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第三章 銃声(承前)

 

 これはまるで忍者屋敷だ。誓は発砲男を取り逃がした路地に立ち尽くし、改めて、コンクリート造り二階建ての建物を見上げる。夏美が管轄所轄署に緊急配備の要請をしたのが三十分前のことだ。

 応援が駆けつけるのと入れ違いに、夏美はひとりで病院に行った。たぶん産婦人科に行くのだろう。付き添いを嫌がるだろうから、黙って見送った。

 誓は藪と二人で現場に残り、隠し扉の向こうにいた老夫婦から話を聞くことにした。

 老婆がキリンビールのロゴが入ったコップに麦茶を注ぐ。隣であぐらをかいていた老人は介護ベッドに移動し昼寝を始めていた。ついさっき、けん銃を持った男が部屋をすり抜けていき、いま階段では鑑識作業が行われ、これから刑事が事情聴取をしようとしているのに、昼寝できるのか。

「元々この建物と、あんたたちが来た方の特飲街の建物はね、別の建物だったの。でも隙間は五十センチくらいの違法建築てわけさあ。まだアメリカ世の時に建てられたもんだから」

 ちゃぶ台の果物カゴには小ぶりのパイナップルとマンゴーが入っていて、その脇には今日付けの琉球新報がテレビ欄を上にして置いてあった。

「夫は基地の売店職員で、私は米兵住居のハウスキーパーだったの。当時にしちゃ結構いいお金をもらっていたんだけど、夫がもみくじ賭博にはまっちゃって、子供三人を育て終えたらすっからかんってわけ」

 いまは本屋になっている一階を居室、二階を寝室にして生活していたが、やがて子供たちが巣立ったころ、特別飲食店街にたびたび警察の摘発が入るようになった。あいている二階を提供してくれないかと売春宿『葵』を経営していた男性に拝まれたそうだ。

 月百ドルで二階の部屋を貸すというと「たったそれだけでいいの」と経営者は目を丸くしたという。

「当時この界隈は毎晩、ドル札がばらまかれていてね。ベトナム戦争のころ。明日の出撃で死ぬかもしれない米兵たちが飲めや抱けやの大騒ぎ。ペイデイの日はバケツ一杯にドル札を入れて、真栄原にやってきたもんさね」

『葵』の経営者は二階の売春部屋と夫婦の自宅二階の部屋の壁を壊して繋ぐ工事を行い、隠し戸棚で仕切ったそうだ。売春部屋だったところにバーカウンターを設えて警察の目をくらませ、隠し扉のこちら側でこっそり売春させていたというわけだ。

「私たちは一階に引っ込んで暮らしていたんだけどね、黒人兵が客として来たら大変よ、あれは床が抜けるかと思ったねー」

 老婆はあっけらかんと笑う。

「明日、ベトコンにやられちゃうかもしれない男たちばかりだもの。かわいそうでねぇ。うちのお父さんはそのころPXから駆り出されて、ベトナムから無言で帰ってきた米兵の遺体を洗う仕事もしたよ。首がないのとか下半身だけとか。米軍は嫌いだけど、米兵は憎めなかったね」

 ベトナム戦争など誓にとっては歴史上の他人の戦争だった。沖縄では隣人の戦争なのだ。

「そのうち真栄原新町は女性団体の抗議活動と警察の摘発でなくなったわけ。本土の立派な大学出の女の人たちには、この界隈で必死に生きてきた女たちのことなんかより、自分の主義主張が大事。あちらの正義ばかり押し付けてきて、こんな家に住んでいるのも違法なんだと叱られちゃってね。私らは食い扶持がなくなっちゃって、今度は一階を貸し出すことにしたの」

 一階の本屋が入居したのは三年前のことだそうだ。

 改めて誓は、『葵』に住み着いていた老婆とハンチング帽の男について尋ねた。

「腰の曲がったおばあさんと、男の姿を何度か見かけたさー。男はいつも帽子かぶってたね。話し声とかは全然しなかったよ。二人は顔がよく似ていたから親子だろうけど、仲が悪かったのかね。一緒にいるところも見たことないよ」

「その息子は、さっきそこの隠し扉を通ってここから逃げていった男で間違いないですか」

「うん、あの男やさ」

 似顔絵捜査官を派遣してもらおうかと考えていたのだが、老婆に言うと、大袈裟に頭を振って断られた。

「挨拶もしたことないし、気が付いたら住み着いてた親子よ。雰囲気はわかるけど顔は難しいさ」

 母親の手にハジチが入っていたかどうかもわからないという。

 一階の書店主なら、正確に証言できるかもしれない。

 誓と藪は礼を言って階段を下り、改めて本屋に入った。店内を見渡すと本棚に置かれているのは沖縄本が中心のようだ。青い空と濃厚な入道雲、そして白い砂浜にハイビスカスという沖縄らしい表紙のガイドブックや写真集が面陳されている。

