すべては、この高校のトップに君臨する人物のせいだった。理事長の小菅泰治は、多くの生徒から煙たがられていた。
 小菅は完璧主義だった。勉強、部活、学校行事。高校生たるもの、そのすべてに全力で取り組むことが望ましいという考えの下、勉強ができる生徒には部活や行事を、部活や行事を頑張っている生徒には勉強を強制した。まだ開校して五年の新しい学校であるがゆえに、進学実績や部活の全国大会出場実績をとにかく高水準に持っていきたいというのがその狙いのようだった。
 また、品行方正な生活態度を重視した。生徒が非行に走ることを避けるために、定期的に全生徒との個人面談の時間を設けた。時に三十分を超える面談の場では、学校生活だけでなく家庭環境にまで踏み込んだ質問を容赦なくぶつけられ、そのどれかで問題があると判断された生徒は繰り返し理事長室に呼び出された。
「俺、いったい何回呼び出されたんだろ」
「個人面談にか?」
「そう。完全にターゲットだよな」
「まあな。理事長による個人面談設定回数も、それをすっぽかした回数も、黒川は歴代トップだろう」
「全校じゃなく歴代かよ」
「堂々のな」
 出席時数不足で留年の危機に瀕していた黒川は、常に理事長のターゲットにされていた。毎月のように担任経由で届けられる呼び出しの紙を何度無視したかしれない。たまに面談に顔を出すと、どうして学校に来ないのかという点について延々と問い詰められた。
 個々人の状況に目が行き届いている、と言うと聞こえはいいかもしれないが、異常なほど執着される当の生徒たちからすればたまったものではない。
「あとさ。極めつきは、『告白カード』」
「ああ……あれな」
「あれこそ、個人面談以上にわけが分からなかったわ」
 毎月月初に配られる、課題作文のようなものだ。理事長が決めた月ごとのテーマに基づいて、自分の悩みや抱えている問題を“告白”しなければならない。カードと言いつつ、相談用紙はA3サイズで、裏表にわたって細かいマス目がびっしりと並んでいる。
 面倒なのは、真剣な相談事を書くと理事長との追加面談が設定されるし、かといって白紙に近い状態で提出するとそれもまた面談対象になるという点だった。いかに当たり障りのない内容をもっともらしく長文で書くか、というのが、全校生徒の間での関心事になっていた。
「告白カードの提出率も、黒川は歴代ワースト――」
「もういいよそのランキングは」
 ぴしゃりと返し、校訓額に背を向ける。
「というわけで、あと三日で卒業だけど、何の感慨もわかないな」
「そんな悲しいこと言うなよ」
「先生のせいじゃない。こんな狂った学校で、高校生活を楽しめるはずないんだよ」
「あー、悪口は学校を出てからにしてくれないか」
「先生もそう思うだろ」
「俺は立場上同意できない」
「三年前からやり直せるとしたら、絶対にこの高校は選ばないな」
「俺もだ」
 振り向くと、しまった、という表情で伊藤が口を押さえていた。ほら先生もじゃないか、と突っ込みたくなったが、職員室から出てくる教師たちの姿が見えたからやめておくことにした。
「まあさ、お前にとっては悪くない学校だったんじゃないか? 授業態度や出席時数はほぼ関係なく、定期テストの点数一発で成績がつくわけだしさ。お前はそのほうがよっぽど得意だろ」
「プロセスより結果、ね。小菅理事長の大好きな言葉だ」
「じゃなきゃ、卒業要件を満たせたかも怪しいぞ。そういう意味では感謝しないと」
「あー、はいはい」
 伊藤と別れ、ゆっくりと廊下を歩き始めた。
 なんとなく、三年一組の教室に行く気はしなかった。家庭科室で補習を受けた帰りに、何人かのクラスメートが登校しているのを見かけたからだ。どうやら卒業式後に行う打ち上げの企画をしているようだった。
 職員室と同じ一階には、一年生の教室がある。一組から八組まで並んでいる廊下を、学ランの上着のポケットに手を突っ込んだまま、あてもなく歩いた。ちょうど弁当を食べ終わった頃らしく、廊下には一年生のグループが点々としていた。
「今月の告白カード、そっちのクラスでも配られた?」
「『懺悔の意味と必要性について、私見を交えて論ぜよ』でしょ」
「懺悔って、ねえ」失笑が聞こえる。
「青春真っただ中の私たちに、よくそんなこと書かせようと思うよね」
「先月のお題のほうがまだマシだったかも」
「『学校環境改善のために私立高の教員や理事会がすべきことを述べよ』だっけ」
 三年生にとっては十二月の告白カードが最後だったから忘れていたが、下級生は三月分の告白カードと向き合っている真っ最中らしい。昼休み前に配られたばかりなのか、漏れ聞こえてくる会話の話題はほとんどが告白カード関連だった。
「告白カードって名前、変えたほうがいいよな」
「小論文カード、とか?」
「もはや罰ゲームカードだ」
「もともとの趣旨どおりに、ちゃんと自分の悩みを書いてる人なんているのかな」
「いないだろ。面倒なことになるもん」
「ああもう、理事長ってあの外見のわりにやることが古いよなあ」
 鼻息を荒くしている男子のそばを通過しながら、この学校であと二年も過ごすなんてお前らは大変だな、と同情を寄せた。