──「失恋はラストシーンの話やろ? ドキドキして、どんな服着ようかなとかわくわくして、お化粧したりしてなあ、楽しかったやろ? それだけで、もう十分に幸せもらった。失ってない。いただきものだらけやん」 1/2 (「3章 わたし、大学生」より)

 

 たぶんそうだと思う。けど、コップ一杯ぶんくらいの「好き」と、地球一杯ぶんくらいの「好き」、それってどう違うの? 「好き」ってなに? わたしの心の風邪はやっぱり重い。
「好きやったと思う。たぶん……」
「会えないときも考えたりした?」
「うん」
「駅で待ってるとき、鏡で何回も顔見たりした?」
「うん」
「手つないだとき、自分が全部てのひらになった気がした?」
「うん」
「そうか。そしたらそれ、失恋とちゃうで」
「なんでやの? 裏切られて傷ついてるのに」
「それはラストシーンの話やろ? ドキドキして、どんな服着ようかなとかわくわくして、お化粧したりしてなあ、楽しかったやろ? それだけで、もう十分に幸せもらった。失ってない。いただきものだらけやん」
「うん……」
「なあ、世の中って結果ばっかりや。達成することばっかりや。でもなあ、たとえそれが結婚とかつきあうとか、なんか達成につながらなくっても関係ないねんで。誰かを好きになるってことこそが、人生でいちばんすばらしいことなんや。結果じゃない。結果しか見なかったら、全部達成しなあかんやん。そんなことばっかり考えているから、みんななにもできひんねん」
 ママはアーモンドを一口かじった。カリカリという音が終わるとまた話し始めた。
「恋をするってな、夢をみることやねん」
「夢?」
「うん、楽しい夢も怖い夢もある。でも、恋の夢はわくわくする夢。夢から覚めたら、また新しい夢をみたらええの。何回でも何回でも朝がくるみたいに、何回も何回もしぶとく夢をみたらいいねん」
「なんか、距離が近くなるほど、相手のことがどんどんわからんようになるんやけど」
「無我夢中になるから。夢のなかで自分を見失うんや。でもそれが恋の面白さ。醍醐味なんや」
 ざああ~という音がしてきた。雨が降ってきたみたいだ。
「いや~、雨やろか。お客さん来いひんかったらどうしよう」
 ママが心配そうに窓の外を覗く。大きなトラックがひっきりなしに通る道路。
「雨の日に傘のなかで、キスしたよ」
「へえ。いいキスやったか?」
「このへん、きゅ~っとした」わたしは胸元を押さえる。
「なんともいえへん、ええ感じやろ?」
「うん」わたしは小さく笑う。
「好きやったら、奥さんいるとわかってもつきあうこともできるんやで」
 わたしは首を振る。
「そしたら、新しい夢みまひょ。ここに花が咲くさかいに」
 ママが自分の胸のあたりをとんとんとした。
「ああよかった。また新しい夢がみれるで~、わしうれしいわ~」
 いつの間にかビールを飲んでいたママは、急におっさん言葉になって、にやっと笑う。
 わたしもなにかが落ちたみたいにへらへら笑ってホットウイスキーを飲み干した。
 底のほうにたまっていた蜂蜜がどろっと口のなかに流れ込んできたとき、久万さんが店に入ってきた。
「顔はかっこよかったんやで」というと、
「顔かいな。魚みたいやったやん」とママはいった。
「なにが魚みたいやって?」
 久万さんがニコニコと会話に入ってくる。