 棚には『反戦』『沖縄戦』『基地問題』『琉球王国』『沖縄文学』という分類札が出ていた。

 軒先にテーブルを二つ出しており、隣のタピオカ店で飲み物を買った人がここで沖縄本を買って読んでいた。混雑はしていないが客が途切れていない。中年の、チャップリンのようなちょび髭を蓄えた店主から話を訊く。

「逃げていった男は、この真裏の元売春宿に住んでいる男ですよ。まあヤクザだと思います」

 この一階店舗とは構造上は接地していないため、話し声などは聞こえないそうだ。

「店舗の目の前の路地には搬送トラックが入れないでしょ。だから『葵』の玄関がある通りに車両を停めて、裏から本を搬入するんですけどね。その際に何度か男の姿を見かけてますね」

 店主のちょび髭がだんだん名探偵ポワロみたいに見えてくる。

「母親の姿を見たことはないですけど、男の方は電話で誰かを脅してました。僕が聞いたのは、あそこは御嶽なんだとか。拝所の真上だから開発したら魂が落ちるぞ、とか。まあそんなところです」

 沖縄方言を覚えられないらしい藪が、御嶽について尋ねた。店主が『琉球信仰』の戸棚へ移動し、一冊取り出して、見せてくれた。

「御嶽というのは聖地ですね。沖縄の自然信仰の対象で、県内各地にあります」

 誓は本を捲った。沖縄県内の御嶽を詳しく紹介するガイドブックだった。

「県内で一番有名なのは斎場御嶽ですね。琉球の古代神が降り立ったとされる久高島を一望できる場所で、地元の人はむやみやたらに近づきません。あそこはやばいですから、行かない方がいいですよ」

 店主は警告するような口調だ。藪が本から顔を上げる。

「ウガンジというのはなんですか」

「ユタが祈祷を捧げる拝所のことです。そこでウチカビと呼ばれるあの世のお金を燃やして、祈祷するんです。やはり神聖な場所で、地元のユタなしに行かない方がいいです」

「発砲男は電話で御嶽や拝所を口実に、開発を中止するように脅していた、ということですか。なんの開発でしょう」

「さあ、そこまでは。僕と目が合うや、かりゆしウェアを脱いで背中を向けるんですよ。刺青がびっしりの」

 男は沖縄ヤクザだろう。地面師詐欺一味か。

「御嶽のある土地を開発したら本当に関係者が祟られたという事実があるんですか」

 店主はちょっと困ったような顔をする。

「沖縄人は御嶽を潰して開発するようなことは絶対にしません。御嶽の上に堂々と基地を作った連中はいます。あいつらがベトナム戦争に負け、イラクやアフガンから中途半端に撤退したのも、御嶽をつぶしたからじゃないですか」

 誓はガラス戸の外を見た。いまは普天間基地の航空機は見当たらない。空は不気味に静まり返っている。二時間ほど前まで晴れ間が差し込むこともあったが、再び空は厚い雲で覆われていた。

「普天間基地。あの下には巨大なガマがあって、米軍が占領する前は神聖な御嶽として信仰の対象だったんですよ」

 

 発砲事件から二時間、宜野湾署の刑事たちや駆けつけたマル暴の松本らと近隣に聞き込みを続けたが、発砲男は警察の網の目には引っ掛からなかった。

 誓は通りに並んだパトカーや捜査車両の脇に立ち、書店で購入した御嶽に関する書籍を捲っている。藪と誓に声をかけてくる沖縄県警の警察官は誰もおらず、夏美の相棒の松本もよそよそしい。

 普天間基地の下の御嶽について尋ねてみたが、みな初めて聞いた様子だった。マル暴の照屋課長は久米島出身で、本島の事情には詳しくないらしかった。

「普天間基地を挟んでここから反対側、北の方に普天間宮というのがありますよ。そこに鍾乳洞がありますから、まあ、普天間基地の下へガマが延びていてもおかしくはないですね」

