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第三章 銃声(承前)

 

 夏美がレッカーを呼び、後の対応を管轄する沖縄警察署の警察官に頼んだ。駐車場の防犯カメラに必ず不審者が映っているはずだが、ここの駐車場は四千台収容できる規模だ。防犯カメラの死角があったら難しいかもしれない。

 夏美が呼んだタクシーは水色のメタリックカラーだった。東京のタクシーは黒か白なので新鮮だ。誓は後部座席に藪と座った。助手席に座った夏美が行き先を告げる。運転手はぎょっとしたような顔で夏美を見て、バックミラー越しにこちらにも視線を寄越す。

 やはり、昼間から旧売春街に行こうとする女三人組は奇妙なのだろうか。

「お姉さん方は観光?」と藪のワンピースのスカートを見てまず問う。紺色のパンツスーツ姿の夏美に視線を上下させ「反戦か」と言ったが、首を傾げた末に誓を振り返り「ミリタリーマニア」といぶかる。助手席の夏美が苦笑いしていた。

「変な三人組ですみません。観光はわかるんですけど、反戦っていうのは?」

 藪がワンピースの裾を直しながら尋ねた。

「真栄原の方はさ、近くの嘉数公園の展望塔から普天間基地がよく見えるから、反戦運動している人たちの視察ルートになってんです。戦闘機マニアの撮影スポットでもあるし。真栄原新町もインスタ映えするとかで、廃墟が観光スポット化してたけど、建物はもう殆ど残ってないよ」

「廃墟が観光スポット化していたんですか」

 驚いていたら、夏美がバックミラー越しにこちらを見た。

「コンクリート造りの長屋が密集していたんですよ。水タンクが上に載っていたり、赤瓦の装飾がされてたり、壁に直接英語の店名が描かれていたり、シーサーもいたかな。まあ本土ではまずお目にかかれない独特な廃墟だったと思いますよ」

 話は普天間基地の返還に及んだ。

「返還なんて夢のまた夢ですよ」

 運転手は鼻で笑った。

「そうなんですか? 反対派がなにしようが淡々と辺野古を埋め立てしているイメージですけど」

 警視庁でも辺野古移設工事現場の警備の応援に機動隊が行ったことがあるが、みな「二度と辺野古には行きたくない」と口を揃えていた。本土ではあまりニュースにならないが、現地の抗議活動や工事の妨害工作が熾烈を極めているのだろう。警備する側の尊厳を著しく損うような暴言・暴力が一部の反対派で横行しているらしかった。

「辺野古では普天間ほどの長い滑走路を作れないらしくて、米側が普天間規模の三キロ以上の滑走路ができないのなら完全移転はしないと言い出しているんです」

 夏美の背中が微動だにしない。

「それ、日本政府はなんて言ってるんですか」

 バックミラー越しに、夏美の冷たい視線とぶつかる。

「知らないんですか? 沖縄では連日、新聞で大きく取り上げられていますし、ニュースにもなっていますが」

 誓はこめかみをかいた。運転手は助手席の夏美やバックミラーの誓と藪を不思議そうに一瞥した。

「あれ助手席のお姉さんは沖縄在住?」

「ええ。沖縄人です。後ろのお二人は仕事で来ている本土人。東京の方です」

「ああ、そうなのか。いや東京の人は知らないよ。しょうがない、しょうがない。遠いもの」

 運転手が場を和ませてくれる。

「日本政府はね、沖縄との合意と米側の意向がズレると、殺し文句があるわけ。日米合意に基づいて粛々と、ってやつ。復帰したときからずっとそうだったよー。もう慣れっこ」

 タクシー運転手は飄々としている。

「沖縄県も宜野湾市もどうするんだろうねー。軍用地の買取を進めているし、跡地利用について具体的な計画を立てているみたいだけど」

 誓はスマホを開き、宜野湾市のホームページを開いてみた。

 普天間基地が返還された暁には、基地の西側を公用施設にするらしい。南国の木々と眩しい日差しに包まれたイメージ画像が掲載されていた。民間企業を誘致して巨大ショッピングモールを作る案もあるらしく、近代的な巨大施設に家族連れが集う画像もあった。東側は新興住宅地にするようだ。

「確か、沖縄の軍用地の三分の一は私有地なんですよね。返還されても自治体が買い取らないと開発できなそうです」

 ホームページに『普天間飛行場に土地をお持ちの皆様へ』というリンクがあったので、クリックしてみる。対象エリアの土地を県や市に売却した場合、年間軍用地料の四十倍で引き取るとか、五千万円の特別控除が受けられるとか、書いてある。

