僕は爆弾を深夜に作りあげてからそのまま自転車で家を出た。爆弾は白い小さな箱だ。朝までに家に帰る時間を計算しながら出来る限り遠くまで自転車を走らせ、住宅街にある小さな児童公園を見つけた。爆弾は遊具から離れた植え込みの下に置いた。そして夜中の公園で色々と空想した。
 出来れば子どもが見つけた方が良い。爆発にとてもびっくりするだろう。遊具に行かず植え込みを覗き込むような子どもなら少し天邪鬼あまのじやくだ。驚いて、パチンコ玉が当たるくらいが人生の始まりの頃にはちょうどいい。少し泣けばもっといい。自然に顔がほころんだ。
 公園の外灯は薄暗く、遊具の動物達がオレンジや黄色や緑に色付けされているのが辛うじてわかる。顔つきさえおぼろげなのにトラやウサギが僕に向かって少し笑っている気がした。
「ちゃんと見届けてよ」そう声に出して僕は公園をあとにした。
 犯人が現場に二度と戻らないのは捕まらないための鉄則だ。だからもうここには来ないと決めた。達成感に浸りながら自転車を漕ぎ続け夜が明ける前に家に帰り着いた。
 次の日、大きな、そう十年以上たった今でも特集が組まれる程の大きな飛行機事故がおこった。新聞の紙面もテレビもその事件一色で僕の爆弾は何事もなかったようにほとんど消えてしまった。小さな、小さな記事が新聞の隅っこに載ったが、爆発の状況は少しも分からなかった。続報は遂に報道されることはなかった。
「私の目が潰れた日は、あの飛行機事故がおこった日なの。日本中の人がその事故に注目している時に左目をなくしてしまったの。犯人は結局分からなかった」
 今は亡くなってしまった小夜子の母親はその頃病気で入院していたし、父親はもっと前に亡くなっていた。目の手術費や治療費は全部ベビーシッター先の家庭が負担してくれたらしい。ベビーシッターと言ってもあずかっていたのは赤ん坊ではなく三歳の女の子だ。元々、爆弾を爆発させたのは子どもの方で、巻き添えを食ったのが小夜子だ。子どもの両親は小夜子が子どもをかばって左目を失くしたことに心を痛めた。
 あの時、僕は爆発の様子を知りたかった。しかし現場に戻るのと同じぐらい調べることも危険だと知っていた。結局何も知らないままで生きてきて記憶の隅に片づけていたのに、いきなり状況を知る機会を得た。こんな感じ、前にもあったなと思った。
 子どもの頃、シリーズ物の本を全巻揃えて持っていた。もちろん本を読むのは好きだったけれど、その時は全集を揃えるということが一番の目的だった。揃ってからは順番にずらっと並べて一人でニヤニヤしながら眺めていた。読むのは番号順ではなく表紙の絵柄や副題に魅かれる順だ。ある日、本棚に空白があるのに気付いた。ちょうど一冊分が抜けている。時々部屋から持ち出していたが、なくした経緯が思い出せない。捜したのに見つからず、諦めはしたがずっと気がかりだった。しかしなぜか欠落した一冊を再び買おうとは思わなかった。本があった部分は長い間ぽっかりと穴が空いたままだった。気掛かりがどんどん薄れて殆ど忘れてしまった頃、家具の隙間からその一冊を見つけた。あの時、全巻が再び勢揃いして心の穴まで塞がったような気がしたものだ。その時の気持ちと似ている。
 長々と過去へと思いを馳せていたら、傍に小夜子がいることをうっかりと忘れていた。知らず、知らずに少し笑っていたようだ。
「何が可笑おかしいの? 爆弾、パチンコ玉、飛行機事故、犯人?」
「えっ、犯人、僕が?」
「じゃなくて今笑ったでしょう。笑うとこ、どこにあったの?」
 僕は咄嗟とつさの言い訳が出来なくて黙ったまま目を伏せた。それから少しずつ神妙な表情を作りながら、殊更ことさら真剣な眼差しで小夜子の不審を払拭する努力をした。そしてついに欠落した一冊を空白のスペースへと挿し入れる一歩を踏み出した。
「どんな爆発だった?」
「それは私が左目を失った状況を聞きたいってこと?」
 さっきみたいに油断して笑みが漏れないように気をつけながら頷いた。
「あずかっていた女の子を連れて近くの公園に行ったの。ひなちゃんという子。あんまり大きくないけど遊具があったからその公園には時々行っていたの」
 昼間の様子があまりイメージできないけれど広さや遊具の配置は何となく覚えていた。そうだ、トラやウサギだ。本来は大きさが全然違う動物が同じ規格で点在していた。
「朝の割と早い時間でね、他には誰もいなかった。朝露あさつゆで遊具が濡れていたからやっぱり帰ろうかとひなちゃんに言ったの。それなのに何と爆弾、見つけちゃったのよね」
「どこにあったの?」言葉を慎重に選んだ。
「入口近くの植え込みのとこ。ひなちゃんが見つけて駆け寄ったの。白くて小さな箱でね、蓋を開けた途端ボンって音がした」
「ボン? 爆弾にしちゃあ、ずいぶんと間抜けな音だね」
「だって、ひなちゃんは驚いて泣いたぐらいで傷一つなかったの。火花が散って箱は燃えてなくなった。まんまと証拠隠滅は成功したってわけ。爆弾の威力は殆どなかったって後で聞かされたわ。爆弾はパチンコ玉を一つだけ猛烈に飛ばすことに全力を尽くしたんだって」
「痛かった?」
「破壊的に。一瞬で目が潰れたと分かったもの。運が悪いよね。お腹とかだったら小さな青痣あおあざ一つ作って済んだかもしれないのに」
 いくら僕が愛しても大事にしても僕と出会うまでの小夜子の痛みは消えない。知りたかった過去の空白は埋まったけれど、一冊の本を挿し込んだ時のような達成感はない。小夜子は義眼になって不幸になったのだろうか。そもそも、今は不幸ではないのだろうか。
「元通りになりたいと思う?」
「それは目が潰れる前に戻りたいって意味?」
「そうだね。多分その意味」
 彼女は黙ったままで答えを口にしなかった。「元に戻りたい」と切望していないように見えるのは僕の贔屓ひいきだろうか。
「爆弾犯を憎んでいる?」
「犯人はどうしているのかなぁ」
 それは安穏として幼馴染おさななじみを懐かしむ声に聞こえた。
「普通に暮らしていたら許せない」
 違った。彼女は僕を憎んでいる。
「許さなくていいよ。一生、憎めばいい」
 僕は彼女を抱きしめた。彼女は唇をみながら肩を少し震わせた。きっと顔も知らない犯人への憎しみに心震わせているのだ。一瞬「その犯人は僕だ」と憎悪の具体化に協力したくなった。彼女のきつく閉じた目から涙が溢れ出した。愛しい左目からも流れてくる。手で瞼をなぞると、指先に震えが伝わった。彼女は怒っているのではなく哀しんでいるのだと気づく。
「哀しいの?」
「結婚してくれる?」
「もちろん。プロポーズしたのは僕だ」