 照屋が捜査車両で普天間宮まで案内してくれることになった。エンジンをかける直前、藪の腹が盛大に鳴った。肩を叩かれる。

「誓ちゃん、お腹空いたね」

「いまお腹鳴ったの藪さんでしょ」

「恥ずかしがらないの、健康な証拠」

 照屋がミラー越しに微笑みかけてきた。

「タコスでもつまんでいきますか」

 照屋は普天間飛行場の西側の国道58号に出た。この国道は沖縄本島を南北に貫く大動脈で、那覇から最北端の辺戸岬まで続いている。アメリカ西海岸にありそうなハンバーガー店の大きな看板が見えてきた。

「あれはA&W、通称エンダーね」

 イオンモールで食べた。もう十五時なのに駐車場は満車だった。今度は大きなアイスクリームの看板が見えてくる。

「あれがブルーシールの本店ですよ。事件捜査が落ち着いたら是非」

「この界隈はリサイクルショップや家具屋も多いですね。ニトリもあるし」

「国道58号のこの辺りは通称ファニチャーストリートって言うんです」

 照屋がおすすめだというタコスショップに入った。こぢんまりとした店内には、大きな木製のテーブルがあり、そこにプラスチック製のカラフルな椅子がいくつも押し込まれていた。

「普天間基地に配属になった米兵が本土に帰るときに家具を置いてくんですよ。それでこの通りに家具のリサイクルショップがいくつもできたんですね」

 この店のテーブルも米兵が置いていったものなのだろうか。傷だらけの木製テーブルにはよく見るとボールペンで削ったような落書きがいくつもある。 ジェイドとかロッキーとか、米国人らしき名前が目立つ。

 照屋がタコスのソースで手をべとべとにしながら、顎でその落書きをさす。

「出撃前に名前を残していったのかな。この界隈とかコザとかもそうですけど、ベトナム戦争のころから、戦地に行く米兵たちが一ドル札に名前を書いてAサインバーに残していくっていう風習があるんです」

 生きてここにまた戻るという決意、おまじないだったのだろうか。

 照屋は指をなめタオルで手を拭き、そのタオルでスキンヘッドの頭をひと撫でした。すぐ車に戻って出発した。

 普天間宮に到着する。雨の平日でも観光客がちらほらといた。本殿は赤瓦を漆喰で留めた沖縄建築で、入口にシーサーでもいそうな雰囲気だ。手水舎で手と口を清めて参拝する。紙垂を垂らしたしめ縄が時折ふきつける突風に揺れていた。

 鍾乳洞も見学できるようだが、時間が決まっていた。入口はアルミの扉で閉ざされている。あの先が普天間基地の地下のガマにつながっているのだろうか。鍾乳洞の入口の扉を背にし、誓は照屋と藪に推理をぶつけてみる。

「いま普天間基地は辺野古移設を控え、自治体による軍用地の買収が進んでいるようですね。喜屋武が東京で取り扱っていたのは軍用地ではないかと思うんですが」

 照屋が頷いた。

「ええ、桃原から報告を受けています。本土の人でも先の値上がりを見越して軍用地を買う人はいますね。なにせ建物の管理は一切必要ないですから、利回りが結構いいとは聞きます」

 固定資産税も一般的な土地より安い。マンション投資のように部屋の管理の手間や家賃滞納などのリスクもない。駐車場にするにしても整備・管理の手間暇がかかる。そういったわずらわしさがない軍用地は投資の対象になりやすいのだろう。

「しかも毎年変わる軍用地料を算出する計算式が難しいですね」

 照屋が説明しようとしたが、誓は止めた。そこは本題ではない。

「宜野湾市のホームページには、普天間の軍用地を四十倍で買い取ると記しています。軍用地の実態をよく知らない本土の人には、土地が高騰しているように見えます」

「なるほど、確かに」

「将来的に民間企業を誘致し巨大ショッピングモールにするという計画もあるようです。その売却益が入るとか、いくらでも普天間の軍用地を魅力的な投資物件に見せられますよね」

「喜屋武はそうやって東京の人をだましておったんですか」

「その可能性があります。そして土地代を払わせたところで、ユタの登場です」

 普天間基地の地下には御嶽がある。開発工事は祟りがあるから進まないとかなんとか言ったか。最近の詐欺師は組織ぐるみで騙しにかかる。例えば開発するディベロッパー社員役がいたら「あの土地は地下にガマがあるから基礎工事ができず計画が進まない」とか言うこともできる。