「四十倍の軍用地料で買ってもらえるってことは、シンプルに言えば、この先四十年分の軍用地料を一括支払いするってことですよね」

「ただ軍用地料は年々値上がりしているんです。いまは本土復帰した当時の十倍くらいになってるし」

 ここだけの話、とタクシー運転手は声を潜める。

「普天間基地の土地の広さと、国が払う借地料の計算が全然、合わないらしいよ」

 今度は夏美が瞼の上をかく。

「土地所有の申告は戦後すぐの混乱期にされているんです。いくつもの土地で所有者がかぶってしまっていたんでしょうね」

 当初、米軍は調査も調整もせず杜撰な状態のまま実際の土地面積以上の額を支払っていた。本土復帰後に支払いを肩代わりするようになった日本政府もまた、同じように支払い続けているらしい。

「本土復帰から五十年以上経ってますよね。五十年近く余計に借地料を支払っているってことですか」

 莫大な税金が沖縄で無駄に使われているということか。

「国は沖縄に基地を押し付けている引け目があるから、なにも言えない。沖縄県民もなかなかしたたかでしょう」

 つくづく本土は沖縄のことをなにも知らない、ということが身に染みてきた。

 タクシーが普天間の交差点を左折した。

「見えて来たね、普天間飛行場」

 運転手が右側を指さした。密集するコンクリート造りの建物の向こうに、広大な敷地を仕切るフェンスが延々と続く。

 

 誓は道路の陥没につまずいた。タクシーを降りて真栄原二丁目の路地裏を、伊礼ウシの自宅を捜しながら歩いているが、アスファルトはひび割れ、あちこち陥没していた。沖縄は雨の降り方が本土とは違うのだろう。アスファルト下の土が流出して陥没しやすいそうだが、この凸凹の道路の状態と更地になっている一帯にかつて本当に繁華街があったのか、信じがたい。雨は止んでいて、雲の切れ間から時たま青い空が見えた。

 地面を震わせるほどの轟音がした。巨大な機影が頭上を覆い、三人の女がすっぽりとその陰に入る。普天間基地を離陸した米軍の輸送機だろうか。

「ボールを投げたらあの機体にあたりそう」

 更地と金網ばかりの殺風景な一帯だが、コンクリート造りの建物が隅の方に重なり合うように二棟だけ残っていた。ピンク色のペンキで壁を塗り替えられたばかりの長屋づくりの建物の前で、夏美は立ち止まる。

「住居になっていそうなのはこの建物のみですね」

 玄関扉が三つある。伊礼ウシの部屋はどれか。

『葵』という看板が残っている玄関が真ん中にあった。その右脇に大きな飾り窓がある。ここでかつて売春婦が道行く米兵を手招きしていたのだろうか。いまは格子が嵌まっていて、窓は締め切られている。長屋は二階建のようだが、二階に窓は見当たらない。

「二階で売春してたのかしらね」

 誓は両隣の玄関と見比べた。『葵』の玄関だけ真新しい。最近ドアだけ新調したようだ。

 ここが伊礼ウシの住居かもしれない。ドアに耳をつけてみる。物音がしたような気がしたが、米軍ヘリが通過しなにも聞こえなくなった。右脇の飾り窓に視線を移す。さっきまで閉まっていたはずが、いま五センチほどの隙間が開いていた。黒い筒が誓を捉えている。

「伏せて!」

 誓は叫んだ。背後で上空のヘリを睨んでいた夏美をしゃがませ、その上に覆いかぶさった。背中のすぐ上に鋭い風圧を感じた瞬間、乾いた発砲音が聞こえた。

「くそ」

 藪は長屋の壁に背をつけて銃口の死角に入る。発砲が続かないと見るや、向かいの更地を囲う鉄杭を抜き、ロープを外した。真新しいドアノブに鉄杭を何度も振り下ろす。ドアノブが傾いたところで力ずくでノブを回し、扉を引いた。鉄杭を前に構えながら藪が中に入っていく。

「警察だ!」

 誓は藪の後に続いて中に入る。小さな玄関にさび付いたパイプ椅子が立てかけてある。女性もののサンダルや男性物の革靴、スニーカーなど、新聞を広げたくらいしかない玄関口に靴が散乱していた。万年床や黄ばんだ枕、吸い殻のあふれた灰皿がすぐ足元にあった。

 顔を上げると正面壁際にキッチンが見える。

 その右脇に階段があった。白いスニーカーを履いた男の足が二階へと逃げていく。

「待て!」

 男が階段の途中で立ち止まった。ハンチング帽を目深にかぶっている。つばの下の人相に目をこらす間もなく、再び銃口がこちらを向く。頭を守って伏せた。前にいた藪が階段の死角にぴたりと背をつけた。誓の後ろの夏美は一旦外に出て外壁に身を隠す。

 男が駆け上がる音と同時に発砲音がする。銃弾は木製の手すりを破壊したようで、木くずが誓の頭上に降り注ぐ。あたりは硝煙臭くなった。

「止まれ!」

 藪が鉄杭をかまえて階段の先に見えなくなる。誓もパイプ椅子を掴んで座面を盾にしながら二階へ駆け上がった。吹き抜けの高窓から入る日差しが襖の入口を照らしていた。藪が開け放つ。部屋は窓がなく真っ暗だった。藪が手探りに壁を触り、スイッチをつけた。昭和レトロなステンドグラスふうの照明がつく。

