1.
 深い森の道をやっと抜けたらどこまでも広がる草っぱら。大きな川に沿って歩いていますが、行けども行けどもハーメルンの街は見えてきません。
「赤ずきん、退屈だなあ。歌でも歌ってよ」
 バスケットの中のピノキオは暢気なものでした。
「うるさいわね。自分で歩きなさいよ」
「無理だよ」
 赤ずきんにもわかっていました。なぜって、ピノキオは今のところ、頭と両腕しかないのです。いったいいつになったらピノキオは、自分の足で歩いてくれるようになるのでしょう。
「あれ?」赤ずきんの気も知らないで、ピノキオは目をぱちくりとさせました。「どこかから、草笛の音が聞こえるよ」
 ぴぃぃーるる――。
 赤ずきんは立ち止まり、きょろきょろしました。すると、道のすぐ脇の岩の陰にうつぶせに寝転がって、草笛を吹いているおじさんがいました。年齢は六十歳くらいでしょうか。髪の毛は一本もなく、丸パンにゴマ粒をつけたような貧相な顔立ち。草の上に広げた帳面と古びた本を交互に眺めていましたが、赤ずきんに気づくと草笛を吹くのをやめ、ひょこりと起き上がりました。
「やあ、何か用かね?」
「ハーメルンっていう街に行きたいんだけど、こっちであってるかしら?」
「フェスかい?」
「フェス? 違うわ。探しものよ」
「そうか。耳をすましてごらん。音楽が聞こえてくるだろう?」
 目をつむり、耳をすますと、どこかからにぎやかな音楽が風に乗ってやってきます。
「ハーメルンは音楽の街。市民もよそ者も、四六時中、好きな曲を奏でている」
「四六時中? 夜中も?」
「そうさ。おまけに明日から年に一度のハーメルン・フェスが始まるもんで、よその街からも音楽好きが大勢押し寄せ、みんな前夜祭気分で大盛り上がりなんだ。おっと。私がここでサボっていることは、内緒にしておいてくれたまえ。虫の羽音とのハーモニーを楽しむには、街はうるさすぎるんだ」
 おじさんの顔の周りに、虻が二匹、飛び回っています。おじさんはまた寝転がり、草笛を吹きはじめてしまいました。
 音楽が聞こえてくるほうへ川沿いの道を歩いていくと、やがてオレンジ色と緑色のレンガでできた、なんともカラフルな高い壁が見えてきました。周囲から街を守っているように見えますが、門は開いていて、中から楽しそうな音楽が聞こえてきます。
 街に入っていくというより、音楽の中に入っていくという感じでした。商店が立ち並ぶ大通り。そこかしこでバイオリンやアコーディオン、ビオラにチェンバロ、ホルンにコルネットにタンバリンにスネアドラム……めいめいの楽器を携えた人たちがメロディーを奏でています。
「楽しい街だねえ。踊りたくなっちゃうよ」
 ピノキオは言いますが、赤ずきんは疲れていてそれどころではありません。どこか休めるところはないかしらとよそ見をしながら歩いていたので、道の真ん中にいた人にどすんとぶつかってしまいました。
「きゃっ」
「いてっ、なにすんだ」
 眉の太い男の人でした。明らかに酔っ払っていて、顔は真っ赤です。手にはクラリネットを持っていますが、あちこちに鋲が取りつけてあり、トゲトゲでなんとも悪趣味な感じでした。男は、赤ずきんを見ると「おやおや」といやらしい目つきになりました。
「こりゃお嬢ちゃん。おいらとセッションしたいんだろう? 一緒にこいよ」
 ぐい、とバスケットを持っているほうの赤ずきんの手を握りました。
「やめて!」
 とたんにピノキオの両腕が男の手に飛びつき、その手首を締めつけはじめました。
「おお、いたた、なんだ、こいつは!」
 男は赤ずきんから手を放し、ピノキオの両腕を地面に振るい落としました。
「赤ずきんに乱暴をしないでよ」
「なんだ? 木の人形がしゃべってるように見えるぞ。……ははあ、こいつめ、魔女だな?」