 向島一家の下っ端、比嘉謙信は安っぽい吊るしのスーツを着ていた。あの装いは公務員のようだった。

「市役所職員役の詐欺師もいたかもしれません。ありもしない違法性を指摘し、投資から手を引かせた可能性もあります」

 こうして取得価格よりずっと安い値段で売却せざるを得ないように追い詰めていったか。

「すると今回の件は地面師詐欺というより、土地投資詐欺だな」

 詳細を知らない清池會の池田は比嘉が妙なスーツ姿で土地売買の話をするのを見て、地面師と勘違いしたのか。

「開発できない土地でなおかつ役場から違法性などを指摘されたら、本土の人は急いで損切りに走るでしょう。自分が沖縄のことをなにも知らなかったせいだ、高い勉強料だと思うしかない。自分が詐欺にあったことに気が付いていない被害者が大量にいるのかも」

「すると喜屋武が惨殺されたのは」

「投資詐欺に遭った者の中に暴力団関係者がいたか。もしくは、質実剛健の島袋派の誰かが、任侠にもとるシノギに制裁を加えたか」

 雨が叩きつけているビニール傘の下で、藪の表情が険しくなっていく。

「これに六代目の来訪はどう関係してくるんだろうね。比嘉は向島一家の構成員ではあるが」

 向島春刀との直接の盃関係はない。向島一家が組織ぐるみで投資詐欺をやっていたのだとしたら、当然、顧問である向島の逆鱗に触れただろう。任侠原理主義者の向島は詐欺と薬物をご法度にしている。

「一旦仕切り直しだ」

 藪が手を叩いた。

「本部に戻って、情報を整理しよう。あの発砲男だけじゃなくて、伊礼ウシの行方もわかっていないんだ。どっちかが網にかかれば捜査は進展する」

 藪と照屋が踵を返して駐車場へ戻っていく。誓も本殿の脇をつっきる。お札やお守りの販売所が目に入った。誓は藪に先に捜査車両に戻るように言い、『安産祈願』守りを手に取った。

 

 沖縄県警本部に戻った。玄関口脇のシーサーを藪がひと撫でしてから中に入る。その後をついて歩きながら、誓はロビーに貼られた指名手配ポスターに目が行く。本土ではだいたい八人くらいの指名手配犯が一枚のポスターの中に同居しているが、これはひとりの顔写真がでかでかと掲載されている。

「宮良アッチャー」

 背後から照屋がポスターを睨みつける。

「アッチャー?」

「歩く人、という意味の古い沖縄方言です。宮良正儀は散歩するような足取りで警官を殺し立ち去ったという証言が残っています」

 誓は粗い画素数の写真を引き延ばした指名手配写真を改めて見る。太い眉毛もギョロ目も、写真を引き延ばしたせいで輪郭がぼやけて見える。

 刑事組織犯罪対策課のフロアへ行く。みな出払っている中で、夏美の背中がぽつりと見えた。

「あれ、帰宅したんでなかったのか」

 照屋が声をかけるや、夏美が弾かれたように立ち上がり、最敬礼をした。

「この度は不用意にヤサに近づいて市街地での発砲を許してしまい、大変、申し訳ありませんでした」

 これは自分たちも謝るべきかと、誓は藪に視線を送った。藪は知らんぷりで他のマル暴刑事に声をかけていた。いつの間に仲良くなったのか知らないが、今日一日、島袋や古謝に特異動向がなかったか確かめている。

 一方で照屋が夏美を気遣っていた。

「いやいや、あれは不可抗力だ。階段から落ちたらしいが、けがは?」

「大丈夫です。ご心配おかけしまして、重ねてお詫びします。発砲男と伊礼ウシは網に引っ掛かりましたか」

「まだまだ、これからだ」

 夏美は神妙な面持ちでこちらを振り返る。目が合った。誓はポケットに手に入れて、普天間宮で買ったお守りを渡そうとした。夏美がすっと目を逸らし、デスクに座った。

「今晩の宿ですけど」

 夏美はパソコンの画面から目を離さない。藪と誓に話しかけているようだ。

「やはり警視庁さんの方で宿を手配してもらえませんかね」

 プライベートに踏み入って欲しくないという強い意思を感じる。誓はポケットの中でお守りを離し、手だけを出した。

「乗鞍におねだりするかー」

 背後にいた藪がスマホを耳に当てた。他の管轄で発砲事件を引き起こしたことをたしなめられているふうで、藪は途中からスマホを耳から外し、口をひん曲げている。

「海上保安庁から位置情報、入ったよ」

 照屋がパソコンを覗き込みながら、手を挙げた。

「六代目吉竹組のレクサスクルーザーの現在地。たったいま、指宿港のビジターバースに入港したそうだ」

 薩摩半島にあるマリーナだった。

 沖縄県の泡瀬港まで、あと六百二十キロ。向島の到着までに残された時間は、あと一日半しかなかった。

 

 

(つづく)