「あの……その格好で外を歩くの、ヤバくないですか?」
 裸に毛皮のベスト、ハーフパンツに裸足……事務所にいたときと同じ出で立ちのまま歌舞伎町を歩く猛獣の背中に、少年は遠慮がちに声をかけた。
「あ? なんでだよ? 洋服着てるだろうが。本当は素っ裸で歩きてえんだが、警察がうるせえから妥協してやってんだ」
 あっけらかんとした口調で、猛獣が言った。
「直さん、お疲れっす!」
「あ、直さん、パトロールお疲れ様です!」
「直さん、どうも!」
 歌舞伎町の区役所通りを歩き始めて十メートルもしないうちに、客引きやチンピラ風の男達が直美に頭を下げてきた。どの男達も、少年が一人で歩いていたら思わず道を譲ってしまいそうなコワモテばかりだ。尤も、猛獣の迫力に比べたらそこらのコワモテは猛犬レベルだ。
「直さんって言うんですか?」
「ああ。星咲直美っつう名前だ」
「なんだか、イメージと違う名前……」
 猛獣……直美がいきなり立ち止まり、左の裏拳が飛んできた。
 少年は眼を閉じ悲鳴を上げた。
 いつまで経っても、顔に衝撃を受けなかった。
 少年は、怖々と眼を開けた。岩のような拳が、鼻先で止まっていた。
「『東神会』の組員になった祝儀として、今回は許してやろう。俺のことは直さんと呼べ。女みたいだから、星咲さんも直美さんもだめだ。もし、その呼びかたをしたら一生エッチができないようにちんこを引き抜き金玉を握り潰してやるからな!」
 背を向けたまま、直美が少年を恫喝した。
「直、白昼堂々少年を恐喝か? それにしても、相変わらずの薄着だな? もうすぐ十二月なのに、寒くないのか?」
 角刈り頭のガタイのいいスーツ姿の中年男が、直美に馴れ馴れしく話しかけてきた。
 コワモテだが、ヤクザとは違う雰囲気だった。
「このパンチ坊やは、ウチの若い衆だ」
「おいおい、坊主、やめとけやめとけ。ウサギにライオンの弟分が務まるわけないだろう? 兄貴に咬み殺されるか兄貴の敵に食い殺されるか、どっちにしても早死にするだけだって」
 角刈り中年男は少年を茶化すと、高笑いした。
「な、舐めるんじゃねえ! 俺はヤクザだぞ!」
 少年は、勇気を振り絞り角刈り中年男に?みついた。
 束の間の沈黙後、ふたたび角刈り中年男が手を叩きながら大笑いした。
「この野郎っ、ふざけやがって!」
 裏返った声で言いながら、少年は角刈り中年男の胸倉を?んだ。
 正直、怖かったが、ここで腰が引けてはヤクザになった意味がない。小動物の人生から脱却するために、反社会に身を投じる決意をしたのだから。
「やめとけやめとけ。警察なんてボコる価値もねえ」
 直美が言いながら、子猫をそうするように少年の首根っこを?み宙吊りにし、角刈り中年男から引き離した。
「え!? 警察!?」
 宙吊りになったまま、少年は素頓狂な声で繰り返した。
「ああ、新宿署のマル暴だ。ダニ扱いしているヤクザのおかげで飯が食えてる寄生虫だ」
 直美が吐き捨てると大笑いした。
「おいおい、いろいろ見逃してやってんのに、ひどい言い草だな。普通なら、そんな格好で歩いていたら公然わいせつ罪で即逮捕だぞ。ほかにも、暴行、傷害、脅迫、恐喝、……俺がその気になれば前科何百犯だと思っているんだ? そうやってふんぞり返って娑婆を歩けているのも、俺のおかげだろうが? 少しは感謝してくれてもバチは当たらねえと思うがな」
 角刈り中年男が、恩着せがましく言った。
「エンコーで保護したギャルとホテルに行って美人局のチンピラに脅されたのはどこのどいつだ? ガキにクスリを売ってるチンピラを見逃す代わりに口止め料を要求して、兄貴分に逆にやり込められたのはどこのどいつだ? お前が自業自得で追い込まれるたびに汚え尻を拭いてやってんのは誰だと思ってるんだ? なんなら、俺が腐ったマル暴を追い込んでやろうか?」
 少年の首根っこを離した右手で、直美が角刈り中年男の胸倉を?み宙吊りにした。
 道行くキャバクラ嬢、黒服、ホスト、客引きが足を止め野次馬と化した。
「おい……直っ……やめろ……離せ……」
 角刈り中年男が顔を朱に染め、足をバタつかせた。
「よく聞いとけ! 今度、腐れマル暴の分際で恩着せがましいことを言いやがったら、本当に腐らせてやるからな!」
 直美は鬼の形相で怒声を浴びせると、胸倉を?んでいた右腕で半円を描いた――角刈り中年男がゴミ袋のように吹き飛んだ。
 野次馬達がどよめいた。
「?……」
 少年は、五、六メートル先のカラスや野良猫に食い散らかされた生ゴミと、酔客がぶちまけた嘔吐物に塗れる角刈り中年男を見て驚きの声を漏らした。
「汚物には汚物がお似合いだ。行くぞ」
 角刈り中年男を指差し大笑いした直美が、少年を促し大股で「ゴジラロード」を映画館のほうに向かって歩き出した。
「刑事に、あんなことして大丈夫ですか?」
 少年は追いかけながら、直美に訊ねた。
「刑事だから、あの程度で済ませてやったんだよ。あいつには貸しが一杯あるから、俺がどんなに暴れても見て見ぬ振りをするしかねえ。ヤクザや半グレがナメた態度をとったら、運がよくて複雑骨折だぜ」
 歩きながら豪快に笑う直美の背中を見ながら、少年は思った。
 こんな怪物がいるかぎり、ヤクザにはなれても猛獣にはなれないと。