だが今日、夕霧と辻花は朝から御公儀おかみ評定所ひようじようしよに出張っている。御奉行の集まりに吉原の家々から太夫を差し向け、茶菓を給仕する勤めをたまわっているのだ。これは開府以来の慣いで、そちらには甚右衛門と番頭ばんとう清五郎せいごろうが付き添っている。
 それで花仍の誘いに乗ってきたのが、瀬川と若菜ら四人だった。
 前を行く若菜はとうに身を戻していて、朱赤のたもとの先だけが駕籠からこぼれている。見れば四挺とも袖が少し出ていて、色とりどりに揺れている。
「兄さん、ゆっくり行っとくれな」
 花仍は駕籠を陸尺ろくしやくに声をかけた。
 酒代さかだいを弾んだので、返事も「へいッ」と威勢がいい。花仍が今朝、若い衆に大門通りまで呼びに行かせたところ、いつものごとくさいで暇をもてあそんでいた陸尺らは「五挺」と聞いても顔を上げなかったが、注文の主が「西田屋の女将」と耳にするや、我勝ちに立ち上がったらしい。
「前にもそう伝えとくれ。さほど急ぐこともないって」
 こんなふうにしみじみと春野を行くのは久方ぶりなのだ。見世に帰れば、また夜の喧騒けんそうが始まる。若菜をねぎらったつもりの「ゆっくり気をお伸ばし」は己に投げた言葉だったかと、花仍は少しばかり苦笑して肩をすくめた。
 その時、急に駕籠が斜めに動いた。いきなりからだがのけぞる。咄嗟とつさに、両手で綱をひっ掴んだ。
 何ごと。
 小太鼓の音が聞こえる。女の声もある。やけに通る怒声どせいだ。はっとして、顔を外に出した。と同時に、陸尺に命じていた。
「降ろしとくれ」
 すぐさま駕籠が揺れ、土の上へと床が下がる。
「先で、めてるみたいですぜ」
 陸尺の二人が肩を盛り上げ、少したかぶるように言った。花仍は黙って草履ぞうりに足を入れ、前に向かう。
 前の四挺が思い思いの向きになって止まっており、陸尺らの腕越しに瀬川の後ろ姿がある。そのかたわらには端女郎の二人も見える。道をふさぐように対面しているのは、七人ほどか。身形みなりから察するに、歌舞妓かぶきの連中だ。
 厄介な連中に引っ掛かった。不穏な予感がして、小走りになる。前の若菜がちょうど草履を手にして駕籠から降りようとしていて、「姐さん、喧嘩けんか」といてくる。
「駄目、降りるんじゃない」
 走りざまに言い捨て、さらに足を速めた。
「何様のつもりや」
 懐手ふところでをした女が、瀬川に噛みついている。
おつに澄ましたとて、しょせんは女郎やないか」
「前を開けておくれとお願いしたのが、何ゆえそうもお気に召さぬ。ここは天下人馬てんかじんばの往来道、お前らだけの道ではありいせん」
 花仍は舌打ちをしたい思いで、足を運ぶ。
 瀬川さん、相手になっちゃいけない。口を返したら、必ず揚足を取られる。
「ありいせんとは、どこぞのおなまりやろう。わっちらには皆目かいもく、見当がつきいせん」
 あんのじょう、廓の里言葉を真似まねてあげつらってきた。