 一階も狭かったが、二階も六畳くらいしかない上、天井が低い。右側の壁からバーカウンターが襖の入口と平行に設置されていて、部屋の右半分を隠している。曇ったグラスがタオルの上に並んでいるがかすかに振動で音を揺らしている。男はカウンターの向こう側に隠れているか。藪と共にカウンターの反対側へ進んだが、ハイチェアが二つあるだけで、男の姿はどこにもない。

「どこへ消えた」

 カウンターの向こう側、右手の壁半分は天井までの棚が置かれ酒瓶が所狭しと並んでいる。逆側は押し入れで、襖が開きっぱなしになっている。中には段ボール箱が三つ置いてあるだけだ。衣類とパソコン、平成っぽいパッケージのアダルトDVDが山ほど入っていた。

「ありえない。どこに消えたんだ」

 藪が押し入れに頭を突っ込む脇を、夏美が行き過ぎる。酒瓶が並ぶ棚の前に立った。右手で酒瓶をなぎ倒していく。確信的な手つきだった。

「なにやってんの」

 次々とボトルが割れて床に落ちる。ごろんと転がるジョニーウォーカーの上に山崎が落ちて二つとも砕け散る。ニッカウヰスキー、獺祭、久米仙などの瓶がなぎ倒されていく。いくつかの瓶は割れて粉々になったが、液体が一滴もこぼれていない。全て空き瓶か。三段目にあった泡盛の島唄の瓶で夏美の手がつかえた。瓶の底が棚に固定されているようだ。まるでハンドルを握るような手つきで夏美が島唄を握り、重心を落とし渾身の力で瓶を左右に動かそうとしている。

 やがて天井まである棚が左へ滑っていった。

「隠し扉か」

 ベニヤ板の通路が見えた。五十センチほどしかないその先に、もうひとつ部屋がある。誓は前に構えていたパイプ椅子を、驚愕のあまり落としてしまった。

 部屋のドアを開けると二十二型液晶テレビがついているのが見えた。日本テレビのゴールデンタイムの人気番組が、真昼間のいま放送されている。その脇で扇風機が首を振っている。わけがわからないまま部屋に入った。六畳くらいの和室だった。

 ちゃぶ台にかりゆしウェア姿の老人が胡坐をかいて座っていた。向かいに老婆がしわしわの瞼を震わせて、こちらを見ている。

 動くな、と藪は威勢よく前に出たが、語尾は消えかけた。誓の背後から夏美がすり抜け、藪の前に躍り出る。

「ハンチング帽の男は?」

 夫婦と思しき老人二人は右奥の襖を同時に指さした。誓は襖を開け放った。板敷の先に下へと続く階段が延びる。夏美が我先にと駆け下りていく。誓も続いた。目の前で夏美が足を滑らせた。尻で階段を滑り途中で止まった。

「大丈夫?」

 夏美は無意識にお腹をかばい、腕や尻を無防備に強打していた。痛がって、立ち上がれない。

「藪さん、桃原さんを見てあげて!」

 誓はうずくまる夏美の脇をすり抜けて一階に下りて障子を開け放った。

 誓の身長よりも高い本棚が狭いスペースにずらっと並んでいる。本棚の並ぶ先にガラスの引き戸の出入口が見える。『琉球BOOKS』と書かれたエプロンをまとった男性が、不思議そうな顔で路地から中に戻ってきたところだった。

「ハンチング帽の男が来ませんでしたか」

 誓はこの建物の造りに混乱したまま、尋ねた。長屋の裏側に出たようだ。

「あっちに逃げていきましたよ」

 ガラス戸の外、左手を指さした。

 後から下りてきた藪が誓を突き飛ばし、本棚の間を抜けて表に出た。方々を見回し、やがてクソ、と地団太を踏んだ。誓もガラス戸の先に出る。バイクがすれ違うのがやっとという狭い路地裏だった。自転車に乗った老人がベルを鳴らし、通り過ぎていく。向かいは平屋造りのコンクリートの建物の裏側のようで、勝手口が見えた。製麺所と名前が入ったパケットが積み上がっている。どこにもハンチング帽の男の姿はない。

 本屋の隣はタピオカ店だった。若い女性二人組がタピオカドリンクを掲げ自撮りしている。その目の前は小さな公園だった。豊かな葉を繁らせたガジュマルの下で高齢の女性たちが輪になって体操していた。

「それじゃワハハ体操、いきましょう!」

「ワッハッハー!」

 おばあたちが両腕を天に広げて、大きな笑い声をあげた。普天間基地を飛び去ったオスプレイが黒い影を地面に作った。腹の底に響き渡る重低音で内側から呑み込まれていくようだ。

 

 

(つづく)