して、一目散に家まで走りました。声をかけられた現場は、家まで百メートル余りと、子供の足でもそう遠くなかったので、無事に逃げ帰ることができました。車をUターンさせたり、路上駐車して私を走って追いかけて強引に連れ去るほどの執念は、その男にはなかったようでした。
 その後、家でぐうぐう寝ている父を見て、やっぱり事故には遭っていなかったのだとほっとした記憶はありますが、それから警察を呼んだような記憶はありません。小学校一年生だったか二年生だったか忘れましたが、とにかく低学年だった私の中では、不審者に遭ったから警察を呼ばなければいけないという意識よりも、とりあえず不審者から逃げ切れてほっとしたという気持ちと、父が快適そうに寝ているのだから起こさないでおこうという思いの方が勝ってしまったのでしょう。
 そして、三度目の被害に遭ったのが、小学校二年生の時でした。その時が、最も恐怖が大きかったのを覚えています。
 母と一緒に来ていたスーパーの店内で、私が母から少し離れて歩いていたところ、知らない男から突然、「こっちにおいで」と声をかけられて手をつかまれ、外の駐車場に強引に連れ出されそうになったのです。
 私はその時、恐怖で声が出ませんでした。過去二回の被害では、直接体に触れられたことはなかったので、その時の恐怖の大きさは過去二回とは桁違いでした。
 ただ、男に手を引っ張られる私の姿に気付いた母が、大声を上げてくれました。
「香織! 香織! 大変、娘が誘拐される!」
 母が叫ばなければ、私は本当に車で連れ去られてしまったかもしれません。母の叫び声によって男は慌てて私から手を離し、駐車場の端に停めた車まで走って、飛び乗って逃げて行きました。
「大丈夫ですか?」
「怖かったねえ」
「さらわれそうになったの?」
「店の電話で一一〇番しよう」
 続々と集まってきたお客さんや店員さんから言葉をかけられて、すぐに警察を呼んでもらいました。しばらくしてパトカーがやってきて、私は母と一緒に、警察官から話を聞かれました。しかし、私をさらおうとしたあの犯人が、のちに捕まったという話を聞くことはありませんでした。あの時、慌てて走り去っていった犯人の車のナンバーを、母も私も、それに他のお客さんたちも、誰一人確認してはいませんでした。そうなったら、当時の田舎のスーパーでは、屋外はおろかレジにすら防犯カメラは設置されていなかったでしょうから、犯人が捕まらなかったとしても無理はありません。結局、幼い頃の私をさらおうとした不審者は三人とも、野放しにされたままだったのです。今思えば恐ろしい限りです。
 そんな時代でしたから、私たちは自衛に努めるしかありませんでした。その日、家に帰ってから、母に厳しい口調で言われたのを覚えています。
「香織、気を抜いたらおしまいなんだからね」
 さっきまで心配してくれていた母に、まるで怒っているような口調で言われたので、私はショックを受けました。
「香織は美人なの。私も苦労したけど、香織は間違いなくもっと苦労する。変な人に誘拐されそうになることも、嫌いな男に近付かれることも、この先まだ必ずあるからね。一歩外に出たら絶対に気を付けるんだよ」
 美人――母の口からその言葉を聞いた時、「やっぱりそうだったんだ」と思った記憶があるので、たぶん小学二年生の時点ですでに、私にはなんとなく自覚があったのでしょう。実際に友達からも何度か「香織ちゃんは美人だよね」「可愛いよね」などと言われていた気がします。
 母は、私に言い含めた後、吐き捨てるようにつぶやきました。
「美人は得なんて言われるけど、誰も分かってない。本当は損ばっかりなんだから」
 今なら分かります。美人であることを生かす能力や行動力がある人は、本当に得をできるのだと。そして、そのようなノウハウは、おそらく母親から娘に受け継がれたり、また身近にいる別の美人から伝えられたりするのだと。
 しかし我が家は、母も私も、そのノウハウを持たずじまいだったのです。そんな美人は、損ばかりの人生を歩んでしまうのです。代々貧しい家で育ち、また内向的な性格で、目立たないように振る舞おうとしても目立ち続けてしまった結果、私も母もこの後、ますますつらい日々を送ることになってしまうのです。
 もっとも、小学校低学年のこの時はまだ、将来降りかかる不幸など、何も予見できていませんでしたが――。