「違うわ。私は赤ずきん。これはピノキオよ」
「うるせえ。俺は怒りが収まらん。魔女め、こうしてくれるわっ」
 男はクラリネットを振り上げます。周囲の人々は演奏をやめてこちらを見ていますが、誰も助けてくれる様子はありません。あわれ、赤ずきんの頭は、トゲトゲのクラリネットによってかち割られてしまうのでしょうか――。
「うおっ!」
 男の手に、飛んできた何かがびびんと巻きつきました。クラリネットが落ち、男の右手は吊り上げられます。赤ずきんは這うようにしてピノキオの両腕を回収しました。
「ハーメルン・フェスの前夜にみっともない真似はやめてもらおう」
 人ごみの中から、肩にギターをかけた男の人が現れます。その男の人を一目見て、赤ずきんはびっくりしました。つばの広い黒い帽子を被っているのですが、その下にある顔が、ロバなのです。
 酔っ払いの右手に巻きついているのは、ギターの弦でした。それが、すぐそばの建物の壁から突き出た居酒屋の看板に引っ掛けられ、ロバ男の右手に握られているのです。ロバ男がくいっと弦を引っ張ると、その腕が引き上げられます。
「いてててっ! な、なにものだお前?」
「俺を知らないとはよそ者だな? 貴様みたいな悪漢はハーメルンの祭典には不似合いだ。さっさと退散しちまいな」
 群衆の間からは拍手でも起こりそうな雰囲気でした。ところが突然、ロバ男はよろめきました。酔っ払いが、左手でポケットからナイフを取り出し、弦を切ったのです。
「このやろうめ!」
 酔っ払いがロバ男を蹴り飛ばします。と、そのとき、
 ――ぽこちゃか、ぽこちゃか、がっしゃん。
 場違いにも陽気なリズムが赤ずきんの後方から聞こえてきました。振り返ると、犬の顔の被り物をして、胸に鍋やフライパンを括りつけ、腰にスネアドラムと大きな木の塊をぶら下げた人が、それらを叩きながら赤ずきんのすぐ脇を通り抜けていくのです。
 興奮してナイフを振り上げる酔っ払いの背後にすばやく回ると、犬男は頭をぽかりとドラムのバチで殴りつけました。
「いてっ!」
 酔っ払いは頭を押さえ、犬男を振り返ります。その頭をめがけて、ぽこちゃか、ぽかり。犬男は再びバチを振り下ろしました。
「何をするんだ、こいつ!」
 びゅんと飛んでくる腕をひょいと避け、犬男は酔っ払いの頭を正確に殴ります。ロバ男はじゃかじゃんとギターをかき鳴らし、犬男は仕返しとばかりにぱかりと蹴りを入れます。
 ぽこちゃか、ぽかり。じゃかじゃか、ぱかり。ぽこちゃかぽこちゃか、ぽかぽかり。じゃかじゃか、じゃんじゃん、ぱかぱかり。
 二人はそれぞれの楽器を演奏しながら、酔っ払いをリズムよく攻撃していきます。
 ずんちゃ、ずんちゃ、ずんちゃっちゃ―。
 どこからか陽気なメロディーが聞こえてきました。赤ずきんが目線を上げると、すぐ近くの屋根の上で背の低い男がアコーディオンを弾きながらステップを踏んでいるのでした。彼は、猫の被り物をしていました。
「みゃっはー。何をぼーっとしてるんだみゃ、ハーメルンの市民たち。お前たちの楽器は、ただのアクセサリーかみゃ?」
 群衆たちは顔を見合わせ、うなずき合い、それぞれの楽器を、ロバ、犬、猫の音楽に合わせて演奏しはじめます。まさにオーケストラのようでした。
「なんだか、楽しいねえ」
 赤ずきんは呆気にとられましたが、ピノキオは楽しそうで、バスケットの中の指はリズムをとっているのでした。
「みゃっはー!」
 猫男の叫びとともに、酔っ払いはついにばたりと仰向けに倒れてしまいました。手にナイフはなく、白目を剥き、頭はたんこぶだらけでした。
 

 

 ピノキオの体を探している赤ずきんとピノキオ。音楽の街で出会った音楽隊の三匹と、どんな事件に遭遇するのでしょうか。あっと驚く結末が待っている?