──「できる、できひんで選んだら、なんも成長できひん」 (「3章 わたし、大学生」より)
スプーンとフォークを片手に握って、マッチ棒をはさみ、左から右に運ぶ。最初はうまくいかなかったけど、何度も往復するうちにしっかり掴めるようになった。
ホテルの配膳のバイトは普通のウエイトレスと違う。サーバーをプロとして扱い、お客様に料理をサーブするのだ。いわゆる技術職であり、ほかのバイトよりも断然時給がいい。このバイトを勧めたのはほかでもない、ママである。
アルバイトニュースを広げてバイトを探していると、ママが「へ~」といいながら、わたしが見ているページに目を落とした。
「これええやん、時給千三百円」
「そやけど、サーバー使える人しかあかんねん。パス」
ママは「へっ?」という顔をしてわたしを見る。
「なあ、できるかできひんかで仕事選ぶん?」
「あたりまえやん。運転免許持ってへんのにドライバーできひんやろ」
「免許取ったらええやん」
「取るのにお金かかるやん」
「それで給料上がるんやったら、先に技術身につけたらええやん。できる、できひんで選んだら、なんも成長できひん。ママかて、ビール一杯も飲めへんかったけど、飲めるようになったし」
「だから?」
「練習し。サーバーってやつの」
「う~ん。そういうもんなんか?」
「あんな、世界中の人が全員いっせいのせ~でお金持ちになれると思うか?」
「へっ?」
「なれへんねん、世の中ってなんかな、運動会みたいなもんやねん」
「運動会?」
いやな思い出しかないフレーズだ。
「だって、みんなが同じ大学に合格できひんやろ?」
「うん、落ちたもん」
「そうや。じゃあ、友達と同じ人好きになったら、二人ともその人と結婚できるか?」
「できひん」
「そうや。誰かが落ちたら誰かが合格する。誰かが痛恨のミスをして負けるから、ほかの人が優勝するんや。な、いつでも運動会の徒競走と一緒やろ? 競争があるねん。そういう競争の世界では、どうしたって、自分の幸せと相手の幸せは一緒にやってきいひんのや。だから、いつも競争させられる。仕事の場合はその結果でもらえるお金が変わってくる」
わたしはまだよくわかっていない。ぼんやり雲がかかった感じ。
「運動会やったら、わたし幸せになれないやん」
「うん、でも今目の前にある運動会は体育の成績じゃないで。仕事の運動会やで。だからここでは勝てる可能性があるの」
「あ、よかった。うん」
「まあ、だから人より稼ぎたかったら、もともと金持ちの家に生まれたとかものすごい才能があるとかじゃないんやったら、そのぶんがんばるしかないやろ? 技術を伸ばす、たくさん働く、このかけ算で人より上に行くことしかないねんで。人と同じことしてて稼げるはずがない」
「ママはお店繁盛してたけど、なんか技術あったんか?」
「ああ、あったで。ママの笑顔、ママの会話、ママのダンス、ママの手料理、ママの歌……まあ歌は下手やけど、お店は酒だけ出せばいいとちゃうもん。おまけの魅力のほうに人が集まるんやで」
「……ママ、案外いろいろわかってんねんな」
「ママだってアホなりに工夫するわな。だってほら、普通に歌ってもおもろないやん。そやし工夫してたもん」
「あの『愛の水中花』とか『キッスは目にして!』とかやろ。恥ずかしいわ、あんな足上げて」
「でも、あの下手な歌でママは何杯もお酒売ったんや」
ママはわたしをじっと見て「うん」とうなずいて見せた。
猛特訓の甲斐あって、わたしはマッチ棒を一本も落とすことなく左の皿から右の皿に移せるようになった。これでただのウエイトレスじゃない、「サーバーを使える」というちょっと特別なウエイトレスになったのだ。この運動会では昔より速く走れるかもしれない。わたしは小さく「よしっ」とうなずいた。