4 夏目わかば 東京都足立区(承前)
恐怖に怯える女性を置いて、わかばは自宅のアパートに帰った。
築三十五年、ワンルームの狭い部屋だ。家具はほとんどない。寝るだけの機能を持った空間。
鍵穴にキーホルダーごと鍵を差したまま、ドアにチェーンをかけた。外から誰かがドアを開けようとしたら、キーホルダーの鈴が知らせてくれる。
わかばは全裸になり、ユニットバスに向かった。
裸で鏡の前に立つ。いまでも日々、身体を鍛え続けている。引き締まった腹筋はモデルのようでもあるが、盛り上がった大腿筋と上腕筋はそういう女性が持っていないものだ。
怪我の具合を確かめた。右肘の痛みがひどいが、傷は神経にまでは達しなかったようで、指も腕も動く。相手と接触した腕や足が赤く腫れていたが、幸い怪我には至っていない。
全身の血液が、まだ沸騰している。
強い衝動が身体中に溢れかえってる。それが洪水のように引いていかない。熱を冷ますように、わかばは水道の蛇口に水を近づけ、ひたすらに喉を潤した。
肘の怪我を消毒し、ガーゼを当ててサージカルテープで固定する。シャワーを浴びたかったが、敵がくる可能性を考えて、タオルを濡らして身体を拭うに留めた。
身体を拭いている最中、わかばの脳裏には〈刺客〉の姿があった。
あれは、何者なのだろう。
相当、実戦に慣れていた。初手で躊躇なく突っ込んできたのが、その証拠だ。人間は街中で喧嘩になっても、反撃や法的な制裁を恐れてなかなか手が出せないものだ。一線を越えるには、どうなっても構わないという、自分ごと壊すほどの狂気が必要となる。
ただ〈刺客〉からは、そういった破れかぶれな意志は感じなかった。冷静に、自分を律しながら、一線を越えてきた感じがした。そんなことができる時点で、普通の人間ではない。そこから先、相手が見せた体捌きも見事だった。
〈石黒望さん、ご存じですよね〉
〈長野県で遺体となって発見されました〉
相手の姿と、石黒先生の死が重なった。
石黒先生が死に、自分が襲われた。こんなことが立て続けに起きるものだろうか。ふたつの事件は、関連していると考えるほうが自然だ。
思索をしながら、足の爪まで拭き上げる。
先ほどまで感じていた衝動は収まっている。代わりに、濃い疲労が全身に漂っていた。
――一旦、休もう。
昨晩からの疲労が、全身にのしかかっていた。眠るのは危険だが、少し身体を休めたい。
下着をまとう。ジャージを身に着ける。
ワンルームに戻る。マットレスとブランケットと枕があるだけの、粗末な寝床だ。いつ引っ越すか判らないので、必然的に家具は最少になる。
マットレスの上に横になった。
〈刺客〉は、自分たちに恨みを持っている人間なのではないか。
〈祝祭〉を引き起こした自分たちは、多くの恨みを買っている。殺意を持つ人間が何らかのきっかけで動きだすことも、充分考えられる。そして、あの〈刺客〉ならば、老いた石黒先生を殺すこともできる気がする。事故に見せかける形で。
ただそれでも、実感が湧かない。あの石黒望が、誰かに殺される――そんなことがあるのだろうか。
石黒先生には、強くあってほしかった。
自分の中に倒錯した思いがある。石黒先生は自分にひどいことをした。それでも、石黒先生は優しくて、誰よりも強くあってほしかった。自分たちは歪なもので結ばれている。一言では言いきれない、複雑なもので。
かつて、現在の甲州市の奥、雲取山の麓の江田野に、〈褻〉という宗教団体があった。
〈褻〉はコミューンを作り、共同生活を営んでいた。もともとは信者のひとりが持っていた六千坪のキャンプ場で、立地が悪く集客に苦しんでいたところを〈褻〉が買い取り一九九〇年に村を開墾したのだ。
教祖は天谷大志という青年で、当時まだ二十九歳だった。
天谷大志は本名だ。一九六一年、東京都の世田谷区にある、大手企業のサラリーマンの家に生まれた。名門大学を出て総合商社に就職したときは、一九八四年。日本経済は安定成長期で、社会学者のエズラ・ヴォーゲルが''Japan as No.1''と褒めたたえていた時代だった。
そして翌年、G5によるプラザ合意が行われ、日本はバブルに突入する。高騰した日本円が土地と株になだれ込み、信用が信用を生んで列島が沸いた狂乱の時代だ。
〈褻〉の母体となった自助グループは、このときに生まれた。
天谷はもともと、育ちのいい、優しい青年だった。寄付が趣味で、給料の三分の一ほどを貧しい国や災害地域に送っていた。
彼はバブルを〈人間らしさが、金によって急速に奪われた時代だった〉と批判している。儲け話があちこちで囁かれ、詐欺や脱税が横行し、労働者たちは会社の歯車となって次々に倒れていった。商社にいた天谷は、金が舞う社会の足元で多くの人が破壊されていくのを、目の前で見たのだろう。穏やかだった彼にとって、耐えがたい時代だった。
彼は退職し東京を離れ、甲府市で暮らすようになった。
あるときから天谷は、貯金でテナントを借り、生きづらさを感じる人を集めて対話しはじめる。お茶を飲みながら話し合い、最後に祈りを捧げるだけの会合だ。宗教色は薄く、偶像も教義もない、抽象的な集まりだった。
だが、その集会は評判を呼んだ。
天谷のテナントに行くと、気持ちが楽になる。ストレスがなくなり、身体の痛みまでもが取れる――そんな評判が徐々に広まり、集まる人数はみるみるうちに膨れ上がった。
天谷には、宗教家の才能があったのだ。
わかばも、コミューンで何度か天谷の説法を聞いた。中性的な顔立ちが美しい青年だったが、何より惹かれたのは、その声だった。透明感のある顔立ちとは対象的に、天谷の声は豊かなバリトンだった。倍音がたっぷりと含まれた太い声に包まれていると、それだけで気持ちが穏やかになっていく。まさに天性の声だった。
だが、天才とは得てしてそういうものなのか、天谷には事務能力がなかった。押しかける人々が周囲の家に迷惑をかけても、ただただ説法をするだけで何も対応をしなかった。当然天谷は反発を浴び、一時はテナントの管理会社から退去勧告をなされる寸前まで行ったらしい。
そこを助けたのが、信者のひとりだった、石黒先生だった。
人が入らないのなら、どこかにコミューンを作り、信者たちで共同生活をすればいい――そんな大胆な解決策は、石黒先生でなければ思いつかなかっただろう。アイデアだけではなく、どのような組織を作り、資金繰りや自治をどのようにするのか。石黒先生は細かいところまで、仕組みを整備することができた。
コミューンには天谷を慕う人が次々と移住し、最盛期は七十人が共同生活をするようになる。信者から財産を搾取したり、社会に対し牙を剥いたりといったこの手の宗教では起きがちな問題とも無縁の、穏やかな共同体だった。〈甲州の楽園〉とメディアで紹介されたこともあるほどだった。
だが、石黒先生の動機は、宗教的なものだけではなかった。宗教団体を作り上げた陰で石黒先生が何をやろうとしていたのか、いまでは明らかになっている。
わかばは、そんな〈褻〉で育てられた子供だ。
コミューンに、親が住んでいたわけではない。
わかばは、コミューンに捨てられた子供だった。
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