川のせせらぎが聞こえる、森の中の道です。茂みががさがさっと動き、茶色い何かが空へ飛んでいきました。
「わっ!」
 ヘンゼルの肩に、継母のソフィアがしがみついてきます。
「驚きすぎだよ継母さん、あれはツグミさ」
「へん!」
 ヘンゼルの肩を突き飛ばし、ソフィアは気まずそうに手をぱんぱんと払いました。
「わかってるよ。そんなことより、本当に金貨がたんまりあるんだろうね」
「僕たちを信じてくれよ」
「信じられるものかね、実際に見るまでは。それにしても森の中っていうのは嫌なもんだ。オオカミでも出たらどうするつもりだい。……へん、そんなときは、そこのチビを放り投げて食わせてやってる間に逃げればいいことだね」
 先を行くグレーテルを見ながら、ソフィアが吐き捨てます。そんな減らず口を叩いていられるのも今のうちだ、この欲張りばばあ。ヘンゼルは心の中で憎しみを込めて言いました。
「あっ、あそこよ」
 グレーテルが走り出します。ヘンゼルが追いかけ、慌ててソフィアもついてきます。
 急に森が開け、日差しが丸く切り取られたかのような広場に出ました。
「こりゃあ……」
 横でソフィアが息をのむのが、ヘンゼルにはわかりました。それもそのはず、そこにあるのは、いっぷう変わった家なのです。
 形や大きさは、ふつうの山小屋なのですが、正面の壁はウエハースでできていて、小さな丸窓はキャンディーで、ドアはチョコレートです。側面の壁は可愛らしいマカロンの装飾がたくさんあしらわれたビスケット。煙突は網目模様のワッフルで、頂部は穴の開いたパンケーキになっています。
「驚いたね。本当にお菓子の家じゃないか。あたしゃ、夢を見てるんだろうか」
「夢だと思うなら、ドアをかじってみなよ。美味しいチョコレートだよ」
「野ざらしのチョコレートなんて食べられるもんかい。さっさと中へ案内しな」
 グレーテルが、チョコレートのドアに取り付けられたキャンディーのドアノブを握って引き開けます。ソフィアは家の中の様子を見て再び息をのみました。
 中央にクッキーが天板となったテーブルと、角砂糖の椅子が四脚。向かって左側の壁にチョコレートでできた重そうな食器棚と調理台。そして、正面の奥には固いビスケット製のかまどがあります。
「どうなってんだい、こりゃ。こんな家があるかい?」
 ソフィアは天を仰いで言いました。
 ヘンゼルはその不思議な家について、適当にごまかしました。
「――そんなことより、そのかまどを開けてみてよ」
 ソフィアは釈然としない顔で、両開きのかまどの蓋を開けました。
「ひい!」
 火が落ちたかまどの中には、黒こげの魔女の死体があるのでした。見るも無残ですが、意外と臭いはありません。
「グレーテルがやったんだ」
「このチビが? 恐ろしい子だよ、本当に」
 あんたにとって本当に恐ろしいのはここからだよ、と、ヘンゼルは心の中で言いました。
「そうそう。金貨は、その食器棚の引き出しにあるよ」
「おお、そうかい」
 ヘンゼルの言葉に、にわかに顔を輝かせたソフィアは、食器棚の引き出しを開けます。食器棚とビスケットの床のあいだに、グレーテルの愛用しているスカーフが挟み込んであることには気づかない様子でした。
「こりゃあすごい。今のおんぼろの家を出て、町で暮らせるじゃないか」
 引き出しの中の金貨をすくい上げ、じゃらじゃらと落としながら、歓喜の声を漏らしています。なんとあさましいばばあでしょうか。
「ああ、靴ひもがほどけてしまった」
 ヘンゼルはそう言いながらしゃがみ込み、グレーテルのスカーフを抜き取ると、食器棚の下から伸びる二本の麻ひもをまとめて握りました。かまどの前のグレーテルに目配せをすると、グレーテルはすぐさま、角砂糖の椅子を避けるようにして避難しました。
「おいヘンゼル、この家にゃ、袋かなんかないのかい。ごっそり持ち帰るとしようよ」
 よだれでも垂らさんばかりの顔のソフィアは、こちらの行動などまったく目に入っていないのでした。
「死ねっ!」
 ヘンゼルは一気に麻ひもを引っ張りました。食器棚を支えていた枝がずぽっと引き抜かれ、きょとんとしているソフィアの体めがけて、食器棚が一気に倒れました。がちゃんがちゃん。皿やコップの割れる音。――ソフィアは断末魔の叫びを上げる暇もなく、食器棚の下敷きになりました。
 今や食器棚の下からは、ソフィアの両手が見えるばかり。しばらくして、ビスケットの床にじんわりと血が染み出てきました。
「ソフィアお継母さま……」
 グレーテルが震えながら名を呼びますが、返事はありませんでした。ヘンゼルは額の汗を拭いながら、ふう、と息を一つ、つきました。

 

 

 この後赤ずきんは、ヘンゼルとグレーテルにミートパイをご馳走になり、新たな事件に遭遇、解決するのでした……。